裏山赤太郎~ゲイでエイズで、でも生きてくよ!~

ゲイとして生きて、50代でエイズを発症したけど、自分らしく生きていくことには変わりないないんだよってブログ。

HIV陽性者と就労、転職の問題ー3

2015-07-28 19:55:25 | 日記
障害者雇用枠で採用になった場合でも、
問題があります。
病気のこと、障害について、
会社内でどこまで知らせるかです。
障害者雇用枠で働いている方々からいろいろ話を伺っていると、
人事課、直属の上司まで知らせる、ということが多いようです。
ですから、同じ課にいる同僚であっても、
知られていない場合が多いようです。

その場合に起こる問題としては、
「なんであの人は艇的に通院のために休むの?」
という冷たい視線があったりするそうです。

企業によっては、
障害については全てオープンにするという
方針のところもあるそうです。

特に障害者を積極的に受け入れて、
能力を発揮することを前提としている企業は
障害についてタブー視せず、
健常者を含めお互いに理解を深めた上で仕事をするという姿勢のようです。

私としては、まだ実際に働いてはいませんが、
自分の性格からすると、
その企業の風土や方針に合わせるという考えです。
個人的な感覚で言えば、
あまり秘密にしたり、気を遣うよりは、
理解して頂いた方が
結局は仕事もやりやすくなると考えています。

そもそも人間も動物なので、
馴染みのないものには警戒するのが当たり前なのです。

警戒し、観察し、判断します。
だから、最初は何かと風当りが強いのは、
普通に転職しても同じことです。
これまで何度も転職をしてきたので、
その逆風は覚悟するしかありません。
だから障害があろうと、病気であろうと、
仕事で判断して頂くことが第一だと考えています。
ただし、すっかり築き上げた人間関係や、
仕事の内容について、
偏見からそれらを歪められるのは避けたいものです。
ですから障害者枠で入社することで、
障害について公表する必要があれば、
それは覚悟を決めて臨むつもりです。

でも、不必要な心配はしたくないのは確かです。
障害があろうと、
病気があろうと、
働ける状態であれば、
働いて生活したいと願うのが自然な人間の気持ちではないでしょうか。
それによって、自己の尊厳も確立できます。

国は障害者雇用の促進に力を入れています。
これについても、実際は賛否両論があるのだろうと思います。
それを承知の上で、この文章を書いています。
それぞれの障害には配慮が必要だとは思いますが、
ひとり、ひとりが発揮できる力を持っています。
HIV陽性者や様々な病気と闘いながら働く人々、
免疫機能障害をはじめ様々な障害をお持ちの方々、
そうした方々が
「ただ、残念ですね」と肩を落とすことが少しでも減り、
活躍の場を与えられることを願っています。
そうした理解と温かな心を持っていることを、
多くの人が思い出してくれたら嬉しいと思っています。


HIV陽性者と就労、転職の問題ー2

2015-07-27 22:00:53 | 日記
その後、治療薬が出来て、
日本でも治療が進んできたが、
今のように副作用の少ない薬になってきたのは
ついこの数年の間のようです。
10年以上、この病と闘ってきた諸先輩方からは、
それぞれつらい副作用に悩まされながら
服薬治療を続けてきた話を伺うことができます。

私は昨年、発症して病気が判明したので、
副作用の心配の少ない、
良い薬から治療をスタートできました。
その点では心から医療の発展と、
治療ができる環境作りをして頂いた方々に心から感謝しています。

ただこの病気は歴史が浅く、
外部から見てわかりずらい障害であるが故に、
第三者に感染リスクが考えられる点や
性感染による感染が多いことから、
まだまだ企業の中には肌感覚として
受け入れられない雰囲気があるのかも知れない。

「ただ、残念ですね。」
これはある別の障害を持つ方の言葉でしだ。
その方は障碍者雇用枠での人材紹介をされている会社の、
キャリアコンサルタントの方でした。
例え障害者雇用枠で働いていても、
障害者に対する偏見や意識のズレのようなことは、
四肢の障害にしても、
聴覚や視覚の障害を持つ方の場合でも、
様々な障害者の方々がそれぞれ感じておられることだと仰いました。
今回初めて障害者雇用枠での転職を考えている私に、
障害者として働くことはどういうことかを話してくれました。

「誰が悪いって訳じゃないんです。
ただ、残念ですね。
そう思うしか、私達にはないんです。」

私のような免疫機能障害の場合、
一見して普通に見えます。
働く上では、あまり問題となることはありません。
ただ、それでも過度のストレスや、
不規則な生活になったりすると
免疫には悪い影響が出る恐れがあります。
定期的な通院も必要なのです。

