戦争責任は戦勝国が裁いた「戦争責任者」たちである。
と日本人が思っている限り、またくり返す過ちになりかねないと思うのですが。
さて、医学医療の世界でも同様、戦争責任者を医療を施す側だけに責任をおしつけるのも似たようなものかも知れません。
それを桜沢如一氏が強烈に指摘していたことはブログに紹介しましたが。
つまり、ここまで押し上げてきたのはむしろ国民の方である。
しかし、その罪は自分たちが受けるのだから、いくらかは相殺されるであろう。 と。
医師も患者も同じ信者さん同志に過ぎないのでしょう。
ただ、施す側と施される側の違いにすぎず、同じドアのノブのようで。
おなじノブを回している同志です。
その気持ちは「薬で、手術で病気が治る」というものでしょうか?
それがずっと長い間続けられて来た共同意志の行為です。
しかし、時代はついに、それを許さなくなってきた。
それが金です。
金の切れ目が縁の切れ目現象です。
医療に莫大なお金がかかってきた。しかも病気はちっとも無くならない。
名を替え、症状を替えながらむしろ増えて来た。
つまり、モグラのアタマ叩き医療がこのモグラを強くしてしまった。
それが慢性病や感染症にみられる問題です。
もう後が続かないという状況の陥ってしまった。
ところが、まだまだ「進歩中」だと思い込んでいる大半の国民(患者側)
それに、医学教育で信仰してしまった医師達。
まさに共同謀議(笑い)ですね。
だから、この戦犯はだれそれというのではなく、人類共通の責任なのですね。
ただ、現代に産まれて医療側になった人、そうでないひとの違いでしかない。
それが永年続けばよいのですが、先に書いたように金が続かなくなった。
それは「現代医療が根本的に病を治していない」からです。
治していれば、年々病気は暫時減って行き、病院も縮小、医師も暇になり、当然医療費は減って行くのですからね。
そうなっていない。
と言うことは、まさに「無駄な医療」が彷徨していたということです。
医療の進歩とは年々健康人が増えてゆくので、医療は段々と必要なくなる。
という事です。
さて、金の切れ目が縁の切れ目でついにアメリカが立ち上がるしかなくなった。
このままで医療そのものが崩壊する。
こういう危機感がアメリカの医師達8割くらいを動かしたのでしょうね。
さて、日本は?
そのような改革ができるかどうか・・
というよりも、その前に「金が切れてしまう」かも知れません。
つまり一挙に敗戦を迎えるというような衝撃的結末ですね。
夕張市どころではない、国全体に金が切れ目現象が起これば現代医療は即お陀仏でしょう。
それだけお金がかかる医療だから。(国民医療費40兆円に近づいている現実)
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