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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました2019 その3

2019年02月26日 | 高校野球

≪選抜出場校の思い出 3≫

関東代表  春日部共栄(埼玉)     3度目(22年ぶり)
                         夏5度出場 甲子園通算 10勝7敗   準優勝1回   

 久しぶりの選抜となる春日部共栄。春夏含め初めての甲子園となった91年は、好投手原や主砲長沼などを擁して選抜初勝利を飾ったのですが、このチームは選抜で自信をつけて、夏までに素晴らしい成長を遂げて、その夏は初出場ながら優勝候補の一角に上がるほどのチームでした。しかし初戦で力を出し切ることなく敗れてくやしさにまみれましたが、それを晴らしたのがその時に1年生だった選手が主力となった2年後の93年のチーム。エースは西武で活躍した2年生の土肥。この年は選抜で平尾(西武)を擁して猛打で準優勝に輝いた大宮東が埼玉の中では断トツの強さを誇っていました。しかし県大会準決勝でまさかの敗戦を喫すると、下馬評には上がっていなかった春日部共栄が2度目の夏をつかみ取り、2年生エースの粘り強いピッチングを支える強打で甲子園でも勝ち進んでいきました。決勝では惜しくも敗れたものの、春の大宮東に続いて夏も春日部共栄が準優勝と、これまで甲子園で実績を残せなかった埼玉勢が、一気に輝きを放った年となったのでした。春日部共栄の本多監督は高知高校時代にあの原辰徳らの東海大相模を選抜の決勝で破り優勝を飾った時の主将。高知高校そっくりの白地にえんじのアンダーシャツというユニフォームで、甲子園の新たな勢力として暴れまわりました。85年まで私立校の甲子園出場がなかった”公立王国”の埼玉高校野球界が、この年からはガラッと様相を変えて、浦和学院、春日部共栄の両校を中心に完全に私立優勢の勢力図になったのですが、春日部共栄と浦和学院のライバル関係もすごいものでした。97年のチームは秋の関東大会を制して、最後までこの年の「関東No1チーム」に恥じないいいチームでした。長身横手投げのエース長峰が好投を見せて、春夏ともに2勝。「春日部共栄強し」を印象付けました。しかし春日部共栄が甲子園で輝いたのはここまで。以降20年以上にわたり甲子園への道は遠く、ライバルの浦和学院や花咲徳栄に行く手を阻まれ続けて出場はわずか2回のみ。甲子園ではわずか1勝を挙げたのみにとどまっています。個人的に痛かったなあと思うのは、00年のチームで甲子園にいけなかったことですね。まだまだ春日部共栄が浦和学院と「2強」を形成していた時代。00年の決勝は両校のライバル対決となったのですが、両校に素晴らしい投手が君臨していました。春日部共栄は中里(元中日)、浦和学院は坂元(元巨人)。中里はこの年の高校球界No1投手という評価で、まあ素晴らしい球を投げていました。一方の坂元は評価としては中里より一段落ちるとみられていましたが、昔でいうドロップのような落ち方をする縦スラで三振の山を築くタイプ。試合は春日部共栄が有利とみられていましたが、共栄打線が坂元をとらえられずにロースコアの接戦に持ち込まれて延長へ。そこで中里がたった1球のミスを犯してサヨナラタイムリーを浴び、浦和学院が甲子園をつかみ取るのでした。勝った坂元は甲子園の初戦で八幡商から19奪三振の大会タイ記録を樹立、一気にドラフト候補へと名乗りを上げたのでした。中里は結局甲子園に届かず。実は秋の大会でも、関東大会の初戦で翌年の選抜で全国制覇を成し遂げる東海大相模と当たってしまって、0-1という大接戦で敗れて選抜をつかみ取ることができませんでした。ワタシは「初戦負けだが、何とか春日部共栄を選んでもらえないか」と期待したりしていましたが、望みはかないませんでした。多分この年のチーム、「春日部共栄史上最強」で疑いなかったでしょうね。甲子園で戦わせたかった~。中里はドラ1でプロ入りしますが、故障がちでプロでも大成することはできず、あの素晴らしい素質からすると、悔しい野球人生となってしまいました。そして春日部共栄も、このチームで甲子園にいけなかったことが響いたのかどうか、00年代に入ると90年代の勢いはどこへやら、厳しい状況が続いて今日に至っています。この間の2度の甲子園出場では、05年の夏には初戦であの辻内・平田・中田を擁した「超ド級」の大阪桐蔭と果敢に打ち合って壮絶に散ったり、14年の夏は開幕戦で選抜優勝の竜谷大平安を破るアップセットを起こしたりと、甲子園に出てくればそれなりのインパクトを残しています。しかしライバルの浦和学院や花咲徳栄の甲子園での大活躍を見るにつけ、春日部共栄も「そうなる」べきチームだったのではないかなあと思ったりするのです。今年も甲子園に久しぶりに届いたものの、肝心の本多監督が暴力事案で謹慎させられて聖地での采配は振るえず。何か曲がり角に来ていると感じさせることが多いですね。

  

 

