シスターリトルと子猫劇団

超ミステリー架空空間・子猫劇団

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それではまた、ははうえさまー。一休~。

2016年04月13日 | Weblog
レオが逝ってしまい、いつか己も行く道よ。
とは思えど、やはり気抜けはただならぬ状態で。
しばらく本業もまったく手につかず、
このままでは行き止まりに頭突っこんだまま気絶。と危機感を覚える次第。

2005年の夏からはじめたこの日記。
その後5ちびはすくすく大きくなり、
残念ながらももちゃんを亡くしましたが、4ちび兄弟は病気ひとつせず元気に暮らしています。
兄弟が元気なかぎり、この日記はつづけたいと思っていました。
今後は、ぽつぽつと綴れば綴れるだけ綴ろう。という気もちです。
はあぁ~……
力が出ません。

※タイトルは「一休さん」のエンディング曲より。

それではまた、お便りしますネ
母上様
一休

レオが生まれた日

2016年04月08日 | Weblog
4月3日はレオの誕生日だった。
偶然だったがレオの為にほたて貝柱とマグロにイカ、お刺身を注文していた。
生まれて初めてぜーんぶひとりじめして頬ばった。
おいしそうにレオは完食した。

必然。
これほど危うい主張はない。
宇宙を縛る絶対的価値観など存在はしない。
あるとすれば、それは胡散臭い宗教だ。
もちろん猫に信仰はない。
あるのは猫、個々の意志だ。
どこまで猫の意志を尊重出来るか。

レオの生き方は猫にとってはあたりまえでも
現代日本人の四角四面の価値観を以てすれば
難しい選択だったように思う。

レオ。よく生きた。
きみは名の如く真実百獣の獅子王だった。
いつも真剣なまなざしであたりを見回し、
太く、生命の火を燃やして生き尽くしたきみに、
涙が止まらないよ……
私もきみのよう炎を挙げ、力を命を振り絞り生きるよ。
ありがとう。
レオは6歳。

返してーっ、あたしのクララをっ!

2016年04月06日 | Weblog
舞台女優の新妻聖子さまが好きで、
「ヒガンバナ」を観ながら待っていた。
だけど最後まで彼女の登場はなかった。
ゲスト出演の回を間違えたかな?と新聞紙を広げる。
だが確かに出演欄に名前はある。
おかしい、おかしい。
頭のなかのビデオテープを巻き戻す。
そして、よくよく思いかえしてみる。

えっ?
アレ?
もしかすると、あのコギャルが?
果たして。
そうだった。
どうしてまた、その役に新妻さまを配したのか謎だが、
ガングロ金髪、ド派手ネイルの中年キャバクラ嬢役が、
舞台に咲く大輪の薔薇ミュージカル界の女王・新妻聖子さまだった。
まったく、わからなかった。
舞台上のあの、あの気品あふれる歌声、
時代劇でお見かけする凛としたたたずまい、
あの、あの美しい、新妻さまではなかった……。

誰ダョ。
悪意あるョ。
あのキャスト。
壇れいさまにも劣らぬ美貌の新妻聖子さまを、
中年コギャルに抜擢するなんて。
私にとっては壇れいさまに並び、いや劣らぬほどに、
新妻さまは「美女枠」だったのに。
もうダメだ。
もう、中年コギャルにしか見えない!
返してっ、あたしの新妻聖子さまをーっ!!

しかし芸当というべきか?
まったく正体が透けていなかった。
新妻聖子、恐るべし演技力。
(新妻さまをご存じない方、新妻さまは正当派美少女成海璃子さんにやや似ておられます)

人にあらずして人を憂う

2016年04月06日 | Weblog
人にあらずして人を憂う、職業。
それが俳優。
御名を失念したが、新聞にて記事を拝読した。
某俳優が学業卒する後は「俳優になる」と宣言したところ、
御父上はが「俳優など人に非ず、だぞ」だと答されたか。
文面の意図を汲むとするならばおそらく父上は、俳優は「人より下の位置にいる」とおっしゃっられたと推測する。
今でこそ歌舞伎は「梨園」と洒落た言い廻しをいたすが、葵御紋支配の世において彼らは最下層の身分を指し示す河原者と蔑まれていた。
某俳優の親御の齢を考慮すればたぶんその史上事実を以ての発言だったと推し量れよう。
だが、時は流れ価値観も変わった。
今風に捉えれば「人に非ず」は「人外の何か」と考え得る。
つまり人外の力、神の技。
人知を超えた神の技を携える。そしてその神の技にて人の世を語り聴かせる。

