自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

6.15安保闘争クライマックス/樺さんの死/安保闘争ヒロイン誕生

2015-03-06 | 体験>知識

6月15日が画期的な水曜日になるという雰囲気は京都にはなかった。
末端のブントでしかも新入生の活動家にすぎなかったわたしは安保闘争がもりあがったが故に日常化したデモに埋没していて、6.15ゼネストを特別視する自覚はなかった。
東京ブントが国会突入戦術の仕上げをした。
国会占拠ではなかった。
この日全学連は国会通用門を突破するための小道具(ペンチ、鉄鋸、ハンマー、たがね、ロープ)を用意した。
明大中心の工作隊が、トラック曳き出し、車輌焼き討ち、救護等の役割を分担した。
機動隊の警棒に向かって突入をやりきるという確固たる方針と不退転の覚悟も準備した。
参画する同盟員は周りから迫られたわけではないが内心覚悟を問われた。
戦術に疑問とか家族の心配とかの逃げ口上は赦されなかった。
樺さんをふくむ東大の女子学生3人はスカートをスラックスにはきかえて参加した。
女性は危ないから後に下がるように、と叫ぶ周りの声に応える間もなく先頭集団およそ100人の中にいた3人は警棒で頭か腹部をやられ気を失って倒れた。
国会周辺を埋め尽くす数十万の参加者は志がありながら飛び込めなかったサイド・ウオーカーだった。
わたしはその日上京していない。
上京団を結成したはずだが記憶にない。
事件は本部自治会BOXで知り胸苦しさを覚えながら徹夜で翌日の準備をした。

北小路敏委員長代行を先頭にスクラムを組んだ徒手空拳の学生達が南門に取り付いて1時間半後、門柱を引き倒し、バリケードの阻止車を1台曳き出した。
19:00東大本郷、明大、中大の順に隊列を組んだ先頭部隊が構内に入り始めた。
そして運命の5分間が訪れた。

以下、作者不明のHP『60年安保・その激動の軌跡』と朝日ジャーナル7月3日号の特集『6.15流血事件の記録』から引用する。


車輌の係留と移動  
車輌がロープで繋がれその端は後の立ち木に巻かれている。

《19時03分・・2台目の阻止車、門外に引き出される。
後方にあった車2台も後ろへ押しやられ、学生がどんど ん入る。放水効果なし。
《19時04分・・構内に入った学生約700。樺の姿は前から10数列目にいる。
この時、学生の正面にいた警官隊が後方へ引きさがって、袋状の隊形となる。学生との間は2,30メ-トルの広い空間ができる。

〔警察メモ〕
《19:04・・警官、袋のように後退する。
《19:05・・学生、どんどん入る。100人ぐらい。放水効果なし。


「引きさがった」状態についての説明。   
     ・・「逃げるように」「しかたなく」
     ・・「サッと」「整然と」


 

*定かでないが学生がごぼう抜きされて後方に送られている。

《19時05分・・西側の第四機動隊の後方で白い警棒が振り上げられ「かかれ」
警官隊はワッと喚声をあげて、 警棒を振り上げて旧議員面会所方面に殺到。
学生は算を乱して逃げたが、一部は旧議員面会所のガラス戸を外して投げつけたり、プラカ-ドの柄を振りかざして打ち合った。
警棒が学生の頭や肩を打ちのめす音*が不気味に聞こえ、最前列 の学生は両手で頭を抱えながら倒れた。
倒れた学生は警官に殴られながら、後方へごぼう抜きに 送り込まれ、私服の猛烈な一撃で叩き臥せられた。
私服は男女を問わず負傷学生の髪の毛をつかんだり、足を持ったりして議員面会所に引っ立てていった。
バチバチとトタン屋根を打つ大粒の夕立の音

〔警察メモ〕
19:06・・旧議員面会所まで乱入。規制中。投石激しい。強力に圧出中。
《19:09・・旧議面のガラス割って投げる。
《19:10・・警官相当負傷。学生、旧議面と旧警務官詰め所[供待所]
近くに分断されている。
             100人抵抗者検挙中。
           
この中に樺さんがいた
《19:11・・南通から正門の土手にずらり見物中。
《19:14・・部隊後退。阻止車また引き出される。強力に排除中。
《19:16・・放水中止。学生突入。強力に圧出中。
《19:18・・門まで圧出したがまた入る。投石。




《学生は負傷者をつれて、首相官邸などで通行の乗用車に向かって「負傷者を病院に運んで下さい」と叫び、協力する乗用車が多かった。
19時20分・・学生は門外に押し出された。「誰か死んだのではないか」との噂。
19時30分・・女子学生の死が伝わり始める。
樺の死体搬出に関して
《南通用門からデモ隊救護班が運び出し、官邸付近からきた救急車に収容、19時30分頃 (警察病院調べ)警察病院に運び込んだ。


救護班に運ばれる樺さん   撮影 :濱谷浩

            
このあと激高した学生が続々構内に入り、やがてその数は4000人に達した。
降りしきる雨の中、夜の10時過ぎに始まった第二次乱闘は騒擾と化し明け方まで続いた。
全容は図面と写真と証言で構成された上掲誌に詳しい。
 

 



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1 コメント

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知らない過去 (仏の提言)
2015-03-17 15:23:46
小生は1945年(昭和20年)8月15日に生まれました。その事が有り平和について誰よりも関心を持っています。

自分の知らない過去、事実から我々は学ばなければならないと思います。そして今、早急に個人の権利、人権を確立せねばなりません。

それは先輩から真実を学び、同時に80年前を生きた人にその反省を求め、平和への活動の協力をしてらいたいのです。その人たちと一緒に今悪行を働く者どもを糾弾して、平和を取り戻します。

そして、今まで経験したことのないユートピアの世を造り上げます。是非ご指導ください。

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