わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

ウソでだますのじゃ素人ね。proは真実でだます?

2014年03月21日 | ちょっとね

「このウソ八百万の素晴らしい世界へようこそ」

缶コーヒーのCMじゃないが、よくもここまで欺してくれたな!!

などと起こっていたら

「なあに、あんさんがそれを好きで選んで来たんだからね」
などと、言う・・・

まあ、そう言われると怒る勢いが失せることもあるが、簡単にはいかない。
あまりにも多すぎる嘘まみれの世界ではウソの方が本当に思えるのだから。

そして、真実はひとつではない

などと抜かすスピリチュアル系の話など聞くともっと怒りたくなる(笑

 

もう、真実がウソに見え、ウソが真実に見えるこの世界で、
果たしてうまく見分けがつけるのだろうか?

産まれてから一度もウソをついたことの無い僕にはとても不安だ・・ナウ

 

このウソか真実かというテーマだが。

「真実でウソをつける」

え? 真実でうそをつける? 

 

いや、ちょっとヒントがあったので。

新聞テレビその他報道機関がよく使いますね。

「わたしらは真実を報道する」

たしかに・・・

でも、それは「一部の真実」だったりして

全部の真実が見えない、いや隠すために一部だけの真実を報道する。

 

これがプロですよ。素人衆(あ、ボクも含めてね)はコロリと誘導されてしまう。

ここには騙しは存在しない。
だますのでは無い。真実を報道するのだ。

だが一部である。 ある多角形の立体物を一方向からだけ写真撮って載せる記事の様なモノかな。

その写真を見て、みなが想像する「ああ、このモノはこういう形か・・」と。

そうだな、一部だけ見せると全部だと錯覚してしまう人間のオツム構造を利用するのだ。

 

まあ、それを無意識的にやるか、意識的にやるかで善悪が決まるのだろうが、どちらにしても結果は全部の真実を隠す働きになるだろう。

だって、勝手に思い違いをしてくれるんだから(笑い

まあ、意図的にやれば絶大なる操作が出来るというものだ。
ほとんどボクらはそういうものに勝手にだまされてきたんだろうけどね。

言い換えれば「勝手にだまされたがって来た」と言うべきか?

 

鷺師などはそういう事を熟知しているのだろうね。
相手が勝手にカンチガイしてくれる。思い込んでくれる。

それを興行的にやればおもしろおかしく拍手喝采を浴びる。

マジックショーの手品師だ。

やはり、「師」がつくものには気をつけなくちゃあ

鷺師、講釈師、庭師(あらら  
ペテン師なども師だなあ・・・

師匠というのも鵜呑みにしてはならない

ちなみにボクはhimaari師である。(だれも師匠と呼んでくれないけど 惨)

 

師の代わりに志とか氏に変えたらよいかも知れない。

おっと、話が・・

 

いまの日本の報道界はあまりにも小さな真実だけに限定して大きな真実が見えないようにしているのではないかな?

それが意図的だったら反社会的犯罪行為になる。それだけ報道というものはあまりにも大きすぎる影響力を持っているからだ。

もちろん、それを支えているのは一般大衆というものだけどね。
「鵜呑み厳禁」などと書いても当ブログを信じ切ってしまう輩(オイ!)も居るかも知れない。

ボクはそれが恐ろしい(といいつつ、平気で書いている輩だが)

師匠の言う事も、教祖の言うことも、そして新聞、テレビなどマスコミの言う事はもちろん全部鵜呑みにしては行けないのだ。

それだけ今は小さな真実で全体の真実が見えなくなっている時代だから。

いや、もっと高度のなると

「真実99パーセント」で固め、

「ウソ1パーセント」で絶対的パワーを秘めているものもあるらしい。

とうぜん、ほぼ気がつかない様になっているから、こちらの方がおそろしい!

 

まあ、それだけゲームが最後の段階にはいって面白くなっているのだろうがね。

今日も自分のウソと他人様のウソの連続攻撃をかわしながら突き進むぞ~~♪

 

イタッタタア~~~ (なんだもうやられてる )

 追記

例えば・・・(これが本当は本記事だけど)

「癌細胞が縮小した」ーーー小さな真実  (それは培養器とか生体外の真実)

「癌も縮小したが、命も縮小した」ーーーー大きな真実 (それは体内の真実)

 

 

医学と言う六法全書のような大冊がある。
まるで図書館のような膨大な資料があるとする。

それは過去から積み上げてきた膨大な研究資料だ。
それをみんなが信じて、その資料を基礎として次の新たな研究実験などが行われている。

ところで以前紹介した「コッホの三原則」とやら素人衆には関係ない基礎研究があるとする。

そして、それを基礎として今の研究者が実験やら医療現場でも教科書として使うわけだろう。

だが、よくよく調べてみたら、それは自然界ではほぼ起こりえない実験室だけの真実だったと分かった。
これも一部の真実で全体の真実に当てはめてしまったウソになる。
しかし、個々では真実だからウソでは無い。

ウソでは無いが全体の真実とならないから、結局はウソとなる。

???

変な話だが、医学研究という閉じられた空間で行われる研究や実験は、それがそのまま解放空間、つまり人間は生きている環境そのままで生体内で起こる反応とは異なるのだ。

それが小さな真実が大きな真実を見えなくしてしまう実例だな、コッホもパスツールの実験も。

だから、医学研究者達はもの凄く細分化された分野でそれぞれが研究したり実験をしている。いわゆる専門bakaに陥りやすいのだ。
極く限られた環境(培養器とか試験管とか、切り取ってきた細胞とか)で真実だとされても、いざ全体の中ではまったく通用しない事の方が多いはずだ。

しかし、事実は事実だから、それを学会に発表する。それを専門分野の審査員(これも専門分野だけの専門家だが)達が認定する。

そして、それは真実として医学六法全書に登録される。

こうして、細分化された専門家達のチームが次々と新しい発見やら研究が集まる医学大全書は、もう誰も全体を把握できないほど肥満児化してしまう。

どれが無駄な脂肪かなども判定できる者も居ない。
専門分野だけのプロ達だから、全体などわかり得るはずもない。

巨大肥満児となった医学坊やを誰がスリムに出来るのだろうか?
いちど生まれ変わって来るしか無いのでは?

こうして日々世界中から各専門家たちから集まる膨大な肉片が超メタボ体質を作りあげ行くのだろう。もうダイエットの余地も無い。自動的に体重は増え続けるだけなのだ。

その肥満児を「ああ素晴らしい、これほど立派に育ってくれた悶根¥」と驚きと感謝でいっぱいになった人たちがまた集まってくる人間誘蛾灯(稲田芳弘氏の名言)が医学大全とすれば、もう打つ手は無い。

黙って見守ってやろう。 そのうち自分で歩けなくなってヘタってしまうときまで、黙って見守ってやろう・・・(そう言いながら、余計なチョッカイヲしている)

 

 

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