HIV治療に対応している病院は、
一部のクリニックを除き、
ほとんどが大学病院などの大きな病院なのです。
そういう病院では、
土曜日などに外来診療をしている場所が少ない現状です。
私の拠点病院でも、
診察へ平日の決められた曜日だけなのです。
そのために2か月に一度、
仕事を休まなくてはなりません。
もし障害者雇用枠でなく、
普通に働いていたとしたら
そのたびに上司に許可を取る必要があるでしょう。
当然、病気について質問されることも考えられます。
実際、私がこれまで働いていた職場でもそうでした。
そのたびに、不明瞭な説明をしなければならない自分、
そういう状況が苦しくてなりませんでした。

HIV陽性者と就労、転職の問題ー1

2015-07-26 18:19:06 | 日記
この病気には、未だに社会的な偏見、
不理解が付きまとっている現状があります。

私は現在、障害者雇用枠で転職先を探していますが、
障害者雇用枠を選択している理由の中には、
そのことが含まれています。

薬害エイズの方々と違い、
HIV感染は性感染による原因が大半を占めていると考えられています。
そのために起こる偏見があります。
例えば、未だに使った食器や、
私用した便座、肌を触れ合うことで感染するのではないかという、
感染リスクに対する不理解があります。

転職においても、
免疫機能障害、HIV陽性者は体調は通常の勤務が可能なのか、
採用してもすぐに体を壊して退職したり、
最悪の場合は長く生きることができないのではないか、
そんなふうに思っている採用担当者さえいると聞いています。
実際、面接でも体調について質問されたり、
感染について質問されたりすることもありました。

私達HIV陽性者は、
もしエイズを発症していたとしても
投薬治療と健康管理をして、
症状が回復し、安定していれば、
更ににリンパ球数CD4と呼ばれる数値によって、
客観的に医療の場でも
充分日常生活に問題のないレベルと判断されます。

例えば、このCD4の数値が200を越えていれば、
特に症状が悪くなければ日常生活に支障がないと判断されています。

このDC4の数値に関しては、
通常外来通院で治療している人であれば、
その人の数値や状態にもよりますが、
1~2か月もしくは3か月に一度、
定期的に血液検査をして管理しています。
その血液検査では、
合わせてHIVウイルス量をはじめ、
薬の副作用のチェックのための
肝機能や腎機能の検査も行われています。

ウイルス量が検出限界値以下であれば、
第三者に感染させてしまうリスクは
限りなく少ないと言われています。

だから、投薬治療を行っていて、
症状が安定して、
CD4値やウイルス量に問題がなければ
日常生活においては何ら問題がないのです。
むしろ肝機能や腎機能もチェックしているので、
何も検査していない健常者よりも
体調を認識し、管理できているとも考えてもいいくらいです。

残念ながら、
この病気が社会に認識されたのも
歴史が浅いために理解が進んでいない現状があります。
1980年代に社会問題化し、
日本人にも感染が広がりはじめ
残念ながらたくさんの方々が命を落としていきました。

当時、私は新宿二丁目のゲイバーへ通い、
酒を飲み、出会いを求め、
週末を過ごしていた一人でした。
そうした中で知り合った人、
顔見知り程度の人であっても、
しばらく見かけなくなったと思ったら
「あの人、亡くなったんだって・・・・」と
風の噂話に流れてきたのでした。
特にこの病気が世界中に広がり始めたばかりの頃は、
まだ治療薬さえなく、
抜本的な治療方法のないまま、
為すすべもなく亡くなっていく人が絶えなかったのですから。

世間一般の方々、
特に40代以上の方々の中には
この病気に関して未だにそのイメージのままの人もいるのではないでしょうか。

私達は毒虫じゃない!

2015-07-23 20:28:03 | 日記
HIV感染によるエイズ発症の宣告を受け、
翌日から入院し、
3週間ほどで退院した。

入院時は数か月に及ぶひどい下痢症状に加え、
胃のむかつきや味覚障害、発熱などがあり、
ボロ雑巾のような気分だった。

3週間の点滴治療のおかげで、
私は自分の体を少しづつ取り戻してきた。

退院して、
職場復帰をして、
なんとか日常生活を普通に戻してきた。

そんな折、ふと見たTwitterの中に、
HIVエイズ予防を促す広告を見た。

私は非常にショックを受け、言葉を失った。

ああ、自分はそんなふうに見られているんだ!


