白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

自由律俳句──二〇一七年三月二十七日(1)

2017年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇一七年三月二十七日作。

(1)サイコで儲けるサイコなマスコミいつまで

(2)日和見野党が恩を売る見飽きた

(3)スキャンダルがない不穏だ

(4)死にのた打ち見て興奮冷めやらぬ戦前日本

(5)桜に席を譲る佇むロウバイ

(6)誰も死なない春がおかしい

☞「すると第二の予想外が継いで起った。お秀が、一寸(ちょっと)顔を背(そむ)けた様子を見た時に、お延はどうしても最初に受けた印象を改正しなければならなくなった。血色の変化は決して怒りのためでないという事がその時始めて解った。年来陳腐な位見飽きている単純な極(きま)り悪さだと評するより外に仕方のないこの表情は、お延を更に驚ろかさざるを得なかった。彼女はこの表情の意味をはっきり確かめた。然しその意味の因(よ)って来(きた)る所は、お秀の説明を待たなければまた確かめられる筈(はず)がなかった」(夏目漱石「明暗・P.377」新潮文庫)


恐らく、作品「三四郎」の登場人物の中でも美穪子の他者性が際だっているのはなぜか。前回述べたように近代知識人という枠組みだけでは論じ切れない部分をその内部に大量に蓄積しているからである。そこで少し言い方を換えてみようと思う。例えるとしても「三四郎」の登場人物からではなくて、作品「明暗」からのほうが的をを得ているだろう。「お延」である。彼女は漱石が最も集中して「他者としての女」を描いた造形では、と考えられるからだ。「お延」は引き裂かれた存在である。「二重化」されている。

BGM1

「お延」の特徴は存在論的問題と倫理的問題の両方を極端なまでに内在化させてしまっている自分自身の苦痛に耐えて生きていかねばならない立場に置かれた女性である、という点で際だっている。「二重化」されているとは、この意味で言うのである。第一に存在論的問題とは何か。性欲に顕著だが、公然たる彼氏がいるにもかかわらず、その実、もっと他の男性と性行為に耽りたいと頭に思い描く本能的な主観に忠実でありたいと思うこと。第二に倫理的問題とは何か。性欲の場合、彼氏や夫以外の異性と浮気や不倫したいと思っている女性は、他にもそれこそ数えても数えても数え切れないほど実際にいるにもかかわらず、社会的倫理的な見地から、なぜか裁きを受けなければならない社会の一員として法的にも裁きを受けるべきとする倫理の側に属していること。従って、存在論的には乱交支持だが同時に倫理的には乱交不支持であるという矛盾を常に抱えて両方の間で葛藤している精神状態。その困難この上ない役割こそ、漱石が「お延」に託した課題である。もっとも、「お延」の夫=「津田」にこそこの葛藤は課されるべきであり、実際課されてはいるが、「お延」の言動ほど明確化されているとは言えないだろう。

BGM2

「お延がどうしようかと迷っているうちに、お秀はまるで木に竹を接(つ)いだように、突然話題を変化した。行掛かり上全然今までと関係のないその話題は、三度目に又お延を驚かせるに充分な位突飛(とっぴ)であった。けれどもお延には自信があった。彼女はすぐそれを受けて立った」(夏目漱石「明暗・P.377~378」新潮文庫)

BGM3

「お秀の口を洩(も)れた意外な文句のうちで、一番初めにお延の耳を打ったのは『愛』という言葉であった。この陳腐(ちんぷ)な有来(ありきた)りの一語が、如何(いか)にお延の前に伏兵(ふくへい)のような新らし味をもって起ったかは、前後の連絡を欠いて単独に突発したというのが重(おも)な原因に相違なかったが、一つにはまた、そんな言葉がまだ会話の材料として、二人の間に使われていなかったからである」(夏目漱石「明暗・P.378」新潮文庫)

BGM4

「お延に比べるとお秀は理屈(りくつ)っぽい女であった。けれどもそういう結論に達するまでには、多少の説明が要った。お延は自分で自分の理屈を行為の上に運んで行く女であった。だから平生(へいぜい)彼女の議論をしないのは、出来ないからではなくって、する必要がないからであった。その代り他(ひと)から注(つ)ぎ込まれた知識となると、大した貯蓄も何にもなかった。女学生時代に読み馴れた雑誌さえ近頃(ちかごろ)は滅多に手にしない位であった。それでいて彼女は未(いま)だ曾(かつ)て自分を貧弱と認めた事がなかった。虚栄心の強い割に、その方面の欲望があまり刺戟(しげき)されずに済んでいるのは、暇が乏しいからでもなく、競争の話し相手がないからでもなく、全く自分に大した不足を感じないからであった」(夏目漱石「明暗・P.378」新潮文庫)

BGM5

「ところがお秀は教育からしてが第一違っていた。読書は彼女を彼女らしくする殆(ほと)んど凡(すべ)てであった。少なくとも、凡てでなければならないように考えさせられて来た。書物に縁のない叔父の藤井に教育された結果は、善悪両様の意味で、彼女の上に妙な結果を生じた。彼女は自分より書物に重きを置くようになった。然しいくら自分を書物より軽く見るにした所で、自分は自分なりに、書物と独立したまんまで、活(い)きて働いて行かなければならなかった。だから勢い本と自分とは離れ離れになるだけであった。それをもっと適切な言葉で云い現わすと、彼女は折々柄(がら)にもない議論を主張するような弊に陥った。然し自分が議論のために議論しているのだから詰(つま)らないと気が付くまでには、彼女の反省力から見て、まだ大分の道程(みちのり)があった。意地の方から行くと、余りに我(が)が強過ぎた。平たく云えば、その我がつまり自分の本体であるのに、その本体に副(そ)ぐわないような理屈を、わざわざ自分の尊敬する書物の中(うち)から引張り出して来て、其所(そこ)に書いてある言葉の力で、それを守護するのと同じ事に帰着した。自然弾丸(たま)を込めて打ち出すべき大砲を、九寸五分(くすんごぶ)の代りに、振り廻して見るような滑稽(こっけい)も時々は出て来(こ)なければならなかった」(夏目漱石「明暗・P.378~379」新潮文庫)

漱石の十八番。近代知識人に対する「からかい」。漱石自身にも似たようなところがあったせいか、手に取るようによくわかったに違いない。だからといって漱石と同程度の知識人となると、作品の登場人物にしても苛酷な台詞(せりふ)が割り振られている。例えば「坊ちゃん」における「赤シャツ」。こんなシーンがある。

「赤シャツはランプを前へ出して、奥の方からおれの顔を眺(なが)めたが、咄嗟(とっさ)の場合返事をしかねて茫然として居る。増給を断わる奴が世の中にたった一人飛び出して来たのを不審に思ったのか、断わるにしても、今帰ったばかりで、すぐ出直して来なくってもよさそうなものだと、呆(あき)れ返ったのか、または双方合併したのか、妙な口をして突っ立ったままである。『あの時承知したのは、古賀君が自分の希望で転任すると云う話でしたからで──』『古賀君は全く自分の希望で半ば転任するんです』『そうじゃないんです、ここに居たいんです。元の月給でもいいから、郷里に居たいのです』『君は古賀君から、そう聞いたのですか』『そりゃ当人から、聞いたんじゃありません』『じゃ誰からお聞きです』『僕の下宿の婆さんが、古賀さんのおっ母(か)さんから聞いたのを今日僕に話したのです』『じゃ、下宿の婆さんがそう云ったのですね』『まあそうです』『それは失礼ながら少し違うでしょう。あなたのおっしゃる通りだと、下宿屋の婆さんの云う事は信ずるが、教頭の云う事は信じないと云うように聞えるが、そう云う意味に解釈して差支えないでしょうか』」(夏目漱石「坊っちゃん」・「夏目漱石全集2・P.350」ちくま文庫)


