随想録~つれづれなる一言日記⇒Part2はhttps://blog.goo.ne.jp/conny_mizukiにて

私こと瑞希祐作が、無秩序・無作為・無節操に自分の思いのままを書きつづってみました。楽しんでください!

おいしいお店を探す術

2010-01-30 | Cooking, Drinking
 全米各地を渡り歩いていると、どうしても重要になってくるのは「食事」です。やっぱり健康でいる秘訣はおいしいものを食べて、寝たいだけ寝て、きちんと運動をし、なお且つストレスをためないことです。ところがそれがなかなかうまくいかなのは誰でもがご存じのことです。この中でどれが一番大切か? と言われたら、私のように「食事」という人が一番多いかも知れません。(まぁ、本当のことを言えば「うまい肴と酒」というのが本音ですが・・・。)

 我々は日本人です。だから体を満足させる食事のベースは日本食です。確かにいろいろなところに行けばおいしいものはたくさんありますが、米国の食事はどれも油が豊富に使われており、同じものを食べていると必ず飽きてきます。やっぱり醤油ベースの味が我々の「源」になっているのですね。でもこれって日本にいると意外とわからないものなのです。海外に長いこと来て、何か足りないなぁ? って感じた時に初めて「醤油」のありがたさが身にしみるのです。

 さてそういうこともあり、私が出張するときには必ず旅先でひとつやふたつ日本食の店を探しているのです。それもできうる限りおいしいところを・・・。多少お金が高くても仕方がありません。そこはやっぱりできるだけ日本人に合う味が必要なのです。また海外に出張に来る方は大抵「日本から来るのになんでまずい日本食をわざわざ食べなければならないんだ・・・。」という人が多くいそうな気がしますが、結構多くの人が、米国でもやっぱり「日本食」が食べたいというのです。これも前に書いたとおり、一食二食はいいけどあまり続けると飽きてくることにあるのかも知れません。

 そこで、どうやっておいしい日本食を見分けるかが大事になってきます。昨今米国でもダイエットや健康の観点から日本食は相変わらずのブームです。その中からおいしいところとまずいところを見分けなければならないのです。ちゃんとした日本人が経営しているところなら、まぁ、そこそこいけるかも知れません。でも大都市は別にすればそういう店は少なく、大体の場合はアジア系のオーナーのところが多いです。確かにおいしいところもあります。でも本当の満足はなかなかできません。そう考えると、初見で良い店を見分けるのは非常にコツがいります。

私の場合、出張先でまずGoogle Mapを出し、近くの日本食をリストアップします。そしてそれをRatingの多さで並び変えます。その中から日本語のついているお店でなお且つ「東京」とか「京都」、「一番」とか「将軍」とかいわゆる外人さんが好みそうな名前をはずしていくのです。こういうお店は日本人の経営でない可能性が非常に高いです。経営でなければおいしくない可能性があるからです。やっぱり日本人こそ日本人の心を知るのです。

とりあえずそんなこんなで数軒に絞ったあと今度はそのレビューを見るのです。良い評価ばかりであれば安全なのですが、中にはひねくれた人もいますので注意してみなければいけません。そして最後に2-3軒に絞って現地に行ってみるのです。

現地でのコツは、まず駐車場を見ることです。これは何も日本食に限りませんが、おいしい店は必ず混んでいます。逆に止まっている車がいないようなお店はまず美味しくありません。米国人はこういうところははっきりしているので、逆に目安になるのです。駐車場が混んでいる店ほど期待ができるのです。店内に入り、日本人が多くいたり、日本語表記があればとりあえず大丈夫でしょう。かなり確度は高いと言えます。

但しこれはあくまでも何軒かの日本食が近くにあり、そこから良いところを探すのに最良な方法なのですが、街にひとつしかないようなところでは、GoogleのRatingはあてになりません。やっぱり駐車場が混んでいるかいないかで判断するのが一番かも知れません。

もうひとつ私の判断基準があります。それはお持ち帰りの「おにぎり」があるかどうかです。これがあるところはやっぱり日本人の「心」がわかっています。我々にしてみれば翌日、脂ぎったカロリー豊富な朝食を食べるよりも、一個のおむすびとお茶があれば結構満足です。お持ち帰りできれば最高ですね。

ちなみに冬にツーソンに行ってそこそおこおいしい日本食屋をこの方法で探しました。味はよかったのですが、ただ・・・お持ち帰りのおにぎりが異様に大きく、すぐに崩壊するというものでした。やっぱり中にはちょっとした失敗のお店もあるかも知れませんが・・・。

