バロックヴァイオリン 佐藤 泉  Izumi SATO

「コンサート情報」や「日々の気づき」などをメモしています。

Less is More

2018年01月14日 | 日記
2週間遅れの新年のご挨拶で失礼致します。

新しい年いかがお過ごしでしょうか。きりっと気持ちいい寒さの週末です。(瀬戸内だけかもしれないが

私は昨年の秋の膨大な学びをまだ消化出来ずにいますが、少しづつ事態が呑み込めて来たところです。

昨年を総括すると、シギスヴァルト・クイケンの持論「Less is More!」実体験の連続でした。

そもそもは、福岡古楽祭での公開レッスンで彼がある受講者に「弓の毛(馬の尻尾)が多すぎて弾きにくそうだね。発音しにくいでしょう?」と仰ったことがきっかけでした。「沢山の弓の毛を張ると、それぞれの毛が重なるから、一本づつのテンションが下がる。しかし重ならない様に一列に張ると、それぞれのテンションがマックスになるから、発音がクリアになる。Less is More ということや」 とのこと。
(私の中では シギスの言葉は何故か関西風、バルトは関東風に聞こえる)

長年アーティキュレーションに苦労していた私はと耳を疑いました。
そうか! 楽器や弓をバロックのスタイルにしておきながら、弓の毛だけはそんなこと考えたこともなかった・・・盲点だった
しかしブリュッセルではそんな話師匠が仰ることはなかったから、よくぞ今言って下さった。と思ったことでした。(いやいや自分で考えなさいよ

早速うちのルティエと実験。
まずは張り替える前に 少しづつ今の弓の毛を切って減らし、その都度弾いてみる。
そうすると自然に発音がはっきりし、軽やか かつ高温の伸びが透明感のあるものになりました。
職人さんもへえ~~~っと面白がってくれ、ある程度の量になった時「これで毛替えしましょうか!」と皆納得したのでした。

シギスヴァルトの音が決して大きくないのに、ホールの後ろまで楽々通る理由の一つが分かったのでした。

でも長所は短所で、大きな音を出すのは難しくなります。
これだと不必要に大きな音はならないので、伸び伸び弾いてもトラヴェルソやチェンバロの繊細さをぶち壊す心配もなくなり、なるほどと喜んでいます。
反対にまだフォルテを出すには苦労していますが。

そういえば、ビルスマが1980年代に古楽器だと小さな音はどんなにでも小さく意味を持って演奏出来るが、フォルテは不得意・・・って仰ってたなあ。。。と思い出し、18世紀前半までの音楽が必要とする要素と19世紀以降の音楽が必要とする要素の違いに改めて思い至ったことでした。


考えてみると、これは至る所で当てはまると気が付きます。
俳句や短歌もそうですが、

*食べ過ぎると鈍くなるのに、小食にすると五感が鋭敏になる。内臓も快調に働き始める。

*情報も多すぎると時間が奪われるだけで(つまり命である時間が減る)ばかりで消耗する。

*親や先生が延々と説教しても、誰も聞いていないけど、ヴィーラント・クイケンの様に寡黙だが熟考される人の一言は、宝物の様な内容だ。

*プティットバンドが指揮者も合唱も使わずマタイを演奏した時の様に、ソリストが合唱パートも歌うことで、各パート内部の忖度がなくなり(隣より先に出たらいかんとか。)よりダイレクトで思い切った歌い方になり、歌詞がパワフルに伝わるのもそうだし、演奏家も指揮者の都合でなく、自主的に演奏することで100%の力を出す。
全体の音量は減るが多声部がどれも重要。。。というバッハのフーガがクリアに聴こえる。

などなど。

他にも沢山ありそうです。

長々書きましたがブログもLess is Moreかも。。。  

どうぞ今年も宜しくお願い致します









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