黒鉄重工

プラモ製作、旅行記執筆をやっています
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【ノンスケール】RMSタイタニック【ギャラリー】

2024-09-14 22:54:01 | 模型ギャラリー
キット:ロイヤルメールシップ タイタニック(モンモデル)

タイタニックは1911年に進水したイギリス、ホワイト・スター・ラインの大洋航路船です。1912年処女航海中の氷山との衝突で沈没した悲劇的な事故により、極めて知名度の高い客船となってしまいました。あとは1997年の映画「タイタニック」のヒットもありましょう。
何年か前に「タイタニック」が地上波で放送されたのを見てからプラモデルを作りたくなったので、次の日に買いに行ってその日に作り始めました。

 

タイタニックのプラモデルはいくつもあります。お店に買いに行った先にあったのがモンモデルのデフォルメキットでした。すぐに完成させるのにもちょうどいいと思い、これにしました。


成形色にて色分け済みなので、船体などは塗装しないまま組み立てています。塗装は煙突、マスト、甲板、スクリューなど色の足りないところや塗り替えるほうがいいと思ったところだけに留めています。


船体のストライプとスクリューは金で塗装するほうが見栄えがいいです。


タイタニックの一番うしろ4本目の煙突はダミーという逸話があります。煙突が多いほど美しくて高性能という価値観があったみたいです。このキットでは4本目の煙突の排気口だけ形状が変わっていて、デフォルメキットと言えど芸が細かいです。


ちなみにRMSというのは、ロイヤル・メール・シップ (Royal Mail Ship) のことで、イギリスの郵便事業者ロイヤル・メールとの契約で郵便物輸送をしていた船に付けられる接頭辞です。





以上、RMSタイタニックでした。


 
 
 

【モンモデル】RMSタイタニック号【プラモデル製作】

2024-09-12 22:47:56 | 艦船模型製作記

何年も前ですが土曜洋画劇場で映画「タイタニック」(1997年)の放送があったんです。久しぶりに見たので盛り上がってしまって、タイタニック号のプラモデルを作りたくなってしまいました。そういえばいつも通っている模型店にあったなあと思い出して、翌日買いにいって作ることにしました。
タイタニックは極めて知名度の高いモチーフであるので、プラモデルもいくつもあります。これは中国のモンモデルが発売しているタイタニックです。ハセガワのたまごひこーきやバンダイのSDガンダムのような、丸っこくデフォルメされた形状です。まあ、初心者向けということですね。

 
 

成形品は色分けされていて、組み立てはスナップフィットです。


船体の部品ですねー。


煙突なんかはスライド金型で抜いていて、一体化されています。
色分けされていますしさくっと完成させたいので、成形色を活かしながら組み立てようと思います。


基本的に塗らないよといったそばからですが、タイタニックの煙突はオレンジ派なのでここは塗ります。


舷窓も華やかな満艦飾(?)を出すために黄色で塗ってみました。
はみ出したところは溶剤で拭き取っちゃえばOK。


甲板はタンで塗ります。


船体は鉄板を貼り合わせて建造された形状がうまいぐあいに再現されていて程よい密度感です。
スクリューは金色で塗ります。


金属線で張線も張ります。お手軽に作るはずが思わず手が込んできてしまいました。


線の張り方はパッケージを参考にしました。


そんなこんなで完成です。自分のやりたいところまで好きにやればいいのがこういうキットのいいところです。


張線のおかげでデフォルメキットに似合わず密度を上げることができました。やったね。

完成品はギャラリーにて。

 
 
 

九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その18【2018/9/19~23】

2024-09-06 21:12:40 | 旅行・イベント記
2018年9月21日(金) 14時48分
鹿児島県姶良郡湧水町 JR吉松駅
肥薩線の観光列車「いさぶろう」号の終点、吉松駅へ着きました。さっきは宮崎県にいましたがすぐに抜けてしまい、もう鹿児島県に入ってしまいました。
肥薩線はこの先も隼人駅まで延びている他、吉都線が乗り入れています。矢岳越えの南側の拠点としてかつては機関区もある大きな駅でした。


吉松駅では列車を乗り換えるだけですが、待ち時間の間にどうしても見ておきたかった物が駅前にあるので、急いで一旦改札の外へ。それとは、駅前に保存されているC55形52号機です。実は吉松駅にはかつて2010(平成22)年に乗り換えで立ち寄ったことがありました。その時もC55を見に行ったのですが、すでに夜中で辺りも暗かったため実物は見れたものの写真撮影はできずに悔しい思いをしました。そのリベンジができる日が来たのです。