赤シャツの論理はまったく近代知識人の頭脳から出現してきた言葉だ。漱石がもし赤シャツの立場であれば、当然のように同様の台詞(せりふ)で対応したであろう。このように言葉一つ取っても、その責任の所在と責任の重さを計りにかけて一言一言吟味した上でようやく口に出せる発言でなければならなかった。言葉は常に社会的責任とともにあるほかなくなっていた。それは近代国家が成立していくための諸条件の中でも最も重要なポイントの一つであり、また責務ともなっていた。また、昨今の日本のように公的な場で責任のありかとその重さを問われたり問うことができたりするのが可能な理由は、こうした近代社会の苛酷さを受け入れることから徐々に始まり身に付けるに至った。いまなお不十分な点は多々あるものの。ともかく、近代社会が要求する苛酷さを受け入れない限り、でき得るかぎり「義理/人情/気まぐれ/思い込み/裁く側の趣味嗜好」などを排して、被害者側は加害者側に向けて公的な責任を追及する権利は得られなかったし、加害者側は被害者側からの追及に反論する公的な場を法的に設定することも認められなかった。

BGM6

「問題は果して或(ある)雑誌から始まった。月の発行にかかるその雑誌に発表された諸家の恋愛観を読んだお秀の質問は、実をいうとお延にとってそれ程興味のあるものでもなかった。然しまだ眼を通していない事実を自白した時に、彼女の好奇心が突然起った。彼女はこの抽象的な問題を、何処(どこ)かで自分の思い通り活かして遣(や)ろうと決心した」(夏目漱石「明暗・P.379」新潮文庫)

BGM7

「彼女は稍(やや)ともすると空論に流れやすい相手の弱点を可成(かなり)能(よ)く呑(の)み込んでいた。際(きわ)どい実際問題にこれから飛び込んで行こうとする彼女に、それ程都合の悪い態度はなかった。ただ議論のために議論をされる位なら、最初から取り合わない方が余っ程増しだった。それで彼女にはどうしても相手を地面の上に縛り付けて置く必要があった。ところが不幸にしてこの場合の相手は、最初からもう地面の上にはいなかった。お秀の口にする愛は、津田の愛でも、掘の愛でも、乃至(ないし)お延、お秀の愛でもなかった。ただ漫然として空裏(くうり)に飛揚(ひよう)する愛であった。従ってお延の努力は、風船玉のようなお秀の話を、まず下へ引き摺(ず)り卸(おろ)さなければならなかった」(夏目漱石「明暗・P.379~380」新潮文庫)

極めて重要な話がすうっと挿入してある部分。

「風船玉のようなお秀の話を、まず下へ引き摺(ず)り卸(おろ)さなければならなかった」、とある。要するに簡単に言えば「空論」を「唯物論」の地平へ移動させた上で改めて問いただそうとしているわけだが、江戸時代には、似たようなイデオロギーはあったにせよ、実際に使える論理的思考方法はまるでないに等しかった。だが近代知識人=漱石は、「お延」の戦術を通して「お秀」の中身のなさの程を、じんわりと明らかに暴露させたがっている。漱石がその種の加虐的な嗜好の持主だったことはまず間違いない。ただ、そうした加虐性にもかかわらず、それに満足してほくそ笑んでいるだけに終わらせたりはせず、また敢えて隠したりもせず、小説形式を借りて社会に向けて問い掛けたところが他の知識人とは大きく異なる凄みと自信の現われだったと言える。

BGM8

「子供が既に二人もあって、万事自分より所帯(しょたい)染(じ)みているお秀が、この意味に於(おい)て、遥(はる)かに自分より着実でない事を発見した時に、お延は口ではいはい向うのいう通りを首肯(うけが)いながら、腹の中では、焦慮(じれっ)たかった。『そんな言葉の先でなく、裸で入(い)らっしゃい、実力で相撲(すもう)を取りますから』と云いたくなった彼女は、どうしたらこの議論家を裸にすることが出来るだろうと思案した」(夏目漱石「明暗・P.380」新潮文庫)

漱石が知っており、また「お延」が葛藤している抜き差しならない「愛」というもの。「殺す/殺される/殺し合う」といった次元にまでとんとん拍子に飛躍-増殖することもしばしばある苛酷な恋愛関係。それが「お秀」においては「子供が既に二人もあって、万事自分より所帯(しょたい)染(じ)みているお秀が、この意味に於(おい)て、遥(はる)かに自分より着実でない」。作品「三四郎」において、美穪子によっては裏も表もなく体現されていて、三四郎も意識下では満々とたたえているものの、表面上は無意識のうちに逃げようとしている「愛」の正体とはこれだ。その意味で美穪子は「獰猛」な女であり、つまり「ごく普通の女」である。ちなみに三四郎では、美穪子は美穪子のいない所で「乱暴な女」と評される場面が出てくる。どこがどのように「乱暴」なのか。それはまたの機会に見ることにしよう。ただ、ここで述べておくべきは、この「乱暴さ」がなくても「妊娠・出産」は可能であるが、しかしこの「乱暴さ」のないところでは、逆に漱石の考える、あるいは「お延」のいう「愛」は一切成立しないということだろう。

BGM9

「やがてお延の胸に分別が付いた。分別とは外でもなかった。この問題を活かすためには、お秀を犠牲にするか、又は自分を犠牲にするか、何方(どっち)かにしなければ、到底(とうてい)思う壷(つぼ)に入って来る訳がないという事であった。相手を犠牲にするのに困難はなかった。ただ何処からか向うの弱点を突ッ付きさえすれば、それで事は足りた。その弱点が事実であろうとも仮説的であろうとも、それはお延の意とする所ではなかった。単に自然の反応を目的にして試みる刺戟(しげき)に対して、真偽の吟味などは、要らざる斟酌(しんしゃく)であった。然し其所には又それ相応の危険もあった。お秀は怒るに違なかった。ところがお秀を怒らせるという事は、お延の目的であって、そうして目的でなかった。だからお延は迷わざるを得なかった。最後に彼女はある時機を摑(つか)んで起(た)った。そうしてその起った時には、もう自分を犠牲にする方に決心していた」(夏目漱石「明暗・P.380~381」新潮文庫)

BGM10

「『そう云われると、何と云って可(い)いか解らなくなるわね、あたしなんか。津田に愛されているんだか、愛されていないんだか、自分じゃまるで夢中でいるんですもの。秀子さんは仕合せね、そこへ行くと。最初から御自分にちゃんとした保証が付いていらっしゃるんだから』お秀の器量望みで貰(もら)われた事は、津田と一所にならない前からお延に知れていた。それは一般の女、ことにお延のような女に取っては、羨(うら)やましい事実に違なかった。始めて津田からその話を聴かされた時、お延はお秀を見ない先に、まず彼女に対する軽い嫉妬(しっと)を感じた。中味の薄っぺらな事実に過ぎなかったという意味があとで解った時には、淡い冷笑のうちに、復讐(ふくしゅう)をしたような快感さえ覚えた。それより以後、愛という問題に就いて、お秀に対するお延の態度は、いつも軽蔑(けいべつ)であった。それを表向さも嬉(うれ)しい消息ででもあるように取扱かって、彼我(ひが)の共通する如くに見せ掛けたのはあ、無論一片のお世辞に過ぎなかった。もっと悪く云えば、一種の嘲弄(ちょうろう)であった」(夏目漱石「明暗・P.381」新潮文庫)

ここでのお延の意識の流れは大変面白い。漱石によって畳み掛けられるお秀に対する「からかい」。しかしなぜそこまで「意地悪」したかったのだろうか、漱石は。もしかしたら作品中で、お延の性格に近いところが最も濃く描写されている箇所ではあるかも知れない。とはいえ、それを読んで理解できる今の読者はお延と同程度かそれ以上に「意地悪」あるいは「サイコ」な性格を備えていなければ到底理解できないはずだ。ところが、ほぼすべての読者には理解できる。この事実は何を意味しているだろうか。そして何を意味していないだろうか。

