オガサワラモンハナノミのように

オガサワラモンハナノミのようにです。

スーパーで買うスーパー食材

2017-06-26 13:14:29 | 日記
あまり気にしていなかったんですが、まわりから「ちょっと髪の毛が薄くなってきたんじゃないの?」なんて、ニヤニヤされるようになってきました。

ほんとに薄くてハゲてしまった人にはシャレにならないので、やさしい人ならあえて言いませんよね。つまり、予備軍扱いなので、私もこれまであまり危機感を持たず、当然ながら危機管理もせず、「あなたよりマシよ~ん」なんてうそぶいてきました。

でも、お風呂あがりにマジマジと鏡を見ると、やっぱり前髪部分の髪の毛がすけてみえるようになっていました(泣)。

かといって、薬を飲むのは気がすすまないので、なにか食品で栄養をとればいいんじゃないかと思って、いろいろ情報を探してみました。

すると、「髪がすごく抜ける 解決策」というサイトにいろいろ細かく出ていたんですが、なかでも豚レバーがとてもいいという情報が載っていたので、これはいいなと思いました。

豚レバーは亜鉛やビタミン類も豊富に含んでいます。ただし、注意点もあるようです。ビタミンAのとりすぎにだけは注意したほうがいいとか。

ビタミンAの成人男子、成人女子ともに耐容上限量はどちらも2,700μg。これを超えると頭皮の乾燥を招いて、脱毛につながる危険があるみたいです。豚レバーは100g中に13000μgもあるので、食べ過ぎるとよくないわけですね。

スーパーでは生の豚レバーを100gの小切れで売っているところも多いので、これなら耐容上限量を超えませんし、自分でつくってみることにしました。

レバニラ炒めは若い頃に好きな食品でよく食べたんですが、スーパーで買うものはつくってから時間が経過しているせいか、いまひとつなんですね。

ちゃんと水にさらして臭みをとってから炒めたので、おいしかったですよ。

100gといってもイメージがわかないという方は、外食で食べるときに入っている豚レバーの量がだいたいそのくらいの目安です。100gなら200円くらいで買えると思います。