C55形は、1935(昭和10)年から1937(昭和12)年にかけて62機製造された亜幹線用のテンダー蒸気機関車です。一時、流線型の覆いを装着してスピード野郎を狙っていた頃もありました。あの頃は若かった・・・。
C51の後継機で、ひとつ前のC54が攻めた設計をした反省が取り入れられています。その割に生産数が少ないのは、早々にC57の生産に切り替えたからです。
スタイルでいえば鉄道省の制式機の中ではスマートさと力強さをうまく兼ね備えた素晴らしい形状で、一番好きです(流線型のアレを除く)。


あの時も感じましたが、ここのC55は状態が良いのです。今もほぼ変わらぬ状態を保っているのには当時以上に感動します。再び会うことができて本当良かった。とはいえ乗り換え時間短いのでやや慌てながらの観察です。


これの説明看板にも書かれている通り、スポーク車輪が大変魅力的です。さらにロッドには油が差されていて地金が出ています。ロッドがこういう状態だとよく手入れされている機関車だとわかる指標のひとつとなります。

ちなみに、おなじいさぶろう号に乗っていた乗客の1組がこのC55を見て「C55と比べると矢岳駅のD51はぼろぼろだね」みたいなことをつぶやいていました。私は矢岳のD51も状態は良好だと見受けましたが、塗装の表面状態は確かに荒れていました。そこがその乗客たちの評価の分かれ目だったと思います。
これは結構示唆に富んでいると思っていて、大抵の場合街や公園の保存車両の評価を下すのは鉄道オタクではない行政担当者や市民であるので、見た目の状態は案外重要なのです。構造が別に問題なく再塗装すれば元の姿を取り戻すような車両でも、見た目が悪いばかりに廃棄処分されてしまう事例は挙げられるでしょう。逆にとれば、とりあえず見てくれさえ良ければ素人の目は誤魔化すことができるとも言えます。まずは見た目をきれいにして、その後目に見えにくい部分の問題を直していけばいいのかもしれないですね。


この個体は1937(昭和12)年3月14日、汽車会社製。初めは小郡機関区に配置され、糸崎、鳥栖、大分、宮崎、若松、吉松、鹿児島を転々として1974(昭和49)年4月26日廃車。翌年1月14日に吉松まで無火回送されて、ここに静態保存されたのだと思います。
設置理由は書かれていませんでしたが、いつもの教育目的での国鉄からの無償貸与だと思います。機関区のある町でしたから、吉松に在籍歴のある機体を選んできたのはグッドですね。C55というのも渋くて良いです。吉松在籍時は肥薩線の吉松~西鹿児島と吉都線全線で運用されていました。


スタイル抜群です、はい。トミックスのNゲージが出たときは買いましたからね~。


キャブにも入れます。どのハンドルがどういう役割をしているのかが分かり、ありがたいです。計器類も揃っているみたいで、これすごいね。


石炭投入口の蓋が赤いのも現役の再現?
とにかく、吉松駅のC55は必見です。ぜひ行ってみよう。


そろそろ時間なので急ぎ吉松駅に戻ります。駅舎はこんな感じで地方拠点の鉄筋コンクリート造の駅舎を地で行っています。


改札内へ再入場して跨線橋を渡っていると、次に乗る列車特急「はやとの風」が出発待ちでした。発車まで残り数分なので駆け足です。


「いさぶろう・しんぺい」と「はやとの風」それぞれのキハ47形が並んでいる光景です。こういうのがいいんですよ、こういうのが。


第29走者:JR肥薩線・日豊本線特急「はやとの風」3号鹿児島中央行(キハ40系)吉松15:01→鹿児島中央16:44
それでは「はやとの風」に乗ります。2004(平成16)年、九州新幹線の部分開業時に肥薩線用に、一般用のキハ40系を観光用に大改造して特急列車用に仕立て上げてできた観光特急です。それまでの観光列車は快速列車主体でしたが、特急扱いにして特急料金を巻き上げるようになったのはこのあたりからだったような記憶です。知らんけど。
「はやとの風」はすでに走っておらず、車両は西九州新幹線開業に伴う観光列車のために召し上げられてしまいました。今の肥薩線は線路は不通だし観光列車も走らないし、一時期よりもさみしくなってしまいました。


特急料金を取るので、座席は回転式リクライニングシートです。車体の改造は例によって水戸岡鋭治によるもの。木目調の内装にこの木材の薄い座席です。やっぱり枕や座布団が薄いんですよね。


とはいえ、車内に入った時に感じる高揚感とか非日常感とかそういう演出はうまいんだよなと。


最初の停車駅、大隅横川駅に停まりました。約5分間停車するので外に出てみます。


反対側に吉松行のキハ47形が停まっていました。


大隅横川駅の駅舎。やはりこの地域は明治時代に建てられた駅舎の宝庫でありますな。


ほおずきが干されていました。こういうのは季節性や人間の営みを感じさせるので、駅舎が生きているものと認識できるのでいいですね。


三和土の床、角材の柱、土壁と、間取りは駅舎のそれですがそれよりも古民家の土間を感じさせる内装です。


大隅横川駅は1903(明治36)年開業で、駅舎は開業時のものが現存しています。太平洋戦争中は米軍の空襲や機銃掃射にも見舞われましたが生き残っている幸運な駅舎なのです。
5分間だけではちっとも堪能できませんでした。またゆっくりと来ます。

