RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

海の日には空を思え と狭間で言ってみる

2008-07-23 15:23:43 | そげんこつ!

(昨日のスペシャルスカイ)

海の日に海が見たいと思ったが
海は近くて遠い
だから
空を見るだけでがまんした
海と空はきっと兄弟か姉妹だろう
空には魚のかわりに鳥が泳ぎ
珊瑚のかわりにいわし雲が光る
船のかわりに飛行機が旅立ち
飛行船がただようこともある

嵐の時は
その境目が判らなくなる
海は空を映し
七色に表情を変える
空は何を映してくれるのか?

波の上
羽の生えた魚は空へ向かって
ジャンプを繰り返している
空に憧れてでもいるかのように
鰭のある鳥たちは
海に潜り餌を得る
しかし深くは潜れない 
海の底には暮らせない



(昨日見た最小の・・・ナイアガラの滝)

陸では
羽の生えた魚も
鰭のある鳥も四つ足たちさえ餌にして
何もかも食い尽くす怪物たちが棲んでいて
海と空を懐かしそうに眺めては
溜め息をついたり、欠伸をしたり
恋を語ったり、悪事をはたらいたり
苦し紛れに石をけったり
棒切れを振り回し、泣いてあばれて
泣き疲れ
空と海の挾間に眠る
むさぼる様に眠る

頭でっかちな怪物を
食う怪物は、まだ生まれてこない
だから
今のところ怪物同士で食い合う始末さ

何故なのか?
大抵が空間貧乏だからか?
縄張りばかり入れ物ばかりを欲しがるからか?
争い事は絶え間なく起こっていて
どうしようもなく荒れ渡る狭間の
修羅
縄張りとか入れ物は
それほど重要じゃないと気がつくのは
やっとこ寿命が尽きる手前なのだ
その繰り返しの悲惨さ
空と海の狭間に
今日も怪物が生まれた



(鉄は熱い 錆びるから熱いんだ)


後悔の海に 航海に出ようか?
それとも空々しき大空に向かってジャンプ!

まあハカタニワカな長い前置きは
このくらいにして(笑)
この夏海 対 空 といえば

はやお 対 まもる のコト
そうです「崖の上のポニョ」 対 「スカイクロラ」
どちらも『世界の』という形容詞が付く
二大アニメーション映画監督
宮崎駿 対 押井守夏休み対決はどっちだ! 
さあどっちに軍配があがる?

観客動員数は?
海のポニョか 空のカンナミユーヒチか?
魚か鳥か、少女か少年か?
手書きかCGか、ファンタジーかSFか?
あなたはどっち?
えっ!?アニメは見ないって?

日本の今を知るにはもってこいの二本を見なきゃ
って言いつつも
あたくしもアニメファンとは胸をはっては言えないの
だがでもね 
でも宮崎アニメは映画館かテレビで大抵見てるから
いいとして
押井守はほとんど見ていないから
まあ一度体験して見るのもよかろう
などと思っている
理由はいつものごとく
原作本を読んだからである
はは
それに海に行かず 空ばかり見てるから
でなく
飛行機乗りが出るからだ!

宮崎アニメでも「虹の豚」が好きだし
小さい頃は「オッター32号機SOS」(児童文学)

「紫電改の鷹」(ちばてつや作)
に夢中になり
サン・テグジュべリに憧れ

学生時代ドーム製作中は
率先して天辺のペンキ塗り
なんとかと煙は・・・のなんとかだからか?

新婚旅行じゃ
気球やセスナやプロペラジェットに乗って
喜ぶスカイなわたくしだからか?
ええかな?・・・そんなとこで
どうでもええってか
うんそうね


(川を滑走路にして海まで一気に滑走できる飛行船に乗りたい)

スカイクロラは 森博嗣原作の小説
恒久平和の約束された未来である
平和を実感するために?
ビジネスでありショーとしての戦争がおこなわれている
その戦争に戦闘機乗りとして出撃する子供たち
彼らは戦争で死ぬしか死ねる場はない
永遠に大人にはなれない不老不死を生きる
不思議な存在キルドレ

