母を病院へ連れてゆき、ながーい待ち時間、一気に読みきってしまったのが
「甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ 高畠導宏の生涯」門田隆将著 講談社
薦めたくなった。そう。そうだ。薦めたくなる本。
読んでみたらわかるのですが・・。
で、こんな人がいたんだよって、知らせたい。
長島さん、私、貴方と珍しく意見が合いました!!
著者のもくろみ大成功ですよ・・。
野球の好きな人に。
進路で悩んでいる人に。
子どもと接する仕事についている人に。
あと、野球をやってる若い人に。ぜひ。(「出口の無い海」とあわせてお薦め)
さっそく我が家の野球好き=したむすめに薦めてみました。活字の本苦手、初めて読みきったのが「トラの意地」。というしたちゃんですが、「これは読みたい」とうめいておりました。「はじめに」を読んだら読まずにはいられなくなったと言うのです。
こんなで出だし。
はじめに
平成16年夏、一人の高校教師が膵臓癌で亡くなりました。
還暦を迎えて半年たらず、まだ60歳でした。
その高校教師には、特異な経歴がありました。なんとやく30年にわたって、プロ野球の打撃コーチを務めたのです。
渡り歩いた球団は、南海、ロッテ、ヤクルト、ダイエー、中日、オリックス、そして千葉ロッテ。野球の質がパワーから技術へ、そして諜報戦から総合戦へ、さまざまに形状を変えていく中、彼は常にその最前線にいました。
そして、七つの球団で独特の打撃理論と卓抜した洞察力を駆使して選手たちの指導をおこない、時に相談に乗り、汗と涙を共有しながら、気がつけば延べ30人以上のタイトルホルダーを育て上げていました。
しかし、その伝説の打撃コーチは、50代半ばで一念発起し、高校教師になるために通信教育で勉強を始めます。そして5年かかって教員免許を取得し、社会科教師として教壇に上がり「甲子園」を目指しました。
その人の名は、高畠導宏(たかばたけ みちひろ)さん・・・・・・
わずか28歳で打撃コーチとなった高畠さんの黒子に徹した彼のコーチ人生(とくに教え方に注目)
各球団が展開する勝利への凄まじい諜報戦の実態(身震いするほどの凄まじさ!)
これらを知り、学ぶ事は野球を見るうえでも大きい財産だと思います。
コーチングの工夫、飽くなき探究心。めぐりめぐって・・・その野球の最終目標を甲子園に回帰し、教育、青年心理に着眼した高畠さんの生き方は、これからの野球界がどうやって子どもたちに野球を伝えてゆけばよいのかという命題について、あるひとつ方法を指し示している。とも思います。
読み物としても
落合、水上、アリアス、小久保・・・各選手との関わり方が実に個別性を重視していて、感心します。
さらに
泣けてしまうのは高畠氏が亡くなる10日前の仰木彬氏との会話。
「監督、後半年で(高校野球が指導できない)二年の縛りが解けるんですよ」
「そら良かったなあ。それやったら、なおのこと元気出して、はよ戻らないかんなあ」
プロ野球経験者は、高校の教師になっても、すぐには野球指導ができないんですって・・・。2年間待つ。高畠さんはその2年を待つ間に、癌に侵され亡くなったのです。
ご無念計り知れません。
この章の最後筆者は
「仰木マジックと伝説の打撃コーチ・高畠。プロ野球の歴史の中で、そのコンビがグランドで行動をともにしたのは、わずか3年だけである。しかし、この時期、二人のもとで幸運にも指導を受けた選手たちは、これから先、自らが指導者となった時、必ずそこで得た何かを次代の選手たちに伝えていくに違いない」
と結んでいます。
ホントにそうなって欲しい。と強く強く思います。
現に、千葉ロッテの現コーチ陣は高畠氏の教え子さんが多い。
昨年の日本シリーズ。虎バッテリーを粉砕したのは実は高畠氏だったのでは?とおりがみは妙に納得したのであります・・・。
「甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ 高畠導宏の生涯」門田隆将著 講談社
薦めたくなった。そう。そうだ。薦めたくなる本。
読んでみたらわかるのですが・・。
で、こんな人がいたんだよって、知らせたい。
長島さん、私、貴方と珍しく意見が合いました!!