というところで今日はここまで。


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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その17【2018/9/19~23】

2024-09-05 06:46:00 | 旅行・イベント記
JR肥薩線の観光列車「いさぶろう・しんぺい」の「いさぶろう」の方に乗って人吉駅へ向かっています。
各駅停車の観光列車なので、大畑駅の次は矢岳駅へ停まります。ここも当時物の駅舎が残っています。


広い待合室ですねー。


国鉄時代に建てられた駅舎とはなんとなく造りが違うような気がします。


さて矢岳駅といえば、駅の隣に建っている「人吉市SL展示館」です。ここにはD51形170号機が静態保存されています。いさぶろう号の停車中に合わせてここを開けてくれていて、停車時間の間に見学することができます。
なんでこんなところに・・・という感じもします。ちなみに、矢岳駅へ繋がる道路は隘路なので鉄道車両の陸送は難しそうです。なので矢岳駅までD51を走らせてきて、クレーンか何かでここへ移動させたのだと思います。


D51形170号機。1939(昭和14)年製造。九州に来たのは1945(昭和20)年で、そこから1972(昭和47)年の廃車まで熊本周辺で運用されました。
廃車後は人吉市が国鉄から無償貸与を受けて矢岳駅で展示。なので施設の管理運営は人吉市ですが、国鉄OBの方々がよく手入れをしてくれているので良好な状態を保っています。
ちなみにいまはD51だけですが、かつては8620形58654号機も隣に静態保存されていました。そう、SL人吉号として走っているハチロクと同じです。はじめここに保存されていた物をJR九州が胴体復活させるために引き取ったのです。
今は58654号機は現役を退いてしまいました。機体は人吉市に譲渡されて元の鞘に収まる形となりました。人吉駅の機関庫に置かれるようですが、かつては同じ屋根の下で過ごしていたデゴイチとハチロクが離れ離れなのはなんだかもどかしい感じがしますね。


良好な状態を保っていると評判のデゴイチですが、ちょっと表面が荒れているのが気になります。足回りには油が差されていて、見た目ほど悪いようには見えませんでした。でも時期は不明ながら今は国鉄OBの手入れが入らなくなった噂もあります。
ここの機関車に限らず、国鉄OBが手入れしていた蒸気機関車はOBの高齢化でなり手不足に陥っているような物が増えている印象があります。もちろん手入れの継承ができているところもありますので、そういう機関車が増えてくれるといいですね。


駅へ戻ってきました。1面1線ホームですが右手には平場が広がっていて、往時の構内はもっと賑わっていたのが想像できます。


水飲み場。これは近年のものっぽいですかねえ。
標高536.9mは肥薩線内最高地点で、人吉駅からえっちらおっちら登ってきた列車はここを境に下り勾配になります。


朝顔形手水鉢。奥には貨物ホームもあります。SL時代の香りです。


矢岳駅を出発するとすぐに矢岳第一トンネルに入ります。いわゆる矢岳越えの区間で、トンネル入口のあたりで熊本県から宮崎県へ入ります。矢岳第一トンネルは2,000mを超える長さで地盤も弱く、難工事だったと言われています。「いさぶろう・しんぺい」号の名前は、矢岳第一トンネルの両側に掲げられている扁額に揮毫した山県伊三郎、後藤新平に由来するのです。
矢岳第一トンネルを抜けると、日本三大車窓のひとつとして知られる矢岳越えの景色が広がります。雨も深々と降る天気だったので手前しか見えませんでしたけど・・・。次の宿題にしようと思っていますが、肥薩線は不通になってしまいました。また乗れる日はくるでしょうか。


最期の途中駅、真幸駅が見えてきました。ここもスイッチバック駅です。駅構内がカーブを描いているあたり、平地の確保に苦労したと感じられます。


真幸駅に着きました。


ここも広い構内付き駅舎です。


のんびりしていていいです。


真幸駅というのは縁起の良い字をしているので人気があるようです。みんな自動車で来るんですけどねー。


待合室はちょっと狭い。


待合室にはねこちゃんが住んでいました。


漆色のキハ47は案外矢岳の新緑と合っていて、いい景色を作り出しています。車両転用に伴ってこの列車が無くなってしまったのは惜しいですね。
では、終点人吉駅へ向けてラストスパートです。