カンナミ・ユーヒチ
人に理解されることは気色悪い事で
理解されたくないと
ことさら ひつこく思い続ける
戦闘機乗りの少年が主人公である

小説のプロローグはこうである

戦争を知らない大人たちに捧げよう彼らの過ちは、三つある。
子供たちが自分たちから生まれたと信じている。
子供たちより多くを知ってると思い込んでいる。
子供たちがいずれ自分たちと同じものになると願っている。
それら妄想の馬鹿馬鹿しさといったら、戦争よりも悲惨なのだから。

ではじまる
そんなことよりもなによりも
空を飛びたいという願望を癒してくれる小説だから
それなりに楽しかった
シリーズだからほかにも何冊かある
どっから読んでもいいらしい
次は「ナ・バ・テア」を読もう
それにしてもアニメじゃなく実写にしてほしかったなあ
そのほうが3.8倍は観たいと思う


(ドラム缶にだって口はある・・・無口だが)

ところで何故なのか?
子供の頃あんなにもむさぼる様に読んでいた漫画が
ある日ある時
その絵を追うのがひどく面倒になり
漫画を読まなくなった
とくに登場人物たちの見分けがつかなくなり
誰が誰でこれは誰なのか?
すべて同じ顔に見えてしまう始末
興味を失うとはこういうことだったか!
と発見したあの日

絵はやっかいなのだ
物語を壊しかねないくらいやっかいな存在だ
わたしには
だから映画は実写にしてくれ
しかしポニョはそのままでいい
たぶん絵が
音楽のように頭を通り過ぎてくれそうだし
絵を読む必要がない
だからいい
たぶん見れると思う

いまのところどっちも見ていないから
五分五分だ
観てから書けよ
ふん
今日も暑い


(昨日の狭間の怪物たち)



300回記念 祭りは太陽に捧げる肝っ玉

2008-07-17 01:13:27 | そげんこつ!

(祭りはこれからだよ・・・ぺきん)

山笠も終わりますた
ますたね
熱い祭りはいい
暑い夏がさらに熱くなり
夏を意識させてくれる
なんてさ
参加してないあたしが言うか
いえいえ
追い山中継ベッドで見てましたし
半睡状態でしたが
午前4頃からの中継はちょっと
いつもやっと寝に入る頃やし
祭りは好きだが屋台の並ぶ祭りのほう
アセチレンガスと雑多な匂いのする
神社の参道に賛同
まあ
熱すぎる祭りは男達の闘争本能の燃焼場だから
どんどん燃焼して鎮めてくれ
平和を守るためにも?

闘争本能といえば
なんと言っても闘牛だね
闘牛といえばスペインやメキシコ
ラテンアメリカ
ジプシー・ロマ・ボヘミアン
いやヒターノの国
そういえば
今の流行のファッションは
テーマはボヘミアンらしい
るるが 高校生の頃
流行ったファッションが
また時代を経て巡ってきている
ね?
と、ソンさん(日本人)に言ったら
「私が小学校の時ね。」
と返事があった・・・そうきたか
それは置いといて
天神の「あげ嬢」を見に行こうとソンさんは言った
若者ご用達のビル「ビブレ」に
あげ嬢??とや?
うん髪をこうやって
盛って~盛って~てしているでしょ
店員さん?
ハウスマヌカンともいう人種
ギャルのファッションリーダー達
たしかに頭が
頭のてっぺんが盛り上がっている!
そうか あげ嬢。というのか・・・。
あげまん。なら知っているが
「その発想がおばさんでしょ!」
とたしなめられつつ
盛った髪の中には
いったい何が入っている?
きっと
雄牛にとどめを刺す為の剣が隠してあるに違いない
ラテンインディオに通じるなにかがある
と密かに思っている るるである



スペインバスク地方
シュテ・デ・フーリオ(7月7日)
ナバラ王国の祭り
聖フェルミン祭
パンプローナ(スペインの北の街)
雄牛追い祭りはちょっと見てみたい
まだ職業闘牛士のいない頃
命懸けの狂乱祝祭でもあった
一人前の男になる為の
勇気と誇りをもたらす儀式でもあるのか?
しかし
多くの若者が負傷し死ぬこともあった