BGM11

「幸いお秀は其所に気が付かなかった。そうして気が付かない訳であった。と云うのは、言葉の上は兎(と)に角(かく)、実際に愛を体得する上に於て、お秀はとてもお延の敵ではなかった。猛烈に愛した経験も、生一本(きいっぽん)に愛された記憶も有(も)たない彼女は、この能力の最大限がどの位強く大きなものであるかという事をまだ知らずにいる女であった。それでいて夫に満足している細君であった。知らぬが仏という諺(ことわざ)が正にこの場合の彼女を能く説明していた。結婚の当時、自分の未来に夫の手で押し付けられた愛の判を、普通の証文のような積で、何時までも胸の中(うち)へ仕舞い込んでいた彼女は、お延の言葉を、その胸の中(うち)で、真面目に受ける程無邪気だったのである」(夏目漱石「明暗・P.381~382」新潮文庫)

お秀の「無邪気」。「知識人の無邪気」は時として危険である。漱石は諸外国の戦争や革命についてよく知っていたこともあってか、その危険性については熟知していた。だが、差し当たりここでは「中途半端な知識人の滑稽さ」に微笑できれば読者としては合格だろうし、そのような読者に上手く読んでもらえれば作家の側としても合格点をもらってもよいのでは、と漱石は思っていたに違いない。

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自由律俳句──二〇一七年三月二十二日(3)

2017年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

音楽コーナー。

「YOUNG GUITAR2017年4月号」(シンコーミュージック)


P.176〜177。「IA’s Secret Guitar Methods」。Ex-1:解説(藤岡幹大)にあるように「バックに惑わされずに弾き切ることができるかが、最大の攻略ポイント」。で、なんで「バックに惑わされ」てしまうことがしばしばあるのかって言うと、リズム・パターンをしっかり把握できていないってことが一番の原因と言えば言える。だけどそれ以前に、もしかしたら、楽曲のメロディ・ラインを覚え込めていない、ということが時々あるんですよ。心当たりありませんか?バックのリズム隊が幾らしっかり演奏してくれていても、肝心のメロディを弾く弾き手の頭にメロディ・ラインがちゃんと入ってなかったりすると、「バックに惑わされ」てしまうことってしょっちゅう発生するので気を付けよう。

BGM27

さてそこで、「手毬歌」(てまりうた)のエクササイズです。「肥後手毬歌」(ひごてまりうた)って知ってるよね?「あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ、熊本どこさ、船場さ」。これ、もろに変拍子でしょ。でも楽曲を覚え込んでいる子どもは特に考えなくてもリズムを間違うってことはまずないし、逆にリズムに惑わされてメロディがずれてしまったりすることなんてほとんどめったにない。まあ、発祥地には色々と異説があってね。有力なのは熊本じゃなくて川越藩だって説。ところがこの異説には結構説得力があるのですよ。まず歌詞なんだけど、熊本弁じゃないよね?関東の方言に近い。「船場」と言うのは「船付き場・港」の意味なんで全国どこにでもあった。大量の積荷を一挙に載せたり降ろしたりする所。唸るほど高価な商品が一変に動くので金融機関もすぐ近かった。大阪市内には今もそうした地名が残っていて歴史探索すると面白い。それはそうと、「船場」→「仙場山」に置き換えられている。熊本に船場はあっても「船場山」はないはず。しかも江戸時代の呼び名である「肥後」ではなくて廃藩置県後の「熊本」という名称を巡っての「問答歌」形式。さらに「船場」(せんば)じゃなくて「仙波山」(せんばやま)と呼べる場所なら今でも埼玉県川越市小仙波にあるんだよね。徳川幕府の創始者=徳川家康を神とする「仙波東照宮」。戊辰戦争で敗走した彰義隊の残党が立て籠った付近。立て籠りに適していた理由は周囲に「仙波古墳群」があったから。手毬歌の歌詞に出てくる「たぬき」は家康のあだ名「たぬき」とも符合する。一方、上野戦争を指揮したのは大村益次郎。西洋式軍事戦略戦術には最も長けていた人物。彰義隊もその残党も木っ端微塵に撃破されて逃げまくりゲリラ部隊と化すほかなかった。それら残党と呼応したのは房総半島や武蔵地方の田舎に残っていたごく一部の反朝廷軍。朝廷軍の中には肥後藩士も含まれていたので、肥後藩士同士で朝廷/反朝廷に分かれて戦争したってわけです。で、武蔵地方といえば関東なまりが強い。親朝廷側の肥後藩士か反朝廷側の肥後藩士か、見分け聞き分けが付きにくい。そこで、こっそり訪ねるための「問答歌」が創作されたのでは?という流れですね。一般の隊士らは近くへ逃げるほかない。負けたんだから。見つかれば惨殺。でも彰義隊がかついだ上野寛永寺の山主=輪王寺宮能久はそう簡単に一緒に降伏するわけにはいかない。厳しい立場だよね。で、東北へ脱出しようと考えます。その際、不可能かと思われた東京湾から出航したわけだけど、この脱出劇を可能にしたのは榎本武揚とその艦隊。しかし今や朝敵とされている輪王寺宮を海路で無事に奥羽列藩同盟へ送り届けるためには命を掛けねばならない。主戦派の榎本にとっては、失敗すればほぼ確実に死刑しか残されていない。危険極まりない。輪王寺宮はおとなしく帰順すれば謹慎で済まされるかも知れないが。なので榎本武揚は「人ばらい」を行わせた上、二人きりの部屋でさらに輪王寺宮能久の真意を確かめるだけでなく、その言葉を細大洩らさず鈴木安芸守に書き取らせ、文書化し、文書には輪王寺宮自身による署名を求め、輪王寺宮は実際に自分自身で署名して榎本に手渡した。「人ばらい」の上で責任者本人同士による署名入りの文書の交換が必要とされる事態。異様なほど緊迫していた。江戸の町はすでにあちこち炎上していて一刻の猶予もない、というわけですね。そもそも「肥後手毬歌」の成立年代が幕末から明治維新にかけてとされてるんだけど、成立年代についてはまず間違いない。音楽とはちょっとはずれた話になっちゃったけど、金田一耕助シリーズとかイギリスの本格ミステリ・ファンにとってはたまらない謎ですね。

BGM28

Ex-2:1〜2小節目をリフレインした後、5〜8小節目は前者と少し違った音遣いになってます。1音違い、といっても視聴者にとってはかなり印象が異なるので間違わないでね。8小節目の最後の音をスタッカートでしっかり切ってめりはりを付けるのは細かいけど大事なこと。その隙に生まれる瞬間を上手く利用することで9小節目頭への素早いポジション移動を確実にしたいですね。

BGM29

Ex-3:低音弦を使っているのでかなりヘヴィに聴こえる。好み次第なんだけど、なかには胸焼けしそうってリスナーがいるかも知れません。でも例えばですね、譜面2段目以降の音をすべて1弦に置き換えて弾いてみよう。たちまちスティーヴ・ヴァイになった気分で爽やか〜。理論的な説明は解説(藤岡幹大)をよく読んでね。

BGM30

Ex-4:解説(藤岡幹大)にあるように「ルート音(A音)の周りはクロマティック(半音階)で構成されており、これはインドに伝わるラーガと呼ばれる旋法の1種」。音符はそれとして考えて。さて、映像を見るとわかると思われるが、マティアス・エクルンドはネック上で左手を移動させながら、しかし使っているのは中指のみ。素早いポジション移動を知らぬ顔でさり気なくやってみせるところが可笑しくて笑える。タッピングじゃなくて、右手左手ともハンマリングで発音してるみたいだよ。ごく聴き慣れたレガートなメロディ・ラインではなく、その逆を行って、あえて1音1音を打楽器のようなデジタルな音列で聴かせるテクニックはこの連続ハンマリングの効果かなと思います。

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自由律俳句──二〇一七年三月二十二日(2)

