お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

活動拠点をやいと屋知足斎の日記に移しました

筒井天王祭を語る 一尺の笛を引っ提げて 二代目アキ(前編)

2008年06月01日 23時22分55秒 | Weblog
筒井天王祭を書くために

祭について熱く語りたい!!そんな方のために今回、このような企画が立ち上がりました。
「筒井天王祭を語る」記念すべき第一回はアキさんです。アキさんは幼児期、神皇車の帰り囃子を聴いて「山車に乗りたい」と思い、小学時、湯取車に入門、受験勉強時は一時中止し、高校卒業後、山車祭にどっぷりつかります。「他地区の湯取車を観たい」と考え、二十歳前から各地の山車祭、特に湯取神子の乗る山車を重点的に見学、調査されています。得筆すべき事は、各地の山車囃子の録音、山車祭の囃子から入った事。山車祭は写真で記録される方が多い中で、囃子に特化した異色の存在です。また、その延長線上で、郷土史の研究もされています。
最近ではブログ「尾陽雑記抄」を書かれています。言ってみれば自己満足の世界に生きている人です。始めの質問ですが、湯取では何年働いているのですか?


小学4年次に湯取に入門しています。ですが略歴にあるように受験時は祭礼に関わっていませんでした。実働が17年ほどでしょうか

ブログを書かれたキッカケは何ですか?
一言で言えば「筒井天王祭」について自分の手で書いてみたかった、それだけです。ですが始めの筒井天王祭の記事書くまでに、2年近くかかりました。

なぜそんなに時間がかかってしまったのですか?

一つには自分に文章力が無かった事、それと自分の専門分野ですと、余計慎重になってしまうんです。うかつな事は書けない。それと書きたい事があまりに多すぎて、いざ書き始めたら、まとまりがつかなくなった、というのもあります。

そもそも祭について知りたい欲求が出てきたのはなぜですか?

一番の原因は僕の笛の師匠のお話ですね。ちょうど18の時ですか、師匠の自宅にお邪魔して、笛の伝承を受けたのですが、肝心の笛の話はほんの少しでした。

 後は山車祭の歴史の話でした。師匠も山車祭が好きだった。祭を話される師匠に完全に洗脳されました。それが6月ですが、8月には小牧の湯取車を観に行っています。そこから全ては始まりました。


山車祭観に行っても、全然写真を撮らなかったそうですね

はい、祭囃子の録音ばっかでした 写真を撮り始めるのは、21歳頃からです。

囃子が好きだった?

好きでしたね。今でも好きですけれど。キッカケは小学1年か2年の頃、神皇車の「帰り囃子」を聴いて感動してしまったんです。

 将来絶対神皇車に乗ってあの笛を吹くんだと心に決めました。


でも入門したのは湯取車だった?

運命のいたずらですね 同じ形したものだから、ここでもいいやと。

運命のいたずらが無かったら神皇車だった?

その可能性は高かったです。神皇車に入ってブログ書いていたでしょうね。

 ですが湯取車に入り、笛の師匠と出会えたのは「偶然」ではなく「必然」だったとも考えています。あの方がいなかったら、ここまで来れなかったでしょうね。


先ほどから「師匠」「師匠」と師匠という言葉が出ていますが、その言葉に伝統文化を感じてしまいます。

確かに、師匠という言葉は伝統文化で無いと聴く機会が無いかもしれないですね。最近読んだ本では将棋の羽生善治さんの本で将棋界の師弟制度、師匠と弟子について書かれています。
「師匠と弟子」広い意味では大学のゼミ生と先生の関係もそうかもしれません。僕の場合は師匠に恵まれた方だと思っています。実に優しい方です。師匠の師匠も僕には優しいです。


縦のつながりこそ、伝統文化の真髄?

真髄とまではいかないでしょうね。別に一子相伝の秘伝でもないですから。ですが伝統文化の一端であることは間違いないでしょうね。

アキさんは同級生で今でも湯取車に関わる人が多いと

今度は横のつながりですね、僕の同級生は湯取に残ったヤツ多いです。入門時はもっと多くいたのですが、受験時、社会人になって就職と同時に来なくなったという人は多いです。
こればかりはどうしようもない。同級生は心強いですよ。ですが、入門時から思っていたのですが、僕は特別に秀でているものが無かった、大して期待されない人間がここまで残っちゃった。僕が残っちゃったのは湯取車にとっては大きな損害だと自分で思っちゃうんです。


相当努力したのでしょう?

やっぱりね、笛持てる喜びは大きかったですね。ですが「好き」と「上手い」は違いますから。特別上手くは無かった。

 ですがそれなりに努力はしたのでしょうね。その努力の延長線上に笛の師匠とめぐり合えたといえるかもしれません。小学4年に入り、小学生で音は大して出ませんでしたが、「雨降囃子」「車切」「人形囃子」は吹けましたからね。

 中学、高校時で帰り囃子の「しんぐるま」を覚えました。そうそう、囃子の録音を始めたのは「しんぐるま」を録音してテープで何回も聴いて覚える為でした。受験勉強で抜けるといいながら、時々、ちゃかり山車に乗っていましたね。


残りの囃子はいつ覚えたのですか?

名古屋市教育委員会が山車囃子の記録をビデオに撮っていたんです。それを直接市役所に行って、借りてきたんです。今思えばめちゃくちゃやっていましたね。
 借りてきたビデオで「道行」という囃子を覚えました。今では記念すべき借りてきたビデオも観すぎでダメになっちゃいました。でビデオに記録していない「道行戻し」という曲がありましてね。
 これ教えてくれと、強引に笛の師匠の御宅へ行ったのですよ。これが最初にしゃべった師匠の家に行った話です。18歳の時でしたかね。


同級生は楫方にまわる人多かったでしょう?なぜ、笛にこだわった?

一つには僕に体力が無かった事、根性が無かった事、それと無意識に笛に惹かれたのでしょうね。
小学校時の強い思い「山車に乗って笛を吹く」があったのでしょう。小さい時の記憶って大事ですね。僕も各地の山車祭を観に行きますが、そこで強烈に残っているのは、竹鼻の祭で大西町の山車(人形 湯取神子)を観ている時、ちびっ子が山車を観てお母さんにこう言うんです。「僕、山車に乗りたい」と。昔のオレじゃないかと、思いましたね。
 今ごろはそのちびっ子も山車に乗って笛吹いているかもしれませんね。そうやって憧れて山車に関わる、これも文化の継承でしょうね。



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