My Life

春夏秋冬~日々の徒然や思うことを綴った倉庫です。

毒親

2017-07-18 08:28:23 | かきもの

いつものように、夫をおくりだした、七月のある日

カレンダーに丸印をみつけ、なんのひだったか、どうしてまるをつけたか

わからなかった。

とりあえず掃除をしてからにして、いつものように子供たちを送り出し

私は手帳をとりだした。


もともと忘れっぽいので手帳にもかいてあるはずである

で、手帳をみると母の命日とかいてある

そうか。


うかつにもすっかりわすれていたので、母にはもうしわけないような気持ちになった。

昨年七回忌をしたばかりで安心したせいなのか。


ある意味毒親だった母のことを書いてくれという依頼があったのもすっかり忘れており

締め切りまで間に合うか、締め切りの日をみると三日後だった。


毒親というのは、子供を丸ごと親の支配下に置く親のことを言うのである。

いわゆる自分の思ったように親の線路をあるかせる親をいうのだが、最近多くなってきたので

書いてくれということだった。


母は私が幼稚園のころから、エリート校にはいるのだと、何回もそれが口癖だった。

本当は絵の勉強をしてみたかったのだが、それを話すと雷がおちた。


「才能もないのになにをいってるのか。食べていけないでしょう」


結局は不本意ながら、進学校にすすむことになり、大学も親のいうとおりにさせられた。


そんなときにヒットした曲が槇原敬之さんの「どんなときも」だった。


どんなときも、どんなときも、僕が僕らしくあるために、すきなことはすきといえる気持ち

だきしめてたい。どんなときもどんなときも迷い探し続ける日々が答えになることぼくは

しってるから


曲を聞いたとき、わたしだけでなく多くの若者が、同じように悩んだりしているのだろうと

おもったし、今でも支持があるのは、どんなときもそういう毒親が少なくともいるということだと

思う。

で、母の思ういいところに就職できたかといえば、就職氷河期で、当時アルバイトしかなく


結局は天が味方してくれたのか、なんとか図書館の仕事にありついて働いていた。

さすがに母も心になにかあったのだろう。


図書館の仕事にはもうなにもいわなくなり、よろこんでいたようであった。


そして数年後、結婚が決まって、夫に引き合わせると、夫の手をにぎり、「よろしくお願いします」

と泣き笑いで、はやくも、結納をしたいが、お金がかかるしどうしようか、ホテルも高いので

会食会もいいとおもうし。 

まず先方にあいさつにいきたいし、そんなことを楽しげに三人で話し



その日は無事すんで、夫もうれしそうであった。


そして一年後


体調不良で、精密検査のために入院し。

末期のがんで、骨転移もしているといわれた。



病室に、戻った母に


爆弾が爆発したように、びっくりして、おどろいて

かけることばを必死にさがしても、かけることばがなく、そんなとき

「わるいことはわかってる」


 ぽつりと母がいった。その光景はたぶん一生わすれないとおもう。


とりあえず緩和ケアに入院し、



三週間後、母は静かに永眠した。享年70


ここまで思い出した私は、仏壇にお線香をたて、祈った後、


家事をおおかたすませ、原稿を書き始めた。






更年期にはいって

2017-06-27 10:59:34 | かきもの
更年期のまっただなかの私は、寝ようと思ったとき倒れてしまって

気をうしなってしまった。


夫はとりあえず私をベットにだきかかえてねせたのだと、翌朝はなしてくれた。


わたしが、朝おきたとき、夫がきがついてよかったと、泣いて、抱きしめてくれた


そのときの夫の涙は一生忘れないとおもう。


そのころのわたしは、家事ができないほど衰弱していたが、

そして病院を紹介してもらい、入院のほうがはやくなおるということで

入院して、入院生活がはじまった。


更年期で、入院することも珍しくないのだという

「香川さん、はじめまして。たんとうの宮沢です。いまはどうですか?」

どうやら回診がはじまったみたいで、院長先生が私の担当らしかった。

「ぐっすり寝たので気分はいいです。でも」

「でも?」

「はい、どれくらい入院すればいいんでしょうか」

先生は言葉をえらびながら

「まず、ホルモン治療といって、女性ホルモンを体に入れる治療になります。

まずはゆっくりしてください。三か月くらいになります」

「そうですか・・」

思うに、婦人科でも三か月で退院させる、今の病院はだいたい三か月で区切りをつけることが

おおいのだという。


昼ご飯をたべて、夫がきてくれた

「かおりさん、ごめん」

「なんで?」

「入院は嫌だっていってたから」

「こちらこそ、ありがとうだよ。更年期は女性しかわからないもん」

「先生から聞いて、どれだけ更年期を理解できてないことがわかったんだ」

「仕方ないよ。こっちこそごめん」


更年期にはいって、思えば喧嘩の連続だった。

家出もした。自殺しようとも思いつめたこともあった。


入院してはなれてはじめてお互いの大切さがわかった。


そして退院のめどが立った日に外をみると


院長先生が、駐車場にたたずんでおられた


何を考えているのかわからないが