その広告には、
ベッドの上に裸の男女が抱擁しあっている画像があった。

下に横たわる女性の上に、
男性が覆いかぶさるように抱擁している。

しかし、女性の足元からはサソリの尾が伸び、
まさに背後から男性めがけて針をうとうとしているものだった。


私はその画像を見ながら、
体から力が抜けて、
体の血液がすべて足元に落ちてしまうような気がした。

そして、痺れて麻痺したような思考の中で、
悲しみがジワジワと、
白いテーブルクロスに広がるワインのシミのように広がってきた。

そして、そのシミのような悲しみの下から、
僅かではあったが怒りの感情も湧き出てきた。


私達は毒虫じゃない!


そう心の中で叫ぶ声が聞こえた。


わかっているのだ。

世間では、私のようなHIV感染者を、
セックスに溺れた淫らな者、
予防の大切さを理解できない愚か者、
感染するから恋人はおろか、
セックスの対象としては除外される相手・・・・
できれば、関わりたくない人・・・
そんなふうに見られていることを。

未だに、食器を使ったり、
同じプールに入ると感染するんじゃないかと思っている人さえいる。


そんな現実、そんな偏見があることを、
頭では理解していた。

しかし、こうして毒を持つ虫のように表現され、
それを見せられると心が痛んだ。


心の痛みを理性で理解していても、
実際に当事者になって、
初めて体験として自分の感情の中に刻まれるものだ。

その時、私はふと思った。

もしかしたら、
自分もひどいことを言っていたのかも知れない。

自分には長く親しくしている友人がいる。
彼は15年以上前に、
この病気に感染し、発症して生死をさまよった経験がある。
いわゆる、この病気の大先輩である。

自分は彼との付き合いの中で、
この病気のことを理解して、
それなりに気を付けて言葉を選んだり、
気遣っていたりした。

でも、当事者になって初めて、
解ることがたくさんある。

不用意な言葉で、
彼を傷つけたこともあったかもしれないと思った。

人間は世の中の全てを経験して、
全てに配慮した発言や行動をすることは不可能だろう。

しかし、相手の立場に立って、
想像力を巡らして、
できるだけ配慮することは大切なことだ。

当たり前のことだが、
当たり前のことほど、
すぐに忘れてしまいやすい。

当たり前のことほど、
続けるのは難しいものだ。


私達は毒虫じゃない!


その心の叫びは、
逆の立場に立つ人のことを理解するきっかけになった。

この病気を広めてはいけない。

そのための広告だからだ。

私は心の痛みと引き換えに、
この病気に感染する人が一人でも減ることを望んだ。


エイズ発症入院~回復へ

2015-07-22 19:56:40 | 日記
入院が2週間を過ぎると、
軟便状になった便が次第にまとまりが出てきた。
トイレに駆け込むことも少なくなり、
便通も食後になり、一日5回程度になった。

その頃になると、
腸の中の炎症もだいぶ治まってきたのか、
午後の高熱もなくなってきた。

肺炎予防のためにバクターという薬を服用していたが、
その薬は服薬開始後2~3週間で薬疹が出る場合があると聞かされていた。
それが出るとなると、
肺炎予防の薬を変更する必要があるとのことだったが
自分の場合は大丈夫だった。

入院2週間を過ぎて、
徐々に便の状態が改善されてきたことで、
医師からはこのまま順調に回復すれば
入院から3週間で退院できるだろうと言われた。

その頃になると、
私は徐々に病気に弱り果てた精神状態から、
徐々に自分を取り戻しつつあった。
退院の目途が立つと同時に、
私は退院後の生活のことも考え始めていた。

瀕死の状態は医療の力で乗り越えることができたが、
これから私はどう生きて行こうか。

退院後の治療方法、
入院費の支払い、
今後の外来通院での治療の費用、
仕事のこと、
家族との関係、友達との関係、
セックスに関すること・・・・

頭の中では、
ジワジワと不安な気持ちと、
支援制度や病気などに対する知識が、
まるで押しくらまんじゅうをするように波打っていた。

ちゃんと治療をして、
体調管理をすれば普通に生活できるから大丈夫だ。

治療費だって、
身体障碍者手帳を申請して、
校正医療の援助を受ければ自己負担は支払い可能な額になる。

大丈夫。
なんとかなるさ。

それでも病気のことで差別を受けるのではないか、
その不安は消えることはなかった。