著者のもくろみ大成功ですよ・・。
野球の好きな人に。
進路で悩んでいる人に。
子どもと接する仕事についている人に。
あと、野球をやってる若い人に。ぜひ。(「出口の無い海」とあわせてお薦め)
さっそく我が家の野球好き=したむすめに薦めてみました。活字の本苦手、初めて読みきったのが「トラの意地」。というしたちゃんですが、「これは読みたい」とうめいておりました。「はじめに」を読んだら読まずにはいられなくなったと言うのです。
こんなで出だし。
はじめに
平成16年夏、一人の高校教師が膵臓癌で亡くなりました。
還暦を迎えて半年たらず、まだ60歳でした。
その高校教師には、特異な経歴がありました。なんとやく30年にわたって、プロ野球の打撃コーチを務めたのです。
渡り歩いた球団は、南海、ロッテ、ヤクルト、ダイエー、中日、オリックス、そして千葉ロッテ。野球の質がパワーから技術へ、そして諜報戦から総合戦へ、さまざまに形状を変えていく中、彼は常にその最前線にいました。
そして、七つの球団で独特の打撃理論と卓抜した洞察力を駆使して選手たちの指導をおこない、時に相談に乗り、汗と涙を共有しながら、気がつけば延べ30人以上のタイトルホルダーを育て上げていました。
しかし、その伝説の打撃コーチは、50代半ばで一念発起し、高校教師になるために通信教育で勉強を始めます。そして5年かかって教員免許を取得し、社会科教師として教壇に上がり「甲子園」を目指しました。
その人の名は、高畠導宏(たかばたけ みちひろ)さん・・・・・・
わずか28歳で打撃コーチとなった高畠さんの黒子に徹した彼のコーチ人生(とくに教え方に注目)
各球団が展開する勝利への凄まじい諜報戦の実態(身震いするほどの凄まじさ!)
これらを知り、学ぶ事は野球を見るうえでも大きい財産だと思います。
コーチングの工夫、飽くなき探究心。めぐりめぐって・・・その野球の最終目標を甲子園に回帰し、教育、青年心理に着眼した高畠さんの生き方は、これからの野球界がどうやって子どもたちに野球を伝えてゆけばよいのかという命題について、あるひとつ方法を指し示している。とも思います。
読み物としても
落合、水上、アリアス、小久保・・・各選手との関わり方が実に個別性を重視していて、感心します。
さらに
泣けてしまうのは高畠氏が亡くなる10日前の仰木彬氏との会話。
「監督、後半年で(高校野球が指導できない)二年の縛りが解けるんですよ」
「そら良かったなあ。それやったら、なおのこと元気出して、はよ戻らないかんなあ」
プロ野球経験者は、高校の教師になっても、すぐには野球指導ができないんですって・・・。2年間待つ。高畠さんはその2年を待つ間に、癌に侵され亡くなったのです。
ご無念計り知れません。
この章の最後筆者は
「仰木マジックと伝説の打撃コーチ・高畠。プロ野球の歴史の中で、そのコンビがグランドで行動をともにしたのは、わずか3年だけである。しかし、この時期、二人のもとで幸運にも指導を受けた選手たちは、これから先、自らが指導者となった時、必ずそこで得た何かを次代の選手たちに伝えていくに違いない」
と結んでいます。
ホントにそうなって欲しい。と強く強く思います。
現に、千葉ロッテの現コーチ陣は高畠氏の教え子さんが多い。
昨年の日本シリーズ。虎バッテリーを粉砕したのは実は高畠氏だったのでは?とおりがみは妙に納得したのであります・・・。
明日本屋さんに行ってみます!
高畠氏のコーチングの前提にあるのは、ご自身の壮絶な高校時代の野球部生活です。多くのプロ選手が洗礼を受けた理不尽な学生時代の上下関係。しかし、今、当時と同じような事をやったら即体罰、暴力沙汰、部員同士のいじめに発展してしまうでしょう。青年心理学、教育学などの「科学」を身に付けた彼が、納得と合意のもとで子どもたちをどう導こうとしていたのか。とても興味深いのです。
早速、明日、本屋で探してみます。
高校野球の指導者になれなかったのは勿論残念ですが、こんな人がいたというだけで、嬉しくなってしまいますね。
昨年の11月か12月???
ドキュメンタリーとして追っていて、同僚の先生のお話しとかもありました。
読んでみよ~。
甲子園を目指して頑張ってるよーというドキュメンタリーだったならどんなに良かったか・・(涙)
高畠さんが監督をしていたらと、亡くなってからいつも考えています。
大学を卒業している元プロはそれでも教職資格さえ取れば狭いながらも道があるのですが、高卒でプロ入りした人たちは、まず大学に行かなければなりません。
私は高野連の担当者に、「プロの指導を排除し続けて、その結果野球じたいが衰退したら、プロもアマもみんなおしまいでしょ?」と言ったことがあるのですが。