同意できても、できなくても、それが権威による命令かどうかの判断以外に、頭脳は働いていない。
あらゆることの「いい悪い」を人に決めてもらわないと、にっちも、さっちもいかなくなる。
奴隷に広い視野は、必要ない。
「信じるか、信じないか」、「鵜呑みするか、しないか」の二者択一を迫る環境は、視野狭窄へつながり、奴隷化教育の絶対条件である。
そもそも最初から、真実というものに、まったく興味がない。自力で真偽を確かめると言う意思や能力が一切ない。
それは「いい人か悪い人か」などという問題ではない。
先祖解放の役事、全ての罪が許される聖酒式。 個性完成は空念仏になる。
奴隷信仰には、先祖解放の役事や全ての罪が許される聖酒式は必要だが、信徒の個性完成は必要ない。
そこには、りっぱな教育者も高潔な人格者もいらない。
不誠実な指導者でも、寄生虫のような公職者でも、充分に役割を果たすことができる。
マイルドコントロールは存在しない。
自己責任の放棄と他者への責任転換の言い訳にすぎない。
奴隷信仰も、あなたが選択した道だから。
「人間が神に似ている由縁は、自己決定の自由にある。個人の主体性こそ、人間の尊厳の根である。」(ピコ・デラ・ミランドラ 15世紀の新プラトン主義の代表者)