開運極楽堂

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(14)もう、攻撃したっていいんじゃない

2007-12-01 00:23:59 | ヤスカクの風まかせ日記~安田拡了
 30日。また東スポが無我ネタを書いていた。「後藤達俊も無我離脱」という見出し。しかし、順番が違うな。実は無我のスタッフが先に後藤に「今後は無我の試合に呼べません。これは無我の選手、スタッフの総意です」と通達している。だから、後藤は無我を自分から離脱したわけじゃなくて、その前に“クビ”になったんじゃ…。
もともとフリーとして参戦していたので厳密には“クビ”とは言えない。だが無我の一員として参戦をしてきたのでクビという意味なんだな。
 藤波も思い切ったことをしたもんだと思ったが、ここまで藤波を踏み込ませたということは、相当な理由があったんだなと想像がつく。それについては無我スタッフが本日(30日)、東スポの記者に細かく説明したらしい。

◎後藤がヒールスタイルを否定されたと批判したことについて。
【無我スタッフの言い分】
「一言も否定していない。宇都宮大会で後藤さんに説明をした。しかし、翌日の後藤さんのブログでヒールスタイル云々のことが出ていた。それで、あるレスラーが一緒にいたので、あらためて“後藤さんに誤解を受けるような言い回しをしたかどうかを、そのレスラーに聞いたが、“いやそんなことはなかった。ヒールスタイルを否定した言葉なんか聞いていない”という返事をもらっています」

◎今回の東スポで後藤の会話部分「オレがブログで不満を書いたら、やっと事情を説明に来た」ということについて。
【無我スタッフの言い分】
「後藤さんのブログを見て、こちらの話したことが理解してもらっていないのかなと思い、事情説明に行きました。そのブログを見て慌てて謝りに行ったというものではない。事務所に来てもらえばという意見もありましたが、こちらの誠意として等々力のほうまで説明に行っただけなんです」

◎今回の東スポで後藤の会話部分「西村の件でブログで正直な気持ちを書いたら、すぐに『事情説明しろ』と。こういう時だけ対応が早いんだから。社会人の常識もないんだよ」
【無我スタッフの言い分】
「確かに事情を説明してくださいと連絡しましたよ。しかし、それは無我のスタッフとして当たり前の行為。しかし、そこから後藤さんは何の連絡もしてこなかった。藤波さんが電話をしても、ぜんぜん出なかった。藤波さんが“もう一回連絡するよ”と言ったが、何度も連絡しているのに連絡してこないので、もう藤波さんは連絡しなくていいですよと止めたくらいです。それが24日のことですよ」

 キャリアのある大物元レスラーが、無我が後藤を今後参戦させないことにした件について、藤波に「もう、すっきりしたほうがいいよ」と言ったらしい。藤波と一緒にやっていこうと思っている者だけで真っ直ぐに進んだほうが、すっきりするということだ。

 藤波はあんまり人と口げんかをしたくないタイプだから、いつも黙っているけど…。こうも一方的に言われるのも癪だろうと思う。ある程度、事情を知っているから、余計に「文句を言えばいいのにな」と思う。いや、スタッフが攻撃したっていいじゃないか。
 昔のエネルギッシュだった頃の新日本は、こういうシリアスなことが出てくると営業本部長だった新間寿さんが血相を変えて相手と渡り合ったものだった。大人の対応なんてクソくらえだった。そういうエネルギーが、結果的に面白いものを生んだのだろうとも思う。
 プロレスはある意味、喧嘩じゃないのか。
 理不尽なものをやっつける。これは藤波の専売特許じゃないのか。いや、藤波が攻撃する以前に、新間さんのようにスタッフが率先して攻撃したっていい。
 いつか大物プロデューサーの康吉雄さんに新間さんが噛み付いたことがあった。未発表のアリ戦について康さんが新聞に書いてしまったのだ。それを読んだ新間さんが頭に来て、康さんを京王プラザに呼び出して文句を言った。
 しかし、それが交際のはじまりとなり、のちに康さんはアントニオ猪木とウガンダの人食いといわれたアミン大統領との試合イベントを仕掛けることになった(結局はウガンダの内戦で消えてしまったが)。
 いずれにせよ、黙っていないで喧嘩をすればいいんだと思う。エネルギッシュで元気が出るってもんだ。そういや1970年後半から1980年代のプロレス界はパワフルだった。
 あの時代、新間さんがいたからエネルギッシュだったのか。


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