HIV感染によるエイズ発症の宣告を受け、
翌日から入院し、
3週間ほどで退院した。
入院時は数か月に及ぶひどい下痢症状に加え、
胃のむかつきや味覚障害、発熱などがあり、
ボロ雑巾のような気分だった。
3週間の点滴治療のおかげで、
私は自分の体を少しづつ取り戻してきた。
退院して、
職場復帰をして、
なんとか日常生活を普通に戻してきた。
そんな折、ふと見たTwitterの中に、
HIVエイズ予防を促す広告を見た。
私は非常にショックを受け、言葉を失った。
ああ、自分はそんなふうに見られているんだ!
その広告には、
ベッドの上に裸の男女が抱擁しあっている画像があった。
下に横たわる女性の上に、
男性が覆いかぶさるように抱擁している。
しかし、女性の足元からはサソリの尾が伸び、
まさに背後から男性めがけて針をうとうとしているものだった。
私はその画像を見ながら、
体から力が抜けて、
体の血液がすべて足元に落ちてしまうような気がした。
そして、痺れて麻痺したような思考の中で、
悲しみがジワジワと、
白いテーブルクロスに広がるワインのシミのように広がってきた。
そして、そのシミのような悲しみの下から、
僅かではあったが怒りの感情も湧き出てきた。
私達は毒虫じゃない!
そう心の中で叫ぶ声が聞こえた。
わかっているのだ。
世間では、私のようなHIV感染者を、
セックスに溺れた淫らな者、
予防の大切さを理解できない愚か者、
感染するから恋人はおろか、
セックスの対象としては除外される相手・・・・
できれば、関わりたくない人・・・
そんなふうに見られていることを。
未だに、食器を使ったり、
同じプールに入ると感染するんじゃないかと思っている人さえいる。
そんな現実、そんな偏見があることを、
頭では理解していた。
しかし、こうして毒を持つ虫のように表現され、
それを見せられると心が痛んだ。
心の痛みを理性で理解していても、
実際に当事者になって、
初めて体験として自分の感情の中に刻まれるものだ。
その時、私はふと思った。
もしかしたら、
自分もひどいことを言っていたのかも知れない。
自分には長く親しくしている友人がいる。
彼は15年以上前に、
この病気に感染し、発症して生死をさまよった経験がある。
いわゆる、この病気の大先輩である。
自分は彼との付き合いの中で、
この病気のことを理解して、
それなりに気を付けて言葉を選んだり、
気遣っていたりした。
でも、当事者になって初めて、
解ることがたくさんある。
不用意な言葉で、
彼を傷つけたこともあったかもしれないと思った。
人間は世の中の全てを経験して、
全てに配慮した発言や行動をすることは不可能だろう。
しかし、相手の立場に立って、
想像力を巡らして、
できるだけ配慮することは大切なことだ。
当たり前のことだが、
当たり前のことほど、
すぐに忘れてしまいやすい。
当たり前のことほど、
続けるのは難しいものだ。
私達は毒虫じゃない!
その心の叫びは、
逆の立場に立つ人のことを理解するきっかけになった。
この病気を広めてはいけない。
そのための広告だからだ。
私は心の痛みと引き換えに、
この病気に感染する人が一人でも減ることを望んだ。
翌日から入院し、
3週間ほどで退院した。
入院時は数か月に及ぶひどい下痢症状に加え、
胃のむかつきや味覚障害、発熱などがあり、
ボロ雑巾のような気分だった。
3週間の点滴治療のおかげで、
私は自分の体を少しづつ取り戻してきた。
退院して、
職場復帰をして、
なんとか日常生活を普通に戻してきた。
そんな折、ふと見たTwitterの中に、
HIVエイズ予防を促す広告を見た。
私は非常にショックを受け、言葉を失った。
ああ、自分はそんなふうに見られているんだ!
その広告には、
ベッドの上に裸の男女が抱擁しあっている画像があった。
下に横たわる女性の上に、
男性が覆いかぶさるように抱擁している。
しかし、女性の足元からはサソリの尾が伸び、
まさに背後から男性めがけて針をうとうとしているものだった。
私はその画像を見ながら、
体から力が抜けて、
体の血液がすべて足元に落ちてしまうような気がした。
そして、痺れて麻痺したような思考の中で、
悲しみがジワジワと、
白いテーブルクロスに広がるワインのシミのように広がってきた。
そして、そのシミのような悲しみの下から、
僅かではあったが怒りの感情も湧き出てきた。
私達は毒虫じゃない!
そう心の中で叫ぶ声が聞こえた。
わかっているのだ。
世間では、私のようなHIV感染者を、
セックスに溺れた淫らな者、
予防の大切さを理解できない愚か者、
感染するから恋人はおろか、
セックスの対象としては除外される相手・・・・
できれば、関わりたくない人・・・
そんなふうに見られていることを。
未だに、食器を使ったり、
同じプールに入ると感染するんじゃないかと思っている人さえいる。
そんな現実、そんな偏見があることを、
頭では理解していた。
しかし、こうして毒を持つ虫のように表現され、
それを見せられると心が痛んだ。
心の痛みを理性で理解していても、
実際に当事者になって、
初めて体験として自分の感情の中に刻まれるものだ。
その時、私はふと思った。
もしかしたら、
自分もひどいことを言っていたのかも知れない。
自分には長く親しくしている友人がいる。
彼は15年以上前に、
この病気に感染し、発症して生死をさまよった経験がある。
いわゆる、この病気の大先輩である。
自分は彼との付き合いの中で、
この病気のことを理解して、
それなりに気を付けて言葉を選んだり、
気遣っていたりした。
でも、当事者になって初めて、
解ることがたくさんある。
不用意な言葉で、
彼を傷つけたこともあったかもしれないと思った。
人間は世の中の全てを経験して、
全てに配慮した発言や行動をすることは不可能だろう。
しかし、相手の立場に立って、
想像力を巡らして、
できるだけ配慮することは大切なことだ。
当たり前のことだが、
当たり前のことほど、
すぐに忘れてしまいやすい。
当たり前のことほど、
続けるのは難しいものだ。
私達は毒虫じゃない!
その心の叫びは、
逆の立場に立つ人のことを理解するきっかけになった。
この病気を広めてはいけない。
そのための広告だからだ。
私は心の痛みと引き換えに、
この病気に感染する人が一人でも減ることを望んだ。