人にあらずして人をはかなむ。
ああ、なんとな。
狂言であり、能の舞台を連想させるではないか。
自然居士(じねんこじ)の筋書き、身も捨てて渡世の哀れを救おうとするスーパーヒーローを彷彿とさせる。
政が民を見返ろうとしないのならば、それでは新しい救世主を生み出そうではないか。
人々は舞台の上で演じる俳優に「人でなし」の英雄を求める。
もはや政道は民の道しるべとは見做されていない。
不安定な政情を背景に映し、俳優は鏡の中に立つ。
鏡の中で俳優は宗教的でさえあり、一瞬の指導者の役割も振る舞う。
演じるとは。
邯鄲の夢を人に観せる行為なのだ。

しかしながら邯鄲も鳴きやんだ群雄割拠の目下、
未だ自然居士の出現の気配はない。


※自然居士の如く、直接困っている他人を救わないけれども
「倍返しだっ!」の「半沢直樹」。
あれは自然居士の『金融ヴージョン』だったネ。
思えば「遠山の金さん」も「大岡越前」も政談をひもとけば
実際は英雄でも何でもなかったらしい。
でも、それをねじ曲げてでも心温まる逸話を創り出した庶民パワーはあなどれないョ。
私利私欲に走らぬ政治家。
お布施をとらぬ僧侶。
そんなスーパーヒーロー、講談の中にしか存在しないってワカっているからネ!

ネバーネバネバ、リア充なんてあり得ない

2016年04月05日 | Weblog
あー。
やっぱり納豆を食べていません。
冷蔵庫にはあるんデス。
でもやっぱり、選ばない。

考えてみた。
粘着質なものがきらい、みたい。
サツマイモとマヨネーズが苦手でオクラと豚骨ラーメンが嫌い。
あー、やっぱりネバネバドロドロ。
好きなモノはポップコーンとポテトチップスと海苔と薄揚げとセロリときゅうりと紫蘇の葉。
特にカッパ巻きは毎日ぐらい食べてる。
ベチャベチャとひっつかないモノがお気に入り。
頭の中がネバネバになると困る。
ドロドロも困る。

たまに「生きてる?」と電話がかかってくる。
ろくに年賀状さえ出さない私は友人にとって心配の種らしい。
ちゃんと生きてるって。
ただヒトへの持久力がないだけで。
ひっつく力に欠けているだけで。
でも。
ごめんね、ネバネバ不足で。

百年の旅立ち

2016年04月03日 | Weblog
ふと思いつき
庭に降りたち冷蔵庫の扉を開けた
扉を開けると
小さな蜘蛛が叫んだ

わあぁ
生まれて初めて浴びる陽射しに
子蜘蛛は声をあげた
蜘蛛の声を聴いたのは初めてで
もう一度聴きたいと思うて
冷蔵庫の玉子部屋を見下ろせば
子蜘蛛のそばで
横たわる母蜘蛛が見えた
致し方なく
息絶え
干からびても
そこに
十年
いや二十年
いやもっともっと向こう
私が生まれる以前から
どこへも繋がらぬ冷蔵庫は
庭に突っ立っていた
きっとずっとその昔
母子はどこへも繋がらぬ箱に魅入られ
なすすべもなく
閉じこめられたに違いない
どんなに世界へ
どんなに光を求めただろう

天を見上げた
陽気は
だけど桜を散らしてしまいそうな
あまりに気ままな

玉子部屋に母の骸を残し
子は身ひとつで旅立つ
偶然の門出に祝福を
ぬるき春風は吹く
子蜘蛛の前途に幸あれと

臍曲がり

2016年04月03日 | Weblog
妙に気に入られることがある
でも
気に入られても
うれしくない
幸せにも感じない
どうでもいい

これって
たぶん
充分に幸福だからだ

好きになって欲しい
そういう気持ちを
手離すことで
近くに来てくれるのかもしれない
好き好きって迫るよりも
ちょっと距離を置いて
自分の道を歩いている方が
好きになってもらえるのかもしれない