牛は神聖であるがゆえ神に捧げられ
「太陽への旅立ち」ピアッへ・アル・ソルと呼ぶ
はたして死んだ牛は至福の旅を得たかどうか
闘牛の是非は兎も角

色彩にあふれる狂乱祝祭は植民地となった
マヤ・アステカ・インカの地にも輸入された
闘牛祭りは
暗黒恐怖との闘いでもあると勝手に思う
その暗黒を征したのが太陽だ
もともと太陽を崇める民族だよね

アステカ宗教の中央に太陽神がある
人身御供。人の心臓をも捧げよという

メキシコのポポロカ族の民話じゃ
太陽と月はきょうだいであったという
姉の月と弟の太陽
彼らはまだ光をもたず
世界はまだ暗闇だった
もっと光が欲しい
人間達が太陽と月に
火の中に飛び込むように言った

月は怖がって火に落ちて火の一部を消し
わずかしか光を得ることができず
弟の太陽は勇気を持って飛び込んだから
たくさん光を得た
そして人々を暗闇から救い
多くの恵みをもたらす神となる

ラテンアメリカはカトリック文化圏
太陽がキリストで月はマリアである
そういえば
メキシコの名前にはマリアが多いよね

ほかにも
もともと月も太陽と同じに輝いていたのを
ある出来事の罰の為に
月にうさぎをぶつけたという
その時から月の光は弱まり
ウサギの形のアザができたという話もあるらしい
おもしろいなあ
痣なんだウサギのかげは
もちついてる ばあいじゃなく
尻餅ついたかもね
月は巡礼の旅に出ろってか
巡礼か
巡礼にごほうしゃ~って日本じゃいうが
して。かかさんの名は?
あ~い 月のかかさんは誰なのか?
話が見えなくなってきました
とりとめないのはいつもです

ラテンインディオの巡礼文化は
土着的宗教的熱気に満ちていて
聖地を巡ることは祝祭的要素が大きい
ストイックに祈りの目的地を目指し
辿り着くと饗宴を楽しむ
巡礼(ロメリーア)
語源はローマへお参りすることからだ

古代から歌や踊りの宴は神をもてなすことでもある
日本でも神話じゃ
アマテラスの頃からそうだったし
太陽天照るさんを洞窟から外へひっぱりだす為に
人々は歌い踊り
卑猥にもエロチックにもならねばならない(笑)
実際神話じゃ
歌や踊りだけじゃ天照大神は洞窟から出ず
人間たちのエロチックなまでの出し物?
による盛り上がりについ岩戸を明けましたし
メキシコにも似た話があるらしい

南ペルーじゃハゲワシ(コンドル)対 牛の闘い
というのもある
ブイトレ(ワピコンドル)の踊り
コンドル・ラチ
ペルーヤナカ村七月
牛の脇腹に紐でコンドルをつなぎ
闘わせる?
というより暴れさせる?
1500年代
マヤ・アステカ・インカ文明を征服し
植民地化するスペインはその過程において
多くのインディオを虐殺、破壊と略奪の歴史がある
だから
スペイン征服者を牛に見立てた擬似報復祭りで
恨みを神鳥コンドルに託したのだという説もある
牛もコンドルも迷惑な話ではある
今では保護されている鳥だから
祭りも変化しただろうけど
どうなったかは知りません
逆に北では
コンドルをなぐり殺す祭りもあるらしく
牛の替わりにコンドル対人間となり
闘うとはいっても縛り付けて一方的になぶる
動物虐待の祭りである
これは異教徒のインディオ根絶を意味するとか
むごいが人間はそうやって怒りや恐怖をおさめてきたんだろう
征服者スペインから牛が持ち込まれ牧畜も広まり
闘牛も持ち込まれた
闘争本能はインカ帝国からの伝承もあってか
闘牛はすんなり気に入られアンデスインディオに浸透していく
アルゲータスの「血の祭り」という小説
伝説の雄牛がでてくるらしい
こんど読んでみようと思う
ちょっと怖いが・・・。

最大関心事はいかに雄牛が荒々しいかであるという
闘牛祭りで怪我人死者がでると
翌年はよい年になるとまで言うから
祭りで死んだ人はある意味英雄でもある

祭りとは肝っ玉(魂)を神に捧げることでもアル




今日でブログ300回目更新です
ちょっと私的にめでたい気もする
こんなに続くとは奇蹟に近い
もういつ止めても良いな
ではでは 明日も
小さい肝っ玉を大切にしようと思う













海に浮かぶ島・宇宙に浮かぶ星。ボスはいない

2008-07-11 15:02:56 | おすすめ

(朝ごはんつきなら・・・。)

各国首脳陣リゾートバカンスサミットも終わり
宇宙船地球号には舵を正すCAPTAIN
がいないことが判明してしまいました
この星の住民たちは・・・どこへ行くのか!

トミーも嘆いているのではないかと思う。
トミーといえばボスですが
トミー・リー・ジョーンズの『告発のとき』を
自転車君と見た。
映画としてはすばらしく
脚本もいいし
トミー・リーの演技も味も抜群だから
言うことはない
最後のシーンで涙が出て悲しくなるが
それは感動ではなく
苦い涙なのである
本当にこの星の住民たちはどうしようもなく悲しい。
という涙である
同じジョーンズでもトミー・リーより
インディーの方を見て
クリスタルスカルでも追っかける方が
楽しく過ごせたのだが仕方がない
これも出会いだ


(今日出会ったダチュラだっちゅ~の(死語))

選択する意志の中にも偶然性はある?
インディーも観たいしスピードレーサーも観たいが
結局は見ないのだ
それが偶然の意志なのだと納得。
今の世界は
ありあまる情報文化物質の選択を
間違わないように生きるのは
至難の技なので
技を磨くために学問があり社会勉強がある
と思っていたが
チョイス学で何を選びとるのかは
自由だ~などと叫んではいけない
自由など不自由のはじまりである
だがしかし
選択学は学校では学べない
間違ってチョイスされた教師が
かなり多いと日々報道されている
お金で義務教育の教師職を買う
などということが常態化している
そんな学校で育つ子達は不幸と言う他はない
大分県だけでないと思う人は多いだろう
なぜなら
一人二人の教師の話ではないから
四分の一がそうだというから
あきれてあいた口から金魚が飛び出した
CAPTAINもいない
教師もいない
リーダーがいない
ボスがいない
親もいない
反省をする暇もなく貧困親達は
物価高と格闘しつづけて
くたびれ果てているし
若者はなにを選べば正解なのか
わからぬまま情報の海、物質の海
で翻弄され
溺れ続けるだろう
自分を信じるしか方法はないのか?
どんな根拠があって勘違いでなく
自分は
信じるに足ると思うことができるようになるのか
世の中の先生達教えて下さい。


(お昼休みはウキウキウォッチングな人?)

それはさておき
昨日がてん系娘は仕事が休みで
糸島の海まで泳ぎに行き
真っ赤になって帰ってきた
るるが最後に海で泳いだのは何年前だろうか?
夏が一番好きな季節だったのに
今は昔のことになりかけている
いかん これではいかん
海はいい
海はやはり時々見なきゃ
と思う
ああ 海が見たい
見たいなあ


(高原じゃなくて・・・海よ)

焼けた砂浜に打ち寄せる波
岩肌に砕ける波
遠くにぽっかり浮かぶ島
あれは無人島なのか
難破船から海にほうり出された人々が
流れ着いた島かもしれない
東京島かもしれない
という訳で
桐野夏生著『東京島』(新潮社版)は
面白い
夏の読み物としては抜群にピッタリで
河童えびせんな小説で
やめられないとまらないのである
無人島に漂着した中年夫婦と
23人の日本のフリーター達と
後から流れ着く中国人11人
男ばかりの無人島に女が一人
サバイバルな生き残り合戦が繰り広げられる
と思いきや
サバイバルな部分と
不思議と
現代のゆるい感覚の狭間に
ひとつの島国が現れてくる
この島の人間達は・・・とボスは言うだろう

ドラマも映画も小説も現実逃避で
見たり読んだりするつもりでも
結局は現実にしっかり照らしている
今日この頃

ああ
本物の海が
海が見たい


(娘からのお中元。コーヒーゼリーご馳走さん)




伊藤帯刀は幸せな死だったかを考える七夕祭り

2008-07-07 13:38:44 | こんなんどう?


