日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

裸のある光景 ー久保裕子 人魚の石文鎮ー

2017-03-10 | Weblog
裸、すっぽんぽん ヌード
同じようでいて、同じじゃない言葉の羅列。

日本酒の銘柄に「すっぽんぽん」といういささか衝撃的なネーミングがあって、どうしてか人類ちゅうのは幼き時分よりシモ系の言葉に異常に反応するのか?というお題目すら思い出すこの状況。

目の前にはガラスの文鎮。


ついに久保裕子さんの 石文鎮を手に入れたのだ。
倉敷意匠アチブランチの別注品、限定の人魚が泳ぐ石文鎮 海色。
川やら池やら淡水の風景を切り取った石文鎮は白いのだけど、海を切り取ったこの石文鎮は海の水色をしている。


以下、倉敷意匠のカタログより
分室カタログ7「裸のある風景」は、2012年に発刊いたしました分室カタログ5「生きものをめぐる22人の作り手たちの物語」の続編としてのカタログとなります。前回の「生きもの」に続く今回のお題は、「ハダカ」です。
このお題を各作家がをどうとらえ、何を表現したか、各ページをお楽しみいただきながら、皆にとっての永遠のテーマであろう「ハダカ」に思いを寄せてほしいと考えたカタログです。


手に入れたのは裸をテーマに久保裕子さんが創り出した人魚が泳ぐ石文鎮のある光景。
確かに、裸のある風景。
裸もある情景。
なんだかハダカっていうことばを聴くとドキマギしちゃうのは三つ子の魂ってやつであって、生き物からハダカに続くお題選びは秀逸で、さて次がどう繋がるのかが気になるところ。
生き物であるが故の裸好きだとすると行き着いた感がしないでもないけど、ハダカをテーマに創られた石文鎮に添えられた文章をよむと、つながってがっている先の何かを知ることができるような。


久保裕子さんの
人魚の石ぶんちん
以下、倉敷意匠のHPより商品について。

川上弘美の小説に「離さない」という短編があります。
久保裕子さんの石ぶんちんを見ていちばんに、
それを思い出したのです。
ある日、海で拾った小さな人魚を自宅に持ち帰り、
浴槽に離すとぐるぐるとひたすら泳ぎ続けるのですが、
眺めているうちになんだか離れがたい気分になってきます。
日が経つほどに側にいる時間が長くなり、
やがては、食べることも仕事に行くこともおっくうになって、
じっと浴室に閉じこもったまま人魚を眺め続ける日々となってしまいます。
まるで魂を吸い取られるように、
人魚に深く引きつけられてしまうという話です。

久保さんの可憐な石ぶんちんに、
この人魚のような恐ろしさなどないのは言うまでもありません。
しかし、ガラスの透明性がそういう気分にさせるのか、
気持ちが吸い込まれていくという感じはたしかにあるのです。
石ぶんちんを手に持って光にかざすと
ガラスの中の魚たちは水面の凹凸に屈折して
きらきらとヒレをなびかせ、
まるで本当に泳いでいるかのように見えます。

光は、ガラスの身体中に吸い込まれ、折り曲げられ、蓄えられて、
やがて、さらなる輝きを放ちながら吐き出されます。
そのあいだも、ただじっとしているだけの透明のかたまりは、
優しげに人の心を揺さぶりながら、
握り取った心を決して離さない力強さを秘めています。

それをいま一度確かめたくて、
「久保さん、人魚の石ぶんちん作ってください。」とお願いしたのでした。




生き物、ハダカ、物語。
小さな石文鎮の中を覗き込むと、今のあたしとは違う時間が漂っている。
いっときを俯瞰するような、盗み見るような不思議な感覚。
これは物語と同じなのだなあ。
小説などは文字を媒介として他の時間とつながることなんだと思うけど、久保さんの小さなガラスのオブジェもこの役割を果たしてくれるような気がするのだ。


裸のある風景が物語ある風景に置き換わった瞬間、その文鎮を手に取り、歩き出した。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする