まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

行く川の流れは

2008-01-15 11:49:34 | 想い
一昨日は、オトウチャンのおじいさんおばあさんの、
それぞれ15年祭と納骨だったので、
親戚の集まりに行ってきました
(はい。亡くなられて、神さまのもとに帰られたことを
 思い起こすのは「祭」なのだそうですよ

おじいさん、おばあさん(タユエの曾祖父母)には、
息子が3人、娘が5人の、8人きょうだい
つまりは‥。
孫が16人、
曾孫は17人(今年18人目誕生の予定らしい)!!
この直系の親族は、全員集合だったらしく、
それぞれの配偶者たちも含めて集まっていたので‥。
近しい親族だけだというのに、60人という大人数

追悼ミサのはじめに、おじさんはこんな挨拶をされました。

 亡くなったおじいさんおばあさんのために、
 これだけのひとが集まった。
 しかし、これからまた順番に、誰かが
 神さまのもとへと旅立ってゆき、
 そしてまた、新たな命が生まれていく。 
 そのことに思いを馳せ、その思いを分かち合う、
 そんな時間になりますように‥。

山の上に建つ、静かな修道院のお御堂でのミサと、
白い十字架がずらっと並ぶ墓地にての納骨。
最近、ある人から指摘されて再認識したんですけど、
キリスト教式の葬儀にまつわるあれこれって、
「悲しみ」ばっかりじゃないのよね。
むしろ「希望」で満たされているとでも言いましょうか


去年の、お葬式とその後の何回かの集まりにて、
またいとこたちと遊んだのがひじょーに楽しかったらしく
ユが帰ってから
「ねぇ、次のお葬式はいつ??」と訊いていたという笑い話、
きっと、おじいさんおばあさんが一番喜んでいてくれているだろうな、
なんて、司式してくださった神父さまと、話してました

つまりは、こんな発言も不謹慎だとは思えない(←!?)くらい、
全て「いい式」でした


 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
 久しくとどまりたる例なし。

鴨長明「方丈記」の冒頭部分、
「移りゆくものの儚さ」を語っているそうですが、
私は、ここだけ読むと、何も「儚さ」は感じない。
だって、当たり前のことだもの

その、当たり前の「流れ」に身を置いていることに、
一昨日のように思いを馳せることが
空しさとは無縁の、大きな安心へと繋がっていくのは‥。
私たちが『その「流れ」をしっかり見守り、導いてくださる方の存在』を
信じているからなんだろうな~
なんて、思ったのでした。


ここ数日(先日のねんどの件以来‥かな??)
タとユとのかんけーが、アタシのほうから一方的に、ではあるんだけど、
ひじょーにケンアクなのでは、ありますが‥

こんなことを思うと、アタシの思いなんて、
はんっ、ちっっこいな~
‥なんて思います

くだらなくて、しょーもないことに、
これ以上、心を煩わせんとこうっと


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