2017年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

コジェーヴによるヘーゲル読解の続き。今回取り上げる箇所はこれまで以上に、あるいは多少難解かも知れない。けれども実をいうと、そこで語られていることは決して難解でも何でもない。勿論、コジェーヴの力量による部分は大いにある。だがそれ以上にマルクス並びにハイデッガーによるヘーゲル読解の歴史に負う部分はもっと大量にある。測り知れないほどある。コジェーヴ自身、マルクス並びにハイデッガーによるヘーゲル読解から、その成果を大量に吸収した形跡を隠していない。むしろ逆に「丸出し」と呼んでも構わないほど惜しみなく披露している。

BGM13

「以上のように、ヘーゲルが自己の哲学の大要を粗描した『精神現象学』の序文中の一節を分析するならば、この哲学において死の観念が果たしている本源的な役割が明らかになる。死の事実、或いは自己自身を意識する人間の有限性の事実をためらわずに受容することがヘーゲルの全思想の究極の源泉であり、彼の思想はもっぱらこの事実の現存在からそのすべての帰結を、最も隔たった帰結をも引き出しているのである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.374」国文社)


BGM14

「この思想によれば、《人間》はまったくの尊厳を求める《闘争》の中でみずからの意志により死の危険を受け容れることによって初めて《自然的世界》の中に現われ、死を甘受しかつまた自己の言説により死を開示することによって、最期に《絶対知》或いは《知恵》に到達し、かくして《歴史》を仕上げるに至る。このような思想がヘーゲルに生まれたのは、彼が死の観念から思索を始め自己の《学》、『絶対的』哲学を練り上げたからであり、このような学だけが、自己の有限性を意識し、時に自在にこの有限性に対処する有限な存在者が《世界》に現存在するという事実を哲学的に説明しうると見て取ったからである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.374」国文社)

「死を開示する」、「自己の有限性を意識し」、などの専門用語。ハイデッガーからの強い影響がうかがえるに違いない。だからといって簡単にハイデッガー信者になってしまわないところは、さすがにコジェーヴの真面目さ、学者としての態度、ユーモア・センスなど様々な知性の引き出しの質の高さを思わせて余りある。

BGM15

「このようにして、ヘーゲルの《絶対知》或いは《知恵》と、完全かつ決定的な無化として把握された死の意識的な受容とは不可分の一体をなしている。ヘーゲル自身、このきわめて重要な序文の他の一節においてこの点をはっきりと述べている。このまったく驚くべき一節を読むことによって初めて、ヘーゲルの思想の究極的な動機が捉えられ、その真実が把握され、それが及ぶ全域が理解されるのである。この一節の本文はおよそ次のように翻訳することができる。──†分離の活動は、《悟性》という、〔すなわち〕最も驚嘆に価し〔あらゆるもののうちで〕最も大きい威力、或いはむしろ絶対的な〔威力〕のもつ力であり労働である。それ自身のうちで完結し〔たままに〕安らい、そのもろもろの契機を、実体〔が保持する〕ように保持する円環は直接的な関係であり、したがって何ら驚嘆に値しない。だが、自己の周囲から分離された偶有的なものそのものが、かくして結び付けられたもので他の物との連関においてのみ客観的に実在するものが、独立の経験的-現存在と、分離され孤立した自由とを得るという〔こと〕は、《否定的なもの》のもつ驚くべき威力〔を表現している〕。それは、思惟の、純粋抽象-《自我》のエネルギーの致すところである。死とは──その非実在性をこのように呼ぼうとするならば──最も恐るべきものであり、死せるものを見据えることは、最も大きな力を要することである。力なき美は悟性を憎悪する。なぜならば、悟性は美には為しえないことを美に要求するからである。だが、《精神》の生は死の前に脅えその暴威から自己を守る生ではなく、死を耐え忍び死の中に自己を保つ生である。《精神》は絶対の分裂の中に自己自身を見いだして初めて自己の真理を得るのである。我々は或る事物について『これは何物でもない』とか『これは偽である』などと言い、〔そのようにして〕それを片付け何か他のものに移って行くが、精神がこの〔驚嘆すべき〕威力であるのは、そのように《否定的なもの》から眼をそらす《肯定的なもの》だからではない。そうではなく、《精神》がかかる威力であるのは、《否定的なもの》と面と向かいそれを凝視しその許に踏み留まることにのみよっている。このように踏み留まることが《否定的なもの》を所与-《存在》へと転ずる魔力である。この〔《精神》の威力つまり魔力〕は先ほど《主体》と呼ばれたものと同一のものである。すなわち主体は自己〔固有〕の境地のうちで特殊な規定に経験的現存在を与え、これによって抽象的《直接態》すなわち単に一般に《所与存在として現存在》するにすぎぬ《直接態》を弁証法的に揚棄し、この揚棄によって真の《実体》であるもの、〔すなわち〕所与《存在》或いは《直接的》でありながら、自己の外に《媒介》をもたず、それ自身がこの《媒介》であるところのものなのである。†──この一節の冒頭はやや謎めいているが、他の部分はまったく明快かつ一義的であり誤解の余地がない。この冒頭を把握するためには、以下の事柄を心に留めておかねばならない。すなわち、哲学とは《知恵》の追求であり、《知恵》とは自己意識の充溢である。したがって、《知恵》を渇望しそれを追い求めながら、ヘーゲルは、究極において、自己を、つまり在るがままの自己と自己のなすこととを自己自身及び他者に説明しようとしているのである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.374~376」国文社)

ヘーゲルからの引用が長過ぎて何が何だかわからなくなりそうになる。他の訳文も参照できればしておこう。例えば、ヘーゲル「精神現象学・上・P.48~50」(平凡社ライブラリー)。

BGM16

コジェーヴに戻ろう。

「ところが、真に人間的な彼の現存在が帰属する彼の活動は、自己の存在及び自己にあらざる存在を自己の言説によって開示する哲学者もしくは《賢者》のそれである。したがって、哲学者として思索するとき、ヘーゲルは何よりもまず彼自身の哲学的な言説を説明しなければならないことになる。さて、この言説を考察しながら、ヘーゲルは、ここで問題であるのは受動的な所与ではなく、『労働』と呼ばれうる『活動』の結果であり、そしてこの活動が彼が『《悟性》』と呼ぶものから得られるきわめて大きな『力』を要求するものである、ということを確認する。それによって彼は《悟性》が一つの『威力』であることを確認し、この威力が爾余のものすべてに『勝り』、まったく『驚嘆に値する』と述べるわけである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.376」国文社)

BGM17

「明白に、ここで『《悟性》』は《人間》における真に人間的かつ人間特有のものを意味している。なぜならば、人間を動物や物から区別するものは言説の能力だけだからである。それはまた、どのような哲学者であれ哲学者である限りどんな哲学者の中にも、したがってヘーゲルの中にも存在する本質的なものであり、したがって問題は挙げてこれが何であるかを知ることに還元される。《悟性》(=《人間》)は己れを『《分離》という活動』の中で、そしてそれによって、より正確には『《分離する》活動』として顕在化する『《絶対的な》威力』である、とヘーゲルは述べる。だがなぜ彼はこう述べるのであろうか。それは、《悟性》の活動、すなわち人間の思惟が本質的に《言説による》からである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.376~377」国文社)

BGM18

「《人間》は稲妻のように一瞬にして実在するものの総体を開示するのではない。すなわち、人間はこの総体をただ一つの語-概念で捉えるのではない。総体を開示できるようにその契機を総体から《分離し》、孤立した語句や部分的な言説によってこの契機を逐次開示していくのであり、実在の総体が同時的なものであっても、それを開示できるのは、時間の中で展開される彼の言説の全体だけである。だが実は、これらの契機は時間的、空間的、さらには物質的に不可分の関係によって互いに絡み合い一つの全一体を構成しており、この全一体からそれを《分離することができない》。したがってその《分離》はまったく『奇蹟』であり、この分離を為す威力はまったくもって『絶対的』と呼ぶにふさわしい」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.377」国文社)

BGM19

「ヘーゲルが念頭に置く《悟性》の絶対的な力ないし威力は、究極のところ、《人間》の中に見いだされる《抽象》の力ないし威力にほかならないのである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.377」国文社)

