RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

地獄の門前落語~いのこり佐平次~

2008-03-10 00:32:14 | なんだろう?

(夕刻~音符の無い五線紙~四分音鳥はいない)


ながら族(表現が古いよ)るるは
週末の夜
みうらじゅん&いとうせいこう
ザ・スライドショー4を見ながら
哲学書を読んでみた
結構読めるもんである
一冊読み終えた
本が薄かったからね
ゆるさには奥深さでバランスを

ゆるいといえば
『0093女王陛下の草刈正雄』を
ケーブルテレビやっていた
途中抛棄で寝ちまった
このタイプのパロディー映画は
あと一歩である
ゆるいだけでは笑えないので
何故かむなしい感が残る
『日本以外全部沈没』も
だいぶ前テレビでやってたが
笑えない
笑わそうとしているのかどうかさえわからない
コメディーだから笑えないのは駄目じゃないか?
やっぱりダメよ!
むしろ脱力系映画のほうが笑える
人間の緊張をほぐすからか?
桂枝雀理論だ
『緊張と緩和が笑いの極意』
っていうやつ
究極のくだらなさに笑うときの笑いって
嘲笑の部類に入る
こりゃひでぇなって
違いのわかる狐狸庵先生
遠藤周作もそりゃ違うでしょうねと
最近またゴールドブレンドを飲んで言うだろう
笑いは奥深い
『人は笑うから人だ』ともいえる
犬も猫もペンギンも笑わない
猿は笑っている時があるね
あれは人間の笑いと違うのか同じなのか
歯をむき出して手を叩いて
まさしく笑っているように見えるが
笑うというより「喜ぶ」に近い気がする
まあ猿に聞いてくれ

喜ぶと笑いはどう違う?
喜ぶと泣く人もいるし
感情と感情表現の違いか!
嬉しいと怒る人もいるのか?
竹中直人の芸だ
怒りながら笑う人あれはすごい!
ん?
笑いながら怒る人か・・・。
奥深い(?)

笑いの壺は人によって違うが
泣きの壺もやっぱり違う
同じ体験をしても泣ける人と泣けない人
しかし年と共に壺の口が広がって
何にでも泣けるようになるのは
人生の長い年月に溜まりに溜まった涙を
放出しなけりゃならないからだ
涙の海に溺れないように
しかし笑いの壺は
年と共に口が狭くなる
ちょっとやそっとでは笑えなくなる
もらい泣き ならぬ もらい笑いは
どんな笑いの部類にはいるんだ
移るんだよ!何故だ?
泣き笑いとあくぴは
狭い個室にいると移る理論
(誰の理論じゃ?)
は確かにあると日々実感!
ゆるいと奥深いでバランスを
奥深いのはといえば
日曜日の今日(もう昨日だが)
NHKハイビジョンを珍しくつけていた
あまりNHKは見ない
受信料はちゃんと払っているから
もっとみよう
大河ドラマもみてない
ニュースも民放を見る
なんとなくだけど
情報がNHKより早い気がするから
でも受信料分は見なきゃと思う
で昼から
『立川談志まるごと10時間』を
とりあえずつけていた
新聞を読みながら
お茶漬たべながら
掃除しながら
聞いたり見たりしていた
ながらで申し訳ないが
長過ぎる
10時間は長過ぎる
落語は好きだが

昔,関西人(今は偽博多県人?)だったるるは
やはり落語も上方落語を聞いて育った
桂米朝さんや枝雀さんなど
まあ関東の落語もテレビで見る聞くことはあったが
どちらにしても立川談志の落語を聞いたのは
久しぶりで新鮮な感じがした
65歳で自分の人生を終わると言っていたが
70歳過ぎても
まだ
もがきつつ
まだまだ
まーだだよと未練たっぷりの姿を
これでもかとみせつけて
立川談志ここにありという10時間である
まだ生きてるのにさ
追悼特集はこのぶんだと24時間はやるね
ファンにとってはまだ足りないのかもしれないが
ある意味生前葬的番組だ
若い頃の映像はなかなかの男前であったね
忘れていたが映像を見ながら
若い頃の顔が
韓国のチョンギョンホという俳優に
なんか似ていると思った
顔だけね
落語もマニアックに聞き込んでいけば
語る人によって同じ演目が違う味わいをみせるのだろうね
ただ古典落語は笑いよりも語る技
もしくは業(わざ)を聞かせるのが「主」で
笑いは「従」なのかもしれない
そこがめんどくささであり
めんどくささこそハマりの穴なのだ
談志語録じゃ
落語は人間の業(ごう)を肯定するもの
であるという
業(ごう)と業(ワザ)は同じ字だよな
関係ないけどさ
確かに談志節に聞き入る気持ちはわかる
ワザに取り込まれるって感じは
気持ちがいいもんだ
人が人を入り込ませる芸は
きつねつきに似ている

人を魅了するワザは人生の未練を見せながら
あがきを見せて生きることかと編集するのねNHK
「人生成りゆき」
だと言いながら
落語家は実はトコトン考えぬいている
かっこよすぎないか?
いや言い訳としてかな?

なにごとも疑ってかかれという人生は
真実も嘘もおれ流の意味に変換するが
おれ流もやっぱり疑うから常に自分に飽きている
ああ めんどくさい
地獄の門じゃね
ロダンの考える人は地獄の門の前で
無駄に筋肉を見せながら何を考えるのか
ただ門番として地獄の門を守っているのか
誰か門を開けにくるのを待っている?
落語家は
三位一体(聖なる威力、比類なき智慧、第一の愛)
を目指すのか?
気が狂う前に考えるのをやめたら楽だろう
実は楽でなく落なんだろうと
オチたらどうよ~穴に落ちて結果
無意味に無意識に
面白い 笑える 滑稽 であることが
人生ばんざい!
につながっていくのである

NHK受信料 いのこり佐平次で とりもどす
(?)
笑いは怒りに取り込まれる日



(この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ)