二胡歴五年七転八倒

二胡に興味をお持ちの方&ビギナーへの参考になれば
//5年目のいましか書けない事//

関ヶ原を訪れる:小早川秀秋in屏風絵

2016-08-17 22:47:25 | 旅行
関ヶ原歴史民俗資料館でグッズを買ってレジの前に行ったら、ミニ合戦屏風絵プラス絵葉書のセット、¥500が並んでいました
その前に¥2000の前で迷っていたので、つい手が出て買い足しました

これが面白いのです
何がというと小早川秀秋の扱いが、、です

(1)小早川の旗印・旗指物がほかの大名のものと違って、「半分またはそれ以上、山に隠れている」
(2)小早川の旗印・旗指物がほかの大名のものよりも、「小さく」描かれている
(3)秀秋の顔かたちが描かれていない

まずは屏風全体の写真



徳川家康、石田三成、大谷吉継、小早川秀秋のところに印を打ちました


絵葉書は部分拡大されていて

徳川家康        


石田三成


小早川秀秋


小早川隊は「違い鎌」という、鉱山の地図記号のような形のものです
ごらんのように、旗印の下の方が山に隠れています。鎌さえ隠れ気味です。ほかの内応諸隊もそれに近い扱いになっています 
葉書は拡大しているので旗の大きさの違いは分かりにくいかもしれません。しかし全体図を見ると明らかに小さく、ほかの大名の旗の2/3くらいの幅でしょうか
秀秋と書かれた名札(?)の近くで兜をかぶった武士は後ろ向きで顔が見えません。ほかの大名は横顔ないし正面顔で、必ず描かれています
違い鎌の旗印を持っている人物の中で、内応を勧めた平岡頼勝(石見守)のみが顔を描かれ、背中の旗印も全体が描かれています(4枚目中央上端)

ほかに武将の姿が描かれていないのはもう一人、石田三成
西軍の主将ですから、これは仕方がないでしょう


小早川は形勢逆転したキーマン。大殊勲者であるので扱いはもっとよくていいはずです。絵は様子眺めの時のものです。戦っている絵ではありません。

やはり裏切り者というのは、徳川方にとっても目さわりなものなのですね

(このような解説がどこかで誰かが書いていたら、お詫びいたします)


私の写真は見にくいので、彦根城博物館のHPをリンクします
拡大できて見やすいです


PS
扱いのいいのが大谷吉継
陣幕が描かれるのは上記のほかは島津、黒田、福島、細川の諸将の陣
敦賀5万石にしては厚遇です
       


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