もしみなさんも旅先で日本食(他のものでも同じですが・・・)が食べたくなったら、ぜひこの手を使ってみてください。保証はできませんが、多少あたる確率は高くなると思います。

こんなことあるんか? 鞄の旅 -北征3部作 その2-

2010-01-17 | Travel
 前回の話で、天候と飛行機に苦労した揚句、極寒の地に言った話をしましたが、実はこの時「巻き添え」を喰ったものの話をしたいと思います。

 ノースダコタに行く前にミシガンで打ち合わせがあったのですが、その時は車で空港からその場所まで移動をしました。いつもならレンタカーを借りて行くことが多いのですが、今回のように冬で雪が降っているような時は、自分の運転テクニックに自信がありません。そういう時はちょっと高くても安全第一に車を利用するのです。「安全第一」がこっちで暮らすためには何よりも優先されることですから。

 で、お仲間さんと3人で車に乗りました。現地に向かう間に次第に降っていた雪が強くなってきます。着くころにはしんしんと降り積もっています。会議が終わってからまた呼んでも果たして時間通りに来るかどうか? へたをすると次の飛行機の時間に間に合わない可能性も考えられました。そこで交渉して待ってもらうことにしました。そして終了後空港まで戻ってもらったのです。

 私の予想通り雪は次第にその激しさを増して行きます。時間も刻々と経って出発時間へと近づいてきます。でも一般道は混雑。高速に入る頃にはもう残された時間はほとんどありませんでした。それでもドライバーのお兄さんは頑張ってくれました。何とか出発30分前に空港に駆け込むことができたのです。私たちは慌てて車を降りて空港の中へ。ぎりぎりで間に合うことができたのです。

 飛行機に乗って一息、でも2時間遅れたのは前にお話しした通り。道中どたばたでいろいろと考える余裕がなかったのです。

 ところで、私たちが普通旅行する場合、手荷物を預けるとバッケージクレームでピックアップするのに時間がかかるので、機内持ち込み用のCarry Bagと手提げかリュックサックのようなものの2つで移動します。それがスタンダードな形なのです。今回も私ともう一人は旅慣れているので、大方そんな感じの格好でした。もう一方は米国が初めてだったとのことですが、彼がショルダーバックを2つ持っていたのです。普段の我々からするとちょっと違和感のある格好です。何となくそうは思っていたのですが、余裕のなかったせいか、それが極めて異常な事態を引き起こしていることに気付かなかったのです。

 極寒の目的地について、ほっとすると間もなくその違和感に気付いた私ともう一人が彼に聞いたのです。「何でショルダーバック2つなの? キャリーバックじゃないの?」と・・・。

 「え、これあなたのじゃないの? XXさんのでもないの?」と彼が言いました。
 「へっ?」と我々2人は顔を見合わせました。「いいえ、違いますよ・・・?」
 「じゃあ、誰の?」と彼。
 「それどこにあったんですか?」と私。
 「いや、ミシガンの空港で車のトランクにあったから、きっとどちらかのものだと思って・・・。でもお二人とも何も言わないし・・・、どうして私にずっと持たせているのかわからなかった。」と彼は言ったのです。

 一同ポカンと口をあけていました・・・。

 やがて私は思い出したのです。確か空港で車に乗るときに人数が多くてドライバーのお兄さんが自分の助手席にあった黒いバックをトランクに一緒に入れたのです。どうも彼はそれを持ってきてしまったのです。彼は我々2人のどちらかのもの。私たちは彼がショルダーバックを2つ持ってきたものと完全に思い込んでいたのです。

 こういう思いこみというのは、時にちょっとしたこと、違和感を超越してしまいます。それが今回の事件の真相だったのです。

 まぁ、米国で長く暮らしているといろいろな失敗はありますし、このくらいの間違いはいくらでもあります。ある意味この違和感の理由がはっきりわかったので「スッキリ」したのですが、次の瞬間「これはどうしたものかなぁ?」という思いが頭をよぎりました。とりあえず電話でカスタマーセンターに電話をしました。向こう口の人に説明をしたのですが、なかなか分かってくれません。そうそうあることではないので、向こうも「予約なの? 忘れものなの?」といった感じでちんぷんかんぷん。5分くらいじっくり過程を話して、ようやく向こうでも「スッキリ」したようで、笑っていました。こちらはとにかくこのバックの持ち主が困っていないかどうか? というのが気になったのですが、かといってもうミシガンではないし、この後も旅が続く中で持っていくこともできません。とにかく後で宅急便で送るからと言って了解してもらいました。

