心のかけこみ寺

占い講師「庵 妃慧」の徒然日記

好きな季節!

2005年03月31日 12時36分14秒 | Weblog
夏の終わりから、秋の中頃が好きですね!
雲が澄んで空の色が綺麗です。

「陰極まれば陽となる」占いの言葉ですが、
枯れススキに十五夜お月さんの出た風景が、一番素敵に思える時です。

見つけた”権現飴”

2005年03月30日 22時02分43秒 | Weblog
限定品とは知っていたけれど、何時ならあるのだろう?
と思っていたら、夏は作らないそうである。

「那智黒飴」よりも、この飴が好みである。
あっさりしていて、とても美味しい。

お土産に沢山買った。
自分が好むと皆も好むんだと思うのが、私の悪い思い違いかも知れない。

雨の「新宮」を後にして!

2005年03月30日 21時56分07秒 | Weblog
一応の行事を無事に終えて、降りしきる中、新宮駅へと急いだ。
出発には早いが、友人と待ち合わせをしていた。

13時03分発、南紀6号名古屋行き。
座席に着くと直ぐ目を瞑った。ズーとズーと。松阪辺りまで。
とにかく日々たまっていた疲れがどっと出た。
「早く、このまま東京まで運んでくれないかなー」
そんな事ばかり考えながら辛抱していた。

{今回帰るにあたって、特別誰にも知らせていなかったけれど、出会うとやはり「心待ち」してくれている人があるものなんだと言う事が、つくづく感じられた}
しかし、もう帰る機会もだんだんと無くなるだろう。

東京に着いても、やはり寒い雨降りだった。

雨の那智参道!

2005年03月30日 21時38分10秒 | Weblog
海抜700mの妙法山から下り、那智参道に差し掛かると前方に「那智の滝」が目に入った。
この連休辺りから観光のシーズンに入るはずなのに…。
参道は雨のせいか、人の姿もチラホラもしていない。

昨年の7月「世界遺産」に認められたこの那智山近郊ですが、
「この頃のお客さんは、みやげ物を余り買わなくなった」
と、先日あるお土産店の主人が嘆いていた。

又、道路が良くなって、勝浦温泉も素通りされてしまう様になったとも云っていた。
皆、現状は大変なんだ!

妙法山の頂上の石段を上がると!

2005年03月30日 20時58分40秒 | Weblog
紀伊の国、東牟婁郡「熊野妙法山阿弥陀寺」
西国三十三番の番外の札所で、
ご詠歌に
”くまのじを ものうきたびと おもうなよ…”と詠まれている。
ご本尊は「阿弥陀如来」。
熊野妙法山阿弥陀寺」の、HPでお楽しみ下さい。


御参りすると「一つ鐘」をつかせてくれる。
このお寺の境内を散策していると「ヒャッー」とする。
高い樹木が鬱蒼と生い茂り、太陽の光を遮っているから昼なお暗い感じであり、
先へ進むと、色んなお堂が建立されている。一人では少し淋しい気持ちがする場所でもある。
足元は、苔むした石畳が不規則に並び、古き時代を其の儘に残されている。

昨年の秋には、可愛いリンドウの花が沢山咲いていた。
本当の意味で「熊野古道」を充分に味わえる場所と思う。


一周忌も済んで!

2005年03月30日 20時48分22秒 | Weblog
その日の夕方には、西宮の甥っ子、夜には、岡山の甥っ子夫婦が帰った。

明くる日は、生憎のとなる。
義兄と姉の「髪あげ」をした「妙法山・阿弥陀寺」へ出かけた。
一年の法要である。「熊野妙法山阿弥陀寺

このお寺は、那智の滝迄観光に来られても、中々此処まで足を延ばされる人は少ない。
又、この場所を知らない人も多いのであろう。
那智山駐車場からスカイラインを車で、約20分進むと終点に、この石段が見える。

その駐車場から、眼下の景色を見下ろすと紺碧の海と「紀伊勝浦湾」が一望できる。
但し、お天気が良い時に限る。
今日は雨で霧が出ていたが、あちこちの山の中から「鶯」の鳴き声が聞こえた。
また、過去にスカイラインの途中で「鹿」に出会った事もある。

お寺の境内から、見渡すと!その2。

2005年03月30日 20時00分01秒 | Weblog
同じ場所から、首を右の方に向けると、
少し遠くに学校が見える。

「紀和町立入鹿小学校」

過疎化なった紀和町の中で、一番影響を受けた小・中学校は何処だろう?
廃校になった学校も多いと云う。

当時、私達の学年は一番少なかった。それでも、一クラス45,6名位で二クラスはあった。
上の学年とその下は、三クラスもあったから、かなりの人数になる。
喧嘩もしただろうが、活気も溢れんばかり。
給食に出た「ミルク」の味は、懐かしく思い出される。


今日は「姉さんの一周忌」

2005年03月30日 19時47分27秒 | Weblog
3月22日、お天気は
午前10時に和尚さんがお見えになる。
その後、紀和町小来須にある、お寺へ車4台に分譲して出発。

皆で揃ってお経を上げた。
「もうお仕舞いだな…」と思っている時、

”心の闇を照らします いとも尊き御仏の 誓いをねごう ものはみな…”
三宝御和讃を唱え出した。

その節回しに
「ハッ」とし、同時にありし日の父が目の前に現れた。母とよく「梅花流詠讃歌」の練習をする父の声に耳を傾け、口真似をして過ごした日々を懐かしんだ。
その父も母も、もうこの世には居ない。そして姉までも父母の側に逝ってしまった。

”浮き世の波を乗り越えて 浄きめぐみに ゆく法の 船に掉さす…”
”南無帰依僧と 唱えよや”

和尚さんのお仕事の一端か、それとも私への無言の御計らいかは分からないけれど、
心から感謝した。
思わぬ所で、父と母を偲び思い切り胸の中で叫んだ。
「お父ちゃん、お母ちゃん!」

このお寺は小学生の頃「お習字」を習いに通った所である。
丁度お正月の記念写真を写した場所の階段が其の儘であった。
祖父との関わり、父との思い出。

昔のお寺より大変改良され、境内の手の入れようは和尚さんの性格も反映されている。
「此処に住職あり」
生きたお寺になっている。