七夕に
幸せな死のバリェーションを考える
たまたまNHKで夏木マリが
理想の死に様再現フィルム?を
自分で演じていた
歌いながら逝くらしい
ふむ
ボーカリストでなくても
ステージで歌いながらこときれるのは悪くない
幸せな死といえる
笑いながらもいい
あるいは踊りながら
出来れば
大好きな人にどさくさまぎれに寄り掛かり
ステップ踏みそこなって
バッタリ逝くのも幸せかもしれない
タンゴかフラメンコあたりがいいね
サルサやフラダンスはだめか
Hip Hopやロボットダンスはどうよ
電池切れのように止まって終わり

役者なら演じながら台本どおり死ぬのもヨシ
あるいは一言アドリブで
辞世の句など
言ってみてから逝くのも幸せか?
楽団員やギタリストやパーカッショニストなら
演奏しながらこときれる
楽器を抱えてやすらかに
名演奏なら
観客の盛大なる拍手に送られて
幸せに逝けるに違いない
一般人は恋人がいるならキスしながら
交わりながらも幸せか?
走りながら森を歩きながらはどうだ?
気がつかない内に
バッタリ逝くのも幸せかも
気がついたら死んでたよ
ってか



絵描きは絵を描きながら絵の具まみれでカラフルに逝け
落語家は落語をしながら~落ちの前に逝くのも一興
観客いじめだね
落ちてから奈落ならぬ極楽に登るか
冒険家は世界最高峰に登りながら
大海原で波にのまれるのか
はたして本望な逝き方は山か海か
いや空もある
大空に羽ばたいた
風船おじさんのことを時々思う
七夕に
ひとつ幸せな死のパターンをあげるなら
伊藤帯刀則資(いとうたてわきのりすけ)のこと

ラフカディオ・ハーンの
天の川縁起の中の短編で
『伊藤則資の物語』
あらすじはこんな感じ

かれこれ六百年ばかり前のこと
平氏の流れをくむ凛々しい顔立ちの
人好きのする文武両道に秀でた若者
しかし
家は貧しく栄達の見込みなどまるでない
風月のみを友とする
さびしい侍がおりました

ある秋の夕まぐれ一人の少女と出会う
日が暮れに一人歩きは危なかろうと
家まで送ることを申し出て送り届けるのだが
宮仕えだという少女
この付近にそのような高貴な方が住む
お屋敷きなどあっただろうか?
と思いながら
林を抜けそのお屋敷のある村にたどりつく
すでに日は沈みすっかり暗くなる
少女はお礼と共に
お上がりになってしばらくお休み下さい
と言う
帯刀はこの屋敷きに
一体どんな高貴な方が住むのか知りたくなり
休んでいくことにする

門をくぐると中は広い古風な庭である
自然の景を象った曲水を巡らしてある
夜の闇に琴の音が
さざ波のように流れて来る
軽やかな美しい音色を聴いているうちに
いつしか
身もとろけるような歓喜の念に捉えられる
歓喜の内にも悲哀のこもった心持ち
これほどすばらしい弾き手の女(ひと)とは
誰なのか?
天上の音楽なのではあるまいか!
琴の音に妖しいまでの力を感じて
血がざわざわとする帯刀である

調べがやんで奥へと通されて
いかにも
身分の高そうな装飾や紋の茶碗に什器の膳
上座に座ると
老女が
失礼ですがことによるとあなたさまは
宇治の伊藤帯刀則資様ではごさいませぬか?
と問われる
驚いて
うなづくと
実は
と話を始める老女
貴方様はこの村をよくお通りになりますね
そんなお姿を
ある朝
わがお姫君様がたまたまご覧になり
それからというもの
夜も昼も
貴方様のことがお心からはなれず
思いが募り
病の床に伏せられ
まわりのものが心配のあまり
あれこれ手を尽くして貴方様を探し
お手紙を差し上げようとしていた矢先
図らずも
うちの女童を送り
この屋敷きにこられたのでございます