 その後この鞄はノースダコタからニューヨークへ・・・。途中ミシガンではひっかからなかったくせにノースダコタではセキュリティーで止められました。小さいスプレーだったのですが、自分のものでないので、困りました。でも何とか勘弁してもらいました。結局ニューヨークで宅急便屋を探し、ごめんなさいのレターを入れて送り返しました。

 それから一週間後、私の携帯が鳴りました。そのドライバーさんからの電話で「無事届きましたよ。ありがとう!」っていう内容でした。いやはや、こっちサイドがすまないことをしてしまったのですが、彼の言葉はやさしく、なんか私も少し心が温まりました。

 あの鞄は無事に自分の「家」にたどりついたんだなぁって・・・。

零下15Fの世界 -北征3部作 その1-

2010-01-16 | Travel
 先週の後半から一昨日まで米国の北部の方をさまよってきました。今年は日本も厳冬のようですが、こちらは本当に寒いです。「しばれるわぁ~!」といつの時代に使ったかわからないような方言が出て来そうな感じになります。

 今回の出張はミシガン経由でノースダコタに行ってきました。米国にある50州の中でもなかなか行く機会のないようなところです。多分知らない方も多いはずです。カナダとの国境沿いで、冬は真冬日が何日も続きます。そんなところに何でこの時期に行かなければならないのか? とも思ったのですが、そこは仕事なのでしょうがありません。

 いやな予感はしていたのです。何と言っても行く前日から私の住む中西部でも3-5インチの降雪があり、高速道路も雪だらけ。子供たちの学校もお休みでほとんど機能がマヒし始めている状態でしたから無理に行きたくはなかったのです。こっちでこうなら北部に行けばなおのことやばい環境になるのは目に見えていました。

 案の定デトロイト行きで躓き、まず1時間の遅れ。次にミネアポリスへの便がこれまた2時間の遅れ。故に最終目的地のノースダコタに行く便には多分間に合わないだろう、こりゃミネアポリスで宿を探さなければならないのかな? とかなりあきらめモードの道中でした。ところが、そこは私の強運が勝ったというか、単にどの便も雪の都合で遅れていたこともあってか、何と最後の乗り継ぎ便にはぎりぎりで間に合ってしまったのです。それまでほとんど投げやりな感じでいた自分にとっては「ラッキー」と思う反面、今度は「本当に行って大丈夫なの?」なんていう声がどこからか聞こえてきたような気がしました。

 さて、最終便に乗って目的地までは40分のフライト。州をひとつ越えるだけですからそれほど遠くありません。でも間違いなく北の方向に向かっているものですから、夜の空を見てもピーンと張った緊迫感のある寒さが外から伝わってきました。「これならオーロラが見えるんじゃない?」なんてことも考えました。そうしているうちにすぐに降下が開始され、機長さんから現地の状況を伝えるアナウンスがありました。

 「現地の天気は晴れ。気温はマイナス15度・・・。」と聞いて私は愕然としました。こちらでは気温の表示は摂氏(℃)ではなく華氏(F)なのです。「どんだけ寒いんだ~?」と思う頃。機長さんは再度私たちのような他の国の人にわかるように「摂氏だとマイナス26度です。」と説明を繰り返してくれたのです。

 今までに自分の住んでいるところでもマイナス10℃とか15℃というのはありました。年に1回くらいはもう少し寒くなることもありますが、マイナス25℃を下回るなんてことは、この長い人生で一度もありません。初めての驚愕な体験です。飛行機を出る前から寒気がもよおしてきました。到着して機外へはマフラー、手袋とジャンパーの重装備で出たのですが、やはりそれを「貫通」してくるような寒さが空港を出た私を襲ってきたのです。

 何というのでしょう・・・、これは絶対に体感しないとわからないと思いますが、外に出て空気を吸うと、その冷たさが肺の中で広がっていくのです。よくキンキンに冷えた物を飲むと胃の中がしみこむような冷たさに襲われる感じがしますよね? あれと同じ感覚が肺の中で広がるのです。一息吸うたびに肺が反応するわけです。いやはや何とも想像を絶する寒さです。

