あしたのタネをまく、アシタネブログ!

今日よりちょっといい、明日にしませんか

「想い出」と「再会」を一冊の本に・・

2011年01月30日 07時02分57秒 | 家族、仲間の話題

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(記念誌の表紙)

2011年1月2日に高校の同窓会を開催。前回(5年前)から、同窓会の記念誌を発行しており、今回が2回目の発行
毎週日曜日、パソコンと格闘しながら制作、この程ようやく完成。

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(交流会の模様をまとめたページ)

写真の選定と、写真ページのレイアウトが一番苦心したが、何とかいい感じに仕上がった。自画自賛(*^_^*)
ページの構成は、会場での記念写真集、名簿、同窓生のメッセージ。そして付録だ。
付録は、「50歳からイキイキ生きるために・・」のテーマで、50歳からのファッションや健康、趣味、今後の資金等、資料を集めたもの。

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(メッセージ紹介ページ)

苦労はしたが、ここまで漕ぎ着けたのも、いろんな人にたくさんのエネルギーをもらっているからだろう。
改めて、見えない何かを育てていくことの大切さを感じる。 あと何度集まれるのだろう。楽しい集まりとなるようお手伝いをしていきたいね♪


新燃岳からの降灰、宮崎市佐土原にて・・・

2011年01月29日 13時10分16秒 | のほほん日記

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(車中より積もった灰を見る)

1月28日、朝刊を取りに外にでると、硫黄の匂いと辺り一面、灰。 初めての経験。雪のようだ・・。

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(通勤途中、空もどんよりしている)


車に乗るとフロントガラスを灰が覆い、暗い。 車を走らせても、夕暮れのように辺りが見えにくい。

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(駐車場の車、そして地面も灰で一杯)


都城では降灰で大変だと聞いていたが、地理的に離れてもこの状況とは・・・。 やはり体験して初めてわかるもの。都城はさぞ大変だろう。

あと1年~2年この状況は続くとラジオで言っていた。 さまざまな影響が予想されるが、落ち着くまで見極めたい。

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(太陽が灰で遮られる)


ところで、降った灰が昨日の雨で、固まりやすくなっている。
でもまた降ってる・・・


イラストライター、松本こーせいさん

2011年01月25日 22時02分11秒 | ノンカテゴリー

「イラストライター」とは、イラストレーターとライター(著作家)が合体した造語。松本こーせいさんは、宮崎「橋の日」実行委員会で一緒に活動するの仲間だ。


松本こーせいさんは、「散歩考古学」を提唱しており、幅広いジャンルでイラストや漫画と執筆を手がけ、主な著書に「東京不思議発見」などがある。
この「散歩考古学」とは、町歩きしながら、好奇心をくすぐる町の成り立ちや歴史などを散策をするというもので、先日(1月23日(日曜日))には、MRTラジオ番組「サンデーラジオ大学」に出演された。

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(宮崎県立博物館のイラストマップなど)


番組では、宮崎県立博物館のイラストマップのことや宮崎日日新聞に連載され、出版された「東京の中の宮崎」について紹介や散歩考古学についてお話を聞いた。
また、取材でビデオカメラやカメラなどを持って出かけるとのこと。写真ではなく図解で正確に、そしてわかりやすくを伝えることの難しさを垣間見た気がした。
またラジオで、「現場で気配を感じる」というお話があったが、松本さんの独特の嗅覚なんだろうと感じた。


他にも郷土の歌人若山牧水のサラリーマン時代のこと、初代柳家小さんが延岡出身であることなど、宮崎にゆかりのお話を紹介。お話を聞きながら、「へぇ~」や「ほ~」「そう!」と好奇心をかき立てるお話の中から、「散歩考古学」のファンになった。車社会の現代、ゆっくり歩きながら、故郷の歴史や先人の想いに触れるには、本当によいきっかけだと思う。それに健康にもなる・・・まさに一石二鳥だ。

たぶん、松本さんは宮崎の大ファンだと思う。これからも、好奇心を刺激する話題や故郷を再発見する企画など楽しみだ。陰ながら応援したい・・・。


お茶の間出版

2011年01月23日 14時44分15秒 | 自分を磨きましょう

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   (初めて制作、手作りの本)

昔の事だ。35歳という響きには、自分なりのこだわりがあった。
毎日、かなり無理ばかりしていたので、70歳位までしか生きられないのではないか。もし、それ以上に長生きしたら儲けものだと。35歳は、その折り返しだと考えていた。

当時、将来への漠然とした焦りと苛立ち、このままでいいのかという思いが渦巻いていた。
あれこれと悩んだ末、自分の足跡をなんらかの形をまとめてみたい、そうする事で新しい何かが見えてくるかも知れないと・・・。

それから約半年。これまでの出来事や、その情景・漂う空気を思い出しながら100句あまりの川柳にまとめた。
そして35歳の誕生日、なんとか自家製の本できた。
あれから15年余。今、読み返しても、若き日の痛々しい思い出が多いが、反面まだまだ頑張れると、こころのどこかで感じた

 

3句を紹介

新聞紙 毛布替わりの 夜汽車旅
(5歳の頃。父の経営する会社倒産の後、大阪から逃げ帰るよう父の故郷、宮崎へ帰った。 列車の床に新聞紙を敷き眠た事を覚えている。)

凪の月 船上祝う 赤道祭
(23歳、始めての海外旅行は、オセアニア、総理府が主催の青年の船だ。 赤道を越える日には、乗船していた400名で赤道祭を開催した。多くの招聘外国青年を交え国際色豊かなイベントだった。)

人育て ひとりが楽だと 愚痴を吐き
(組織は人を育てることで永続する。当時は一人の部署だったが、やがて部署を任され、部下が出来、育成に苦しむ毎日だった30歳の頃。しかし、一人の頃は良かったな・・・。)


ここはふるさと旅するラジオ「神戸蘭子さん」出演!

2011年01月19日 22時05分03秒 | のほほん日記

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(収録前の様子、熱気あふれる!)

1月19日(水曜日)宮崎市、山形屋「四季ふれあいモール」にて、午後0時30分よりNHKラジオ第一「ここは故郷旅するラジオ」の公開放送が行わると聞いて、見学に行ってきた。
アナウンサーは、通りの良いキレイな声が印象的な森下和哉さん。地元からは、和田アナウンサーが出演。

300人近くのギャラリー、寒いのに熱気ムンムン、平均年齢は65歳位かな。リスナーは、たぶんこの年代なのだと思う。でも元気がいい!ノリがいいね。放送では、ゲストのモデル・タレントの神戸蘭子さんが、ふるさととのつながりや、宮崎での思い出などを語った。

印象的だったのは、自宅は山形屋近くにあるらしく、この界隈で過ごしたとのこと。幼い頃からバレエを15年続けたり、ピアノなどさまざま習い事をしたそうだ。
高校を卒業後、服飾の学校へ進学、そして就職してから、モデルになったという変わった経歴を持っている。ところで神戸さんは、キレイでしたよ!さすがモデル。これからも頑張って!活躍を祈りたい。

神戸蘭子さんのブログは>>>こちら
ここはふるさと旅するラジオ詳細は>>>こちら


楽曲検索で未知の曲と出合う♪

2011年01月16日 09時16分54秒 | アコースティックライブと音楽

先週、ドライブした日南市の「港の駅めいつ」駐車場でのこと。注文した「ホタテ焼き」を待っていると、キレイなピアノの音が・・。
聞いているうちに、とても癒され誰の演奏だろう・・・と思った。その時、携帯電話に「楽曲検索」機能があったことを思い出した。



初めてのことだが、試してみた。「楽曲検索」を立ち上げて、携帯電話の通話口から、スピーカーへ向けてと・・・。
検索開始。・・・。なんと、ビージー・アデール「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」 と出てきた。当たってる?かな。



ドライブから帰ってきて、早速調べてみたら、正解。すごい技術だ!

