2004年11月2日、お仕事帰りにおひとり、
ワーナーみなとみらいにて、20時10分の回を鑑賞しました。
感想を一言で言うならば、
思わず声を出して笑ってしまう笑いがたくさんあり、
でもコメディではなく、人間の成長、感情の回帰が主題で、
映画というよりも、どこか舞台を観るような感覚で、
笑いつつも、最後には深みのある、見応えある作品でした。
…と、この感想を書くのに2日間も置いたのは、
どうしても拭えない違和感があったからなんです。
というのも、私の個人的な感覚で言えば、
私がダイキライな、全くナシな終わり方だったんです。
それまでずっと人間の明るい面を見せていたのに、
急に暗いとこを見せて、それを引っ張ったまま更なる悲劇で終わり、
っていう、いかにも小劇団の舞台っぽい根暗な終わり方で。。。
終盤までは、自然と声が出るくらい笑えたんです。
作品中で笑いのパターンを解説して、それがわかってるはずなのに、
でも笑ってしまうというのは、さすが三谷幸喜さんな、
台詞回しの優れた素晴らしい脚本だと思うんです。
そんな素晴らしい脚本に、
役所広司さんの名演技と、稲垣吾郎さんのオーバー演技が加わり、
ふたり芝居だとしても、全く飽きさせず、緊張感があり、
終始、楽しんで観ることが出来たんです。
そうして終盤までが良かった分、悲しさのある終わり方で、
脱力どころか、正直、怒りさえも感じました。
これじゃコメディ映画じゃないじゃん、
って、なんか騙された気分で。
私は基本的に作品を誉めたいんですけど、
この終わり方では映画として誉められない、って。
てか、一度悪いところが見つかると、
ドンドン想いは悪くなり、思ったよりも笑いが少なかった、とか、
余計なところまで気になりだしてしまって。
なかなかどう書こうか迷っていたんですけど。。。
でも、家に帰ってパンフレットを読んだら、
全ての違和感がスッキリして、とっても簡単に納得出来ました。
菊谷栄さんという方をモデルにしているため、
監督的には、終わり方を映画らしく華々しいものにしたかったけれど、
脚本家的には、それではモデルの人生と異なりウソになってしまうから出来ない、
ということで、映画らしいカタルシスがある大団円ではない、
一抹の悲しさある終わり方になった、という。
さらに映画版では、検閲官の人間的成長を描くことが主題であり、
作品として狙っているところもコメディではないから、
舞台版に比べて、あえて笑える部分を少なくした、という。
そんなことが書いてあったわけです。
そう言われたら、はい、わかりました、と、
素直に、そうした人間の成長作品として認めたわけです。
さらに、そのことを踏まえて考え直してみると、
笑いを通して人間が成長していくという視点の映画は、
素直にスゴイな、と急に誉めだしたりして。
変わり身は早いです。
いや~、いい作品でした、という気分です、今は。
こんな変わり身のある感想書いてて、
いいのでしょうか。
いいですよね、
いいです、はい。
きっと自然と声が出て笑ってしまうと思うので、
疲れてたり、機嫌が悪かったりするときに、
ぜひご覧になって、笑って気持ち良くなっていただければと思います。
けど、笑い、っていうものについては、
私は物心ついて以来、嘘でなく小学生の頃からずっと、
なぜかひねくれ厳しくて、なかなか認められないんですよね。
インテリがひねってひねってひねり出して、
そうして出来上がった脚本に演者の熱演が入って、
そこで生まれるものこそが笑いだと思うわけで、
あまりインテリでない人が、チョット思いついちゃった、
あるあるネタとか、そうですか、よかったですね、で終わりなわけです。
…と言いつつ、笑ってるときもある私なのですけどね。
私も検閲官するか。。。
ワーナーみなとみらいにて、20時10分の回を鑑賞しました。
感想を一言で言うならば、
思わず声を出して笑ってしまう笑いがたくさんあり、
でもコメディではなく、人間の成長、感情の回帰が主題で、
映画というよりも、どこか舞台を観るような感覚で、
笑いつつも、最後には深みのある、見応えある作品でした。
…と、この感想を書くのに2日間も置いたのは、
どうしても拭えない違和感があったからなんです。
というのも、私の個人的な感覚で言えば、
私がダイキライな、全くナシな終わり方だったんです。
それまでずっと人間の明るい面を見せていたのに、
急に暗いとこを見せて、それを引っ張ったまま更なる悲劇で終わり、