 一刻でも早くあったかい部屋でぬくぬくしたかったのですが、前述のような遅れ遅れのスケジュールで現地に入ったものですから、途中で何も食べることができず、かなり空腹でした。仕方なく荷物をホテルに置くとほんの4-5分いったところにあるファミレスにお仲間さんといくことにしました。でもそこに行くまでの道のりがこれまた何とも長いこと・・・。凍えるような体に温かいスープを入れたときには正に体が「解凍」するような思いでした。

 昔のTVのコマーシャルに、極寒の中で「バナナで釘を打つ」というのがありました。覚えているかたもいらっしゃると思いますが、あれはあの環境を体験すると、「本当にそうなの?」という感じから「あー、これならできるわな!」という確信につながりました。もしあの時私がバナナをもっていたら、確実にそれを実践したでしょう。(笑)

 経験主義の私にとって、初めて体感するマイナス25℃の世界は本当に体の中までしびれさせるほどのすごい「極寒」でした。

Permission

2010-01-11 | とあるひと時
 うちの娘が昨年の夏に車の“Permission”という資格をとりました。所謂日本で言う「仮免」のことだと考えてください。私の住んでいる州では、子供は15歳からこれを取得することができます。で、これが取れれば路上に出て運転ができるわけです。ただ、日本のように自動車学校というものがありません。だいたいの場合、親が同乗し子供にテクニックを教えるわけです。そして取得後半年から一年の間に、再度試験場に行き、今度は路上テストを受けて合格すれば晴れて一人前のドライバーになれるのです。

 日本の都市部であれば、何も車は無くても生活ができます。でもこちらでは便利な電車やバスの路線はそんなに発達はしていません。だから車だけが唯一の交通の生命線ともなるのです。だからどうしても必要なものであり、日本のように「免許を持ってかっこいい車を運転できることがステータス」という感覚とはちょっと違うのです。親としても自分の手から離れるのはちょっと? ではあるのですが、交通の不便なところであり、経済的に余裕があれば一刻も早く自分で運転して欲しいという親もいるかも知れません。確かに親としては子供が車を運転して何かあったらどうしようか? と思うこともあるかもしれませんが、いずれはやらなければならないことと思えば、仕方のないこととも考えられるのです。

 私としても同じ親としてひやひやするところもあるのですが、細君がいつも子供たちのお迎えをしたり、遠くに車で出かけたりするための戦力と考えれば、早く「上手な運転手」になってもらいたいと思うのです。そういうこともあり、他の米国の親同様、娘の車の練習に付き合っています。

 ただ娘に聞いたところ、路上試験を受ける前に、「(試験を受ける)3カ月前から高速を走っておかなければならない!」という前提条件があるらしいのです。ところがいくら大都市ではないとは言え、この周りの高速道路も車は多く、初めての高速教習をやるわけにはいきません。ということで、新年しょっぱなにいつものオフィス(往復200マイル)に行くときにいっしょに連れていき、途中から高速道路を走らせることにしたのです。

 それまでの街中を走る運転はなかなか飲み込みが早かったのでそれほど心配はしなかったとは言え、いざその場になると結構緊張するものです。ゆっくり進入道から左車線に入らせて、怖くない程度のスピードで走らせました。最初の10分間はやはりどきどきものでした。日本のような自動車学校の車には教員側にストップさせるためのブレーキがあります。ところがこちらにはありません。だから早めにいろいろな指示を出し、且つ若いドライバーの卵を焦らせることなく誘導してあげなければならないのです。これがまた緊張をさらに強くするのです。やがて20分くらい経つと、娘もちょっとはコツを飲み込んで来たようで、車線の走り方やブレーキのかけ方がうまくなりました。やはり子供というのは英語の習得でも感じましたが、何をするにでもどんどん吸収していくものだなぁ・・・、と実感しました。

 結局その日は初めての高速訓練にも関わらず、行き帰り各60マイル、合計で200Km近い距離を一人で運転しました。私も確かに疲れましたが、それは初めて運転する人の比ではありません。でもそれを成し遂げたことが、本人に大きな自信を与えたに違いはないでしょう。

 どういうことでも同じなのでしょうが、相手の資質を信用してうまく誘導してあげれば、それがその人間の成長につながることでしょう。いちいち神経質にあーだこーだ言わず、その人の性格を考えて少しでも前に進めるようにしてあげることが大切なのではないか? と思った一日でした。

 でもきっと、うちの細君が同乗して娘が運転していたらきっとぎゃーぎゃー言ってパニックになるのでしょうけどね? こればっかしは半分度胸が必要かもしれませんね・・・。

 自分が車の免許を持って運転したときの親の気持ちがちょっとはわかるような気がした一日でした。

人間あきらめが肝心!