とりあえず、抜け毛だけでも防止したいところですね。






故郷とはじわじわとくる~

2017-06-22 18:43:11 | 日記
屋根に登っている伯父さんが私に言いました。

「どうだ、田舎はいいだろ、文?」
「そうね…」

投げ餅が終わると、建てまえに参加してくれた人達全員で、お祝いの樽酒を飲みました。近所の奥さんたちが白いエプロンをかけて、せっせと家事を手伝ってくれます。

私は親戚の人達にも囲まれ、とても心がなごみました。でも、やっぱり田舎でずっと暮らす気にはまだなれませんでした。伯父さんがビールを注いでくれます。

「だいぶ酒が強くなったな、文」
「そうでもないわよ」

「どうだ、今度の家は?」
「まだ骨組みだけじゃわからないよ」

「ハハ、そりゃそうだ。あのな文、兄貴も義姉さんも、お前のことをずいぶん気にかけてるんだぞ」
「うん」

またはじまった…。

「口にはださねえけどな」
「うん」

「おい、ちょっと上見ろよ」
「なあに?」
「あそこがお前の部屋だ。10畳の洋室だ。兄貴も気遣ってるんだよ、お前に」

都会の生活では感じる事の少ない、人の心の豊かさ、優しさ……田舎へ帰ってくる度に身にしみます。東京へ戻る日、伯父さんは駅まで車で送ってくれました。

「後から箱でミカン送ってやるからな」
「そんないいのに」

「くだらねえ男に引っかかるんじゃねえぞー!両親が嘆くからな!」
「ハイハイ」

その日は晴れていて、列車の窓から富士山が見えました。私は心が洗われる思いで、いつまでも故郷の山を見ていました。





建前ライブ

2017-06-19 19:52:15 | 日記
「あ、お父さん帰ってきた」
「お、おい、文、まだ話は終わっとらんぞ!」

いい伯父さんなんですが、お説教するのと、しかもその時間が長いのが玉にキズ。伯父さんの家族や甥っ子、姪っ子はたいていこんな感じで早々と逃げ出してしまいます。

天然なのか、伯父さんはそれに気づかず、こんなことをつぶやいてばかりいます。

「まったくおかしなもんだよなあ、オレのまわりはすぐに『あっ、用事思い出した!じゃあね~』なんて、すぐにいなくなっちまうヤツばっかりだ」

そして建てまえ当日。

私は朝早くから母に起こされ、お菓子、お茶、お酒の用意をしました。午後3時、切り箱や俵などを屋根に上げ、弓を東に向けて立て、いよいよ建てまえの始まりです。まずは棟梁が音頭を取る、三本締めからです。

「それではお手を拝借!よーお」

シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、シャンシャンシャン…と三本締めがまとまると、拍手が湧きました。

それからお餅や俵、野菜、果物などを投げました。私も最初はこわごわと屋根に乗りましたが、やってみるとこれがけっこう面白いものでした。

「はいよ奥さーん!そらッ!」
「おばさーん。こっち、こっち!いくわよー!」

下ではみんながキャーキャー言いながら、直接取ろうとしたり、拾ったり、コケたり……。





手伝いついでに説教オヤジ

2017-06-16 12:03:27 | 日記
「ごめん、ごめん。お父さんとお母さんは?」
「親戚まわりだよ。明日のために切り箱を50箱、借り集めてんだよ。餅だとか野菜や果物入れるのに必要だろ」

「あ、そうか」
「あ、そうか。じゃないの。荷物なんかそこ置いて、野菜買ってきてくれ」

「えっ。あんなおソバ屋さんのバイクみたいなので?」
「ブツブツ言うな」
「ハイハイ。行きますよ」

私、へんなバイクで発車。野菜の買い出しに出かけました。その背中にまだ伯父さんは叫んでいます。

「早く帰って来いよー!まだやることあるんだからな」

買出しから帰ってくると、今度は新しい俵の中に、杉の葉やお餅を入れたりする作業が待っていました。

作業をしていると、タバコを吸いながらまた伯父さんが近づいてきました。

「おじさん、まだタバコなんか吸ってるの?もうやめたほうがいいよ」
「これがなかなかな」

先制攻撃も通じず、いろいろ言い出しました。

「なあ文」
「なあに?」

「お前、田舎が嫌いか?」
「そんなことないわよ。ただ、ちょっと退屈かな」

「まさか、ずっと東京に住むつもりじゃねえだろうな」
「お姉ちゃんがこの家、取ってくれればそうしようかと思ってるわ」
「東京のどこがいいんだよ。ゴミゴミ、ごちゃごちゃで。文、あのな」





建前の手伝い

2017-06-12 16:39:00 | 日記
「ハイ、吉田(仮名)です」
「おいおい、いつまで寝てんだ」
「あれ、もしかして伯父さん?」

先日、大工の棟梁をやっている父方の伯父さんから「実家が建前までこぎつけた」と電話がありました。

まあ、伯父さんから電話もらわなくてもわかってるんですけど、こういうところをしつこくというか、こまめにというか、セカセカと電話してくる人なんですね。

「そうだよ。おい、あと3日で建てまえだぞ」
「へえー、もうそこまでいったの?じゃ、土曜日に帰るわ」
「土曜日?おいおい、もっと早く帰って来いよ。いろいろやることあんだぞ」

