『松本城と城下町出土の茶道具~城主・家臣・町人の茶』
松本市立博物館 ☆4月8日(日)まで サイト
実は私、小学1年の途中から5年の途中までの丸4年間をこの松本市で過ごした。
松本城は最低でも毎週1回は前を通っていたし、写生をさせられたこともある馴染みのあるところ。
当然のことながら脇に博物館があることは把握していた。
でもっ 中に入った記憶が、記憶が~、たぶん1回か2回くらい?しかない
入ってみて、「絶対、私が住んでいた当初の頃と変わってないだろーなー」と思った
ここを訪れたのは、本当に偶然。
名古屋→諏訪決行の前日に展覧会情報をキャッチした。
列車の時刻表をチェックしたら、行っていけなくもないので寄ってみることにした。
この展覧会はいわゆる“名物”を並べた展覧会ではない。
城下の発掘調査の中で出土した“資料”が展示構成の中心。
そこから江戸時代の城主、家臣、町人たちがどうような茶器を用いて茶を楽しんでいたのかを紹介する趣向。
そして、この展示を見る上で大事なのは「出土した場所」と「出土する理由(背景?事情)」。
まず、場所。
江戸時代は身分の上下関係がはっきりしていた時代。
身分によって居住する場所がはっきりと定められていた。
だから、二の丸付近で出土したものは城主およびその家族が使用していたものだし、
三の丸だと家臣や家族が使っていた茶道具ということになる。
また、城下町の町人の居住地から出土した茶道具から、その趣味や暮らしぶりも伺える。
まぁ、「出土」だからね 破損して持ち主が廃棄したから出てくるわけで
(普段使いの陶磁器がよく割れるのは今も昔も同じ)
城主エリアからは瀬戸の天目茶碗や龍泉窯の青磁(香炉や壺)、高麗青磁や景徳鎮のお皿も。
家臣エリアからは場所が近いせいか、美濃焼が多い。志野の鉢や茶碗、向付に黄瀬戸や黒織部も。
瀬戸の天目茶碗もあって、「へぇ。台天目とかしてたのなかなぁ」と思った。
また、唐津も多くそこは意外だった。
(ちなみに、「六九」って六九商店街のあった辺り? あそこも武家屋敷があったんだぁ)
町人のところも志野や織部といった瀬戸・美濃地方のモノが多いけれど、
中には京焼風肥前陶器碗というのがあって、これは京焼を模倣した肥前産磁器らしい。
これがとてもゴージャスに見えて「やっぱ、商人はお金持ってたのね」と思った。
気になったのは出土した陶磁器の生産された年代。
16世紀末から17世紀初のものが圧倒的に多い。
松本が城下町として町の形を成したのは江戸時代になってからだと思うので、
ちょっと早すぎないか?
いやいや、現代と違って流通するのも時間がかかるし、
結果的には破損したとはいえそれまではある程度の期間、大事にされ受け継がれていたのかもしれない。
そう思うと50年間くらいは使われていた陶磁器なのかも~。
などなど、想像をめぐらしていた。
説明の中にパネルがあって、松本城下と松代城下の出土陶磁器の比較をしたグラフが興味深かった。
松本は約半数が瀬戸美濃産、肥前の陶磁器が3分の1くらい。あとは京焼・信楽や在地系。
対して、松代は肥前が3分の2くらいを占める。17世紀後半だと瀬戸美濃産は15%くらい。
松本と松代って、さほど遠いとは思わないんだけど、流通事情が全然違うのかもしれない。
とか思ってしまった。
そのほか、出土品以外の茶道具も少しだけあった。
城主の戸田家の茶弁当一色。他国からお嫁入りがあった時に持参された道具?
不昧公の消息(もちろん表装されて掛け軸になっている)
個人所蔵の江戸後期の茶道具。炉縁の“使いましたよー”という感じありありなのが見応えあった。
展示数は167点
でも、展示室は1部屋のみ。(入館料も200円)
と、規模は小さいんだけど、江戸時代の生活に根ざした茶道具展という意味でとても面白かった。
ある意味、名物を並べた展覧会よりも、自分の生活レベルに近くて、親しみを感じた。
★おまけ~ 松本散策
国宝松本城、十数年ぶりに見た。
「あれ? こんなに小さかったっけ?」と思った。
たぶん、姫路城や大阪城を見慣れてしまったせいかも、ね
諏訪に向かう列車に乗るまで時間的余裕があったので、松本城へも寄った。
最初はその気は全くなかった
だって、階段がすごく急だって知ってるから
ただ、前回昇ったのが四半世紀前なので、次に「昇りたい」と思っても、たぶんムリ
だから今生の思い出のつもりで昇ってみた。
天守閣の最上階から北東の方を見る。
おぉ、見える見える。私が住んでいた辺りが
家そのものは見えないけど、その前にあった通っていた小学校の校舎と近所の神社の屋根は見えた。
近かったんだねぇ。
街中もちょこっと散策。
住んでいた当時も、そして今も“高嶺の花”のレストラン鯛萬
四柱神社に参拝して、縄手通に出る。
なんか、こざっぱりした感じになったなー。
おきな堂はあったけど、「おきな堂ランチ」はなかったのでパス。
カレー屋「デリー」かなっと思ったら、定休日だった
本町通りは昔の面影が全くなかった
郵便局と開運堂に寄って、お土産購入。
結局、松本市街では昼食摂りそびれ、松本駅へ。
構内の立ち食い蕎麦屋「山野草」にて、椅子に座って信州特上生そばを食べた。
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