神様のお導き

ぜひに差し支えなくは縁組を
と言う申し出に
帯刀はどうしたものか

もちろん定まった許婚もなく
どんな女性ともかかわりなく
文武道に邁進するのみの
出世の見込みもない男であり
高貴な姫君には
ふさわしくないとしか言えませぬ
と答えるが
ひとめ
わが姫様にお会いになればわかります
と言い
早速に姫君と引き合わせられる
その姿は
いまだかって夢にも見たことのないほど
美しい光につつまれて
麗しい黒髪が春風に散り乱れ
朝露にぬれた桃の花さながらの
くちびる
幻のごとき姿は
天上の織り姫なのかも知れぬ
とその光をあびながら
言葉を失い
魅せられ虜になる
あれやこれやという間に婚礼の運びとなり
しかし
帯刀がかねてからの疑問を口にせぬ訳にいかぬ
この姫君は一体誰であるのか
と問う
すると老女の優しい顔に影が射し
実はと語り出す
貴方様の新婦となられた方は
不運の将軍三位中将重衡さまのご息女であらせられます

その言葉に帯刀は水のごとき戦慄が全身を走る
重衡卿とは
かの偉大なる平家の将軍にして公卿であり
なんと死んで葬られてからすでに
何世紀も経っているのだった
ここではたと悟り

自分をとりまく一切のものは
すべてことごとく夢幻であり
死者の亡霊たちであるということが





ところが
次の瞬間
凍るような戦慄は消えうせて
不思議な事に目前の幻の女の眉を
悲しみで少しでも曇らせる位なら
死んだほうがましだ
一度ならず 何度死んでもいい
とさえ思えるのだ
そして
何代にもわたり自らを慕い続けてくれた
美しい亡霊の夫となり
一夜を共にして刀と硯を交換して
誓いをかわす
亡霊の定めに従い
十年後の亥の年に再びお会い出来るまで
別れ別れにならねばならないと言われる
そして
この不思議な出来事を
誰にも話さず暮らさねばならなかった
十年はなんとも長く辛く
帯刀にとっては恋い焦がれ待ちわびる十年でもある

日増しに彼はやつれてゆき
友人や身内はそのひどい変わりように
結婚でもさせたら人生に興味を取り戻せるかも
と思うが
彼は自分は世の中の女とは結婚しない
という誓いをたてたからと断り
十年が経ち
亥の年の秋が来る頃には
もはや彼は
床から起き上がることさえ出来ず
生命の潮の引くように衰えてゆき
深く長い眠りの中
しばしば死んでいるかと間違われる日々が続いて
ある晴れた夕暮れに
あの宮仕えの少女がやってきて
ほほえみ
今夜お迎えにあがります
と言う
帯刀はこれから日の光の射さぬ所へ逝くことを
承知していたが
そのことづてはひどく嬉しくて元気がでたので
母を呼んで事の次第と新婦の事を話し
誓いの為
刀と交換した硯を見せて
自分の棺の内に収めるよう頼んで
息を引き取ったのです

彼の死は幸福のパターンに入るか否か?
光に魅せられ闇に入る
なるほど
闇ほど光の映える場所はないね

光は時間を支配する
ニルヴァーナ
コルビジェのようだね
本名ジャンヌレ

昨日
たまたまBSでやってたのよ
コルビジェ~光のかたち~
って番組が
ロンシャンの教会
サヴォア邸
彼の集合住宅は本当にすばらしい
ラ・ショード・ホン
時計師たちの街
コルビジェの父は時計師であった
風景が家に入るレマン湖のほとりの父母の為の家
朝日の差し込む部屋
最愛の妻イボンヌが
亡くなった年は
偶然にも私の生まれた年だ
まあそれが何って
いわれても・・・。
いいじゃないの

『めまいを起こすほどの速さで
過ぎ去っていく
終わりが近付いて来ることさえ
気付かぬ人生を通じて
これらすべてのことは
頭のなかで起り
かたちをとり
少しずつ芽生えていく』
死のひと月前に彼が残した言葉
光をかたちにしようとした建築家

あきらめの良い人間は のびない
らしい
そうなのか?
あきらめきれない人間 だけが残る
本当に?
あきらめきれない人間の 意識だけが残る
どこに残るのか!
意識は遺伝子に残っていく
まじで?
しかし
人間がこの世から絶滅したあとは
意識も消え
この世界は無かったことになる
最初から無かったことに
私はここにいるのに
存在というのは意識である


七夕である
織り姫と牽牛のランデブーの日
晴れたらいいね
洞爺湖サミットも始まるしね
人間たちの意識改革は出来るのかな




外交は武器無き戦争
だって
ニュウスキャスターは言ってますた
はい。ますたよ
サミット会場は戦場なのか?