これから、いい楽曲にたくさん出合えるかも知れない  何でもやってみるものだと感じた瞬間だった。



(ビージーアデールさんについて)70歳超にして昨年日本デビュー、2010年ジャズ部門、年間アルバム1位。これもうなずける・・。年輪から生まれる音楽、これもステキなことだ。


★諸事情で削除される場合がございます。その際は、ごめんなさい<(_ _)>

温泉・海の幸。日南海岸へドライブ

2011年01月09日 18時41分09秒 | 旅、風景写真

1月8日に義母が延岡から遊びに来た。
9日は、みんなでドライブをしようということになり、妻と一緒に北郷温泉、日南海岸へ出かけた。
西都市から高速に乗り、田野町、そして北郷へと向かった。
北郷温泉では原泉掛け流しのお風呂でひといき。


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その後立ち寄った飫肥城下では厚焼き卵をお土産に。
そして海の幸を求めて、南郷町の目井津漁港へ。漁港の「港の駅めいつのレストランでは、食事を待つ人、お土産を買う人で賑やかだった。
漁船も停泊してあり、白い船体がまぶしく見えた。
ちなみに、宮崎県内全魚協の近海鰹一本釣りの漁獲量総数は年間2.2万トン。20年以上も日本一を誇っているとのことだ


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駐車場では移動販売車が、サザエの壺焼きやホタテ焼き等販売。
うまい!漁港で食べる海の幸は格別だった。

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店長のお孫さん達も手伝っていたが、子ども達のかわいいこと・・・。
子育ての頃をふっと思い出した。あんな時代もあったな・・・と。
そして夕暮れも近くなり、夕闇迫る海岸通りを北上、家路へとついた。




お百度まいりの十回分なんて・・・

2011年01月09日 05時21分41秒 | のほほん日記

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宮崎市青島で行われる「裸まいり」は、毎年旧暦12月17日の夜にとりおこ行われ、当夜参拝すれば、お百度まいりの十回分つまり千日易うると伝えられている。
全国の神社の伝統行事の中でも、寒風をつき、海水の中で身を清める年頭行事である「禊(みそぎ)」は、極めて貴重なものということで、神事だけは従来通り残して、「裸まいり」のみそぎ行事だけ成人の日の祝日にあわせて行われており、男性はふんどし、女性は白襦袢姿で出発。花火の合図で海に飛び込み、みそぎを行い、神社へ参拝する。

いよいよ、明日。大丈夫だろうか?海に2度つかった後、最後に沿道にある冷水を浴び体についた海水を落とすらしく、その水も温かく感じるほど、外気もそして海水温も冷たいらしい・・。ふんどしも似合うかなぁ 倒れて運ばれたりしたら最低だね・・・。

初詣そして座禅からスタートした一年、次はこの由緒正しき行事で一年のスタートを! 勿論、「願」もかけるつもりだ。お百度まいりの十回分だから


武士の一分 / 藤原道山×冨田勲

2011年01月08日 22時42分50秒 | アコースティックライブと音楽

本日、ラジオで尺八演奏家「藤原道山」の演奏を聴いた。曲目は「四季」、尺八の魅力、音色の素晴らしさを十二分に聴かせてくれる曲目だった

早速ネットで調べた。藤原 道山(ふじわら どうざん、1972年 - )は、東京都生まれの尺八演奏家、作曲家。ニックネームは ”和楽器の貴公子"。(ウィキペディアより)
YouTubeで、紹介されていたので、掲載した。木村拓哉の主演でも話題を呼んだ2006年制作の映画『武士の一分』では、ゲストミュージシャンとして参加している。
曲目は「武士の一分 / 藤原道山×冨田勲」、冨田勲のシンセサイザーアレンジと尺八の魅力を存分に味わえる曲。




尺八演奏家 藤原道山のウェブサイト
http://www.dozan.jp/index.html


★諸事情で削除される場合がございます。その際は、ごめんなさい<(_ _)>

青年の船に乗船した24歳。思い出の写真集。

2011年01月08日 07時06分10秒 | 出会いと経験


「世界青年の船」は、内閣府の行っている事業の一つで、18歳から30歳の日本国籍を持った人が参加でき、世界12カ国の青年が集まり43日間船で共同生活する事業。毎年、東回りと西回りと交互に回っている。これまで1万人を越える日本人と海外招聘青年が参加している。

私が参加した今年の青年の船は、307名の団員を乗せ 昭和59年1月26日に東京港を出航し50日間にわたり、オーストラリア・ニュージーランド・トンガ王国・西サモアを訪問し、3月15日の帰国まで、多くの研修を行った。

私が乗船した第17回青年の船が掲げた統一テーマは、「南太平洋に拡げよう青年の輪」であり、このテーマのもと団員ひとりひとりが自ら各種の研究テーマを設定し、船内における研修や寄港地での視察、交歓会などを通じグループごとにそのテーマを追求した。

船内で生活を共にした訪問国青年達と、言語・宗教・民族を越えた人間的共感によって結ばれたことも、この船ならではの成果でした。
この船を通じて次の3点を学んだように思います。

ひとつは、文化・言語・習慣・考え方の違いを体験することによって理解し、自分が日本人であり、日本の青年であるという事を再認識したこと。2つめに、多くの人達との出会いにより、情熱とそれを実行する手段をみつければ、何でも出来るんだという確信、人間の無限の可能性を信じられる様になりました。そして最後は、国際理解、人間理解はまず身近なところが出発点だという事です。

乗船前から帰国するまでの写真を掲載し、記憶に留めたい。



高校卒業後、さまざまな地域活動をしていた私に、先輩が青年の船への参加を進めてくれた。1月から3月中旬までの50日間、会社を休むこととなったが、社長が有給での参加を許可してくださった。その後、試験をパス、先輩達に壮行会を開催していただいた。



知事への表敬訪問。宮崎県からは4名が参加しました。



出発を前日に、総理府、および皇居への表敬訪問をおこなった。




宮崎県からも見送りに来ていただいた。



船の中では、午前と午後、政治や経済、福祉、国際関係などの授業がおこなわれました。上記の写真は、外国人招聘青年を交えたフリーディスカッション風景。




豊富なレクリエーションプログラムも準備されていました。

寄港地では、文化行事のほか、親善サッカーもおこなわれました。上記写真はニュージーランドで試合後の記念写真(ゴールキーパーで参加)

お昼の時間を利用して、メンバーとたのしいひとときを過ごしました。




初めてのホームスティ。2日間でしたがホームスティファミリからは、あたたかく接していただきました。

この写真は船の中でお茶室の様子。所属したローターアクトクラブの仲間であるオーストラリア、ブリスベーンのメンバーに手紙を書いたところ、同地区の代表他が船に遊びに来てくれました。一枚の手紙が世界を越え、友情の架け橋をつくったことに感動を覚えました。

乗船者でバンドをつくり、ライブ活動もおこないました。宮崎から30キロもあるキーバードケースを担いでいきました。

フィージー出身のマイク君とのツーショット。初めてできた外国人の友人でした。


帰国する船の中、硫黄島の沖で洋上戦没者慰霊祭を執り行いました。グァム島での戦争体験を話された島民の方との交流があったからか、戦争ということに向き合うことができました。


自分の可能性を信じて、いろんなことに挑戦しようと、船で知人に書いていただいた「挑戦」の文字。

数多くの出会いや出来事がありました。それらは次の二つの手段によって得られたように思います。
ひとつは、何をどれだけ多く学ぶかという事に関しては、経験の多い少ないではなく、「ひとつのことからどれだけ多くの事を吸収できるか」であり、もうひとつは、物事を大切にするかしないかは心がけであり、「大切にする気持ちが尊い」ということです。

この二つの事を頭に置いて、取り組んでいけばきっと多くの事を学べると確信しています。その意味で、私は私なりにこの「青年の船」について、その意義を大切に育んでいきたいと思っています。

