54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

うんち

2006年02月23日 | クリエイティブな思考への挑戦
便秘のあと一番のうんちは、量が多いので苦しいものである。

その日私はトイレで格闘していた。今日こそ出ろ、今日こそ出ろ、と踏ん張っていると、うんちの頭が出てきた。
ここぞとばかりに力む。肛門がちぎれそうなくらい太いうんちだった。さらに力む。硬くて途中で切れなかった。「ヒーヒーフー」とラマーズ法をやってみた。するとさっきよりも楽にうんちが出るようになった。「ヒーヒーフー」とやるうちにどんどん出てきた。とても長かった。
うんちが最後まで出たところで、どんなものかと見てみた。

すると、、、

なんと!そこには体長1メートルくらいのヘビがいた。巻き巻きうんちみたいにとぐろを巻いていた。錯覚かと思って何度もよく見てみたが、やはりヘビだった。

一体なぜ?私は考えた。そういえばこの前、精力をつけるために生卵を飲んだ。もしかするとそれはヘビの卵で、飲み込んだ卵はどういうわけか消化されず、お腹の中で孵り、腸の中で成長して、出てきたのではないか。
つまり便秘の原因はこのヘビだったのではないか!!

便秘のことで私は怒ったが、ヘビはまだまだ幼いようで、悲しい目でみつめてきた。私は怒れなくなって、ヘビの頭をなでてやった。するととてもうれしそうな顔をして、なんだか私になついているようだった。私もなんだか愛着が湧いてきた。

私はこのトイレで生まれたヘビをペットとして飼うことにした。名前は「うんち」である。うんちは成長が早く、1週間で2メートルにもなった。でもそれ以上は成長しなくてホッとした。私がリコーダを吹くとダンスを踊るようになった。うんちは私のかわいいペットだった。

1ヶ月経ったある日、家に帰ってくるとうんちが静かに横たわっていた。寝ているのかと思って近づいてみると、まったく呼吸をしていなかった。抜け殻かと思ったが、違った。うんちは死んでいた。

私は泣いた。悲しみに暮れた。いつもリコーダで吹いていたラルクの「Pieces」とともに、うんちとの思い出がよみがえってきた。
はじめてうんちと出会った日、私は怒ってしまってうんちを悲しませてしまった。でもすぐにかわいらしい笑顔を見せてくれた。私のリコーダに合わせて踊りを見せてくれた。首に巻きついてネクタイになったこともあったね。あれで一度首が絞まって死にそうになったっけ、、、
あぁ、、うんち、、、なんで死んでしまったんだ、、、。

その時私はうんちしたくなった。こんな時に便意をもよおすなんて、と思いながらもトイレへ行った。実は最近また便秘だったのだ。
なんだか最初の日のことを思い出してきて泣けてきた。この日のうんちも肛門がちぎれそうなくらい太いうんちだった。泣きながらまたラマーズ法をした。「ヒーヒーフー」、少しずつうんちが出てきた。
最後まで出し切ったとき、もしかしたらうんちの生まれ変わりかもしれないと思って見てみた。

すると、、

なんと!またしてもヘビがいた!これは幻かと思いよくよく見てみたが、やはり本物のヘビだった。

一体なぜ?私は考えた。あの日以来生卵を飲むのは控えていた。まさかスクランブルエッグからヘビが孵るわけはない。私は考えた。もしかするとうんちは肛門から出てくる前に私の中に卵を産んでいたのではないか。そしてそれが孵って今出てきたのではないか。
これはうんちからのプレゼントだ!!

私はうれしくなって「生まれた」ばかりのヘビを抱きしめた。この新しいヘビも私になついているようだった。

私はこの新しいヘビに「うんちうんち」という名前をつけた。うんちうんちもまた1週間で2メートルになった。そしてリコーダで踊るようになった。やはりうんちうんちは私のかわいいペットだった。

しかし、、

1ヶ月経ったある日、家に帰ってくるとうんちうんちが静かに横たわっていた。またなのか。うんちうんちは死んでいた。

私はまた同じように悲しんだ。ラルクの「Pieces」、うんちうんちとの思い出、1リットルの涙が流れた。
なんで、、死んでしまったんだ、、、

そしてまた便意をもよおした、、、


ラマーズ法はもう慣れたものだった。新しいヘビは「うんちうんちうんち」と名づけた。やはりリコーダで踊るようになった。そして1ヵ月後には死んだ。そしてまた便意をもよおした。それ以降は「うんち4」というような名前にするようにした。

そんなわけで私は1ヶ月に1回「出産」をしている。今はもう出産のエキスパートみたいなものだ。
しかし出産はうれしいが、死別はとても悲しい。子どものほうが先に死ぬなんてあんまりじゃないか!子どもが死んでいくのを黙って見守るしかない母親の気持ち。そんな悪夢を何度も何度も見なくてはならない。私の気持ちは誰にもわからないだろう。


このどこまでも続く出産と死別のサイクルは、神が私に与えた試練なのかもしれない。
そしてこの試練を乗り越えたとき、私の中に「本当の何か」が生まれるのかもしれない。。

>>「ホコリ」



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