「風の花祭り」は下田市・まどが浜海遊公園にて開催され、下田市内の保育所・幼稚園・ 小学校・中学校の児童・生徒全員と市民が作った17,000本以上もの風車が 今年はお菓子の国をテーマに元気にまわっています。 |
また、敷地内には
坂本龍馬像
そして遠く湾外には外防が建設中だが、今回の津波で自然の猛威とか想定外とか・・・
迅速な避難しかないですね。
ちなみ県のHPに過去の被害が出ていたので載せさせてもらいました。
★1960/5/24 (昭和35年) チリ地震津波
南米チリで起こった地震による津波。津波の高さ1.3~1.8m、地上50cm程度の浸水。
稲生沢川が引き潮で干上がり、歩いて渡れた。鍋田の砂浜で津波の高さ1m程度。
★1946/12/21 (昭和21年) 南海地震津波
津波の高さ2m程度、殆ど被害はなかった。
★1944/12/7 (昭和19年) 東南海地震津波
津波の高さ、下田市街で1.5~2.5m、稲生沢川沿いに浸水した。
★1923/9/1 (大正12年) 関東地震津波
下田・柿崎で2.5~4.5mの高さの津波があった。また湾外の須崎・外浦などでやや高く、
4~6mに達した所もある。被害は全壊2戸、半壊50戸、床上浸水 190戸。
★1854/12/23 (安政元年) 安政東海地震津波
津波の高さは、外浦3.5~4.5m、柿崎6.5m、下田3.5~6.8m、吉佐美2.4mに達した。
柿崎では全壊・流失75戸、死傷なし。また、下田(本郷・岡方を含む)984戸のうち937戸が
流失した。水死122人であった。古記録によると、津波は地震後約15分で襲来している。
★1707/10/28 (宝永4年) 宝永地震津波
津波の高さは5~6mで、宝福寺裏竹林まで達した。全壊857戸、半壊55戸、溺死11人、
船破損93隻。
★1703/12/31 (元禄16年) 元禄地震津波
津波の高さは3~4mで、宝福寺の大門に達した。家数492戸のところ332戸が流失皆潰、
160戸が半潰、男女27人流死(37人または20人との記事もある)、船大小81隻破船、
痛みなどの被害があった。下田武ヶ浜川除浪除(長200間、平均高7尺、馬踏5尺、敷2間)も
津波で崩れた。
特に安政の津波が目を引きます。
その時滞在していたロシア海軍・プウチャーチン提督の報告によると津波の高さは約6,5m
約千戸あった家屋のうち残ったのは僅かに半壊家屋12戸だったと言う。
市内には津波に注意の看板が設置されていますが、二階家がすっぽり浸かります。
敷根は今も昔も安全そうですが、その他の地区はどうだったんでしょう?
http://www.e-quakes.pref.shizuoka.jp/data/saigaishi/sh001.htm
また、検索して見ると
http://www.shimizu.pa.cbr.mlit.go.jp/port_shimoda/bouhatei_02.html
すみません、吉佐美や田牛などはよく分かりません。
想定内では、あの防波堤がとても役立ちそうですね。15分+αの時間がかせげることでしょうね。下田の立地、歴史を考えると、今回の震災は人事ではありませんね。
歴史をふり返ると今回のような大地震による津波がヤバイですね。
直下型地震では津波は在りませんでしたが
今回の様なプレート型地震では10~乃至15分で
10m級の津波と心がけなければと思います。
しかしISOさん宅辺りは大丈夫?