応援ヨロシク致しマス
松本市立博物館 ☆4月8日(日)まで サイト
実は私、小学1年の途中から5年の途中までの丸4年間をこの松本市で過ごした。
松本城は最低でも毎週1回は前を通っていたし、写生をさせられたこともある馴染みのあるところ。
当然のことながら脇に博物館があることは把握していた。
でもっ 中に入った記憶が、記憶が~、たぶん1回か2回くらい?しかない
入ってみて、「絶対、私が住んでいた当初の頃と変わってないだろーなー」と思った
ここを訪れたのは、本当に偶然。
名古屋→諏訪決行の前日に展覧会情報をキャッチした。
列車の時刻表をチェックしたら、行っていけなくもないので寄ってみることにした。
この展覧会はいわゆる“名物”を並べた展覧会ではない。
城下の発掘調査の中で出土した“資料”が展示構成の中心。
そこから江戸時代の城主、家臣、町人たちがどうような茶器を用いて茶を楽しんでいたのかを紹介する趣向。
そして、この展示を見る上で大事なのは「出土した場所」と「出土する理由(背景?事情)」。
まず、場所。
江戸時代は身分の上下関係がはっきりしていた時代。
身分によって居住する場所がはっきりと定められていた。
だから、二の丸付近で出土したものは城主およびその家族が使用していたものだし、
三の丸だと家臣や家族が使っていた茶道具ということになる。
また、城下町の町人の居住地から出土した茶道具から、その趣味や暮らしぶりも伺える。
まぁ、「出土」だからね 破損して持ち主が廃棄したから出てくるわけで
(普段使いの陶磁器がよく割れるのは今も昔も同じ)
城主エリアからは瀬戸の天目茶碗や龍泉窯の青磁(香炉や壺)、高麗青磁や景徳鎮のお皿も。
家臣エリアからは場所が近いせいか、美濃焼が多い。志野の鉢や茶碗、向付に黄瀬戸や黒織部も。
瀬戸の天目茶碗もあって、「へぇ。台天目とかしてたのなかなぁ」と思った。
また、唐津も多くそこは意外だった。
(ちなみに、「六九」って六九商店街のあった辺り? あそこも武家屋敷があったんだぁ)
町人のところも志野や織部といった瀬戸・美濃地方のモノが多いけれど、
中には京焼風肥前陶器碗というのがあって、これは京焼を模倣した肥前産磁器らしい。
これがとてもゴージャスに見えて「やっぱ、商人はお金持ってたのね」と思った。
気になったのは出土した陶磁器の生産された年代。
16世紀末から17世紀初のものが圧倒的に多い。
松本が城下町として町の形を成したのは江戸時代になってからだと思うので、
ちょっと早すぎないか?
いやいや、現代と違って流通するのも時間がかかるし、
結果的には破損したとはいえそれまではある程度の期間、大事にされ受け継がれていたのかもしれない。
そう思うと50年間くらいは使われていた陶磁器なのかも~。
などなど、想像をめぐらしていた。
説明の中にパネルがあって、松本城下と松代城下の出土陶磁器の比較をしたグラフが興味深かった。
松本は約半数が瀬戸美濃産、肥前の陶磁器が3分の1くらい。あとは京焼・信楽や在地系。
対して、松代は肥前が3分の2くらいを占める。17世紀後半だと瀬戸美濃産は15%くらい。
松本と松代って、さほど遠いとは思わないんだけど、流通事情が全然違うのかもしれない。
とか思ってしまった。
そのほか、出土品以外の茶道具も少しだけあった。
城主の戸田家の茶弁当一色。他国からお嫁入りがあった時に持参された道具?
不昧公の消息(もちろん表装されて掛け軸になっている)
個人所蔵の江戸後期の茶道具。炉縁の“使いましたよー”という感じありありなのが見応えあった。
展示数は167点
でも、展示室は1部屋のみ。(入館料も200円)
と、規模は小さいんだけど、江戸時代の生活に根ざした茶道具展という意味でとても面白かった。
ある意味、名物を並べた展覧会よりも、自分の生活レベルに近くて、親しみを感じた。
★おまけ~ 松本散策
国宝松本城、十数年ぶりに見た。
「あれ? こんなに小さかったっけ?」と思った。
たぶん、姫路城や大阪城を見慣れてしまったせいかも、ね
諏訪に向かう列車に乗るまで時間的余裕があったので、松本城へも寄った。
最初はその気は全くなかった
だって、階段がすごく急だって知ってるから
ただ、前回昇ったのが四半世紀前なので、次に「昇りたい」と思っても、たぶんムリ
だから今生の思い出のつもりで昇ってみた。
天守閣の最上階から北東の方を見る。
おぉ、見える見える。私が住んでいた辺りが
家そのものは見えないけど、その前にあった通っていた小学校の校舎と近所の神社の屋根は見えた。
近かったんだねぇ。
街中もちょこっと散策。
住んでいた当時も、そして今も“高嶺の花”のレストラン鯛萬
四柱神社に参拝して、縄手通に出る。
なんか、こざっぱりした感じになったなー。
おきな堂はあったけど、「おきな堂ランチ」はなかったのでパス。
カレー屋「デリー」かなっと思ったら、定休日だった
本町通りは昔の面影が全くなかった
郵便局と開運堂に寄って、お土産購入。
結局、松本市街では昼食摂りそびれ、松本駅へ。
構内の立ち食い蕎麦屋「山野草」にて、椅子に座って信州特上生そばを食べた。
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
応援ヨロシク致しマス