心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

再び 「世界に意味は無いのか!」

2018-10-08 15:58:35 | 世界に意味は無いのか!

こんにちは、大木です。

みなさんいかがおすごしですか?

またしてもごぶさたしてもうしわけない!

季節の変わり目は自律神経が不安定になり

とくに乳幼児は熱を出したりしますので、 たいへんですね。

また、おねしょがつづくお子さんには、

風呂上りの水浴びが非常に効果がありますので、ためしにつづけてください。

--  さて、この国もあいかわらず人でなしの連中が大手を振って闊歩している情況です。

むかしの映画で、「座頭市」が「いやな渡世だなあ。」というキメ台詞がありましたが、

今も変わらずそのとおりなところが哀しいですね。

まわりを見渡せば、
精神が危うい方向へと傾いていっている人たちが多々みうけられるようになっています。 

「現実から逃げ出したい」という無意識の欲求が
人を自閉へ、さらに弛緩へと誘います。

すっかり頑固に尊大になり、演繹的思考とは無縁の 恣意的な

気分のいいストーリーや何事かに執着・依存というかたちで

おもてにあらわされてきます。

-- さて、米国のトランプ氏が中国に高関税を仕掛けて、なんだか制裁風をふかせています。

いまこのことが世界の注目をあつめています。

ですが、はたして米側の勝利となり、中国は降参することになるでしょうか?

どうにもあやしいことは、
両者の輸出入の総額が、互いの国に占めるシェアが大した数字にならないので、

国をあげて騒動する事態にはなりそうもないはず?

中国はこの数年で、もはや5億人の中産階級の内需で十分やっていけるようになっている。

人件費があがっても、膨大な販売数量が製造コストを押し下げているのです。
(トヨタの普通車がスズキの軽自動車よりコストが低いのと同様)

なのにどうしてトランプ氏はこのような大芝居を見せようとするのか?

むしろ長期的には、米側の不利益が見通されているのだが?

いずれにしてもかれらのプラグマティズムの覇権欲望にまかせて、あれこれしようとしても

あちこちに破綻が生じて、絵図面どおりにはいかないでしょう。--


-- さてさて、今回はずいぶん前(2009年8月)のお話をあえて再び読んでいただきたく掲載しました。

なぜに? と問われれば、ますます「生き難く、困難な」時代がつづいていることで、

みなさんにもう一度、ぜひゆっくりと読まれたらとおもいたったしだいです。

それではいざ、・・・

「前回の宮台真司氏の告白・記述について、

中でも
“世界の相対性、社会の相対性”を持ち出した安直な駄々っ子ブリと短絡的な面は、
彼の病理的な要因によることをお話しましたが、

彼のそれはそれとして、
わたしたち、“人”が今、“生き難い時代を生きざるをえない”ことも、

また宮台の幼児性は別にして、“社会に意味など無い”とする現代的考察も、

この近代主義の文明下に存らしめられている“人”として、
切実な課題であることにまちがいないわけです。

今回はもっと正面からこの問題をとりあげようとおもっていますので、
皆さんもご一緒にお考えください。

唐突ですが、井上陽水の唄に「人生が二度あれば」というものがあります。

以前のブログの『秋葉原無差別殺人・加藤智大の心の闇をカウンセリング』にも引用しましたが、

父親も母親も六十歳を過ぎるまで身を粉にして働き詰めにやってきたことに、
陽水が万感の思いをこめて、『人生が二度あれば』とただ高唱するしかないように、

“人生”とは人の限られた“生”そのもののことです。
もしそこに宮台のような記号的言葉で、「意味が無い」と言われたら、
陽水はどうするでしょうか? 

もちろん、わたしたちは日々の生活にいちいち意味づけしているわけではありません。
不用意にそれをしたとたんに、「意味が無い」という現実解離の病にとりこまれる。
そこがなかなか厄介なところなのですね。

世の少年少女諸君も、一度はこのような“自我の不安”や“生きる意味”について思いを寄せるものです。

そんなときに、大方の諸君は人間関係に適応することを学び、また
“生きる意味”について執着しなくなることで病理的な解離から免れていくようにおもいます。

“生きる意味”について考えることはそれほど難しいことだといえるでしょう。
現に学者といわれる宮台さえ、はじめから意味がない方に与しようとしていますから。・・・

一方で現実に今、高度資本主義の剣が峰に立たされている日本の社会の中で、
人々は雪崩をうって社会不適合をあらわしつづけています。
社会不適合とは、端的に言えばに心的病理に傾いてくことをさします。

人々は“生き難い時代”にいることも“ひしひしと感じて”います。
(それさえ自覚が無いひとはすでに病理の中にとりこまれたとみなされる。)

それは単に未曾有の世界的な景気不振といった次元ではなく、
人間の深遠に及ばんとする、時代の底練りを予感させる何ものかといえるでしょうか。

人々の感じ方は多様とはいえ、この時代が強いる傾向性が見受けられます。

* たとえば、生前に葬儀を予約する人たちが増えていることです。

彼らは真顔で自分が入るための棺を見定め、葬儀のイメージ映像を見比べています。

ここに見られるのは、死後の自分にまで美化のイメージを追い求めるという、
すでに、現実を恣意的な自己観念で自明のものとてしまった人、
他からまなびとれなくなった、心的に現実解離した人の姿です。

この人たちは、時代から遠ざけられていることに無自覚ながらも、
自己肯定に執着しなければいられないという観念のはたらきをはげしく見せています。

* また、もっと広範に観られる現象として、
“ペット買い”と“ペット家族化”ということがあります。

日本で水を売買するというあらたな時代性がもたらしたメタファーの範疇に、
“ペット買い”も同様に肩を並べ、
最初のうちはブランド選択志向を媒介にして商品化されたとものといえるでしょう。

ただ日本の多くの人の場合、ブランド商品としてのペットであったはずが、
いつの間にか“ペット家族化”に転位し、

さらに、『ペット命!』という心的な転換が起こってきているところに
この時代が迫る、“個の不安”の進行をみせつけられるおもいがします。

今日的な不安が、

日本人が元から抱える日本語のメカニズムに起因する不適応の関係意識と反応したときに、

人は人間関係を不適応のままに逃避し、
自己中心志向を先鋭化させる傾向をみせています。

だがしかし、『ペット命』という、
あからさまに精神の自閉した世界を唯一の拠りどころに、
癒されて暮らして行きたいと思ったとき、

人は、すでに形だけの適応参加とも決定的な精神の解離を無自覚にまねくことになる。

そこを安住の世界と錯誤した結果、日々生殺しの様に
痴呆と呼ぶ分裂病をつくり、つづける。・・

人が自己観念を当たり前のように肯定するようになる(弛緩)とき、

E・クレッペリンの言うように
弛緩自閉し、やがて人格崩壊から早発性痴呆に到ることを知っておいてほしい。

人が抱えるあらゆる依存症が、群れを成して発現されてきている。

わたしたちは今、この日本型の精神の病理的傾向に強い危機感をおぼえています。

(敬称略、 拝)」・・・
.................................

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-04-11 08:18:12
社会適応 = 精神的に健全
社会不適応 = 精神的に不健全

という考え方を

社会や体制は 虐め サンクション によって成り立っている

という最新脳科学的事実から考えると

そんな社会に適応している人が

精神的に健全

だとは一概には言えないことを

座頭市は言っているのではないでしょうか?

宮台は その 虐めや差別 サンクションで成り立つ社会の側に立って

学者面して年収●千万を得ている 幼児であることは

激しく同意します。

心理カウンセラーもある意味 サンクションで成り立つ社会だからこそ 成立する職業でもあるわけですが。。。

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