というところで今日はここまで。


その18へ→



北米project 5 ~How do you like Canada? その48【2016/6/15~22】

2024-09-01 21:18:30 | 旅行・イベント記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。引き続きブッシュプレーンを見ていきますよ。
これはユンカース W 34f/fi (Junkers W 34f/fi) です。1926年初飛行。ドイツ製ですね。
定員8名(うち乗務員2名)の軽旅客機で、安定した飛行性能と高い頑丈さがブッシュプレーンに適しており、1930年代のブッシュプレーンの最高峰と評価の高い機体です。ただし全金属製の機体とドイツの重い関税のため機体価格が高く、カナダに輸入されたのは9機だけでした。
この個体は1931年製で、翌年カナディアン航空に納品。何度か所有者を変えたあと、最終的にカナディアン航空創業者婦人のもとに行き着きました。1962年に当館へ寄贈されています。このときブリティッシュコロンビア州から当館まで自力で最終飛行してやってきています。博物館入りするために自力飛行してやってくるというのは、こっちでは珍しいことではないですね。たぶん陸上輸送のほうがお金がかかりそう、というのもあります。



当時のユンカース機らしいコルゲートの入った全金属製ボディです。このボディを見たのは初めてだったかも?ちょっと感動しますよね。ブッシュプレーンのはずですが低翼機です。たぶん最初からブッシュプレーンとして開発されていなかったからだと思いますが・・・。
ちなみに機体の周りには小道具が置かれていて、ブッシュプレーンとはなんぞやという演出に機体ともども使われています。


ユンカースで運ぶんだろう物資ですね。この時代に段ボール箱は無いので、当然木箱です。こういうのもあって当時材木の需要は高かったわけです。


サムソン・モデルMというトラクターです。物資をここまで運んできたのかな?


機体は何をされているかと言うと、フロートの横についている車輪を外しているご様子です。そして、その横にあるスキー板へ履き替えようとしているみたいです。
車輪を浮かして取り外すためにホイストで機体を吊り上げています。


エンジンのある機体前部が重心近くなので、そこを持ち上げるほうが良いということでしょう。


車輪を取り替えているパイロットのジョー(仮名)です。一人でも交換作業ができるのが汎用性の高さに繋がっているのだ、という展示なんでしょうかの。


横に置いてあるスキー板です。これを履けば雪原で離着陸できるのです。というか冬季だとカナダ北部の辺境の湖は全面結氷するでしょうから、離着水できないんだと思います。


何年もの間ず~っと機体の横で「車輪が外れない・・・」と困って固まっているジョーくん(仮名)。飛び立てる日は来るのか。いや来ない。


フェアチャイルドFC-2W-2 (Fairchild FC-2W-2) です。1926年初飛行。
アメリカのフェアチャイルド社が航空測量用に開発した7名乗りの多用途機です。カナダ北部の遠隔地での運用にも適していて、1920~1930年代のカナダ開拓に重宝されました。カナダ空軍でも写真調査と連絡用に使われていました。
この個体は1928年製で、1940年代初めまで航空測量に使われていました。引退後はブローカーの手により保管され、その会社の創業者によって当館に寄贈されて今に至ります。
塗装はカナディアン・トランスコンチネンタル航空の形態ですが、この個体の経歴には無いはずです。


主翼は根本で折りたたむことができます。これにより小さな納屋に格納するなどが可能です。北極圏での運用では、翼を畳んで防氷シートで覆うことがあったそうな。


スティンソンSRリライアント (Stinson SR Reliant) です。1933年初飛行。
アメリカのスティンソン社で開発された4~5名乗りの多用途機。190機くらい生産されたんだそうな。
カナダでの運用実績はあまり無いそうで・・・。この個体は1933年製でウィリアム・リアの個人所有でした。ちなみにこの人がビジネスジェットのリアジェットの創設者となります。胴体の後ろ側にジェットエンジンを搭載しているからリアジェット・・・ではなくて、人名が由来なんですよね。英語の綴りを見ればすぐ分かる話なんですが、勘違いしやすいです。
その後1953年にI・I・ハンドバーグに購入されるまで幾人もの所有者の間を渡り歩き、ハンドバーグによりカナダの登録番号を得ました。これがカナダの登録番号を持った2機目のリライアントです。1963年にノースランド航空が購入してこの時に内外装を色々改造されたようです。
最後は1983年にアキーラ航空機修理社がこの機を復元して、博物館に売却したそうな。


樹体に加えて小道具が置かれていて、情景展示になっています。整備中のご様子。エンジンカウルは外された状態です。


機体に積み込む貨物もあります。


1930年代になると機体も金属化されているようです。後年の改造によるものかもしれませんけど・・・。


デ・ハビランド・カナダDHC-2ビーバー (De Havilland Canada DHC-2 Beaver) です。1947年初飛行。
ご存知、カナダの産んだ名作です。カナダで開発されたブッシュプレーンとしては初めての全金属製です。比較的重いペイロードでも発揮される短距離離着陸性能と陸上、水上、雪上で運用可能な汎用性の高さが魅力です。
1968年まで長期間製造され、製造数は1,600機以上と大ヒットでした。そのうち大半はアメリカ軍の発注でしたが。今も現役機が多数飛んでいますね。
この個体は1,600機いるビーバーの中で最初に製造された初号機です。カナダでこういう初号機が博物館で保存されている例は意外と無いんですよね。初めてかもしれないです。


