白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

自由律俳句──二〇一七年六月二十六日(1)

2017年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇一七年六月二十六日作。

(1)ミスター・クリスマス造花と製薬で一杯の神ミスター・クリスマス

(2)空噴水と知りつつ死んで居る鴉

(3)鳩よどちらを向いている猫の気配がふと消える

(4)子供が子供の目をのぞき込む夢が怖い

(5)一部始終を見て居るただ見て居る

☞例えば李白。その名は中学や高校の教科書にも載っている世界的に有名な詩人。文学は世界の道徳を悠然と超え出ていく。

「木蘭の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟 玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん) 両頭に坐す 美酒は樽中(そんちゅう)に千斛(せんごく)を置き 妓を載せ波に随って去留を任す」(李白「江上吟」・「唐詩選・上・P.111」岩波文庫)

現代語訳:わが乗るは木蘭のかいをそなえ、沙棠で作ったみごとな舟。舟の両側には玉で飾った簫と黄金で飾った笛を持つ女たちがいならぶ。樽の中には千石もの美酒をたたえ、妓女をのせ、波のまにまに、行くも止まるも流れにまかせたまま。

杜甫の名を知らない読者もまたいないだろう。

「左相の日興 万銭(ばんせん)を費(ついや)す 飲むこと長鯨の百川を吸うが如く 杯(さかずき)を銜(ふく)み聖(せい)を楽しみ賢を避(さ)くと称す」(杜甫「飲中八仙歌」・「唐詩選・上・P.129」岩波文庫)

現代語訳:左相は一日の遊びに一万銭を使う。その飲みぶりは大きな鯨が百の川の水を吸いこむようで、杯を口にしては聖人の境地に楽しみ、賢人はごめんだなどと言っている。

「李白は一斗(いっと) 詩百篇(しひゃっぺん) 長安市上(ちょうあんしじょう) 酒家(しゅか)に眠る 天子(てんし)呼び来れども船に上(のぼ)らず 自ら称す 臣(しん)は是れ酒中(しゅちゅう)の仙(せん)と」(杜甫「飲中八仙歌」・「唐詩選・上・P.129~130」岩波文庫)

現代語訳:李白は一斗飲めば百篇の詩ができる。長安の町なかの酒屋で酔いつぶれ、寝こんでしまうし、天子からお呼びがあっても、船に上ろうとしない。そして自分では『手前は酒の世界の仙人でござる』などと言っている。

「此(こ)の身(み) 醒(さ)めて復(ま)た酔う 興(きょう)に乗(じょう)じては即ち家と為さん」(杜甫「春帰」・「唐詩選・中・P.127」岩波文庫)

現代語訳:この身は酔いからさめて、また酔うことのくりかえし、興がわいたら、そこをそのままわが家とするだけのことさ。

「酒を酌んで君に与う 君自ら寛(ゆる)うせよ」(王維「酌酒与裴迪」・「唐詩選・中・P.225」岩波文庫)

現代語訳:この酒をついで、君にすすめる。まあ一杯飲んで、気を大きくしたまえ。

「縦飲(しょういん)久しく捨て 人共(ひととも)に棄つ 懶朝(らんちょう) 真(まこと)に世(よ)と相違(あいたが)えり」(杜甫「曲江対酒」・「唐詩選・中・P.285」岩波文庫)

現代語訳:気ままに酒ばかり飲んでいる私の生活、久しい以前から世間への義理を欠いているから、世の中の人の方でもみな、私を見捨ててしまった。朝廷のつとめもおろそかにしているので、世間とは全く背中あわせの始末。

「鞭(むち)を鳴らして酒肆(しゅし)に過(よぎ)り げん服して倡門(しょうもん)に遊ぶ」(儲光羲「長安道」・「唐詩選・中・P.373」岩波文庫)

現代語訳:貴公子は乗馬の鞭を鳴らしつつ酒場に立ち寄り、あるいはきらびやかによそおって、妓楼に遊ぶ。

「彭沢(ほうたく) 興(きょう) 浅からず 風に臨んで帰心を動かす この琴堂(きんどう)の暇(いとま)に頼(よ)り 傲睨(ごうげい)して菊酒(きくしゅ)を傾(かたむ)けたり」(蕭頴士「重陽日陪元魯山徳秀登北城矚対新霽因以贈別」・「唐詩選・中・P.400」岩波文庫)

現代語訳:陶淵明にも似たこの地の県令どのは、浅からぬ興趣をそそられ、風に吹かれながら、郷里の田園へ帰ろうとする気持をおこされた。されば政務の余暇を得て、心ゆくまで眺めわたしつつ、重陽の菊花の酒を傾けられる。

「葡萄(ぶどう)の美酒(びしゅ) 夜光の杯 飲まんと欲(す)れば 琵琶(びわ) 馬上に催(うなが)す 酔うて沙場(さじょう)に臥(ふ)す 君笑うこと莫(な)かれ 古来征戦 幾人か回(かえ)る」 (王翰「涼州詞」・「唐詩選・下・P.33」岩波文庫)

現代語訳:葡萄のうまざけをたたえた、夜光のさかずき。それを飲もうとすれば、うながすかのように、馬上から琵琶のしらべがおこる。酔いしれて、砂漠の上に倒れ伏す私を、君よ、笑いたもうな。昔から戦いに出でたった人のうち、幾人が無事で帰還できたことか。

「酒醒めて簞(たかむしろ)に臥(ふ)さんことを思(おも)い」(杜甫「陪鄭広文、遊何将軍山林」・「杜甫詩選・P.60」岩波文庫)

現代語訳:酔いざめのからだは竹むしろに寝そべりたいと思うほど。

「酔うては青荷葉(せいかよう)を把(と)り」(杜甫「陪鄭広文、遊何将軍山林」・「杜甫詩選・P.63岩波文庫)

現代語訳:酒に酔って青いはすの葉を手にもち。

「酒を醒まさんとして微風(びふう)入り 詩を聴けば静夜(せいや)分(わ)かる」(杜甫「陪鄭広文、遊何将軍山林」・「杜甫詩選・P.65岩波文庫)

現代語訳:酒をさまそうとして微風が吹きこみ、詩に耳を傾けていると静かに夜がふけてゆく。

「故老(ころう) 余(わ)れに酒を贈り 乃(すなわ)ち言う 飲まば仙(せん)を得(え)んと 試(こころ)みに酌(く)めば百情(ひゃくじょう)遠く さかずきを重ねれば忽(たちま)ち天を忘る 天 豈(あ)に此(ここ)を去らんや 真に任せて先んずる所無し 雲鶴 奇翼(きよく)有り 八表(はっぴょう)をも須臾(しゅゆ)にして還(めぐ)る」(「連雨独飲」・「陶淵明全集・上・P.126~127」岩波文庫)

現代語訳:長老が酒を贈ってくれた。なんと、これを飲めば仙人になれるという。ためしに飲んでみると、なるほど、わずらわしさの数かずが遠く去ったような気がし、さらに杯をかさねると、たちまち陶然として忘我の境地になった。いや、仙人の住む天界も、この境地からさほどへだたったものではあるまい。まさに天真そのもの、天とぴったり一体となり、ふしぎな翼をもった雲間の鶴が一瞬間に宇宙をかけめぐったような気持である。

李白にせよ杜甫にせよ陶淵明にせよ、世間一般の人々と比べて何も特別な感覚を持っていたわけではない。彼らが当時のアルコールあるいはドラッグを天界からの恵みのように讃えたい欲望を隠す必要がなかった理由はまさしく彼らが日々の暮らしを送っている下界の苦悩にあった。


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