だとしたら
ひとの心ってのは
ずいぶん臍曲がりだ

すれ違わず
平行に
横目で目を交わすだけ

孤独を味あわないと
出逢えないものか
だとしたら
幸福ってのは
ずいぶんに臍を螺旋曲げている


※螺旋と書いてネジ。
つまりラセンカイダンはネジ階段ってことか。
きっとカタツムリの殻の中をよじ登れば、
ネジ階段が永遠に廻る。
だから蝸牛は゛虫の渦゜なんだ。
渦って、どことなく怖いね。
戻れなくなりそうで。
今日は日曜日。
のり巻きをかじりながら蝸牛の渦に吞まれそう。

これが温泉シスターズ

2016年03月30日 | Weblog
スプリングシスターズってのは、
女王withゴーイングマイウェイな執事+不思議メイドちゃんの3人旅を追ったドキュメントなのネ。
時代や国を超え、いろんな温泉へ行くのョ。
でも温泉レポートはめったに、ないの。
ただただ道中もめてるの。
そこ?
そこが見所かな。
いつももめるのョ、あのひとたち。

淡谷まみコ、そしてスプリングシスターズ

2016年03月29日 | Weblog
さぁ、歌っていただきましょう。昭和エレジーの女王淡谷まみコ、バックコーラスはスプリングシスターズです。


納豆はカラダにいいのョ。
毎日納豆……と思うものの冷蔵庫に四角いパックが積まれてゆくばかり。
食べなきゃ、納豆。
いよいよ、納豆。
でも、でも……。
明日からネ。

追伸
この記事をupしたのが昨日深夜3時。
何故だか「今、まみ様を描かなければ!」という激しい炎に包まれたアタクシ。
何故だか「カブるならば、淡谷のり子先生だわ」と思うた。
描かなければならない衝動に突き動かされ、描いたカラーイラスト。
果たして、今日が女王さまのバースディだったのね。
どうかしら?
あら。でも「長崎は今日も雨だった」をコーラスするひとがいるわね。
それに淡谷先生にちょっと美川憲一が入っているような気もするわ……。
マイクを持つ手の小指が上がってるトコとか。
ま、とにかく。
まみ様、17度目のお誕生日おめでとうございます。
産んでくれたおかあさんとはもう会えなくても、ちゃんとおうちがあるもんね。
安泰じゃて。

ブルースの女王・淡谷のり子の世界
https://www.youtube.com/watch?v=Oif143rJKS0

ケンミンショーよりシミケンショーでしんみりと

2016年03月25日 | Weblog
まったく「生まれてくることは奇跡だ」と思う。
そして、育つこともまた奇跡だと思う。
決してひとりで生まれてくるのではない。
ひとりで育つのでもない。
支えがあってこそ生きることが出来る。

オトタケはん。
いままでたのしくつきあっていた人をブッちぎっちゃうんだわね?
いっときたのしければよくて、いつかブッちぎっちゃうつもりでつきあっていたんだわね?
まるで多摩川入水図った文豪きどりだわね。
しかし乙氏は浮気相手ごと思い出をスッキリ濁流に流して、わび入れてスッキリ家庭に戻ろうってわけだ。
稼ぎのない奥さんは生活の為に我慢し、
お子さんは父親の不始末を見なかったふりしてこれから大きくなっていくわけだ。
軽いお尻のおかげでいったい何人のお尻に火がついたかね。
真剣に生きてる?
命を大切にしている?
明日、命が終わろうとも悔いはない?
それとも、それが本当にやりたかった事なんかいっ!
高いスーツあつらえて、立派なネクタイ首に絞めて、貧相なチョビ髭はやして、
ポイ捨て可能なスケコマすのがおたくの生きる道なんかいっ!
それが死命かっ!!