機体は水上機形態で展示されています。フロートの後ろには水上タキシング中に方向を変えられるように舵が付いています。


フロートの脚と胴体はこんな感じで繋がっています。意外と細いなっていう。


尾輪の接続穴。


尾部。このくらいの小型機が好きですね。矩形断面の胴体は貨物を積むのに適していそうなのです。
ビーバーに乗ったことはないですが、撮影では何度も見かけている機体なので、ここで初号機に会うことができて嬉しかったです。

というところで今日はここまで。


その49へ→

コミックマーケット104お疲れ様でした

2024-08-19 23:32:41 | 日常記
8月12日に開催されたコミックマーケット104 2日目は無事に終了しました。当サークルに立ち寄ってくれたり同人誌を買ってくれたりした方々にはお礼申し上げます。
夏季の酷暑は年々酷さを増している状況ですが、コミケにおいてもそれを実感する年でした。写真のように一般参加者の待機列では日傘を差すのが当たり前になりました。少し昔までは傘を差すなんてあり得なかったのに。
館内の暑さも酷いものでした。特に東館1~6はまともな空調設備が無く通気性も悪いため熱気が館内に籠もりました。スペース内で座っているだけでみるみる体力を奪われていくような一日でした。ちゃんとした空調を早く入れてほしいものです。

さて、C104で頒布した新刊「アメリカンスクールバスの世界」の通販が始まりました!会場に行けずに買えなかった方はこの機会にぜひ。
メロンブックスとBOOTHのいずれかでお求めいただけます。お好きな方をどうぞ。

それと、既刊の「鉄道駅コインロッカー調査録①」の現物と「安房トンネル工事の置き土産」の電子版の通販もBOOTHで始めました。たくさん買ってくださいね。

数カ月間止まっている旅行記もいい機会なので再開しようと思います。
引き続きよろしくお願いいたします。

【告知】コミックマーケット104にサークル参加します【8/12(月祝)】

2024-08-03 07:36:00 | 日常記
ここ数ヶ月ブログの更新をサボっていまして、ご心配をおかけしましたけれども無事でございます。
さて今年もコミックマーケット104にサークル参加します!
C104に当選いたしました。1年ぶり6度目となります。

配置は8月12日(月・祝)東5 パ14aです。
2度目ぶりの誕生席になりました。


新刊は、サークルカットにもあるとおり北米のスクールバスについて取り上げます。カナダ在住時に撮り溜めた写真を中心にした内容に仕上がる予定です。過去に刊行した拙作「北アメリカの路線バス車両2014年~2016年」に近いものになるかなと。お楽しみに。

それでは新刊を無事に頒布できるように頑張っていますので応援お願いいたします。



(8/2追記)
新刊の原稿を無事に入稿できました!
では頒布物の告知です。


新刊「アメリカンスクールバスの世界」
頒布価格1,500円
カナダ在住時に撮り溜めたスクールバスの写真を車種別にまとめた写真集です。
自分が記録できた車種だけ掲載しているので網羅できているわけではないですが、それでも大半の車種は押さえられているはずです。そもそもスクールバスってどんなやつ?っていう内容も軽く触れています。
B5サイズ、フルカラー印刷、36頁(表紙込)の内容です。


以前頒布した「北アメリカの路線バス車両」に似た構成になっています。同誌を購入された方には見覚えのある構成になっていると思います。



新刊「鉄道駅コインロッカー調査録① 東海道線(熱海~豊橋)編」
頒布価格500円

2024年3月開催の旅チケット8で頒布した同人誌です。
東海道線(熱海~豊橋)の区間にある全駅のコインロッカー設置状況を自分の足を使って調査しました。つまり全駅下車というわけです。
この本があれば、どの駅にどの大きさのコインロッカーがいくつあるのかが丸わかりです。旅行中でも携帯しやすいA5判サイズです!

過去の既刊は下記BOOTHサイトからダウンロード版を購入できます。

告知は以上です。
それでは8/12に「東5パ14a」でお会いしましょう!

北米project 5 ~How do you like Canada? その47【2016/6/15~22】

2024-04-10 06:30:30 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。ちょっとだけ宇宙コーナーもあるので、見てみます。
これはカナダーム (Canadarm) という船外作業用マニピュレーターです。1981年登場。日本語だとカナダアームとも書かれており、表記揺れがあります。
1981年11月にアメリカのスペースシャトル「コロンビア」でこのカナダーム201号が打ち上げられました。1億5300kmもの距離を移動(地球約3,800周分)し、23回の任務をこなしました。最後の任務は2011年6月、スペースシャトル「エンデバー」の最終任務のときでした。


こんな感じ。こういう宇宙関連の実物展示はだいたいモックアップと相場が決まっていますが、これは実際に宇宙に行って実戦投入されていますから重みがちがいますな。
カナダームはスペースシャトルの貨物室に取り付けられて、貨物室にある貨物を掴んで船外へ放す、あるいはその逆の作業ができます。シャトル・リモート・マニピュレーター・システム (SRMS) と呼ばれています。


宇宙空間でのロボットアーム制御は想像するよりも難しいみたいですが、そこら辺の説明が少ないのでよく分からず。


スペースシャトルは退役してしまったのでカナダームも一緒に退役しましたが、今度は国際宇宙ステーションに取り付けられたカナダーム2というマニピュレーターが現役です。


こちら宇宙空間での船外活動ユニット (EMU) です。船外活動中の宇宙飛行士の保護と生命維持を目的とした、いわゆる宇宙服です。


胸部はごちゃごちゃしています。生命維持装置やら通信装置やらなんだと思います。
目盛りの文字が反転しているんですが、これは腕についている鏡を通して目盛りを確認するため。首を倒して覗き込みながら目盛りを見ることはできないんですって。


他にも宇宙関連の展示がありますが、割愛します。みんなも行ってね。


宇宙の次は、ブッシュプレーンのコーナーに迷い込みました。ブッシュプレーン (Bush plane) というのはカナダ独特の航空機の種類で、カナダ北部やアラスカ、ユーコン等の外界との接続が乏しい辺境の未開地へ行くための物です。
未開地なので飛行場があるところは少ないわけでして、そういう辺境でも運用できるように、通常の車輪の他に水上用のフロートや雪原用のスキー板を装備できるように、なおかつ簡単に換装できるように設計されています。
他にも、下方視界に優れた高翼配置、高い短距離離着陸性能、低圧タイヤ等の性能を付与されていることが多いです。

さてこの機体はノールダイン・ノースマンMk.VI (Noorduyn Norseman Mk.VI) です。1935年初飛行。
 カナダで初めてのブッシュプレーンと言われています。頑丈な構造と広い荷室が評価されて、カナダ空軍やアメリカ陸軍でも採用された実績を持ちます。カナダで開発された機体は数多くありますが、これは人々から頭一つ抜けた誇り高い扱いを受けているように感じました。
変わっているのは、機体は順当にMk.Iから開発されていったんですが、Mk.IVの次は一個飛ばしてMk.VIでした。その後第二次世界大戦後にMk.VIの改良型としてMK.Vが開発されています。つまりマークナンバーが逆戻りしているわけです。
これは、V (5) は勝利 (Victory) のVとも読み取れるので、第二次世界大戦に勝った暁にはそれを記念したマークナンバーを開発するためにあえて空席にしていたというのです。なんだか余裕っすね。


この個体は1943年製で、戦時中は通信士の訓練用に使われたんだそうな。戦後は連絡、輸送、訓練等多用途に使われて、1950年に退役。その後博物館が取得しています。機体は晩年の姿をしているとのこと。
胴体は機首からエンジンマウントあたりまでが金属製ですがそれより後ろの胴体は鋼管羽布張りです。主翼も羽布張りです。速度は求めていないのでこういう構造のほうが合理的でしょう。ブッシュプレーンは過酷な環境での運用となりますので、鋼管羽布張りの方が修理が容易というのも評価される理由でしょう。


がに股の脚が特徴的。これは、水上用フロートに履き替えた時に安定性が出るように左右の間隔を広げるためだと思います。
どうでもいいですが、エンジンから伸びている長い排気管は、当時のカナダ空軍のレシプロ機によく見られるものですね。機体に排煙が付着しないようにするためか、消音性を出すためなのか、よく分からないのですが・・・。」


プラット&ホイットニー R-1340-AN1ワスプエンジンです。星型9気筒、600馬力。1920年代の代表的航空機エンジンのひとつで、これを搭載した機体は多いです。ノースマンのエンジンもこれです。


カーチスHS-2Lラ・ビジランス (Curtiss HS-2L La Vigilance) です。1917年初飛行。飛行艇ですね、つまり羽のついたカヌー。
アメリカ海軍の沿岸哨戒飛行艇として開発されました。ブッシュプレーンとしての適性に目をつけたカナダでも戦後に余剰となった機体を購入し、第一次世界大戦後初めてのカナダのブッシュプレーンとして使われだしました。他にも1919年にはカナダ初の森林パトロールと上空からの森林調査、1920年に上空からの鉱山権益の発見、1924年には初の定期航空便などを達成しています。

「紅の豚」に出てきたモブの飛行艇はこういう感じだったような、という気がします。


機体の隣りにあった黒い物体。特に説明はありませんでしたが、これがオリジナルの船体だと思います。


骨組みまで見れるのはありがたいですね。オリジナルの船体は湖に水没後40年以上そのままでしたが、良好な姿を留めています。寒冷地の淡水湖に沈んでいたのが幸いして腐食があまり進行しなかったのだと思います。湖に沈んだ飛行機って意外と物持ちがいいんですよね。


飛行艇なのでエンジンに海水が被らないように高位置に置かれています。エンジンはリバティで、V型12気筒、360馬力です。


この個体は1918年製で、1919年にカナダ初のブッシュプレーンとして飛行した記念すべき機体なのです。1922年に機体はオンタリオ州の湖に墜落して、機体は水没しました。1967年に発見されて、翌年から引き揚げられました。
オリジナルの船体はいじらずに残しておいて、復元用に別の機体から供出したものを使っています。復元は1970年から1986年までの長期間にわたっていて、当館の中でも最大最長の復元計画だったと言われています。


カーチス・シーガル (Curtiss Seagull) です。1912年初飛行。
これもアメリカ海軍が当初使用した飛行艇で、第一次世界大戦後に民間に放出された機体がカナダで運用されたものです。飛行艇としては小型に属するのでブッシュプレーンとして最適でした。
この個体はブラジルのアマゾンの探検に使われたんだそうな。まさしく、取材班はアマゾンの奥地へと向かった・・・・時に使った機体ですな。


主翼は長めですね~。


1925年式のヘンダーソン社製バイクです。聞いたこともないメーカーですが、1912年にアメリカで創業したものの世界恐慌で1931年に倒産してしまった短命の会社です。4気筒バイクの雄だったそうな。
私はバイクはみんな同じ形に見えるバイク音痴なのでどういうモデルなのかはよく分かりません。4気筒エンジンは見たところ直列配置ですが置き方が現代のものと比較すると90度回した状態で置かれています。
なんで置かれているのかもよく分かりませんが、ブッシュプレーンに運ばれていって現地のアシに使われたというところだと思います。


ベランカCH-300ペースメーカー (Bellanca CH-300 Pacemaker) です。1925年初飛行。
アメリカのベランカ社で開発された6人乗りのブッシュプレーンです。カナダ空軍向けにカナディアン・ビッカーズでもライセンス生産されました。
2機しか現存しないCH-300のうちの1機で、テキサス、メキシコ、アラスカ等で飛行をしていた機体です。


1920年代にもなるとはやくもブッシュプレーンとしての機体の形状は確立された感はありますね。
エンジンはR-985ワスプジュニア(星型9気筒、450馬力)。


1925年式のフォード・3トントラックです。モデルTTかな?平トラックですが、ダブルキャブなのはちょっと珍しいかも。
これも唐突に置かれているだけですが、ブッシュプレーンが内地の飛行場から飛び立つ前に積み込む物資を運ぶトラックなんだよ、という演出というところでしょうぬ。

というところで今日はここまで。


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【1/72】スティンソンOY-2センチネル アメリカ海兵隊【ギャラリー】

2024-04-07 18:35:00 | 模型ギャラリー
キット:1/72スチンソン OY-2 センチネル(AZモデル)
仕 様:アメリカ海兵隊VMO-6 1949年朝鮮半島
[製作記はこちら]

アメリカ軍の連絡機、OYセンチネルを作りました。連絡機というのは部隊や司令部間などの拠点間で将校や物資などを輸送するための飛行機です。アメリカ軍の連絡機は軽飛行機が用いられることが多いです。第二次世界大戦前後に多く見られましたが、現代ではヘリコプターに取って代わられています。
OYセンチネルは元々陸軍が開発した機体で、陸軍ではL-5という型番でした。当時のアメリカ軍では陸軍と海軍/海兵隊とで型番の命名規則が異なっていたので、同じ機種でも型番が違います。L-5は海兵隊ではOYと呼称されていたのです。
OY-2は、OYの2型という意味です。陸軍で言うところのL-5Eに相当する機体です。



民間の軽飛行機が原型になった機体です。いわゆるセスナ機のような見た目をしています。ちょっと軍用機っぽくは見えませんよね。
機体規模も小さく、とても可愛らしいものです。


成形品は全体的にもっさりした形状で、組立時に位置決めになるようなピンや穴もありません。はっきり言って作りにくいですが、プラモデルを作っているという実感はありました。結構楽しかったのでお気に入りの作品です。


デカールの出来が案外よくて、作品の印象を引き締めてくれています。レタリングが多いマーキングなのも良きですね。


天井にも窓があるのが連絡機の特徴です。機内はグリーンハウス状態でクソ暑そうですが・・・。
製造を簡素にするために四角形の断面をした胴体にも注目です。速度性能も求められていませんしね。