男の背中というのは一番本音がかいまみえるとおもうのである。


経営のことだろうか。また診療のことだろうか


そして退院の日、普段滅多に来ない弟夫婦もきてくれた。

先生も笑顔で

「よくがんばりましたね。これからも薬はのんだほうがいいです。

外来もあるので、よかったら通院してくださいね」

「受付で精算してくるからまってて」

夫は事務までいき、弟夫婦には、子供がいないので不妊治療をしたいと

病院をさがしていたという話になった。

「お姉さん、私ここに行きたいです」

「もう無理しないでよねえさん。そうだね。きいてみようか、不妊治療のこと」


まさに美輪明宏さんがよく言われている正負の法則をこれだけ実感したことは

なく、ありがとうとこころのなかで美輪さんにお礼をいった。


看護師さんも集まってくれて、笑顔で私は、退院した。

家に着くと、かわいらしい箱がテーブルにあった

「あけてみて」

「あ、指輪」

「今日は結婚記念日だよ、忘れていたでしょう」

「ありがとう」

「お店も予約しているから、夕食は外でたべよう」

こうして私たちは、夕方外に出た


人はいつなにがおこるかわからないけれど

乗り越えることはかならずできる。道はある。


来年の結婚記念日は、手作りの料理をつくろうとおもう。






ある記念日

2015-09-11 01:20:35 | かきもの

今日は、結婚記念日、らしい、というもので、丸を手帳にしていた。

朝から、とにかくばたばたしているけど、そういえば、はやく帰ってくるとかいったっけ。

「ああ、いた?まあ、気分転換で、地下のほら、」

めずらしく、だんなさん、メールでなくて、電話をかけてきた。

「どうして、電話?なんか、知らせ?」

「近頃、電波悪いし。メールは届くけどね。とりあえず、つながるかな?と思って」

「携帯?だよね。」

「そう。いつも、メールだけど、気になるし」

「突然、切れたりするし」

「でね、記念日、だっけか」

「あーそうかもねえ。まあ、早いのならいいけど」


私は、地下鉄にのり、待ち合わせの場所でまつ、というより、いつも彼は早くついている。

いつも、10分、早めに行っても、その前に、彼は待っている。


どうしてだろう。いつも「ごめんね」は私だった。


二人でほっとする。ああ、今日も、とりあえず、疲れてはいないという確認のような感じで。


「まあ、思い出というか、ラブホ見物でも」

「そうねえ。でも、すぐあるかなあ・・・」

「近所のところは、ネットですぐとれるじゃない?でも、付き合っている頃って、どうだった?

よく覚えていないんだよね。どうしてかなあ」

「とりあえず・・・どこか行った?はずで。」

「そうそう、でも、いまのシステムって、どうなんだろう。いつもは、ネットでさ、

こういう部屋とか、みて、まあ、気分転換のみだと、こういう部屋とか」



それぐらい、時間がたつので、なぜか、深刻になやんでいる夫婦の会話。

彼と私は、とりあえず、食事をすませて、歩いていた。

普通の町で、あるらしいけども。満室のようで。


「なんで、おさえるのかしらね。スマホとか?」

「誰がは、わからないけどね。別に、普通の日だし、どこかは、あいている時間だしねえ」

「付き合っている若い子なのかなあ、学生さんでもはいれるし、女子ふたりでもはいれるし」


とりあえず、彼と私は、「プラネタリウム」が近いのを思い出していた。


近所にあったよね、という話で、まあ、歩いて行って、上映なし、だと、私は帰ろうと思っていた。


そんなもん。早く帰って、ゆっくりしたいのもあるし。やはり、このところの気候が変だと

記念日も忘れてしまうほどに、へとへとになる。あるニュースで、台風の被害だとか。たしかに

このところ変だ。でも、携帯電話の電池は切れるだろう。いつも備えをしていればそれですむ。

毎日、気象庁の予報をきちんとみて、すぐ避難できるところをおさえておき、それだけですむ。

災害大国なのだから、浸水?決壊?・・・あの震災より、ふつうだけども。こちらも「ゲリラ豪雨」

ありますけどね。でも、ツイッターするひまもあるの?すぐ、緊急にかければそれですむ。

突然、被害はくる。あの震災は、「教訓」になっていないのだろうか・・。


「ほら、やっているみたいだよ、ついたよ、大丈夫?」

「あらら。まだあるの、ごめんね。東北の友人のことをつい」



ふと、我にかえると、とりあえず上映しているようで、ふたりで入ってみた。

すいていた。



彼は、寝てしまい。

なぜか懐かしい曲がかかり、ああ、そういう時代もあった。・・よねえ。なんとなくくつろぐよねえ。

星空・・今は、月しかみえない。でも、あの幼い日はたくさん星をみていて、いつも星座をさがしていた

それくらいに、星がみえていた時代もあり、ふたりは、その頃は、別々の県にいた。



でも、いつも「プラネタリウム」は、定番の、デートスポットで、夫婦になっても、いつも行く場所で

どんどん、終わるような曲がかかりはじめて、起きるかなあ、と。思うと。



彼は、手をぎゅっと握って、起き。

ただ、ぎゅっと握って起き。

「さて、いってみるか」と、いうように。


私たちは、もういちど、街に消えていった。まぎれていく、しぜんにただ、雑踏に。

家ではなく。



夜の、街に。