ああ。
シミケンの奥さんの笑顔が浮かんでくる。
一日でも長く生きて我が子の成長を見つめたかった。
でも出来なかった。
あの人の笑顔が浮かんでくる。
生きていることはミラクルで
日々を愛おしく、そばにいる人をたいせつにたいせつに
一日でも長くいっしょに生きていたい。
笑顔にしまわれたメッセージが伝わってくる。

昨日のワイドショーにて。
オトタケはんの話題でむしょーに腹がたち、そのあとすぐにシミケンの顔を見てカームダウン。
怒るオバハンも黙らせるシミケンパワー……。
もう関西人はシミケンをひと目見ただけで涙目ョ。

オトタケはん。
おたくがポイ捨てした浮気相手にも親御さんがいてはって、
その女性を産んだ「おかあさん」がいてはるのョ。
産みはったときは、まさかおたくに乗り捨てされるとは想像もしてはれへんかったと思うわ。
誰しも誰かの大事な大事な子ども、なはず。
オトタケはん。
あんた、やさしないわ。

有吉さんひとり勝ち

2016年03月23日 | Weblog
テレビで徳井さんが猫を語るのを耳にするたびに吐き気をもよおす。
ちっとも中ミのない外議ばかりよーしゃべる。
あーいう輩は既に他人が確立した旗本を好む。
きれいに見えるもの、人が羨む雰囲気を手にしたいのだろう。
彼を見ているとひしひしとそう感じる。
ほんまに好きやったら、雨に打たれ道端で足引きずってるノラを保護せーよ。
と、思う。
なんであんなんが猫好きで通るねん。
と、滞りもする。
でも、それが今の日本のテレビ。
一見やさしそーで、その実中ミがない。
つまり中にあるのは自己愛オンリー。
きれいなものを手にした自分が好きなだけ。
きれいなきれいなオレ様と自己申告の垂れ流し。
私は今日もにらむ。
素晴らしいウソの裏のつまらぬ真実を炙り出そうとテレビをにらみつける。

その点、有吉さんは安心だ。
毒は毒のまま提供してくれる。
親切もないが社交辞令もない。
「正直散歩」の気ままさに心安らぐ。
いっしょに歩くショーパンの中ミの無さ加減にもまた心安らぐ。
知的でもなく、機転が利くでもなく、まさに空っぽ。
でもそこがいいの。
朝から高級パンにがっつき、ひとさまの分までまるごと飲み込むショーパンの垢抜けなさに気が抜ける。
ショーパンって福岡人だったネ。
有吉さんもたじたじさ。
広島出身のおっとりとした気性の有吉さんが訪ね歩く神社仏閣、
そして東京の下町はこじんまりとした驚きに満ちていて楽しい。
でもゲストに澤部さんは要らんなぁ。
コメントがいちいち場当たり的で発見がなくておもしろくないもん。
アンガの田中さんは手の甲向けて手を振るし。
ちょっと人選にクセありすぎだョ。
あ、そこがねらいか。
有吉さんひとりが頭いいって感じ?
ゲストは捨て駒かネ。

※しかしサワベはクビかもしれんな。
だってアリヨシが2個目に食べようと取っておいたメキシカンナン、食っちまったんだから。
アリヨシは一等好きなモノは「取っておく」タイプなんだと思う。
一等好きな女性を誰かに奪われるタイプでもあると思う。
それにしてもサワベって。
アリヨシがうれしそーにメキシカンナンをトレーに盛っている時に「そんなにパンばっか要らないデショ」って濁った声で指摘してたくせしてさ。
席に着くなり、そのメキシカンナンを「やっぱひとくちにデショ!」ってクルクル巻いて飲みこんじゃったんだから。
アリヨシくん、傍らで涙目になってたョ。
大人なのに児童みたいな泣きべそ顔になっていたゾ。
そりゃーそうだわネ。
自分で食べようと思って張り切ってチョイスしたパンを「要らないデショ」って調子こいてたサワベが食っちゃったんだから!
食べたければサワベ自身が選べばいいものを!
アリヨシはきっと、小さい頃から「横取り&いいとこどり」されてきた人なんだろうなぁ。
ことに食い物の怨みは残るからなぁ。
サワベ、あまりにもあまりにも鈍し。