2010-01-06 | Travel
 本日は今まさに私の身に降りかかっている事件についてお話したいと思います。

 ほんのわずか数日の休みを終えて、私は今日からまた旅の空に出ました。これからまた一カ月近くの間、放浪をつづけるような感じのものです。朝早くHometownを立ち、ダラス経由でオースティン(テキサス州 州都)に行き、午後打ち合わせ。その後またダラスを経由しサンフランシスコへという一日に4回も飛行機に乗るという、飛行機嫌いにとっては信じられないくらい過酷なスケジュールでした。今までに一日3回というのはありましたが、さすがに4回というのはありませんでした。そういう意味では未知なる経験でもあり、果たしてそれに私自信が耐えられるかというチャレンジの一日でもあったのです。

 予定より早くダラスに着き、接続便のゲートまで行きました。最初10分の遅れが表示されていましたが、飛行機ももう着いていることもあり、まぁ、そのくらい遅れることは米国であればよくあることで片づけられるものです。ところがその時、私は一抹の不安を感じたのです。

 それでも、ちょっとPCで仕事をしながら搭乗を待っていたのですが、予定時間の5分経っても10分経ってもゲートが開くような気配がしません。「あれあれ~?」と思っているうちに同じ便に乗るお客さん達も少しずつですが、「おかしい?」と感じ始めたようです。何人かがゲートの人に質問をしていました。

 正に私の「悪い予感」が的中したのです。

 ほどなく「このフライトはキャンセルされましたので、振替手続きをお願いします!」と素っ気ないアナウンスが流れました。その瞬間、お客さんは脱兎のごとくカウンターに押しかけます。

 多分日本人だったら、まず詰め寄って、「いったいこれはどういうことなの?」と喰ってかかるでしょうが、こちらの人は至って冷静です。一列に並び自分のリブックの順番が来るまでおとなしく待っているのです。

 私とすれば、午後からのミーティングがあり、それが終わったらまた戻ってこなければならない予定でしたので、普通だったらどうなるか気が気ではありません。しかしそこは長い経験があり、即座に「あ・・・、こりゃだめだ!」とわかってしまったのです。

 案の上私の順番になり、割り振られたのは午後3時の便。当然午後の予定には間に合いません。また戻ってくる便も5時すぎなので、この便をあてがってもらったところで、所詮飛行機で行ってそのまま(同じ)飛行機で帰って来るしか方法がないのです。

 ダラスーオースティン便は以前はそれこそ1時間おきにでも出てるようなシャトル便です。ところがこの不景気・不採算化の状況の中で航空会社は既存路線を見直し、かなりの区間で減便・廃便を進めています。これがあだになりました。景気の良かったころは結構空いている路線も多かったし、こういうシャトル便区間も余裕があったのです。ところが最近はどこに行ってもほぼ満席の状態です。したがって簡単にリブックできない事情もあるのです。

 いやみたらたらゲートの人に「いやぁ~、3時の便をあてがわれても、5時に帰ってくるんだから意味ないよ~。早い便に何とか押し込んでもらえない?」って交渉しても、「もう全然オーバーソールドでだめなんですよ・・・。」という返事。一応私の状況が分かっているので、「本当に申し訳ない!」という意味の“Very Sorry”というお言葉をいただきましたが、結局どうにもならないというのが実態でした。

 確かにメカニカルトラブルはゲートの人の責任ではありません。日本人だったら、「あなたは航空会社の人でしょ? そこをどうにかしないでどうするの?」なんて言う風に熱くなる人だっているかもしれませんね。でもこっちではそれが通用しません。彼には責任がないわけですから、我々はその状況下におかれたら、最大限自力でベストを尽くし良い方向に持っていかなければならないのです。

 じゃあ誰に文句を言えば良いの? というと・・・、そういう人はこのゲートにはいないのです。(泣) その辺がうまく責任分化され、お客寄りではないというのが米国のサービスの問題点でもあるのです。(多分後日にまたカスタマーセンターからあやまりの電話がくるだろうから、その時は散々に文句を言ってやろうと誓いました!)

