権威筋から言われると素直に実行する。
しかしこの権威筋にも疑似権威という偽情報があるとしたら・・
(戦中の大本営発表の様に)
医療界では女性はそのターゲットにされやすい。
知らないからだ。本質を知らないのは男女共通だろうが、女性はどいういうわけかターゲットにされやすいようだ。
子宮頸がんワクチンとかピンクリボン運動の乳がん検診とか・・・
そうして簡単に信じてしまう。
ということで、今回も「女性編」患者が医者をだますときの続きを。
権威に弱いというのは人間共通の弱点かも知れません。
ただし、その権威には正当性が有るか無いかという判断がつきにくいということに気づくことが必用かなと。
自分にとっての権威とは、私より能力が上だ という事になるのだろう。
それはあらゆる分野で権威と言われるものの本質だろう。
だから、あるひとにとっての権威は他のひとにとっての権威になるかは共通していない。。
ただ社会的にとなると、大多数のひとにとって共通の権威となるものは現実にある。
そのなかでも医学に対する信用と権威力は大きい。
その権威の中身は学者や国や医者たちに対する信頼となって、その権威筋からの情報を無批判に信じてしまう結果、一種の信仰となるのだろう。
それがロバート・メンデルソン医博著「医者が患者をだますとき」であり、その「女性編」が医学権威に対する適正な批判だと思う。
つまり、真実を明かしてそれに対して読者の判断力を強めようという本だ。
それでも権威信仰が強いひとは相変わらず信仰派持続するだろう。
それも自由選択なのだ。
しかし、後になって言い訳は通用しない。
「どうして?」とか「知らなかった」とか「教えられなかった」等の言い訳をしたい人はこの本を読まない方がよいだろう。
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
はじめに
前著『医者が患者をだますとき』 (小社刊) を読んだ人は、わたしが現代医療システムを忌み嫌っているのはもうご存じのことと思う。このシステムとわたしは三十年近くにわたって静かな闘いをつづけてきた。一見したところでは害がなさそうでも、実際には生死にかかわるほど危険な儀式が、「医療行為」という名のもとに医療現場で日常的におこなわれている。わたしはそのことを前著で公表し、医者が患者の信頼を踏みにじっていることに対して世間の人びとに警戒を呼びかけた。
前著を書き終えたとき、わたしはこう思った。「よし、これで胸のつかえがおりた。もう本を書く必要はなかろう」と。しかし、出版後に執筆の 〝副作用〟が現れた。講演の依頼とテレビ‥ラジオ番組の出演の依頼が殺到したのだ。
わたしはアメリカ中を何週間も駆け回り、インタビューを受け、スタジオに集まった人たちや電話をかけてきた視聴者たちの質問に答えた。これらの人びとが自分の信頼していた医者から受けた悲惨な医療被害について語るのを聞いて、わたしは何度も悲痛な思いをし、同情せざるをえなかった。全米向けのトーク番組にほんの数回出演した時点で、わたしは前著で指摘した過剰医療、乱診乱療、不正医療が氷山の一角にすぎないことに気がついた。
出演した番組のほとんどが女性向けだった。彼女たちの話を聞いていて、わたしは長い間それとなく感じてはいたものの、的を絞って述べたことのなかったある事実を生々しいほどはつきりと確認した。その事実とは、薬禍と手術禍はすべての国民に害を及ぼしているが、主な被害者は女性だということだ。
医療被害の男女比率が女性の側にひどく偏っていることは、前著の執筆の際に統計資料を調べていたときにすでに気がついていた。しかし、たんなる数字では実際に起こつた悲劇の人間的側面が見えてこない。ところが、トーク番組の電話を通して聞こえてくる数々の悲痛な体験談によって、女性が受けている医療被害の実態が浮き彫りになった。一人称で語られる乱診乱療、不正医療、死亡事故、過失傷害などの体験談が、統計の数字を裏づける結果になったのだ。
ほとんどの場合、電話をかけてきた女性本人が被害者だったが、それ以外にも、夫や愛する人の早すぎる死や大きな苦しみのために人生が台なしになつてしまったという訴えも数多くあった。悲しみに沈み、時には怒りに満ち、しばしば絶望に打ちひしがれる彼女たちの声は、信頼していた医者に裏切られ、身も心もずたずたに引き裂かれた無数の女性たちの気持ちを代弁していた。
残念ながら、わたしが彼女たちにしてあげられることはほとんどない。それは自分でも承知している。しかし、まだ医療被害にあっていない女性たちが同じ運命をたどらないように助けてあげることなら、もしかしたらできるかもしれない。わたしがこの本を書かなければならなかったのは、そういう理由からである。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー