オーストラリアでの新生活blog

2006年2月から始めたブリスベンでの新生活において、感じたこと、現地の様子、留学情報等についてお伝えします。

週末の遊び

2007年07月15日 22時08分01秒 | ブリスベン

先週の月曜日から新しい授業が始まりました。忙しくなる前に遊んでおこう、というわけで、この週末は結構忙しい日々を送りました。

昨日は夕方から友人とシティの近くにあるスタジアムに、AFL(Australian Football League)を見に行きました。AFLはオージーフットボールというオーストラリア独自のプロのラグビーリーグです。昨日は、ブリスベン・ライオンズ対メルボルン・デーモンズが対戦し、ブリスベンが勝ちました。好プレー、ゴール、乱闘など、盛りだくさんで、かなり面白かったです。試合後にはグラウンドに入って、自分たちが持ってきたAFL用のボールを足で蹴り、キャッチし合いました。グラウンドの状況はというと、人がいっぱいでとてもボールを蹴られる状況ではないのですが、友人同士でボールを蹴ったり、タックルしたりする人が大勢いて、ちょっと危ない感じでした。そんな中、は蹴ったボールを警官に当てていました。警官も苦笑い。

今日は、ランゲージ・エクスチェンジをしているケリーさんがうちに遊びにきて、テレビを見たり、夕飯を一緒に食べたりしました。学校での勉強は基本的に読み書きがメインなので、聞く・話す能力は、シェアハウスでネイティブと暮らすなどしない限り、なかなか身につきません。ですので、ケリーさんとの会話は、とても貴重な英語のレッスンで、実際に、彼と話した後は、他のオージーとの会話もよりスムーズになります。感謝感謝。

明日から第2週の授業や、高校での日本語ボランティアが始まり、忙しくなりますが、頑張らねば。

ゴールドコースマラソンの放映日程(TBS)

2007年07月09日 21時40分29秒 | 日本

ゴールドコーストマラソンのテレビ放映日程が分かりました。

7月15日(日)14:00~15:24
「和田アキ子ゴールドコースト親善大使記念特番第2弾!ゴールドコーストマラソンツアー2007」

自分たちが出場したマラソンだけに、映ってないとは思いますが、どんな番組になっているのかが気になります。たぶん、ゴールドコーストの紹介もあると思うので、この辺のビーチなどを映像でご覧になりたい方にもお勧めです。

それから、今日、参議院選挙の投票日程が、日本大使館から送られてきました。投票期間は7月13日から22日まで、投票当日「在外選挙人証」及び「旅券等の身分証明書」が必要、だそうです。

「しょうがない」って。。。

2007年07月04日 23時11分09秒 | 日本

久間防衛相が原爆投下を「しょうがない」と発言し、引責辞任したことについて、これは当然のことだし、政治家なのに日本の歴史の勉強が不足していると思われても仕方のないところ。郵政民営化のときは、自民党総務会長として反対勢力に負けず、気合の入ったところを見せていたように記憶していますが、もしこの発言が本心だとしたら、政治運営ばかりうまくなり、政治家にとって最も大切な、「国益を守る」という究極の任務を忘れてしまったとも思えます。もしくは、このような政治家を選んでいる国民側に問題があるとか。久間氏の発言に対して、これでは選挙を戦えないから、などという理由で反論する人たちに対しても同じように思えてしまいます。(「国益を守る」という考え方自体が現実に沿わない理想主義的な考え方とは思いません。)

こんな風に思うのは、オーストラリアで、外国人に囲まれて生活することによって、少なからず自分が日本人であることを意識させられるからかもしれません。外から見ると、日本の政治家は、欧米人にいいように使われているようにしか見えません(実際そうなのかもしれませんが)。そうならないようにするのが政治家の役割であるはずなのに。

ここで、最近、学校の友人に借りて読んだ第二次大戦について書かれた本を紹介したいと思います。著者の主張によれば、現在の日本人は、米国人の策略により、日本人らしさ(誇り)を失いつつあるそうです。この考え方が正しいにしろ間違っているにしろ、自分たちの先輩方がどのように考えてきたのかを理解することができ、日本人としての生き方を考える上で、大変参考になりました。

おじいちゃん戦争のことを教えて (著:中条高徳)



マラソン完走!!!

