Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

長いソーセージとイチロー

2004年10月02日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、長いソーセージとイチローでした。

ジェフvsレッズ戦観戦後、隣で一緒に見ていた友達と、
別の場所で見ていた、ふたりのお友達さんと合流して、
4人で新宿の居酒屋さんに行きました。

そこで話題になったのは、今日の試合とJリーグ全体のことと、
そして私がいかに口だけジェフサポかということ。

本当に好きで、本当に応援する気ならば、
ホーム全試合、アウェイでも関東圏も全試合行くだろう、と。

そうですね、その通りですね。
ジェフさん、ごめんなさい。。。

けれど私は昔から、ひとつの物事に執着して、
そこに特化してしまうっていうことが、
苦手というか、どこか恐怖に近いものを感じてしまうんです。

それだけの人にはなりたくない、と。

私は細く果てしなく長い線を引くよりも、
距離はなくても大きな円を描きたいんですよね、
生きるにあたっては。

自分の目指すところと違うところに足を踏み出すことは、
やっぱり恐怖以外の何者でもないんです。

実際の私は感受性が強いので、
すぐ影響を受けて、入り込みやすい人間だと思うんです。

その本質に気付いているからこそ、
何事も本気にならないようにと、
一歩引いて見る立場になりたがるわけです。

そんななので、趣味の写真も音楽も映画も、
なにもかもが中途半端だったりします。

中途半端の数を増やすことに、
喜びを感じるわけです。

なにかひとつに特化しちゃうと、
新しいものが近付いてきたとき、興味を持ったときに、
そこに気軽にノれないと思うんです。

新しいものの存在に気付けなくなりますからね。

それは、物事だけでなく、思考にも言えることで、
芯となる自分の中の正義だけは揺るがせちゃいけないですけど、
いい考え方があるなら、それを積極的に取り入れた方が、
いい答えにたどり着くことが出来ると思うんです。

だから私にとって自分なりの思考は、あってないようなもので、
他人から生まれたいい思考を、壊さず認めて、
自分の一部にしていきたいんです。

やっぱり正しいことってひとつじゃないですからね、
10人いれば10の正しいことがあるんだと思うんです。

私はその10を全て認められる人でありたいわけです。

正しい正しくないなんて、所詮は主観でしかないんですから、
無理矢理に、ひとつの方向に導きたくはないです。

…と、話を大きくして、上手いこと話をはぐらかしてるわけですが、
そう考えると、ひとつに特化して応援するというのは、
とっても私らしくないことなんですよね。

でも試合を観れば観るほどジェフさんが好きになっていってて、
また観たい、応援したいって気持ちで胸いっぱいになるんですよね。

あの人のことを想うと、
また会いたいなと、胸いっぱいになるように。。。

なんにしても、この居酒屋さんの名物っぽい、
1mを超える写真の長いソーセージを見て、
素晴らしいと思うか、キモチワルイと思うか。

ひとつのことを極めることって、
結局は、そういうことなんだと思います。

仕切りから顔を出して隣の女子が、
長いソーセージをゆび指して、
隣でなにか話していました。

それが嘲笑であれ、羨望であれ、
席を越えたところでも話題にされる。

ひとつのことを極めるということは、
なにはともあれスゴイことなんです。

そして私達は、4等分して、
普通のフランクフルトな長さになった、
長いソーセージを口に入れた。

そしてイチローは、その9時間くらい前に、
メジャーの年間安打記録を更新してた。

もう、会いに行くか。

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