最後に、この旅を通してあなたは何に一番感動しましたかと尋ねられたら、私は躊躇いなくこう答えます。「どんな美しい景色より、人の心は美しく、どんな広大な土地より、人の心は大きい。そして人の心は大自然を、人を包み込むことができることを知ったことです」



 


同窓会はやっぱり楽しい♪

2011年01月06日 06時24分47秒 | ノンカテゴリー

お正月の2日、同窓会が終わった。高校を卒業して三十数年が経つ。私達の街では、全体同窓会(歴代卒業生の同窓会)が毎年開催されている。
その運営を卒業生である各回生が順番にお世話するというものだ。市内には7の高校があるが、すべて同じ仕組み行われている。


考えてみると、すごい仕組み。他高の全体同窓会に参加したことがあるが、各高校とも特長がある。
例えば、新しくできた高校は卒業生も若く、携帯などを使ったゲームに取り入れたり等、それぞれの高校で特長がある。

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私達の回生は40歳のとき、卒業した高校の全体同窓会を運営した。寄付集めから当日の運営まで1年をかけて準備した。
その課程で、メンバーが打ち解け、仲間意識がとても強くなったように思う。


その時、5年に一度集まろうということになり、今回が3回目の同窓会、約60名が参加した。
今回は、特にあたたかい心づかいを感じた同窓会だった。子育てを終えたり、孫ができたりと、お互いゆとりができたからかな・・・。



年を重ねてからの友達は、これまで以上に宝ものとなるだろう。それは、いろんな刺激や知識、生き方を教えてくれるから・・・
50代を迎えた今、友達を増やすのは難しい気がする。しかし同窓会では、何の抵抗もなく語り合える友達ができる。
ありがたいこと、そして大切に育てていきたいもの。


座禅が教えてくれたこと。

2011年01月06日 05時56分04秒 | のほほん日記

仕事始めの5日、会社恒例の座禅に参加した。
静まりかえったお寺の本堂の中、約1時間参禅した。1時間という時間は、長いようだが、実際、あっという間だ。

静寂、張り詰めた緊張・・・。

住職より今年干支、「辛卯(かのとう)」についての講話があった。特に印象的だったのは、今年は五感を整え、その上で新しいことに挑戦するのが良いという話。
五感が整うことで、第六感が生まれる。つまり感性が閃き、相手が何を望んでいるかなど人間関係の気づかいができるというお話だった。



バタバタしたり、荒ぶれたこころでは、気付かないことが多い。自らの努力も勿論大切だが、もっとも大切なのはどれだけ身の回りの人を自分の味方にできるかだと思う。
周りの協力なくして、何事もあり得ない。それは家族も・・・。
そんな意味からも周りの人にどれだけ気づかいができるかが大切だ。
これまでも大切だったことだが、年を重ねる程に重要になってくるのではないだろうか

人が織りなす世の中、生きにくくするのも楽しくするのも自分次第なのかも知れない・・・そんなことを座禅を終えたお寺の石段を降りながら考えた。

今年の目標は・・

2011年01月04日 20時43分47秒 | ひとりごと

昨年は、早かったなぁ~。これまで毎年いろんな目標を掲げては、達成できなかったことの多いこと多いこと・・・。
そんな昨年は、目標をひとつに絞った。それは「整理整頓」。
いつも使う会社の机の上、中、車の中、パソコンのデータ、そして身の回りなど、整理し整頓するように心がけた。
1月には、これまでの自分と別れを告げるため、背広をすべて捨てたりもした。後戻りはしない、必ず新しい自分になる・・・
そんな決意の儀式だった。

振り返ると、これまでいかに自分を過信していたかがわかった。自分が思っている程たいしたことはない、目標はやはり、ひとつでいいと思った
目標に対して点数をつけると51点だが、大きな一歩だと思う。見えてきたことが多く、自分なりに実りの多い一年だったと思う。

そして今年は、「時間の活用」。それは、時間の管理はこころの管理に通じると思うからだ。
ちょっと先を読む、計画的に物事を進める、紙に書き出す。そんな小さな積み重ねを大切にして、時間をケチることなく、活用できるようにするつもりだ