いい人ほど人目につかない

2016年03月23日 | Weblog
つねづね不思議に思うんだけど。
どうして猫カフェを運営するのに貸しテナントを選ぶのかな。
町中には結構一戸建ての空き家があるし、古い物件は家賃も安い。
それに猫好きなら地図片手にカフェを訪ねるのも楽しい。
必ず駅前である必要はないような気がする。
たとえば保護主が一軒家をシェルターにして住まい、
そこに保護猫が同居してそのまま猫カフェを営業する。
つねづね思うんだけど。
保護されている人の生活と暮らしを経済的に支えられないと
保護活動自体が苦しくなってくる。
たいていの保護主は気苦労を感じさせず猫たちと暮らしておられるけど。
それでも後々何年も耐乏生活を強いられるとすればそれは考え物に違いない。

住み処プラス猫宿。
黒川温泉だっけ?
猫のもてなす宿、みたいに田舎で旅館や食堂が出来れば
従業員として稼げる。
猫の保護と平行して保護主が稼ぐ手段を得る。
あたりまえのことなんだけど、保護より以前に保護主が生きていかなければならない。
「善意」に頼りすぎて、猫を保護して下さるやさしいその人の幸せがないがしろになってはいかんなぁと思う。

心底やさしい人っていらっしゃるよねぇ……。
その人間力と我慢強さに
涙、出るわ。
せめて寄付させてもらひまふ。

らっきょナンです。

2016年03月22日 | Weblog
最近カレーが好きすぎて毎日でもいいぐらい。
家庭風、給食風、ホテル風、カレーにもいろいろあれど、
とりわけ気に入っているのがスパイシーカレー。
印度料理店でナンと供されるアレです。
ナンはないけど、スパイシーカレーと炊きたてのごはんとラッキョと福神漬けを頬ばる楽しさときたら!
う~ん、スパイシー。
これまではハチ食品やカルディ・明治屋のスパイスをすり鉢でゴリゴリと合わせてたんだけど、
最近いいカレールーを見つけてネ。
辛さが爽やかで美味しい事といったら、あなた!
レストランでカレーを食べた経験が学生時代に一度だけあるんだけど(昔からめったに外食をしない)、
たぶんその銀座にあった老舗印度カレー店の脂っこいカレーよりもさらっと煮こんだらっきょスープカレーの方が美味しいと、個人的に思う。
だって、そもそもカレー繁盛店で用いる調合レシピーであるわけだから。
美味しくないはずがない。
行列が出来るだけあるわ~、と香りを嗅ぎながら思うこの頃。

スーパーで販売されているので、
《○○の銘店スープカレー》と名のあるルーを探してみて下され。
○○は北国の某都市名であります。
ちょっと高めなもののスパイスの調合が絶妙ナンです。

※中学生だった頃にA・クィーンの小説を読んでいて、
「老婦人はカレーが好きで週に一回は食していたので肝臓が悪く、顔色がカレーとそっくりに真っ黄色だった」
という記述があったのを覚えている。
タイトルも如何なる殺人事件であったかも記憶は定かではない。
だが「カレーが好きなのでカレーの如く黄色い顔色をしていた」というくだりが忘れられなかった。
だからだろうか。
私はずっとカレーを避けて生きてきた。
学生食堂にても決してカレーは頼まず、印度料理好きの親友の誘いもむげに断りつづけた。
「黄色く」なりたくなかったからだ。
肝臓に異変をもたらしてはいかんと考えたからだ。
だが江戸の資料を調べるうちに「大和屋」という薬問屋に行き当たった。
大和屋が現在のハチ食品のルーツであることも知った。
薬屋→スパイス屋
この図式は薬研堀にあった薬問屋、現代の七味やげん堀にも通ずる。
そうなのだ。
スパイスは本来「薬」なのだ。
カラダを悪くする要因ではなく、薬膳でさえあるのだ。
江戸時代を学ぶうちに100年前のイギリス人作家の誤りを認識した。
えらい遠回りであったが、人生どこで何を学ぶか。想像がつきませんなぁ。
日々是学び。
カレー大好き。

平成ヴァーヴァリアン

2016年03月22日 | Weblog
松尾マミ蕉先生と温泉トリオ御一行


某公立中学校の校長が「とにかく子どもを産んでから大学なり専門職への道を選べばいい」と生徒の前で演説したらしい。
あ~、このヒトって。
必死に「競争」をしたことがないんだろうなぁ。
息する間も惜しんで切磋琢磨する、そういう経験したことのないヒトなんだろうなぁ。
ゆるゆると己の「行ける」道だけ「歩いて」来たヒトなんだろうなぁ。
と、思った。