っていう、いかにも小劇団の舞台っぽい根暗な終わり方で。。。
終盤までは、自然と声が出るくらい笑えたんです。
作品中で笑いのパターンを解説して、それがわかってるはずなのに、
でも笑ってしまうというのは、さすが三谷幸喜さんな、
台詞回しの優れた素晴らしい脚本だと思うんです。
そんな素晴らしい脚本に、
役所広司さんの名演技と、稲垣吾郎さんのオーバー演技が加わり、
ふたり芝居だとしても、全く飽きさせず、緊張感があり、
終始、楽しんで観ることが出来たんです。
そうして終盤までが良かった分、悲しさのある終わり方で、
脱力どころか、正直、怒りさえも感じました。
これじゃコメディ映画じゃないじゃん、
って、なんか騙された気分で。
私は基本的に作品を誉めたいんですけど、
この終わり方では映画として誉められない、って。
てか、一度悪いところが見つかると、
ドンドン想いは悪くなり、思ったよりも笑いが少なかった、とか、
余計なところまで気になりだしてしまって。
なかなかどう書こうか迷っていたんですけど。。。
でも、家に帰ってパンフレットを読んだら、
全ての違和感がスッキリして、とっても簡単に納得出来ました。
菊谷栄さんという方をモデルにしているため、
監督的には、終わり方を映画らしく華々しいものにしたかったけれど、
脚本家的には、それではモデルの人生と異なりウソになってしまうから出来ない、
ということで、映画らしいカタルシスがある大団円ではない、
一抹の悲しさある終わり方になった、という。
さらに映画版では、検閲官の人間的成長を描くことが主題であり、
作品として狙っているところもコメディではないから、
舞台版に比べて、あえて笑える部分を少なくした、という。
そんなことが書いてあったわけです。
そう言われたら、はい、わかりました、と、
素直に、そうした人間の成長作品として認めたわけです。
さらに、そのことを踏まえて考え直してみると、
笑いを通して人間が成長していくという視点の映画は、
素直にスゴイな、と急に誉めだしたりして。
変わり身は早いです。
いや~、いい作品でした、という気分です、今は。
こんな変わり身のある感想書いてて、
いいのでしょうか。
いいですよね、
いいです、はい。
きっと自然と声が出て笑ってしまうと思うので、
疲れてたり、機嫌が悪かったりするときに、
ぜひご覧になって、笑って気持ち良くなっていただければと思います。
けど、笑い、っていうものについては、
私は物心ついて以来、嘘でなく小学生の頃からずっと、
なぜかひねくれ厳しくて、なかなか認められないんですよね。
インテリがひねってひねってひねり出して、
そうして出来上がった脚本に演者の熱演が入って、
そこで生まれるものこそが笑いだと思うわけで、
あまりインテリでない人が、チョット思いついちゃった、
あるあるネタとか、そうですか、よかったですね、で終わりなわけです。
…と言いつつ、笑ってるときもある私なのですけどね。
私も検閲官するか。。。
後になって、ひょんなことから
目からウロコ状態になることってあるんですよね~。
ほんとは最初から分かればいいんでしょうけど、
そんな時ほど良い作品に思えてきたりして。
それはそれで、いいですよね^^
想像する余白がたくさんあると思うんですよね。
ラジオドラマ版もあるみたいですしね、
どこかラジオ的に言葉からの想像で笑わせるみたいな。
で、それで、ラストまでも勝手に想像してしまったという
。。。
…そんな言い訳。
でもあの台詞の応酬は、
何度観ても楽しそうですよね。
いい作品でした。
舞台も見たいですっ!
話によるとレンタルビデオで貸し出してるとか?
先日はうちのブログに温かいコメントありがとうございました。
諸事情により、うちのブログは閉鎖状態ですが・・・。
『笑いの大学』舞台版がテレビ放映されたものしか観たことがない私としては、非常に気になります。
alizさんの感想を読んでマスマス、「今、観にゆきます」的心境です。
こちらでは報道も少なくなってきてしまいましたが、
もう日常に戻れているのでしょうか。
私は舞台版を観たことがないので、
とっても気になるんですよね。
映画版は検閲官側の視点なんですけど、
舞台版では検察官と脚本家どちらにもつかない視点で、
終わり方も違うとか。
この作品、劇場で観ると舞台っぽさが増して、
テレビ画面で観るのとは違う、
心に直接訴えかける、生っぽい感覚があると思います。
ので、機会があれば、
ぜひぜひ観に行ってみてください。