--(「復帰」の意義がどこにも見当たらないという信じがたい詐欺ペテン師の本土)--
こんにちは、のほせんです。
春から初夏にうつり変わろうとする時期は、この頃のお天気のように
なんだか躁と抑うつが日替わりにあらわれやすい。
こんなときはむりにでも軽い運動でリフレッシュしてみてください。
自律神経が良いバランスを回復してくれます。
ー さて、この5月15日は沖縄の「本土復帰」43年目にあたるという。
沖縄県人にとって、「復帰」の意義がどこにも見当たらないという信じがたい詐欺ペテンが、
「本土」の政権の得意の権謀術数によるものであることをあらためて思い知らされる「記念日」。・・
その場しのぎの舌先三寸が唯一の能力であるエライ人たちが政権を担って今日まで選ばれてきたのは、
一つには、本土のだれもが、ほんとうはうしろめたい実感さえ乏しいまま、
「沖縄という娘」が身売りされて親家族の犠牲になってきたことにある。
ゆとりのできた親元からは、能天気にオキナワ観光ツアーにでかけるようにさえなった。
ようするに、エライ人たちも、その連中を選んできたわれわれも、とんでもない「人でなし」なわけだ。
こんな分かりやすい言葉にも、近頃はエライ人たち同様にどうにも聞く耳をもたない人たちが目に立つ。
この人たちの脳の回路が、もはや理性・認識・自省をつかさどる左脳には流通せず、
尊大な態度が染みついた、
好き嫌いだけの右脳にのみ従属して快感を欲求する回路に固着しているのだ。
当然だが、感情脳に従属する者は快感欲求のためには何でもする。
エライ人でも、保身のためにはもちろん何でもする。
戦後一貫して国民も、国民の資産もまとめて売り渡してきたのがその証拠だ。・・・
そして、この虚妄の政権にどんどんすり寄っている新聞マスメディアもまた、
激減する一方の部数維持のために、青筋立てて 執拗に他社(目くそ鼻くそだが)追い落としの
扇情的なB級記事を書きつづけて、すでに破廉恥を通り越して無惨な死に体をさらしている。
エライ人たちの日米安全保障法制関連法案閣議決定に追従するために、
先の戦争に「うつくしく勇ましく散っていった」特攻隊賛美の特集記事を連載してきたS紙。
記者たちは本当の戦争、戦場の兵士のことを何も知ろうともしないで、
戦争扇動者の保身組系のプロパガンダにのって、トッコータイだけを美化して国民を扇情している。
今の国民もまた、これに感涙するというのか?
-- ラジオで桑原征平氏が 「これが戦争だ! 親父の陣中日記」を朗読していた。
明けても暮れても、山越えの銃撃戦により、戦友はバタバタと倒れてゆく中、
銃弾が頭上をかすめる中、死力を尽くして奮戦し、かろうじて生き残れたものの、
戦後帰還して以来、家族に鉄拳を振るうばかりの「鬼のような親父」に豹変したのは
過酷きわまる戦闘によって、外傷性強迫性神経症におちいったためではないだろうか?
それにしても、かれの親父のような兵士や戦友たちが「ヒーロー」としてもてはやされたことはない。
帰還すれば、陰で 「生き恥さらして敗残兵が」 などとそしられる始末。・・
-- 戦争の最前線では、
明治以来日本帝国陸軍の戦場での各軍司令官の命令一下、各師団司令部に伝達される。
その内容が「全滅を期して攻撃を実行せよ」とあれば、果敢に吶喊することだけが使命であった。
-- 「ただいま前進すれば全滅のほかありません」(第二連隊長)。
「わかっとる。・・・軍司令部の命令である。全滅を期して攻撃を実行せよという命令である。ご苦労様です。」(旅団長)
「わかりました。 閣下、お世話になりました。 お別れいたします。」・・
戦場での軍人、兵卒の身の処し方をよくあらわしている。
-- 戦線入り乱れ随所に白兵戦が起こり、全軍悪戦苦闘の二昼夜の後、
歩兵連隊長が陣頭に立ち、弾丸尽きて白兵戦となり、ついに軍刀も折れ、力尽きて、
ついに両軍兵士の重なり合った屍の上に戦死を遂げたのである。・・
-- 「戦線を巡って感じますことは、このような戦闘は、命令や督励ではけっしてできないということです。
教えられなくても、兵士の一人一人が負けるわけにはいかないと銃弾の下を突撃してゆく。
この勝利は天佑でもなく、陛下の御稜威でもございません。」・・・
この戦場の光景が特別なことではなく、
こうしたことが戦場と兵士たちの生々しい姿だったとみとめられる。
ようするに特攻隊だけが特別に美化される謂われはなく、
どの兵士たちも皆、死闘を余儀なくされたということが、認識されてしかるべきであろう。
そして当時の、未来の兵士となる思春期の若者の、
一人一人がすでに自らの死を先取りして抱え込んでいたことを忘れられてしまっている。・・
-- つぎに沖縄・辺野古の基地化についてのおはなしを。
沖縄県民は前知事の仲井真氏が本土の政権側に寝返ったことに同意せず、
昨年11月に「辺野古基地をつくらせない」と公約した翁長氏を当選させました。
仲井真氏のとつぜんの豹変寝返りの動機が政権からの陰湿な恫喝によらないならば、
どうしてあんなに醜悪で憐れな眼つきに変わりはてたのか、おしえていただきたいものだ。
欺瞞のカタマリのような現政権が「オキナワのみなさま」にまさかの詭弁を弄しつづけても、すかさず
御用マスメディアがヨイショし、沖縄の反基地闘争を紙面から排除しつづけるために、
きょうまで 「粛々と」見かけ上はつつがなく来れたわけだが、 ここにきて
半年先き、一年先きの、世界が、現実社会がドル覇権の劇的な変化に見舞われる兆しの中で、
無能の従属では、国家的規模の破綻を免れ難いというところまできていることは隠しようがない。
世界の変動に目をつぶり、「欺瞞的でしか存在しえない、詭弁を弄するしかない」というあり様とは、
現実社会のなかで主体を喪失して依存し、現実解離の空論に固執するという意味で、
残念ながら、つねに分裂症候的な精神の破綻をものがたっているというほかない。・・
参照=「沖縄米軍と日本の大衆像」(2009年12月ブログ記事)
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