若い人が若いうちに険しい道を選ぶのは現代に限ってではない。
悠久の頃より後生に道しるべを残す人物は子作りなぞにいそしんでいる暇はなかった。
私人の安定をうっちゃって成し遂げなければならない己自身の死命というものを持っているのだ。
松尾芭蕉は家庭というものに執着せず市井に生きることさえ捨てた。
バナナ先生は極端な喩えかもしれない。
だが、生徒の中には死命に燃える志ある人物も混じっているかもしれない。
だからさ。
自分の貧相な人生観を押しつけるのはやめて下さいョ。
船出する若い人に向かって「待て。先に子ども産んでからにせい」と引き留めるのは
勝負どころか競争にさえ参加しなかった己の嫉妬心から来てるんじゃーないの?
ゆるゆる生きてきたおっさんが若い獅子の足を引っ張るな。
と、思った。

家の隣の娘もその隣の娘も、裏の娘も、
中学生でおなかが大きくなって14歳で子どもを産んだ。
今は40過ぎているはずだが相変わらず金髪でスリッパ踏んで歩いている。
あのヒトたちの走る姿を見たことがない。
大学はおろか、漢字を読むことさえおぼつかない。
夜間中学への進学をすすめたが「勉強なんて役に立たない」と卓袱台をひっくり返された。
そりゃあそうさね。
彼女たちは「勉強なんか役に立たない」場所へしか配置されない。
女性だとて判事や起業しトップを勤める平成の自由の世だというのに、
彼女たちが選べるのはそのうちロボ作業に取って代わられるであろう流れ作業であり、
出入り出来るのは同じ境遇のママ友家庭に限られる。
後進国さながらの無教育がはびこる村から一歩も外の環境へ脱出出来ない。
村の外に、実力で渡れる山河があることさえ知らない女たち。
たぶん彼女らの姿が某校長の理想の姿なんだろう。
すべての女性が彼女たちのように育つならば。
日本は文化を失い、食らう為だけに狩りをするヴァーヴァリアンがのさばる原始時代へと戻ってしまうだろう。
そうなればいったい誰が渉外を務め、高度な技術に携わる仕事へ就くのだろう。
女は子どもを産め。
そして社会の底辺に埋もれろ。
そういうことだろうか。

そういうことは己の息子や孫にでも吠えてな!
と、思った。
他人様のお子様に押しつけるほどの思いつきじゃーないョ。
貴殿には考えもつかない世界だろうけど、
ホルモンに支配されるまでの若い脳にしか、ほんの短い歳月のうちにしか到達出来ぬ分野ってのが存在するのさ。
結局のところ。
他人の人生に介入すべきではない、ということネ。
どんな道を歩もうとそれはそれ。
その人の果報であり負の責任であるのョ。
それは誰にも教えられない、予知も出来ない。
ヒトに言えるほどご立派な道を歩いてきたわけじゃなし。
とにかく産む産まないは個人の自由。
教師が口を出す問題じゃない。
以上、終わり。

憧れとは、ないものねだり。

2016年03月21日 | Weblog
PCDのアシュレーが好きだ。
最近になり知ったことだが、契約のうえで彼女はかなり厳しい節食を強いられていたらしい。
あんなに激しいステージをこなしていたというのに。
なんで?
私なぞちょっと「体操」したたけで脂肪が落ちるぞ。
どうして10センチ以上のピンヒールはいてバーレスク踊る彼女が、
ダイエットする必要があるのだ。
よほど食っていたのか?
ストレスから来る爆食い……?
脱退した現在はもうダイエットはしていないそうだが、
私はやはりPCD時代の逞しいアシュレーが好きだ。
褐色の肌、四角くてイカつい顔面に、素晴らしく割れた腹筋、そして筋走った手肢!
アシュレー、かっこいいー!
あこがれますなぁ。
ナヨッとなんかしてられませんゼ。

また、ボート漕ぎに励むとしますか。
ムキムキ。