2007年07月03日 11時10分40秒 | ブリスベン

6時間44分35秒で完走しました

フルマラソン完走者2628人(棄権58人)のうち2589番。色々な人たちからの応援や支えを強く感じたマラソンだったので、完走できたことが本当にうれしかったです。以下に、ここ3日間の出来事とその感想を書き綴ります。(長文です)

 

<6月29日(金)、マラソン前々日>

2日後に本番を控え、ほとんどマラソンの練習をしていないので、少し強めに走ろうと思い、家から往復約30キロのアップダウンの激しいブリスベンの道を、途中、両足にまめができるアクシデントがありましたが、なんとか約5時間かけて走破。自分ではかなり達成感を得たのですが、からは、マラソンの前々日に、しかも練習してない身体でそこまでやらなくても、と心配される。そしてその夜、突然の激しい運動のせいか、鼻水・喉の違和感とともに37.3℃の熱が出ました。風邪薬を飲み、寝巻きを2枚着て、早めに寝ました。

 

<6月30日(土)、マラソン前日>

朝起きると、熱が平熱まで下がっていました。午後1時ごろ、一緒に走る友人M(男)さんをブリスベンでピックアップして、車でゴールドコーストに行き、まずはゼッケン等をピックアップ。そこで、今回一緒に走る同じ学校の日本人H(男)さん、Sさん(女)と偶然遭遇。ホテルで会う予定だったのに、なんというタイミングのよさでしょうか。Hさんはフル、Sさんはハーフでの出場です。その後、Mさんと私、Sさんとという組み合わせで、4人でホテルにチェックイン(Hさんは別のホテルに宿泊)。中心街に歩いて行き、夕食にラーメンを食べ、帽子を購入。その途中、左足の甲の左側中央部分の筋が引っ張られるような痛みを感じるようになり、歩くたびに痛さが増していきました。恐らく前日の練習の影響だと思いました。卓球用の体育館履きを履いていたのですが、それが長距離を走るのには合わず、足を痛めたのだと思います。この靴のままでは、マラソンの最中に確実に足の裏や甲が痛くなると思い、思い切って新しい靴を買いまいした。

 

<7月1日(日)、マラソン当日>

フルマラソンのコースは、大雑把に言って、まず南方向に10キロ往復、次に北方向に10キロ往復し、最後に数百メートル公園内を走ってゴール。6時半にハーフ、6時50分にフル、9時半に10キロがスタート。

スタート前

朝4時に起き、おにぎり+お茶+チョコレートを食べて、6時半ごろホテルを出てバスで会場へ向かいました。周囲は満月の月明かりが川の水面を照らす幻想的な風景。バスにはマラソンのために続々と人が乗ってきました。足の甲の痛みは引かず、左足はつま先だけで歩くようになっていました。

スタート地点に行くと、自己ベスト3時間の人はここ、4時間の人はここといった看板を持った人が数メートル置きにいて、自己申告で適宜移動。私たちは最後尾の看板のところからスタートすることにしました。私の目標は、7時間10分以内に完走した人だけがもらえるTシャツをもらうことでした。ちなみに、すぐ近くに芸能人の松村邦洋がいました。

0~10キロ

ついにスタート。最初は左足を引きずるように走り始めましたが、10分程走って痛みは徐々に薄れてきました。途中、ビーチ沿いを走っていると、左側に延々と続くビーチを見て周囲から歓声があがったので、左を見てみると、なんと鯨が塩を噴きながら悠々と泳いでいました。すばらしい光景でした。沿道からは様々な形で応援してくれる人たちがいました。2~3キロごとにある給水ポイントの人たち、派手なコスチュームを着て音楽に合わせて踊る人たち、バルコニーから大声で話しかけてくれる人たち。すごく勇気づけられました。応援ではないと思うけど、道路でバーベキューをしてビールを飲んでいる人たちもいて、オーストラリアっぽいなあ、と思うこともありました。彼らにとってはまさにお祭りといった感じです。ところでマラソンのほうは、10キロ手前までは50mほど遅れながらもMさん、Hさんに着いて行きましたが、突然足が前に出なくなり、足の甲に痛みを感じるようになったため失速し、ついには歩くようになりました。10キロ通過タイムは1時間9分。