「過去は 新しい
 未来は 懐かしい」
古館伊知郎が好きなインドの言葉
だってさ
ちょっと気がきいているじゃないのさ 
と思われたいのね
きっと
でもいい言葉だと思う

ドラマじゃ

強い者が生き残るんじゃない
生き残った者が強いんだ

って台詞も聞こえてきて
もう
強くなろうなんて思わないでいい
と思う
子供を戦場に送るなよ
子供に鎧はいらない
大人にもいらない



今日はリンゴ・スターの誕生日
でもビートルズじゃなく
今日の
ヘッドグランドミュージックは
フレディマーキュリーの
ボヘミアンラプソディby QUEEN
ところで
ロック喫茶ってあるのかなあ
ジャズ喫茶は結構あるのにさ
ロックと喫茶が
いまいちマッチしないのだろう
残念!




オベラ座の夜
うつろな日曜日
ギターソロ
予言者の歌
ロックオリジナリティの権化
炎のロックンロール
デヴュー
キラークイーン
ロック少女
フレディの故郷ロンドン
ろんどんとうどんは似ているな
・・・。
白いピアノから生まれた曲
その心は
人間関係だと
本人が言っていたと
友人がテレビで言ってた

でもその友人の説は
彼が彼を葬る歌だと
今の自分を葬り
これからの自分を迎える
新しい自分に変化していく歌だと

好きに聴いたらええのや
フレディは
歌を歌いながら死んだのかな
意識をすてて意識を得る
この世は光に満ちている



(男前のええ御尻)


このろくでなしの愛に年増女が行きずる深夜

2008-07-01 04:26:37 | あかんがな

(普通のガクアジさん)


(ギザギザハートのガクあじさん)

今年もあと半年になり則天去私
自転車生活(止まったらコケル)に
リンリン邁進するも
経世済民の志であるべき人々は
国民には苛斂誅求
自分達は居酒屋タクシーな豪華絢爛生活

公務員のボーナス3年連続増
なんと平均しても
62万9400円也というから
うらやましい・・・。
やつらは
夜郎自大・不逞之輩・主客転倒
弱肉強食・優勝劣敗・狡兎三窟
だい!
庶民は五臓六腑が七転八倒五里霧中さ
あん!
手元に四文字熟語100円本があったので
つい

博多山笠が始まり

祝いめでたの 若松様よ 若松様よ
枝も栄えりゃ 葉も繁(しゅげ)る
エーイーショウエー
エーイーショウエー
ショーエ ショーエ
(ア)ションガネ
アレワイサソ 
エーサーソーエー 
ションガネ

と博多祝い唄も聞こえてくるでしょう
緊褌一番
引き締めるのは褌でなく心意気
まあ勝手にやっとくれ

帰国中のあまぐりさんから
メールが来て
天津に帰ります
オリンピックが見たくなったら連絡を
とあった
男子サッカーは会場が天津らしい
日本製のシャンプーリンスと
イカナゴと蛸を持って帰っていった
空港で没収されていないといいが・・・・。
また元気で帰ってきてね
その時は
あまぐりさんが何処がいいのかわからない
と言った今流行のエグ可愛い
スカルな柄のTシャツでお出迎え致します
ん?
あるかなあるね

キモ可愛い・エロ可愛い・ブサ可愛い
グロ可愛い・エグ可愛い?
なんでもかんでも可愛いをつけりゃいいのか?
と怒るあなた
まあ、なんです~世の中汚れてますからね
可愛いい。の隠れ蓑くらいは
大目に見てやって下さい

土曜日
がてん系娘のエグ汚い部屋を
かたずけたくないが
カビが生えそうなので
よんどころなく勇往邁進
扉の前を占領している
ゆがんだパイプの洋服掛けを外に出し
ベトナム製のを新調し
移動した上で開かずの物入れから
扇風機をだそうと扉を開けたら
物が雪崩のごとく襲いかかってきた