関東代表   習志野 (千葉)   4度目(10年ぶり)
                       夏8度出場 甲子園通算 21勝9敗  優勝2回    

習志野というと現在ではブラスバンドと一緒に語られることが多く、あの「美爆音」が話題に上るチームですが、もともとは『野球王国』千葉の代表的なチームとして、銚子商とともに昭和の高校野球を引っ張ってきたチームです。昭和40年代に入って、まず千葉で高校野球のリーダーとなったのは銚子商。今では見ることはできませんが(禁止されているため)、あの頃銚子商のアルプススタンドは、地元の”野球キチ”漁師さんたちが降りまくる大漁旗が無数に翻るというまさに壮観な光景がいつも見られていました。そんな「潮のにおいのする」銚子商が名将・斎藤監督とともに挑み続けてもなかなか手にすることができなかった「大旗」を2度目の出場でいとも簡単に奪って行ったのが、この習志野高校。土着性の高い銚子商の潮のにおいのするチームカラーに対して、東京のベッドタウンに位置するこのチームは、都会的な野球をするという、銚子商とは対極にあるチームでした。2度目の出場の昭和42年はのちに母校の監督として全国制覇をも成し遂げる石井投手がマウンドに君臨していました。この石井投手、牽制の名手で、このあたりも「都会的で洗練された」感じのする習志野のチームカラーでした。そしてその40年代終盤にはあのミスタータイガース・掛布を生んだのも習志野です。そして掛布卒業から2年後の昭和50年には、ヤクルト監督の小川を擁して2度目の全国制覇を達成しました。その前年には篠塚(巨人)土屋(中日)を擁して盤石な強さを見せた銚子商が悲願の全国制覇を達成しており、千葉の高校野球界はまさに「この世の春」という時代でした。小川は長身でしたがエースとしては不安定な投手で、選抜では初戦で初出場の豊見城の赤嶺に苦も無くひねられて完敗。夏も不安視されていましたが、夏は打線の強化が実を結んで快進撃。今でも思い出に残っている準決勝、優勝候補の広島商戦では雨で数時間待たされた後に小川が好投。あの広商打線を完封してしまったのでびっくりでした。決勝では内野ファールフライでのタッチアップ成功など、洗練された野球を存分に見せての栄冠。あの頃は本当に、千葉の野球はすごかったですね。それからしばらく習志野にはオーラがただよっていて、”ユニフォームと名前で勝負できる”状況が続きました。終盤での逆転も数多く、その最たるものは全国制覇翌年の選抜初戦、1-7と大量リードされた8回に打線が大爆発。一挙7点を取って試合をひっくり返しての勝ち方に、子供心ながら「本当に習志野はすごい」と思ったものでした。しかしその後は高校野球界の変質に伴って、市立高校である習志野に好選手が集ってくるという事がなくなり、銚子商とともに千葉県の中の群雄割拠の戦国時代に巻き込まれてしまった感じですね。しかしながら、たまに出てくる甲子園では常にその存在感を存分にアピールするのも習志野流。87年の選手権3回戦で佐賀工の剛腕・江口を見事に攻略した攻撃や、01年選手権2回戦、明徳戦での最終回の『外野スライディングキャッチ3連発』は今でも語り草になるようなすごいものでした。1点リードながら相手は当時戦力がピークにあったあの明徳義塾(翌年には全国制覇)。その明徳の圧力を受けながら、外野があり得ないようなスライディングキャッチの3連発で試合を終わらせたのは、現地で見ていて震えが来るような感動でした。カクテル光線に照らされた習志野のユニフォーム、カッコよかったなあ。そして近年では、2011年の選手権のチームも素晴らしかった。これも2回戦で激突した明徳戦。まさかの大野先発で意表をついて相手の攻撃を抑えると、電光石火の速攻で1・2回に5点を奪っての快勝。習志野野球の真骨頂を見た思いがしました。ということで、習志野はワタシにとっても「特別なチーム」の一つです。できれば昨年のチームに甲子園で戦ってほしかったというのが本音なんですが、今年のチームの粘り強さもなかなかのもの。また甲子園で「習志野野球」を美爆音とともに堪能したいと思っています。

 


関東代表  山梨学院 (山梨)      3度目(5年ぶり) 
                          夏8度出場  甲子園通算3勝10敗 

5年ぶりとなった山梨学院の選抜出場。しかし夏は3年連続で聖地の土を踏んでいるので、久しぶりという感じは全くありません。山梨学院といえば現在は清峰で一時代を築いた吉田監督が13年から率いていますが、その前はどうも監督の交代が頻繁なチームというイメージがありますね。山梨では東海大甲府の大八木・村中監督、甲府工の原監督が名監督として有名ですが、そのほかのチームは頻繁に監督が交代するというイメージがワタシの中にあります。この山梨学院と日本航空という強豪に成長した2チームは、まさに「野球強化」に特化した学校というイメージですが、何足腰が定まらない感じがしていました。しかし吉田監督を招聘した山梨学院、そこからはしっかりとした強化ができているようで、このところ東海大甲府とのライバル対決でも一歩先を行っているという感じがします。甲子園での戦い方で印象に残っていることはほとんどありません。本格派の投手に強打というチームカラーはいつも同じなのですが、甲子園での戦いぶりでは「崩れてしまう」というイメージは強いですね。なし崩し的に終盤相手に得点を重ねられてしまうという戦い方を、甲子園で何度も見たというイメージがあったりするので、粘りを身につけるともっと戦えるのではないかとみています。関東大会などでもよくこのチームの戦いを見ることがありますが、その時は実にしっかりとした野球を展開するイメージもあったりするので、まだまだ甲子園では『よそ行きの野球』をやってしまっているという事なのでしょうか。その点ライバルの東海大甲府は、しっかりと甲子園でも自分たちの野球をやることができていると感じますがね。甲子園での戦い方を熟知している吉田監督ですから、そろそろブレークしてくるかもしれません。まだまだ「良くも悪くもクラブチームのような」風情のある、チームカラーが定まっていないチームのように感じますので、これからどんな色に染まっていくのか、楽しみでもありますね。


(つづく)


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