そんなこと知ってるよといえば、また文句を言うし、だいたい相手の話した通りに「ハイハイ」で済ませておけば、話は短くて済みます。

ということで、私は手伝いで実家へ帰る事になりました。でも、ホントはこんなふうに気がすすまないのです。

両親はそれほどでもないのですが、伯父さんを筆頭に親戚一同が帰って来いとうるさくてかなわないんですね。

帰省した私はさっそく現場に顔を出しました。さっそく、怒鳴っている伯父さんがいました。

「バカ!もっとこっちだ、こっち!そう!」
「お・じ・さん!」
「おう、お帰り。しかし、遅えじゃねえか、もっと陽のあるうちに帰って来いよ」





九百年前の王城の暮らし完結~現代の私の感想

2017-06-08 19:14:45 | 日記
私は間違った事はしていない。私は正しい事をした。

息子のためにと側室の産んだ息子をなきものにしたことを反省する事もなく、自分が正しかったと思い込んで死んでいきました。

そして、こんなことを思ったようです。

来世生まれてくるときは、私は王女として生まれ、嫁に行くこともなく王城で一生を暮らしたい。そうすれば何の苦労もしなくて済むから。

私の魂は肉体を離れて愛の本質を学びに金星へと旅立って行きました。金星で学ぶ目的は、素直に心を開いて人々と愛を分かち合う喜びを知ることでした。

そして、現代の私の感想は…。

同じ立場なら同じ事をするかもしれないとちょっと思ったりして、背筋が寒くなりました。実感としてすごくわかる気がします。

この内容は胃の中に冷たいものが落ちてきた感じ。自分の奥深くにある悪意、本能的、動物的な感情に気付きました。

生まれてから受けた道徳教育を見失ってしまうと、こうなってしまうかも。

自分の本質は、ああ、こうなんだろうなと実感した部分もありました。潜在意識で何となく気付いている部分を見せられたような気がします。

愛情に欲深い人。どんなにもらってもたりない。それはその人にしてみれば自然な欲求なのですが、そんな部分がいまの自分とよく似ています。

自分で押さえてきたけれど、やっぱり足りないので、どこかで意固地になってしまうんですね。自分の愛情を注げる相手への、偏った愛情の結果がこうなったのだと感じました。






九百年前の王城の暮らし2

2017-06-05 13:41:33 | 日記
私にとっては、何もしなくていい王城での暮らしが快適なのでした。

それから時は過ぎていきましたが、夫からは何も言ってきませんでした。風の便りに、側室がまた男の子を産んだことを知りました。

私は自分の息子が大事にされていればいいのだけれど、と思いました。でも、それをたしかめるすべはないのです。

私はついに夫の元に帰ることはなく、それからもぶらぶらと王城で気ままに暮らしました。息子の成長は風の噂で聞くくらいで、息子が夫の元に引き取られて以来、会うことはありませんでした。

私は自ら息子に会いに行こうともしませんでした。会いたいという気持ちはありましたが、意地っ張りだったので夫への気持ちから行くことができませんでした。

三十二歳で肺結核にかかり、隔離されて三十五歳で孤独のうちに亡くなっていきました。亡くなるとき、私は自分の人生を振り返ってみました。

自分は息子に対して母親らしい事をしてやれなかった。自分の意地で息子の側にいてやることもできなかった。

しかし、それはすべて夫が悪い、夫のせいだと決めつけていました。夫は私を放っておいて迎えにも来ませんでした。私に母親らしい事をさせなかったのは夫が悪いから。そう考えていたのです。




九百年前の王城の暮らし1

2017-06-01 17:50:09 | 日記
FC2のほうでやっていた「過去でもカンが強かった」というお話の続編を、こちらで再開します。これは私の前世の物語で、舞台は九百年前の琉球です。

周りの人達は両親を含めて私が二、三日で帰るだろうと思っていたのですが、私は何日経っても一向に帰る気配を見せようとしませんでした。

やがて、母が「早く帰るように」と促しても、ただ聞き流すだけでした。

一ヶ月も経った頃、とうとう夫から「帰ってくるように」と催促の使いが来ました。でも、私はまるで帰る気になれませんでした。

夫は痺れを切らして、「おまえが帰って来ないなら、息子だけでも帰すように」と使いを寄こしました。そこで私は初めて悩みました。

そのあげく、「息子の将来を考えたら、息子だけは帰した方がよい」と考え、息子だけ使いの者と一緒に帰しました。

息子を帰した後になると、夫から私に帰ってくるようにという使いは来なくなりました。予想していたとはいえ、なんて冷たい心の夫なのかと思いました。

でも、もう夫のことは忘れることにしました。それから、私は気ままに王城で暮らしました。

母は再三、私に夫の元へ帰るように説きましたが、帰りそびれた私は帰るに帰れませんでした。

意地っ張りな私は「息子に会いたい。でも、夫が迎えをよこさないのに帰れない」と考えていました。