とりあえず避ける余裕もなく
うなだれなだれ堅忍不抜
そして崩れ落ちたもろもろ・・・。

小中高校とあまり利用価値のなかった
参考書プリントドリル教科書のたぐいを
納戸からすべて廊下に雪かきしてツンドラし

十字にくくりオーロラ処分である
児童図書及び新品同然の辞書類は
居間の本棚へ引っ越した
中腰労働は堪える股関節と背中にくる



おまけに
そこここに落ちているピアスのピンや
安全ピンの針に指をつかれ
尖んがってるベルトのバックル踏んで
あたたた~あんた危険がいっぱいさね
この作業は苦役です
寝込みそうに疲れたばい
疲れをひきずり

日曜日
部屋干しの生乾きの洗濯物を
殺菌消毒兼ねて40枚アイロニング~で
肩がはりはりハリコレスーパーモデル気分
な。わけなく
梅雨時の家事はエグ悲しく辛い

しかし
それでもまた夕ご飯の時間はやって来て
一年365日食事を食べる必要があるのか!
本当に朝昼晩と食べる必要があるのか?
お腹がすいて、すいて、もうたまらん!

思った時だけ
食べる事にすればいいんじゃないの?

思う
思うが思いながら結局月極。
自分の腹と人の腹は違うということだ
そして
日直当番はいつも私
たまには
本当にたまには
僕が君が私の食をお膳立てしてくれたってよかろうもん!
などと虚しい期待を抱くのである
抱かれる心も梅雨模様

料理好きの亭主が欲しい日
そんな日が一週間に5日はあるが
出来ればそこそこの舌の持ち主がいいね
話し上手なら、なおいいね
うん。そうね。



(ジョイフル価格では無理と思う・・・。)

ところで雨もあがり
音がなくなる深夜に
人は突然忍び寄る孤独感や恐怖を
どうやって紛らわしているのでしょうか?
そんなこともふと気になったりして
ますます眠れないので
特効薬のビデオでドラマです

やっぱり男前が苦しむ姿
これが一番の薬です
出来れば憎しみと愛情の板挟みで苦しむという
くさいエロ哀しい設定が好きです

それで今夜は
女の為にビルから飛び
植物人間になった兄の為に
復讐心を持って近付いた憎い女を
愛しく思いはじめている男
には
自分の為に火傷を負い
自分を心底慕う女がいて
可愛く思うが
何処か責任の文字もちらり
やくざな心はゆれてぶれて
苦しく辛い
そんなドラマ善隣友好

『このろくでなしの愛』
は「Rain」(雨=ピ)が主演で
梅雨時には最適の一品だね
まだ6話終わったところなので
苦しめもっと苦しめ

我が孤独を癒しつつ朝を迎える
また朝かい!
寝ろよ。

眠れないので
枕もとの文庫本を
志水辰夫著『行きずりの街』

探偵の元教師の男が
昔教え子だった別れた妻に
久しぶりで会うが
元妻の恋人の男らしき人物を
見てしまう
ものごしのいい自信にあふれた余裕のある男
探偵はホテルに戻るが
探している女や仕事のことなど忘れ
別れた妻の姿ばかりが脳裏に浮かぶ
さっき見た元妻の男の顔を思い浮かべて
はげしく嫉妬する
その男を呪いつつ
元妻を訪ねて行った自分の軽率さを
一晩中呪いつづける
というくだりに
妙に
ひっぱられつつもその先を読んでいない

読むでもなく読まぬでもなく
頁をめくるがやはり読まず
だから
感想も書けぬししどけなく毛布にくるまり
夜明けを待とう
こんな時には
窓の外で風の吹く音が聞こえ始めると

ああ
お前は何をしてきたのだと
吹き来る風が私に言う


中原中也の詩が
なんだか背骨にたたみかけてくるのさ
年増女の声でなく
年増女に向かう声かい!

背骨に言い聞かせてやれ
これから何をすべきなのか
何を・・・。
(この時点でAM4時・・・。)
寝ろよ。