 ただ、最近の極寒の米国を考えると、多少は機械トラブルも生じるような気もします。運航も大事だけど、安全が何よりも大切です。それは誰しも思うことだと思います。

 さて私としての結論は、午後のミーティングは申し訳ないけど私の参加は勘弁してもらって、サンフランシスコの便が出るまでひたすらここでじっとしているしかないというものでした。トホホ・・・。でもまぁしょうがないので、その分少したまった仕事を午後にやるしかありません。

 ただ不幸中の幸いというのは、ラウンジが使えるということでした。一般客であったらそのまま次の便がくるまでひたすら「放置」されることになるわけですから・・・。

 いやはや新年早々、初めての出張でいきなりのアクシデント! 最初からこれだと本当に思いやられます。いきなり出鼻をくじかれたような感じで・・・。ちなみに新年一発目のフライトは家族旅行の帰り(元旦)でしたが、この時もスーツケースが壊されるというアクシデントがありました。これは航空会社で直してくれるというので、ほっとしたんですけどね。

 こんな風に波乱含みのスタートとなった2010年! 本当にどうなることやらと言ったところです。私はここで浮いた時間を少し有効に使って、前向きに対応しようかと思っていますがうまくいくのでしょうか? 少々不安な出だしとなりました。こういうことにうまく立ち振る舞うことが私の今年1年の目標・課題かもしれませんね・・・。

 皆さんは今年一年の目標・課題をどう設定されましたか?

(地デ)鹿派? (アナ)熊派?

2010-01-04 | ライフスタイル
 度々このブログで取り上げてきましたが、日本のTVを見るために我が家ではLocation Free TVを使っています。考えてみるともうまる3年このシステムを採用しているわけですが、やはりリアルタイムで日本の番組が見ることができて、録画できるというのは本当に便利です。米国に居ながらにして、日本の情報が(日本にいるときと同じくらい)取れるわけですから、実際に使ってみるとそのありがたさが重々身にしみるわけです。

 私もこちらに来てもう5年近くにもなり、もう一度VISAの更新をすることになった関係もあり、2011年の「地デジ化」対応をそろそろ考えなければならなくなりました。今回日本に行く前にも「どうしようか?」と考えていました。日本に行く機会がそうそうないし(というか行きたくないし・・・)、何らかの対応をしないとその後のメンテナンスもしにくいし・・・、ということで、次回日本に行くのが3月と決まっているこのタイミングで思い切って新規システムの導入を試みました。

 新規システムと言ってもそれほど大げさではありません。地デジ化対応のHDDを買い、それを現行のラインに組み込んだだけです。

 とはいえ、今回全く余裕がないスケジュールの中でこういう変更をすることは結構大変なことでした。というのも経験のある人はおわかりでしょうが、一度きちんと組んだ配線システムを一から分解し、また再構築するのは意外と時間がかかるものなのです。コードをあれこれつないだり、効率やスペースを考えた配置をしたり、つなぎこんだ後のテスト等々でかなりの時間を使うのです。たったちょっとの変更でも約1時間半かかり、新システムへと移行しました。

 このときだけは、私は「アナグマ派」でいたいと思いました・・・。

 さて、地デジ化した画面を見てみました。今までのアナログチャンネル以外にもBSデジタルなどのあたらしいチャンネルが見られるようになりました。これはこれで今までよりもより多くの番組が見られることになったところは良かったですね。(といっても、今現在のこの忙しい中、それだけ多くのものが見られないというところが残念ですが。) でも結局のところ、このシステムはデジタル放送を受信→アナログ信号へ変換→インターネットで送信→米国でアナログ信号で受信→TV画面で見る、という流れになるわけですから、日本でのようなきれいな画像を見ることはできないわけです。まぁ、普通のTVを見ているだけという感じですが・・・。それでも見られないのと比べれば天と地との違いがあるわけでして、そのサービスをこれからも受けようとすればこうした努力をしなければならないのです。

 まぁ、とりあえずこれで2011年以降の対応はできたわけです。でもきっと地デジ化になる前にはデジタルのロケーションフリーTVができるんじゃないか? とも思っています。(そうなるとまた組み換えないといけないんですけどね・・・。)