「《人間》の中に見いだされる《抽象》の力ないし威力」、とある。ただ単に「主観性」と呼んだりもする。しかしヘーゲルのいう主観はただ単に固定された意味で受け取られがちな主観ではまったくない。そのような意味ではなく、ありとあらゆる対象を手前勝手に絶滅してみたり、気まぐれにでも再び再生させたり、実際には何百キロも離れた物を手元に出現させてみたりもする主観である。その意味で「《抽象》の力ないし威力」なのであり、それは「絶対的」であると言われる。

BGM20

「或る任意の対象を孤立的にそれだけで記述しようとするとき、爾余のものは捨象される。例えば、『このテーブル』や『この犬』について語るとき、あたかもそれらだけがこの世に存在しているかのように語る。ところが実際には、その犬やテーブルは実在するものであり、実在する《世界》の中で特定の時に場を占めており、その周囲のものからそれらを分離することはできない」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.377」国文社)

BGM21

「だが、思惟によってそれらを孤立させる人間は、この思惟において好きなようにそれらを結び合わせることができる。例えば、今述べたテーブルと犬とが実際には今何万キロメートルも離れているとしても、その犬をこのテーブルの下に置くこともできるわけである。いったい、実在するどのような結合力、反撥力もこれに対抗できるほどに強くはない以上、この物を分離し再び結び合わせる思惟の威力は実際『絶対的』なものである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.377~378」国文社)

BGM22

「しかもこの威力は何ら虚構の、もしくは『観念上』の力ではない。なぜならば、自己の言説による思惟において、そしてそれにより物を分離し再び結び合わせることによって人間は人為的な企図を形成し、これがいったん労働によって実現されるやいなや、所与の《自然的世界》の相貌を現に変貌せしめ、その中に《文化的世界》を創造するからである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.378」国文社)

「文化的世界」、とある。いわゆる歴史的建造物、古典文学の舞台、古い伝承、遺跡なども或る程度は含まる時もあるにはあるが、主として「文化的」なものと言う時、現実的な効力を発揮する「文化」は、「法律/経済/社会制度/諸宗教/諸民族の歴史」などである。今の日本を含む東アジア諸国では大変しばしば「文化的事業に力を入れて行きたい」というキャッチ・フレーズが一般大衆の間では受けるようだ。ところがそれは世界の中のほんの例外に過ぎない。なるほど間違いではないものの、方言あるいは放言レベルでしかない。もっと政治的経済的レベルで公然と発言される「文化」は、もちろん、歴史的建造物、古典文学の舞台、古い伝承、遺跡などといった「副産物的」なものではなく、歴史的な原動力として実質的に成立してきたもの、要するに「法律/経済/社会制度/諸宗教/諸民族の歴史」などを主軸としているし、「文化的」という言語の中心的な意味は、よほど世俗的なマスコミででもない限り、以前からずっと「法律/経済/社会制度/諸宗教/諸民族の歴史」などを主軸としてきた。事実、社会保障制度/労働賃金/教育制度/金融関連諸機関/職場の整備/裁判所など、多岐に渡っている。文化の原動力はまた同時に労働から始まるほかない。しかしそこで「文化」と聞いて、もし「テレビに映し出されている古いお城」を思い浮かべる人々がいるとすれば、残念ながらそういう人々は今後もずっと世俗的政治力の餌食として延々地下世界を這いずり廻って生きていくか、しばらくして野垂れ死ぬしかない。それでもまだ「まし」なほうであって、日本の変わった風習の中で暮らしていてはわからない、ごく普通の文化圏では、「テレビに映し出されている古いお城」をテレビで見ただけで毎月給料がもらえるわけではない、と誰もが肝に銘じて知っている。だが、なぜか日本人はそれほどにも大事なことをすっかり忘れ去ってしまって平気で笑っているようなところがある。今なおある。「お人よし」と言えば失礼に当たる。だからそうは言わない。周囲はただ黙って見ている。だが世界中でも珍しく、うまく手なずけられやすい国民に映って見えていることはもはや疑いようがない。

BGM23

「一般的に、或る実在するものの《概念》が創られるとき、このものは、その《今とここ》から引き離される。或る事物の概念は、その《今とここ》から引き離されたものとしてのこの事物それ自身である。したがって、この犬が今ここにおり、他方その概念が至る所にあるとともにどこにもなく、つねにあるとともにいかなる時にもないという点を除けば、『この犬』という概念はそれが『開示する』具体的な実在する犬と何ら変わりがない。さて、或るものをその《今とここ》とから引き離すことは、このものが一部となっている所与の時間的-空間的な宇宙の爾余のものによって一義的に限定されている『物質的』なその支えからこれを分離することである。だからこそ、このものは概念となった後に好きなように操られ『単純化』されうるわけである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.378」国文社)

「概念となった後に好きなように操られ『単純化』されうる」。個人が先にあるわけでは決してない。そのような事態はあり得ようもない。まず概念的に人間という類いの分類がなされる。その後で、ようやく「個人」という分離や割り当てが遂行でき得るのであって、その逆ではない。

BGM24

「このようにして、この実在する犬は概念として単に『この犬』であるだけではなく『任意の犬』や『一般に犬と呼ばれるもの』や『四足獣』や『動物』等々に、まったく単純に『存在』にすらなりうるのである。再度繰り返すならば、もろもろの学問や芸術や技能の根源にあるこの《分離》の威力は、《自然》がいかなる有効な抵抗もできない『絶対的』な威力である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.378」国文社)

BGM25

「主観〔主体〕」の「絶対的威力」について。別のところでヘーゲルはこう述べている。

「《真理》もまた客体に一致するところの知識として積極者である。しかし、知識が他者〔客体〕に対して否定的に関係し、この客体を浸透するものであり、従って客体の知識に対する否定性を止揚するものであるという意味では、真理はこのような自己同等性である」(ヘーゲル「大論理学・中巻」・「ヘーゲル全集7・P.75」岩波書店)


極めて俗な世間話の用語を用いて譬えれば、こんな感じ。「主体は白い。客体は黒い。そこへ主体がやって来て客体〔対象〕に対して否定的〔積極的〕に働き掛け始めた。すると黒い客体はじわじわと浸透され、遂には白い主体によって隅々まで浸透されきってしまう。否定性というのは客体〔対象〕に対して主体の側の欲望で全面的に加工しようとする(染め上げる/洗脳する)行為である。要するに、始めは黒かった客体は、次第に白い主体に浸透され尽くしてしまい、客体もまた白くなる。だけでなく、浸透された後は両方とも白い。いまや主体も客体も同時に白い。従ってどちらが主体でどちらが客体であったか、もはや見分けることは不可能になっている。さらに人間というものは主体〔否定的侵略的欲望〕であると同時に客体〔加工される側〕でもある」。だが歴史はそこで終わるわけではない。さっきまであった客体は完全に崩壊して今ではすべてが白く見えているけれども、それは同時に次の新しい主体を生じさせる契機として作用する。

BGM26

先に「個人」があるなどという論理がいかに馬鹿げた、一般大衆を馬鹿にした論理であるか。アドルノは容赦なく暴露している。

「個人などというのはたとえて言えば毛筋一本残さず根絶やしにされる時代である、というのはまだ考えが甘い。完膚なきまでに否定され、連帯を通じてモナドの状態が解消されるのであれば、そこに自ずから個体の救いの道もひらけてくるわけで、もともと個体は普遍的なものと関係づけられることによって始めて個別者となるものなのである。ところで現状はそうしたことからよほど遠いところにある。かつて存在したものが根こそぎ消滅したというわけではないのだ。むしろ歴史的に命運の尽きた個人が、生命を失い、中性化され、無力化したていたらくで引きずられ、徐々に深間に引きずり込まれていくという形で禍いが生じているのである」(アドルノ「ミニマ・モラリア・P.201」法政大学出版局)

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自由律俳句──二〇一七年三月二十二日(1)

