アイヌ民族関連報道クリップ

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あなたの身近に「TOKYOアイヌ」 映画、年内完成へ(朝日新聞)

2008-04-09 12:11:00 | アイヌ民族関連
あなたの身近に「TOKYOアイヌ」 映画、年内完成へ
2008年04月09日12時11分

 首都圏に住むアイヌ民族を追ったドキュメンタリー映画づくりが進んでいる。題名は「TOKYOアイヌ」。撮影から編集、監督までを担うのはフリーのディレクター森谷博さん(42)=東京都練馬区=だ。身近に暮らすアイヌの人びとの声を届けたいと、カメラを構え続けている。



街頭で署名への協力を訴えるアイヌの人びとを撮影する森谷博さん(左)=3月23日、東京・有楽町

 3月の日曜日。民族衣装を着た約30人が4時間余り、東京・有楽町の街頭に立った。先住民族と認めるよう政府に直訴するため、首都圏のアイヌの人びとが今春始めた署名集めの初日だ。「私たちはみずからの文化を、歴史を誇りにしています」と声をあげる代表者のわきで、森谷さんはじっとカメラを向けた。

 撮影を始めたのは1年ほど前。千葉県鴨川市に住み、布にアイヌの伝統刺繍(ししゅう)を施す古布絵作家の宇梶静江さん(75)が「今を生きるアイヌの姿を映像に残したい」と提案。森谷さんは知人の誘いで話し合いに顔を出し、機材を持つ縁で撮影を始めた。

 TBSで約10年番組づくりをしたが、取材でアマゾンの先住民族の暮らしに触れ、農業など大地に根ざした生活をするために退職。アイヌ民族にも関心を持っていたが、身近なアイヌの人びとを深くは知らなかった。

 アイヌの伝統文化を継承できる場をつくろうと、千葉県君津市の山奥で「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」と名付けた公園づくりを続ける古老。明治期に開拓教育として東京に連行され、亡くなった先祖を供養するため、「土人教育所」があった東京・芝公園で夏に開かれる慰霊祭「イチャルパ」……。「アイヌ・モシリ(人間の住む静かな大地)」と呼ぶふるさとの北海道を離れても、民族の文化を誇りとし、守り伝えている人びとに出会った。

 撮影を続けるうち、アイヌ民族からみれば、自分自身が先祖伝来の土地を開拓と称して奪った「和人」側であることに気づかされた。「撮ったものはすべて自分への問いかけとなります。アイヌの人びととつきあうことがなければ、そんな歴史と向き合うこともありませんでした」

 アイヌの人びとの願いは、日本政府が先住民族と認めることだ。奪われた民族の誇りや歴史を取り戻すためにも欠かせないからだ。国連総会は昨年、「先住民族の権利に関する宣言」を採択した。政府も賛成したが、福田首相はその後の衆院本会議で「アイヌの人々が先住民族であるか、結論を下せる状況にない」と述べるにとどまった。かたくなな政府の姿勢は、社会の無関心が生み出したものだ、と森谷さんは考えている。

 アイヌ民族の立場から映画づくりに助言する広野洋さん(43)は、運営に携わる東京都中野区のアイヌ料理店で客から「アイヌってもういないんでしょ」と言われた経験がある。広野さんは「あなたの近くにもアイヌの人が住んでいると多くの人が知り、歴史にも目を向けるきっかけになってほしい」と話す。

 森谷さんは今年中の完成を目指し、上映活動や資金の協力者を募っている。問い合わせはスペース・オルタ気付、製作委員会(045・472・6349、http://www.kamuymintara.com/film/index.htm)へ。(中野晃)

 〈アイヌ民族〉 アイヌは「人間・ひと」を表す言葉。明治維新後、日本政府は北海道を「持ち主なき土地」として領土に組み込み、以来、差別や生活苦から主に関東に移り住む人が出てきた。東京都の調査報告書(89年)で都内在住のアイヌ民族は約2700人とされたが、被差別体験からアイヌ民族であることを明かさない人も多く、首都圏在住者でつくる「アイヌウタリ連絡会」の長谷川修事務局長は「首都圏で約1万人」と推定する。一方、北海道のアイヌ民族は06年の道の調査で2万3782人とされたが、実数は数倍といわれる


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