 こういうのって、うちの細君から言わせれば「知識がなければできない・・・!」というのですが、私からすれば「習うより慣れろ!」という感じで、興味を持ってやっていけば次第に分かってくると思います。だからもしこのブログを見て、「私もやってみたい!」と思う人がいれば、即実行してみるのが手だと思います。コードのつなぎ方は、アンプとかの後ろを見て同じ色のコード(例えば画像は黄色、音源は赤と白)をつないでいけばいいだけです。電流を水と同じように考え、それがどう流れて行くかという風に理解すれば、自然とこういう電気配線はできるようになります。またシステムの設定はマニュアル通りにやればよいわけです。PCを買って初期設定ができるだけの技量があれば十分こなせると思います。でも最初の頃は、誰かわかる人がいると確かに良いとは思います。(もし何かご質問等あればメールでご連絡ください。うちのシステムで良ければできるだけ解説をしようかと思います。)

 というわけで、現在米国に戻り試験受信をしています。確かにデジタルをアナログ変換して見ている分、ところどころ小さい文字が角ばって見えて、「あ~、やっぱりデジタルやなぁ~!」なんて感じるところがありますが、まぁまぁうまく作動しています。これでしばらく状況を見ながら、本採用化していくことになると思います。

 これで何とかうちの家にも「地デジ化」の鹿をお招きすることに成功したと言っていいでしょうね・・・。(笑)

SONY ロケーションフリーTVボックス LF-BOX1

ソニー

このアイテムの詳細を見る

いきなり、2010年

2010-01-03 | ちょっと変わったお話
 皆さん、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
(一応社交辞令として・・・、笑)

 クリスマスから一週間完全にこのブログを更新できませんでした。日本にいた時も芸能人並みのスケジュールで動いており、帰米しても一日だけ自宅に戻っただけで、今度は家族旅行でニューメキシコ・テキサスに行っていました。ようやく元旦にほぼ一カ月ぶり? の落ち着いた自宅への帰還ということになり、やっとこのブログに戻ってきました。

 何でそんなに忙しいのか? と言われそうですが、本当に忙しいときは忙しいものなのです。念がら年中というわけではないのですが、物事何でもつぼにはまるとなかなかそこから抜け出せないのと同じように、一旦忙しくなると状況が落ち着くまでなかなか自由な時間というのは持てないものなのですね・・・。

 といってやっと落ち着いたというのにもほど遠く、また次の火曜日から1ヵ月の間、出張の日々が続きそうです。(苦笑)

 皆さんは今頃はどっぷりと正月気分を味わって、お楽しみのことと思います。私もいつもなら少なからずおせちを作ったり日本の正月特番を見ながらゆっくりとしているのですが、今回は元旦帰りの家族旅行を組んだものですから、どこまでが2009年でどこからが2010年かというのがわかっていない始末です。

 さて、米国での正月ですがほとんど味わいがありません。元旦のみお休みで2日からすぐに仕事モードに突入します。前にも書きましたが、サンクスギビングが所謂日本で言う盆暮れの帰省シーズンであり、クリスマス休暇もあるものですから実質上元旦は一年の中の単なる「通過点」にすぎないのです。今年は幸いなことに2-3日が土日なので、日本と同じだけ「三が日」があるのです。でもいつもであれば、すぐに2日から戦闘開始モードになるのです。

 考えてみると欧米・アジアでも正月の扱いは日本人が考えているほど「神聖」ではないのかも知れません。近場の東アジア圏もどちらかというと太陰暦を中心とする「旧正月」を大事にしてその期間休むわけですし、欧米では前述の如くサンクスギビングとかクリスマスが主体になっています。「年の変わり目だから、どこの国も同じように正月を満喫しているだろう!」と日本人は考えがちかもしれませんが、一歩外の世界に出ると感覚が全く違うことに驚かされてしまうかも知れません。そういう意味では、暦に対する「文化の違い」が如実に感じられる一つの例かもしれません。

 でも私も日本人ですから、どこにいようと「日本人らしさ」を味わいたいのです。ここ最近毎年ですが、日本に行くと決まって干支の人形を買ってきます。去年は「牛」でしたので、今年は「寅」。何ともかわいらしいというか、間の抜けた「猫」のようなものを飾ることにしました。旅行してきた関係上、昨日が一日遅れの大みそかで、録ってあった紅白歌合戦を見て、今日は朝から正月の音(CD)を鳴らしています。これから雑煮を食べておとそを飲んで・・・、といった感じで2010年はスタートすることになります。

 確か去年もそうでしたが、新年最初の文章はいつもだらだら気味になってしまいました・・・。まぁ、お酒がちょっと聞いていると思って勘弁してください。

 それでは、皆さんも残り少ない正月休暇を楽しんでください。