ばれるずBLOG

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三重県ゆかりの戦国武将たち

2016年03月30日 22時09分53秒 | 三重県全域
 こんばんわ。
日曜夜8時はテレビに釘付け、伊藤です。
何の番組かというとNHKの大河ドラマ!
今年は日本一の兵と称される戦国時代最後のヒーロー・真田幸村(信繁)を主人公にした『真田丸』です。
物語は知恵と策略で諸国大名たちと対等に渡り合う真田家の活躍を軸に、生涯に渡って立ちはだかるライバル・徳川家康との因縁を描いています。
今回のブログはそんな徳川家康にまつわる記事です。






その一、伊賀越

 本能寺の変(1582年)で織田信長が討たれると当時同盟関係にあった家康は自分の領地(三河)へ逃げようとします。
明智光秀に動きをさとられぬように一刻も早く向かわなければなりません。
そのときに選んだ行路は伊賀を越えて、伊勢湾へ抜けるというもの。
御存知の通り、伊賀は険しい山々に囲まれた盆地。
山賊に襲われる心配もあったため伊賀忍者の服部半蔵を仲間に引き入れ、無事に難を逃れたそうな。
上の画像はこの伊賀越にちなんで名付けられた醤油・味噌の製造販売会社の伊賀越株式会社のロゴです(笑)。






その二、本多忠勝

 本多忠勝は徳川四天王として家康を支えた豪傑の男です。
50以上の合戦で一度も戦傷を負わなかったというエピソードもあります。
その一に書いた伊賀越にももちろん同行していますよ。
天下分け目の関ヶ原の戦い(1600年)ではその戦功により桑名城の城主となりました。
彼を讃えた銅像が桑名の吉之丸コミュニティパークに残っています。





その三、七里の渡し

 家康の孫娘・千姫は本多忠勝の孫・忠刻と恋に落ちます。
元々千姫は豊臣秀吉の息子・秀頼に嫁いでいました。
しかし大坂夏の陣(1615年)で豊臣家が滅びると家康の命により徳川軍に救出されます。
江戸に向かうときに七里の渡しから船に乗るのですがそのときに出会ったのが忠刻。
翌年桑名へ戻り、結婚しました。
仲睦まじく、美男美女の夫婦だったと伝えられています。

 今回は得意分野の歴史なのでいつもより熱く長く語っちゃいました。
他にも蒲生氏郷や九鬼嘉隆、藤堂高虎などフィーチャーしたい武将がいるのでパート2もあるかもしれません(笑)。
そのときはまたお付き合いいただけたらと思います。
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