あれこれ日記

日々のあれこれを綴ります

友達と私の人生観♪

2016年06月07日 | その他の出来事

 

 

久しぶりに友達と会ってきた。

お互いバタバタした日が続いているのでなかなか会えず、日を伸ばしてもらったり

場所を友達の都合に合わせたりして、やっと実現した~という感じ。

 

ランチをしてお茶をしたのだけれど、話に夢中でお料理の写真を撮るのを忘れてしまった。

 

前回、前々回、会ったときは友達も私もそれぞれに「危機との闘い疲れ」(笑)があって、

お互いに調子がくるっていたのかもしれない。

私は自分の近況を何も話すことができなかったし、友達の話しを聴いていても

なんだかしっくりこなくて。

まだ心に余裕がなかったのかも。。

 

だから、今回もちょっと会うのが心配だったのだけれど、

今回は楽しくリラックスしてお話しできて、いつものようにお互いに自分の考え方や

意見を交換できて、とても有意義な時間を過ごせた。

 

 

それぞれ人生観が変わって お互いに 「これからの自分の人生をどう生きるか」 がテーマになっている。

どう生きるか?ということは、ある意味、死を考えることでもある。

 

友達は「もう、やるべきことは全てやっちゃった感じ。心残りや未練はない。

あるとすれば娘のウェディングドレス姿をまだ見ていないから、それかな。」と母親らしいお話を。。

私も 「心残りや未練なんていうのは何もない。でも、今が楽しいから、あとどのくらいこの時間が持てるかな?

少しでも長くこうしていたいな…って思っている。」と。。

 

家族(夫婦)で一緒にいられる時間なんて、きっと 「あっ!」という間に過ぎていくんだろうな。

これからすごく貴重になってくると思う。

友達とこうして会うのだって、年を取ったり、どちらかが体を壊したりすれば難しくなってくると思う。

 

何気ない日常っていうのが、実は一番幸せなんだと思う。

こういう時間を大切にして、よく味わって生きていきたい。

 

 

家族や友達との時間、大切にしていますか?そして自分の時間も。。

 

 

友達は今まで十分生きてきたから、これからの人生は 「おまけの人生」 だと思っているみたい。

未練はないけれど、「おまけの人生、自分のやりたいことはやる!」と。。

 

私の方は、おまけの人生だとは決して思っていなくて、

「誰かを笑顔に幸せにするために、人は生まれてくるのだ」と思っているから、

「自分の人生の中で、生涯1人でもいいから、誰かを笑顔に幸せにして去っていきたい。」と思っている。。

 

2人の共通の思いは 「残りの人生で人を笑顔にしたい。幸せにしたい。」ということ。

 

でもそれは、自分も笑顔で幸せでないと成り立たない。

自己犠牲では成り立たない、と私は思っている。

 

自分が笑顔じゃないのに、人を笑顔になんてできないでしょう?

 

無理などせずに、自分の時間を大切にしながら、細く長くできたらいいな…と思っている。

無理をしたら途中で息が切れて続かないし、体を壊したらそこで終わってしまうから。。

出来ないことはやらない。出来ること好きなことで楽しみながらやっていこうと思っている。

 

 

 

友達は 「夫婦のどちらかが先に旅立ち、1人残されても良いように

少しづつお互いに自分のことは自分でできるようにしていこう!と思っている。」と。。

夫婦ってお互いに自分のマイナスを相手が補ってくれていたりするものなんですよね。

他のご夫婦は知らないけれど、友達のところと私のところはそうです。

だから、もし1人取り残されたら、絶対に困るだろうな…と思う。

友達の旦那様と私の性格からいったら、1人残されたら部屋に閉じこもり、

ひきこもりの生活になりそう(笑)

 

「それじゃ、困るのよ!」と友達は言っていたけれど。。

「旦那さんは、幸せに暮らしてくれないと困る!」って。。

 

私は先日まで、ずっと「どん底」にいたから、まだそこまで考える余裕がなくて

夫婦で依存している関係のままでいるし、そこまで考えたこともなかった。

まぁ、私がいなくなったら帳簿とかネット関係とか、もろもろどうなるのかな?

くらいは考えたけれど。。(笑)

 

 

 

まだまだ、いろんなお話をいっぱいして・・・

 

「あとは死に方だよね」ということになった。

友達のお母さんは苦労に苦労を重ねた人生だったけれど、最期はお仏壇にお供えをした後

座り込んで、好きな人(友達のお父さん)の腕の中で眠るように…という。

最後は本当に幸せだったなと思える最期だったと。。

 

友達が言うには「苦労に苦労を重ねたから、最後の最期では幸せになれたんだろうな…と思うけれど、

苦労と言っても中途半端な苦労しかしていない私たちが、もしそうなれるとしたら、

その分、人を幸せにして徳を積んでいけば、最後の最期にはそうなれるんじゃないかしら?」と。。

 

「人生はプラスとマイナスの調和…みたいな法則がある」ってことなのかな?

大した苦労もしていない私たちが、人を幸せに出来たら理想的な最期を迎えられるのかどうか・・・

私にはよくわからないけれど、私は誰かを幸せにするために生まれてきたんだ!と思っているので

人を1人でも幸せに出来たら、それは人生のミッションを無事に終えることができて

満足な人生だったと思えるんだろうな。。

 

それと、人に優しくする、善い行いをすれば、やはり回り回って自分にいつかは返ってくると思う。

それが死に方に反映するのかどうかはわからないけれど。。

 

 

そして、もし、また人間として生まれてきたとき、今の旦那さんとまた出会いたいし、

また結婚しようと思っている。

例えば今世が、旦那さんと出会ったことで自分の人生が短くなったとか、そういうことが万が一あったとしても、

また次の人生でも絶対に出会いたいと思う。

それくらい素晴らしい人生だから、この今の人生は忘れないで覚えていたいな…と思う。

 

こういう性格だから、それなりに人間関係は苦労したけれど、昔からの友達は皆、長年の積み重ねで

もう他人という感じではなくて、兄弟姉妹のような感覚がある。

お互い、嫌な気持ちになったこともいっぱいあるだろうし、恥ずかしいことも知っていたりして(笑)

一緒に成長していった感覚があるから。。

幼いころ、あの地域に住んでいてよかった。

 

 

なんだか話が逸れたけれど、今回、人生観について友達とじっくり話ができて本当に良かったと思っている。

死を考えるというと、なんだか下を向いているように思うかもしれないけれど、

それって、生きることを考えているってこと。。

未来、夢に向かって友達は今いろんな勉強をしています。

 

私は「今」を大事にしたい。

 

友達と私の人生観は似ているところもあれば違うところもある。

それで良いんだと思っている。

数か月後、数年後はまた違うかもしれないし、変わるかも。

だから、またゆっくり、じっくり、話をしたいね。 ありがとね

 

 

 


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