10キロ~20キロ

しばらく歩いてみたものの、足の甲の痛みは増すばかりで、仕方なく立ち止まって足をほぐしました。このブログのコメントにあった、「とにかく止まらないこと」というアドバイスを守れなくて悔しい思いでした。そして「棄権」という言葉も頭をよぎりました。そのとき、ジャイアント馬場さんの「もうだめだと思ったときに、頑張ってあと少しだけやってみる。これが大切。」という言葉を思い出し、あと少しやってみよう、という気になりました。これがよかったのか、その後、痛みがときどき引くようになり、走れるようにもなりました。20キロの通過タイムは2時間37分。 

20キロ~30キロ

21キロあたりがちょうどスタート時点になります。そこに至るまでに、歩いたり、走ったりの繰り返しで、しかも左足をかばうために右足に大きな負担をかけてしまい、足はもう余り動かなくなっていました。そのころ10キロ走がスタートし、ものすごいスピードで走るランナーが隣を駆け抜けて行きます(ゼッケンの色で種目が分かります)。そんな中、が反対側の道路をこちらに向かって走って来るのを発見。向こうも気がついたらしく、手を振って合図。思った以上にスピード感があり、少しうれしく思いました。そのうち、同じ方向に走ってきたときに会えるかなあと思いましたが、結局会えませんでした。25キロぐらいのところで太ももの筋肉が張って、限界に近づきつつあったので、いったん止まって(2回目)、足を屈伸しようとしました。しかし、立った状態から足を90度以上ひざを曲げられず、一度ガードレールに腰を下ろしてからゆっくりと曲げました。これで身体が限界に近づいていることを知り、休んだらもう歩けなくなる、と実感し始めました。

30キロ~41.295キロ

30キロを超えるた辺りからは、ももを高く上げたり、ジャンプすることができなくなり、ただひたすら歩くのみ。周りにも同じような状態に見える人ばかりでした。33キロ地点で、反対側を走るHさん(38キロ地点)を見かけ声をかけました。私のペース(時速5キロ)を目安として1時間ぐらい先に進んでいます。あと4キロとなった今のHさんの気分はどうなんだろう?俺も早くあそこまでたどり着きたい、と思いながら歩くこと1時間。ようやく38キロ地点に到達したときに思ったことは、「あのときは38キロ地点が目標だったけど、次はゴールが目標だ。あと4キロ。7時間10分以内に入らなければ。」ということでした。よくマラソンは人生に例えられますが、まさにそんな感じで、小さな目標を達成していくことが、大きな目標の達成につながる、というのを実感した感じです。 しかし、これまで十数キロ歩き続けてきて、あと残り4キロだ、と思ったころから、歩く速度が半分ぐらいに落ちました。足の回転は変わらないが、踏み出す幅が半分になった感じです。このままだと7時間10分を超えてしまう可能性もあったため、腕を大きく振って、できるだけ歩幅を増やすことを心がけました。40キロ地点になるとさらに歩幅が狭くなり、どんどん人に抜かれていきました。たぶん時速2キロぐらいだったのではないでしょうか。この時間はすごく長く感じました。そして、ついにゴール地点が見えてきました。ゴール前20mぐらのところに、Mさん、Sさん、がいて、応援してくれました。そしてついにゴール金メダルと念願のTシャツをもらいました。そのときはあまり実感がありませんでしたが、時がたつとともにゴールできたことのうれしさがじわじわと感じられてきました。

マラソン後

ホテルにタクシーで帰り(Sさんは用事があるためこのとき帰宅)、ホテルのジャグジーに浸かって疲れをとりました。その後、中心街のバーでお疲れさま会でビールを飲みました。最高でした。

新しい靴は、足の裏が全然痛くならず、前日に買って大正解でした。現在は、両足ともひどい筋肉痛で、歩くのもままならない状態ですが、まあうれしい痛みなのかもしれません。Mさん、Sさん、Hさん、それからちゃん、本当にお疲れさまでした。