主翼も翼端は丸めているものの基本的には製造が簡素な矩形翼です。


花形の戦闘機ももちろんいいものですが、こういう脇を固める機体の渋さも好きなのです。


主脚は細くて頼りないですが、プラモデルでもろくな糊代がないため真鍮線で補強しています。どうにか普通に持ったり触ったりできています。








木製のピッチ固定プロペラは、サンドイエローで下塗り後、エナメルのステインブラウンで塗ります。エナメルをやや残すように拭き取り木目を再現します。最後に水性塗料のクリアオレンジを塗ってニス塗りを再現します。結構うまく言ったんじゃないかなと。


デカールの馴染みが良く、シルバリングも起きませんでした。


以上、OY-2センチネルでした。




【AZモデル】1/72 スティンソンOY-2センチネル【プラモデル製作】

2024-04-05 22:53:00 | 航空機模型製作記
今回はAZモデルの1/72スティンソンOY-2センチネルのプラモデルを作ります。
AZモデルはチェコのメーカーです。同社のキットを作るのは初めてです。OYのようなマイナー機からBf109のような有名機まで幅広い飛行機キットを展開しています。AZモデルを取り扱っている店頭の商品棚を眺めていると目移りして楽しいものです。なにげに、日本語の注意書きがPKGに書かれているのも珍しいかも。




ランナーはこんなかんじ。日本のキットとは見た目の印象が違いますね。形状も全体的にもっさり。たぶん簡易金型を使った成形品だと思います。


風防はバリエーションに対応した2種類入り。2分割にすることでスライド金型の使用を避けています。作る方はちょっと大変なのですが・・・。


樹脂は柔らかめです。機内のトラス構造を割と再現しているのでこういう骨組み上の部品もあります。折らないように気をつけないと・・・。


操縦席にはシートベルトの彫刻あり。ちょっとしたことですが嬉しいです。
計器盤には彫刻はありますがデカールがありません。計器盤を黒く塗って、計器には白の塗料を垂らすように乗せてそれっぽく見せます。目盛りまで再現する必要はないでしょう。


機内の骨組みと風防が普通に合わないので困っています。どうして。


骨組みの脚を一部切ってしまい、どうにか収めました。


風防の付け根にも盛大な隙間があり、これだと塗料が吹き込んでしまいますのでラッカーパテを盛って塞ぎます。


施工後です。


各部品の取り付けには基本的にピンや穴は無く、芋付けです。なので垂直尾翼のように芋付だと強度的に不安が残る箇所もあります。そこで尾翼に真鍮線を埋め込みピンとして、胴体の方には穴を開けて接続軸とします。
脚の接続も芋付けと心許ないものです。特にOYの脚はか弱いので負荷のかかる脚を芋付けは破損の危険大なのです。ここにも真鍮線を仕込んで補強しています。
機体は小さいんですがこういうだるい作業が続くので製作に必要なカロリーは意外とあります。でも、ただ説明書通りに組み立てていく最近のプラモデルと比べると、作っている実感はよほどあるので意外と嫌いじゃないというのはあります。


風防の枠は完成後もよく見えるので、先に機内の色で塗ります。


主翼から脚から尾翼まで、塗装前に全て接着してしまうことにします。プラ用セメントを使った接着は、塗装後につける瞬間接着剤等よりも比較的強力なので、この段階で接着して強度を確保しておこうというわけです。塗装も単色なので塗り分けの手間もないという事情もあります。
やはり隙間が広いのでパテで埋めていきます。


ネイビーブルーで塗装しました。


デカールはこんな感じ。アメリカ空軍機とアメリカ海兵隊機から選ぶことができます。ネイビーブルーの塗装から想像できる通り、今回は海兵隊を選択。
デカールは発色が割とよく、貼る時の感触も良いことから結構好印象です。


つや消しクリアを吹いて最終組立をして完成です。
小さい機体ですが、私の持っている拙い工作スキルが結構入っています。噛みごたえのあるキットでした。


完成させてみると可愛らしいものです。連絡機のキットなんてプラモ市場では存在感が薄いですが、こういう脇を固めるキットがあってこそ世界観が広がるのです。そういうキットを多く出してくれるAZモデルは今後も応援していきたいのです。

というところで今日はここまで。
完成品はギャラリーにて。


<使用塗料>
機体:H54ネイビーブルー
機内:N58機体内部色
計器盤:N2ブラック
座席:N47レッドブラウン
シートベルト:N85セールカラー
排気管:H76焼鉄色
プロペラ:H79サンドイエロー
プロペラ木目:WC03ステインブラウン
プロペラ上塗:N92クリアオレンジ
タイヤ:N77タイヤブラック
ホイール:H8シルバー