2017年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇一七年三月二十二日作。

(1)からすの朝が早い

(2)抜け道にも爆風

(3)迷子の大人の道しるべがない

(4)だらしなく並んだ質問も応答も

(5)星の数ほど冤罪

(6)はったり不動産が売りに出ている

☞「『迷子』女は三四郎を見たままでこの一言を繰返した。三四郎は答えなかった。『迷子の英訳を知っていらしって』三四郎は知るとも、知らぬとも言い得ぬ程に、この問を予期していなかった。『教えて上げましょうか』『ええ』『迷える子(ストレイシープ)──解って?』三四郎はこう云う場合になると挨拶に困る男である。咄嗟(とっさ)の機が過ぎて、頭が冷かに働き出した時、過去を顧みて、ああ云えば好かった、こうすれば好かったと後悔する。と云って、この後悔を予期して、無理に応急の返事を、さも自然らしく得意に吐き散らす程に軽薄ではなかった。だから只黙っている。そうして黙っている事が如何(いか)にも半間(はんま)であると自覚している」(夏目漱石「三四郎・P.124」新潮文庫)


三四郎の特徴がよく出た文章。「得意に吐き散らす程に軽薄ではなかった。だから只黙っている。そうして黙っている事が如何(いか)にも半間(はんま)であると自覚している」。すぐ後で似た意味の文章が出てくる。そこでもう一度述べよう。

BGM1

「迷える子(ストレイシープ)という言葉は解った様でもある。又解らない様でもある。解る解らないはこの言葉の意味よりも、寧ろこの言葉を使った女の意味である」(夏目漱石「三四郎・P.124~125」新潮文庫)

「迷える子(ストレイシープ)という言葉」は人間一般を指して用いられる用語なので、読者としては差し当たりごく普通の意味に取っておいてよいだろう。漱石が強調しているように、ここで大事な点は、「解る解らないはこの言葉の意味よりも、寧ろこの言葉を使った女の意味である」。

BGM2

「三四郎はいたずらに女の顔を眺めて黙っていた。すると女は急に真面目になった。『私そんなに生意気に見えますか』その調子には弁解の心持がある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れれば好いと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする」(夏目漱石「三四郎・P.125」新潮文庫)

この部分は注意を要する。江戸時代ではない。むしろ江戸時代は封建社会だったためか多少なりとも「生意気」で勝気な女性は、その性格の強靭さや機転の利かせ方のセンスを買われて、逆に男性からの受けが良かったりした。かと言って、第二次大戦後の形式的民主主義国家日本でもまたない。

BGM3

三四郎の馬鹿なところをこのようなセンテンスであぶり出す手法は漱石作品に独特だ。このような馬鹿さを三四郎を通して敢えて描くことで、三四郎を通してはいるものの、その実、明治日本において始めて当然とされるようになった目に見えない「法的」な「空気」に対する皮肉や嫌味あるいは当てこすり、さらには大いなる疑問が語られている。男女関係の中で「生意気に見えますか」という質問を女性の側から引き出すことが出来れば、男性が勝利したことになる。これといった根拠も理由もなしに、なぜかそういうことになる。漱石が知っていた先進的ヨーロッパ社会では、わざとロマンティシズムに溺れる場面を演じる場合ででもない限り決してこのようなことはない。なのに三四郎は「この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た」、と考える。明治日本になって始めて生じてきた「明瞭な女」とは一体どのような「女」なのか。明治国家が設定した男性上位女性下位という社会的教義に従う限りで男性に満足を与える「女」こそが、このようなシーンでは理想的な「明瞭な女」とされるに至っていた。漱石にとっては女性は常に既に「他者」だった。江戸時代には存在したであろういつもの身近で野趣があり奔放でストレートで遊び相手としても面白い女ではもはやない。しかし漱石にとって女性が「他者」としてしか映らなくなったのは一体いつごろからだっただろうか。もちろん、明治時代半ばに二十代後半を迎えた漱石から見れば敢えて述べるまでもなかっただろう。男性にとって女性が「他者」となったのは明治国家成立以降である。その間、明治時代特有の教育を叩き込まれた世代、男女の社会的地位を含めて教育を受けた世代に特有の女性観にほかならない。この人工的な女性観は美穪子のような聡明な女性にとってはより一層拘束された苦痛として感じられたことは間違いない。日に日に増していくばかりの苦痛に耐え難さを覚え始める年頃、要するに十代半ばになり子どもを産める体になれば、早々と人生を諦めのうちに沈め込まねばならない人生観をもたらした。黎明期の資本主義的生産様式は江戸時代の日本にあった人間関係の身近さを打倒-廃棄し、しかし男尊女卑的制度を社会的政治的統治機構として明治政府へ引き継がせて打ち固めただけでなく、女性を「産む機械」として再生産させることに成功した。と同時に漱石ら一部の近代知識人から見れば、これからの明治日本はどうかしてしまいそうだ、と薄々気付いてはいた。列車の中で偶然一緒になった三四郎に向って広田先生は今後の日本の成行きについていともあっさりこう言う。「滅びるね」。実際、滅びた。陰惨なまでに自滅した。ヒロシマ、ナガサキ、オキナワへ至る大日本帝国の試練は、騒然たる誕生から壮絶な最後まで、どこか栄光の死を欲してなぜか望んでもいない死を欲し得た死へ至る過程を、すでに戦争慣れしている欧米諸国に向けて再び人体実験の機会を与える絶好の場を提供したかのように見えなくもない。

BGM4

「晴れたのが恨めしい気がする」。謎の提示と回答の提出。この繰り返しもまた漱石作品の特徴の中で特筆されるべきパターンだろう。しかし謎に関する回答が出された時には、主人公はいつもどこか何か「物足りない」気分を味わう。時間の経過が利子を生んでいく以上、謎が提示された時点よりも、より一層多くの利得が得られなければ満足できない体質。それもまた資本主義が急速に輸入されて全国津々浦々まで過激に行き渡りつつある明治日本に生まれ、その空気を存分に吸って育ってきた近代知識階級に特有の苦痛でもあった。作品「それから」にはこうある。

「彼は元来が何方(どっち)付かずの男であった。誰の命令も文字通りに拝承した事のない代りには、誰の意見にも露(むき)に抵抗した試(ためし)がなかった。解釈のしようでは、策士の態度とも取れ、優柔の生れ付とも思われる遣口(やりくち)であった。彼自身さえ、この二つの非難の何(いず)れかを聞いた時、そうかも知れないと、腹の中で首を捩(ひね)らぬ訳には行かなかった。然しその原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、寧ろ彼に融通の利く両(ふた)つの眼が付いていて、双方を一時に見る便宜を有していたからであった。かれはこの能力の為(ため)に、今日まで一図に物に向って突進する勇気を挫(くじ)かれた。即(つ)かず離れず現状に立ち竦(すく)んでいる事が屢(しばしば)あった。この現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのではなくて、却(かえ)って明白な判断に本(もとづ)いて起ると云う事実は、彼が犯すべからざる敢為(かんい)の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解ったのである」(夏目漱石「それから・P.251~252」新潮文庫)


BGM5

「三四郎は美穪子の態度を故(もと)の様な、──二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片付かない空の様な、──意味のあるものにしたかった。けれども、それは女の機嫌を取るための挨拶位で戻せるものではないと思った。女は卒然として、『じゃ、もう帰りましょう』と云った。厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものと諦(あきら)める様に静かな口調であった」(夏目漱石「三四郎・P.125」新潮文庫)

子どもはしばしば女性を困らせる。それも無意識的に困らせる点で顕著である。ここで三四郎が空想している内容もまたその類いに属する。「美穪子の態度を故(もと)の様な、──二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片付かない空の様な、──意味のあるものにしたかった」、とある文面が何より痛烈にそのことを物語っている。漱石の筆は容赦なく三四郎の子どもっぽさを暴露して止まない。そして一旦、本当に一旦だが、美穪子は「三四郎にとって自分は興味のないものと諦(あきら)める様に静かな口調」を取る。

