渡辺竜王のブログにあった王位戦予選3回戦の記事中の
> 日本将棋連盟では「棋士がブログ等で図面掲載する場合は、1局1図程度にする」
> ということになったので、今回よりそのようになりますが、ご了承頂ければと思います。
という記述。
すでにこちらなどでも話題になってますが、ひとによって捉え方はいろいろあるでしょう。
棋譜の著作権とか観戦記の考え方とか複数の要素が絡んでくるので。自分は
棋譜の著作権:著作権はない。
観 戦 記 :観戦記の価値は「棋譜」じゃなくて「文章自体」のはず
棋 譜 公 開 :有料[1]でもいいので、全局棋譜公開すべき
という考え方なので、この方針はおかしな方針だと思っています。
そもそも棋士のブログでしかどういう将棋だったか分からない対局というのも数多くあるわけで(この時点で間違ってるが)、対局に関係なく一律に基準を設けるのはどうなのかという気もします。
たとえば、「この対局は有料サイトで中継しているんだから、棋譜と図面の掲載は最低限にして有料サイトへ誘導する形にする」というのならわかる気がするし、商売として見ると当然のことだと思いますが、観戦記もつかないような対局は無制限でもいいんじゃないでしょうか。
結局のところ、新聞観戦記依存の状態をいつまでも抜け出せないからなかなか次のステップへいけないんでしょうね。
個人的には、表面的な事実を誇張して報道して真のポイントを報道しない既存の「新聞(とくに全国紙)」自体はもう既に終わったメディアだと自分は思ってますので、早く新しいスタイルを築いてほしいんですけどね。
[1]有料でもというのは、棋譜自体というよりは「システム使用料」とか「中継費用」として課金するのはありだと思う。
> 日本将棋連盟では「棋士がブログ等で図面掲載する場合は、1局1図程度にする」
> ということになったので、今回よりそのようになりますが、ご了承頂ければと思います。
という記述。
すでにこちらなどでも話題になってますが、ひとによって捉え方はいろいろあるでしょう。
棋譜の著作権とか観戦記の考え方とか複数の要素が絡んでくるので。自分は
棋譜の著作権:著作権はない。
観 戦 記 :観戦記の価値は「棋譜」じゃなくて「文章自体」のはず
棋 譜 公 開 :有料[1]でもいいので、全局棋譜公開すべき
という考え方なので、この方針はおかしな方針だと思っています。
そもそも棋士のブログでしかどういう将棋だったか分からない対局というのも数多くあるわけで(この時点で間違ってるが)、対局に関係なく一律に基準を設けるのはどうなのかという気もします。
たとえば、「この対局は有料サイトで中継しているんだから、棋譜と図面の掲載は最低限にして有料サイトへ誘導する形にする」というのならわかる気がするし、商売として見ると当然のことだと思いますが、観戦記もつかないような対局は無制限でもいいんじゃないでしょうか。
結局のところ、新聞観戦記依存の状態をいつまでも抜け出せないからなかなか次のステップへいけないんでしょうね。
個人的には、表面的な事実を誇張して報道して真のポイントを報道しない既存の「新聞(とくに全国紙)」自体はもう既に終わったメディアだと自分は思ってますので、早く新しいスタイルを築いてほしいんですけどね。
[1]有料でもというのは、棋譜自体というよりは「システム使用料」とか「中継費用」として課金するのはありだと思う。
ブログに掲載されたら、宣伝になる。棋士はブログを使って無料で宣伝していると私は思うんですよね。
ブログに書いた内容程度でその対局の全てがわかってしまうと考えてるんでしょうか?だとしたら、バカにしてる。
たとえば長編小説のあらすじを秘匿する。あまり内容を知られたら売れないだろう。隠せば売れる。そういう勘違いだと思います。
そんな売り方をしたら、今は売れない。
第一、興味のない人を引きつける機会を失いますよ。
内容が濃ければ、詳細なあらすじを書いて多くの人に読んでもらい、本編を読む気になるんじゃないか?
渡辺明の著書はまったく売れていないんですかね?そう反問したい。
コメントあいがとうございます。
>ブログに掲載されたら、宣伝になる。
>棋士はブログを使って無料で宣伝していると私は思うんですよね。
いい表現ですね。まさにその通りだと思います。
「売れない」原因を棋士のブログに転嫁してるだけなのかなと感じます。もっといろいろ原因はあるはずなんですが・・・