54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

「ダイヤモンド・エイジ」ニール・スティーヴンスン

2006年04月30日 | 読書感想文
文量の多さに引きましたけどね。途中で投げ出そうかとも思ったけどね。読みました。
あるところから急速におもしろくなっていったよ。
これだけの未来世界を創り出すなんて、すごいと思ったよ。

ダイヤモンド・エイジニール・スティーヴンスン

「プライマー」が出てきたあたりから読めるようになってきた。プライマーは少女向けの本で、絵本のようでもあるし、ヴァーチャルリアリティのゲームのようでもある。少女の境遇に合わせて物語がインタラクティブに変化していく。少女の身の回りの人物や出来事が物語に反映されるのだ。少女は物語の中で学んだことを現実の世界で実践していく。プライマーを読みながら少女が成長していくのだ。プライマーの物語が最初はすべてひらがなだったのが、だんだん漢字交じりになっていくのでも成長の様子がわかる。
プライマーの出来事と現実の出来事がリンクしていって、どっちが物語でどっちが現実かわからなくなってくる。

教育装置としての本

私は思ったのだけど、少女にとって(少年にとっても)、本というのはプライマーなのではないか。
文章や絵が変化したり、本の中に入ってヴァーチャル体験したりは実際にはできないけれど、しかし少女の頭の中では、物語は変化し、ヴァーチャル体験し、現実とリンクし、物語と現実の区別がなくなるのではないか。
少女は本から学び、現実において実践していく。そして成長していく。
現実においての読書は、まさにプライマーなのではないかと思ったのだ。

私は子どもの頃読書をして来なかったので精神的にまだまだ未熟なのだなと思うのだ。
現在の子どもたちは不幸だと思う。本しかなかった頃は読書が唯一の娯楽だった。二宮金次郎は勤勉家だったのではなく、娯楽のために読書していたのだ。でも現在はテレビゲームなんてものがあって、読書なんかしなくなってしまった。私なんかもずっとテレビゲームをしていた。
テレビゲームから一体何を学べただろうか。すばやくボタン操作をする様子は気持ちが悪いだけだ。学ぶことが何もないとはいわないが、読書ほどではないはずだ。
子どもっぽい大人、いつまでも大人になりきれない子どもが増えたのは、読書をする子どもが減ったからではないだろうか。本が子どもを育てるのである。その本がないがしろにされては子どもは成長できない。

「ダイヤモンド・エイジ」は子どもの読書の重要性を訴えているのではないか。教育装置としての本。「プライマー」はその究極の形。
テレビゲームの麻薬的な求心性と本が持つ教育性を併せもった究極のインタラクティヴソフト。

読書しましょう。。

子どもの頃に「読書しましょう」とか言われてもまったく読書する気になれなかった。「勉強しましょう」もそう。
でも大人になると、あのとき読書しておけば、勉強しておけばよかった、と思う。
それでやはり子どもに読書しましょう勉強しましょうと言う。でも子どもにはわからない。
これはなんなのでしょう。
タイムマシンで過去に戻って子どもの自分に「本を読め」と言っても、絶対に読まない自信があるもん。
うまい方法はないもんかねえ。。

そうそう、「ダイヤモンド・エイジ」にでてきたMC(物質組成機)は「転写エラー」のときに書いた量子テレポートボックスみたいじゃない?


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