BGM6

「空は又変わって来た。風が遠くから吹いてくる。広い畠の上には日が限って、見ていると、寒い程淋しい。草からあげる地意気(じいき)で身体は冷えていた。気が付けば、こんな所に、よく今までべっとり坐っていられたものだと思う。自分一人なら、とうに何処かへ行ってしまったに違いない。美穪子も──美穪子はこんな所へ坐る女かも知れない。『少し寒くなった様ですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。然し気分はもうすっかり直りましたか』『ええ、すっかり直りました』と明かに答えたが、俄(にわか)に立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、独り言の様に、『迷える子(ストレイシープ)』と長く引っ張って云った。三四郎は無論答えなかった」(夏目漱石「三四郎・P.125~126」新潮文庫)

三四郎は世間話のほうへとことん逃走を試みている。もう一度「猶予」を得たいのなら、「こんな所に、よく今までべっとり坐っていられたものだと思う」などと考える必要はない。いつまでも坐っておればすぐにでも「猶予」は訪れる。だが子ども過ぎる三四郎はもう逃げることしか頭にない。ところが、三四郎のその逃走する背中へ向けて美穪子はわざと糸を引くように、「『迷える子(ストレイシープ)』と長く引っ張って云」うのだ。美穪子の態度には裏もなければ表もない。ただひと言「あなたと私はもしかしたら同類なのではないですか?」と、公然と問い掛けているのである。三四郎の意識の動きは美穪子には手に取るようにわかるのだ。腹の底の底まで見透かされ見抜かれている。美穪子に対する三四郎の苦手意識は、美穪子のような相手を「苦手」としているからやって来るわけでは全然ない。むしろ「知っていること」からやって来る。意識の内部を自分自身よりどんどん速くずばずばと計算されてしまう恐怖が、聞くのを待ってからではなく、体の内部から先に湧き上がってくるのだ。三四郎のプライドは実に高く実に甘いと言わねばならない。

BGM7

次のセンテンスは冗談まじり。が、男女関係の中で冗談の時間が果たす役割は見逃せない。両者は何らかの冗談を演じて両者の間合いを計ろうとするのが常だが、冗談といえどもそれが言語である以上、人間の側は常に冗談の上を越えることはできない。言語の先へ向けて時間を追い越すことはできない。その意味で人間はいついかなる時も、冗談なら冗談の下で、またその限りでのみ、冗談を繰り延べたり断ち切ったりしながら冗談の範囲の拘束に耐えなければならない。その範囲で両者は両者の関係をもたもたと押し進めるほかない。

「美穪子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角を指して、道があるなら、あの唐辛子の傍を通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺の後に果たして細い三尺程の路があった。その路を半分程来た所で三四郎は聞いた。『よし子さんは、あなたの所へ来る事に極ったんですか』女は片頬で笑った。そうして問返した。『何故御聞きになるの』」(夏目漱石「三四郎・P.126」新潮文庫)

なお、ここで再び美穪子の得意技が炸裂している。「『何故御聞きになるの』」。三四郎は弄ばれているわけだが、美穪子は三四郎を弄んでやることでまたまた「猶予」を与えている。美穪子は余りにも忍耐強い。それほど優位に立っている証拠でもあるわけだが。また同時にこの余裕は作者=漱石の余裕でもある。

BGM8

「三四郎が何か云おうとすると、足の前に泥濘(ぬかるみ)があった。四尺ばかりの所、土が凹(へこ)んで水がぴたぴたに溜(たま)っている。その真中に足掛りの為に手頃な石を置いたものがある。三四郎は石の扶(たすけ)を藉(か)らずに、すぐに向うへ飛んだ。そうして美穪子を振り返って見た。美穪子は右の足を泥濘(ぬかるみ)の真中にある石の上へ載せた。石の据わりがあまり善くない。足へ力を入れて、肩を揺(ゆす)って調子を取っている。三四郎は此方(こちら)側から手を出した。『御捕(おつか)まりなさい』『いえ大丈夫』と女は笑っている。手を出している間は、調子を取るだけで渡らない」(夏目漱石「三四郎・P.126」新潮文庫)

さて、あたかも下手な「ポルノ小説」のような描写が挟み込まれる。二人の間に「泥濘(ぬかるみ)」があり、そこは「土が凹(へこ)んで水がぴたぴたに溜(たま)っている」。さらに美穪子の姿勢だが、「足へ力を入れて、肩を揺(ゆす)って調子を取っている」。十代の中学高校生が読めば説明するまでもなく男女の性行為の一つ(騎乗位)にしか思われないに違いない。実際、読書においてはそのような官能性を読み取ることは十分可能であり容易いのだが、問題は、二人の登場人物のためだけに、親切にも漱石がわざわざこのようなシーンを設定してやった理由である。

BGM9

「三四郎は手を引込めた。すると美穪子は石の上にある右の足に、身体の重みを託して、左の足でひらりと此方側へ渡った。あまりに下駄を汚すまいと念を入れ過ぎた為め、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに腰が前へ出る。その勢で美穪子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。『迷える子(ストレイシープ)』と美穪子が口の内で云った。三四郎はその呼吸(いき)を感ずる事が出来た」(夏目漱石「三四郎・P.126~127」新潮文庫)

「泥濘(ぬかるみ)」、「水がぴたぴたに溜(たま)って」。さらにそこを一挙に移動して男の元へ飛び込んで行く。その意味ではなるほど美穪子もまた「水の女」ではある。それにしても不可解な、一挙に演じられるばかりか、まず失敗することのないこの「飛躍」。明治時代の日本でこのような「飛躍」が可能だったのはなぜか。文化的側面では男女関係を含む「交換体系」全般の全体主義化の進行があり、経済的な機構では資本主義的生産様式が全国に広く行き渡っている限りで始めて可能になった「近代」という新しい社会編成があった。だから江戸時代にこの種の「飛躍」などなかったに違いない。その意味で男女の恋愛の形態もとうに江戸時代に見られたようなものではなくなっていただろう。というより、江戸時代の風物そのものが完膚なきまでに、ものの見事に終わっていた。断片的にではあれ、言葉遣いや服装や宗教などは見た目だけはなるほど残って見えてはいた。しかしそのいずれもが、明治以降、それまでは有効だった意味をすっかり切り刻まれ取り換えられたことは論を待たない。さらにしばらくして「無意識」の発見がここに加わってくる。この流れに抵抗した勢力は西南戦争を大きな節目として軍事的大敗北を喫した後に、資本主義社会の鉄の掟の足元にひれ伏さなければ生きていくことすら許されない近代軍国主義日本へと転向した。フーコーの言う歴史の「断層」は既に深く刻み込まれていたのである。美穪子が「迷える子(ストレイシープ)」は「お互いさまなのでは?」と問い掛けた時、余りにも子どもじみた三四郎に、一体、実のある何をどう答えることができただろうか。作品のところどころで描写されるどこか気怠(けだる)げな美穪子の態度を見るに当たって、三四郎を評して「諦め/失望/誤ち」を真正面から指摘するかのような態度のように見える、と言われることが少なくない。けれどもその理由を述べようとすれば、明治日本社会のどこへでも急速に行き渡りつつある資本主義的黎明期に顕著な、近代知識人の漠然たる不安感情を抜きにしては論じることができない。勿論、知識人ゆえの特権的な不安ではない。学者なら誰でもこの種の不安を感じ取ることができたか。まったくそうではない。逆なのだ。学問を少しでも齧った知識人のみに限られた特権的な意識ではなく、この種の不穏さを胎動させた得体の知れぬ空気を敏感に嗅ぎ付ける嗅覚を獲得していた人間だったからこそ、特定の知識階級の中のごく一部の人々に限らず、彼ら彼女らは近代人たり得たのだ。そして近代人たり得ることは何を意味したか。刻一刻と深く濃くなっていくばかりのただならぬ社会の空気の中で、空気の急変と身を共にしつつ、しっかりと地面の上に立っているということはもはや不可能だと知った人間に特有の不安感情を常に内在化させて生きて行くほかない立場へと暗黙の裡に拘束されてしまっているということを意味した。そしてそのことは同時にほとんど間違いなく、「諦め/失望/誤ち」に満ちた暗澹たる事態への直面化を余儀なくされた、ということでなければならなかった。

