私訳 ラームチャリットマーナス

中世ヒンディー語の宗教詩人、トゥルシーダースの、「ラーマーヤナ」の私訳。

キシュキンダーの巻 16

2024-05-03 17:55:10 | ラームチャリットマーナス
161 ラクシュマナよ、見なさい。今や雨季が過ぎ去り、この上なく美しい秋となった。白く開花したワセオバナが、地面全体を覆っている、まるで雨季がワセオバナという白髪によって、自分の老年を現出しているかのように。


162 アガスティヤ星が昇り、路上の水を吸い込んだ、ちょうど知足が欲望を吸収するように。川や池の清らかな水は美しく、まるで自惚れや迷妄を去った、聖人の心のように。


163 徐々に川や池の水が乾いていく、ちょうど賢明な人が「わが物」という意識を放棄するように。秋になったのを知り、ハクセキレイが飛来する、ちょうど、しかるべき時に、人に善果が現れるように。


164 泥も埃もない、大地が美しい様は、まるで政策に通じた、王の行為のようである。水が少なくなって、魚が動揺している。ちょうど愚かな、家住期の者が、金がなくて動揺しているみたいである。


165  雲のない、清らかな空が、美しい様は、まるで、あらゆる願望を捨て去った、ヴィシュヌ神の僕のようである。所々で、秋の雨がわずかに降る、ちょうど、わたしへのバクティを得る人が、ごくわずかであるように。


16do 秋になって、王、苦行者、商人、乞食が、喜び勇んで、都を後にする、ちょうどヴィシュヌ神へのバクティを得て、四住期にある者たちが、様々な面倒なものを捨て去るように。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