BGM10

前回、ドゥルーズ&ガタリから次の部分を引用した。

「公理と、現実の生きた流れのあいだには、基本的な違いがつねに存在している。公理は、制御と決定の中心に流れを従属させ、その一つ一つに切片をあてがって、その量を計測する。しかし生きた流れの圧力、流れが課し、強いてくる問題の圧力は、公理系の内部において作用しなくてはならない。全体主義的縮小に対して闘争するためにも。公理の付加を追い越し、加速し、方向付けてテクノクラートたちの倒錯を妨げるためにも」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.226~228」河出文庫)


BGM11

「現実の生きた流れ」、とある。説明などいらないという人々がいる一方、一体全体なんのことやらという人々もいる。個人的なことを言うと、周囲には両方ともいるが、その間に位置する人々、「わかるようなわからないような」人々となると余りにも多い。多過ぎる。次のセンテンスも参照。

「分裂者については、こういえる。かれがたえず移り歩き、さまよい、よろめき続けているその頼りない歩みからいって、かれは、自分自身の器官なき身体の上で社会体を果てしなく崩壊させながら、たえず脱土地化の道をどこまでも遠くへとつき進んでゆくひとなのだ。恐らく、あの分裂者の散歩は、みずから大地を再び発見し直すかれ自身の独自の仕方なのである、と。分裂症患者は、資本主義の極限に身をおいているのである。かれは、資本主義に内属するその発育の衝動であり、その剰余生産物であり、そのプロレタリアであり、それを殺戮する天使である。かれは一切のコードを混乱させ、欲望の脱コード化した種々の流れをもたらす。実在するものは流れる。<《過程》>の二つの様相が再び結ばれる。〔欲望する生産の〕形而上学的過程と社会的生産の歴史的過程とが。前者は、自然の中にあるいは大地の核心の只中に住まう『ダイモン』にわれわれを触れさせる、あの形而上学的過程であり、後者は、社会機械が脱土地化するのに応じて、欲望する諸機械の自律性を回復させる、あの社会的生産の歴史的過程である。分裂症とは、社会的生産の極限としての欲望する生産にほかならない。したがって、欲望する生産が現われるのは、またこの生産と社会的生産との体制の相違が現われるのは、最後においてであって、最初においてではない。一方の生産と他方の生産との間には、実在の生成というひとつの生成の運動があるのみである」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.50」河出書房新社)


「分裂症患者」の特徴とは何か。社会の体系を失してしまった人々。体系に囚われる必要性がない。体系からはずれてしまっている人々。社会に存在する様々な境界線を越えているのか越えていないのか、自分でもよくわからなくなっている人々。だからといって、資本主義社会に対抗するために「分裂症患者」を対抗させるわけでは何らない。

BGM12

資本主義的生産様式もまた極めて「分裂症的」な動きを取る点で共通項を多く持っている。両者は大変似ている。だが違う点があり、そしてこの違いこそ、両者が決定的に違っている点だとドゥルーズ&ガタリは強調するわけである。どちらが「偉い」とか「偉くない」とかいう問題ではない。資本主義は自らの限界を設定したり壊したり再設定したりと資本の要求を常に欲望として実現させようと計る。一方、「分裂症患者」は資本主義社会の限界まで一人歩きしたりするが、知らず知らずのうちにその極限に身を置くことしか知らない。資本主義は自ら公理系を付け加えたり捨て去ったりする。しかし「分裂症患者」は自ら公理系など何一つ創設しようがなく、社会的に操作する側ではなく、逆に操作される側に位置する。脈略なく動き回るために資本の運動と似ているように見えるのだが、資本のように自ら意図的に分裂症的な言動を繰り返して一般大衆を煙に巻いているわけではまったくない。問題は、資本の側に身を置きながら、たくさんのことを理解できているのにまるで理解できていないかのように振る舞って見せている人々=とりわけ「公的人間」なのだ。

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自由律俳句──二〇一七年三月十八日(3)

2017年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

音楽コーナー。

「YOUNG GUITAR2017年4月号」(シンコーミュージック)


P.148~153。「極悪アーミング・スクール」。その後半。Ex-9:多分、譜面だけ見ても何のことかわかんないでしょう。タブ譜だけだともっとわかんないと思うよ。実演を見るしかないでしょうね。解説(横山裕吾)にあるように「余弦ミュート」を確実に。アーミングは効果が大きければ大きいほどノイズもぐわ~んと出やすいので、気を配ってね。さらにアーミングのタイミングに注意していれば自然に気付くと思われますが、アーミングに気を取られる余り、スライド時の移動速度が甘くならないように気を付けよう。細かいけど大事ですね。

BGM27

Ex-11:懐かしいなあ。解説(横山裕吾)にもあるけど、ベックの十八番です。でも当時(七十年代後半)に知った時の記憶では、個人的にはそれほどびっくり仰天ってほどじゃなかったのですよ。テクニック以前に「チューニングが!」とか「弦が切れたらもう今月の予算が!」とか、そっちのほうがよほど心配だったという十代ならではの思い出があります。

BGM28

Ex-12:YG読者にとっては軽いかも。注意点は、映像で確認できるようにアーム操作の仕方。「右手」じゃなくて「右腕の内側」です。K-A-ZはTシャツ着てるのできっちりアーム・コントロールしてるよね。長袖の場合はアームがすべってしまって時々「ぽか」やってしまうことがあるので注意しよう。でも上達してきたら振袖も勿論ありです。

BGM29

Ex-13:ジミ・ヘン!のようにも思えるんだけど、より一層歯切れの良さを意識して工夫した形跡がうかがえます。開放弦のアーム・アップ&ダウンはしっかりとね。でないと、各小節の2拍、4拍のアーミング効果が活きてきません。開放弦の使い方って意外と難しくてね、なんかギターを風呂につけてでもいるかのような間延びした音を出してしまってはいけないんですよ、基本的に。パロディでやる時は別として。ともかく、緊張感を途切れさせないように工夫したいですね。

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Ex-14:リフですが、同時にエクササイズ向けかな。1~2小節目はアーム・ダウン。3~4小節目はアーム・アップを用いて変化を付けている。そうすることでスリルも増しています。Ex-15:リフなんだけど、弾き手としては、一体自分は今何をやっているのかちゃんと意識して弾けるようにしましょう。先にリフのメロディ・ラインを覚えてしまうのが早いかな。ドライヴ感十分なところなんかは、ロックの原点を思い起こさせる格好良いリフでもあるし。

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Ex-16:トレモロ・ユニット本体を叩く。というか、ユニットをギターの内側へぐいと押し込んで同様の効果を得るトリッキーな方法。右手の手刀部分を使うので、なんで音程がくねくねしてるのか、一見しただけではわからない。ライヴの場合、もちろん観客側からは見えない。Ex-17:クリケット奏法2種。(a)と(b)がある。どちらも「粘り」を出したいエクササイズ。で、「粘り」ってことで言えば、Q.C(クォーター・チョーキング)。各小節2拍頭ですね。K-A-Zはそのすべてでしっかり入れてるみたい。そもそもロック・ギターでは往年の基本テク。これがあるとないとでは大違いなので、この際きっぱり覚え込んでしまおう。フィーリングはね、各自の好みで良いと思うよ。センスとも言う。

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Ex-18:2小節目3拍で出てくるハーモニクス・ポイントは、その他のポイントと位置が異なるので、よく注意して慣れてしまいたいですね。そして「デモ演奏♯2」。必聴、と言っても良いのでは。「スティーヴ・ヴァイ+マイケル・シェンカー+ジェフ・ベック」に、ちょっぴりイングヴェイっぽい上昇フレーズを振りかけたという印象ですが。それにしても良い音が出てるんだよね。そこらへんは機材の使い方も含めてやっぱり流石だなあと感心しきり。

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