RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

宇治山で古りゆく前に恋焦がれたい小倉山

2008-01-04 18:33:40 | よかね~

(住吉神社の本殿は込んでるから横の三日恵比寿で商売繁盛祈願)

真っ赤にも~えた~
太陽だから~
真夏のう~み~は
恋の季節なの~

季節はずれもはなはだしい
歌をうたって初日の出を見た
君が
なんで日の出は赤いのか?
って子供相談室の
むちゃくせいきょうさんに
聞くまでも無く
低い位置にある朝日は
地球の大気の層を通過する
距離が長い為に
大気の中では波長の短い青い光は
吸収されやすく~学成りがたし
じゃなくて
吸収されやすいから
波長の長い赤い光が多く届いて
まっかにも~えた~
太陽のように見えるのです
こんなところでいいかな~
じゃ~またね~
今日の一口メモでした

お正月
小倉百人一首はしましたか~?
小倉山で編んだ秀歌選
藤原定家74歳の仕事です
しかもその6年後80歳で没しました
この仕事は後世に残り続けています
これからも多分・・・。
るるは
短歌も俳句もたしなみません
だって良くわからないのです
文字数にこだわる作法も
季語が秋だと春を詠んだらいけないのか
どうかも・・・。
その前にこの言葉の季節は?って
聞かれて答えたら大抵まちがっているし
枕詞だの掛詞だの
季語だとか縁語などなど

難しいのです
俳句も短歌も
そんなるるでも
小倉百人一首にはなじみがあるので
和歌といえばこれです
これだけです

平安文化しかも王朝文化が箱に入って
現代の一般庶民の家庭にあるのですから
これは「永遠の歌大賞」を与えるべきでしょう
日本の家庭1世帯に一つは
だいたいあるんじゃないか?
う~ん
昭和まではあったんじゃないか?

思うわけです
平成のカップル達の家庭にはないかも知れない
もしないとしたら
これは広めなきゃって
昭和の人は思うのでした

だって約900年もの時を経て
生き続けているのに
あと100年ちょいで
千の風に・・・いや
千年になるのに
平成の次も~次もその次も
1家に1つは「小倉百人一首」です
常備薬の横においといてください
昭和生まれの人はこの百首の中に
多分少なくとも1首か2首
空で覚えている句があると思うのです
1枚ぐらいは札を上の句で取りたいと
思うからですね
それでどの句を覚えるのかは人それぞれです
もちろんほとんど覚えている人もいますから
まあそんな人は
ほっときましょう
取らせずに札を読んでもらいましょう

平安時代の貴族の屋敷が
るるの理想でもあります
つまり寝殿造り
部屋を仕切るふすまはありません
だから屏風がおかれます
その屏風には絵が描かれて
横には歌が添えられる
その屏風歌を詠む職業歌人がいた平安時代
いまならさしずめコピーライターか?
こじんまりと風流な庭に面した
板張りの部屋の屏風の前で
放たれた
軒下の開口部からの風に吹かれ
酒を飲みつつ
雲に隠れし夜半の月をみて
あの頃のあの幼友達のことを思う
なんてね
よかね~


めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲隠れにし 夜半の月かげ
          紫式部

京都の東南
貴族が好んで別荘を持った
都の辰巳の宇治山
喜撰法師の詠んだ
あの鹿の棲むところ

わが庵は 都のたつみ しかぞ住む
世をうぢ山と 人はいふなり

ある雑誌の百人一首の特集で知ったんだけど
この句の「うぢ」(宇治)が
「憂し」と掛けていることに
紫式部が注目して源氏物語の後編
「宇治十帖」を書いて広まった
それで
宇治は憂き場所として歌枕化したのだそう
宇治茶すすって
へ~へ~99へ~え!
である

紫式部といえば「源氏物語」
男前文学じゃ右に出るものなし
この源氏物語がこの時代
歌人の聖典だったらしい
それは定家の父、竣成って人が
「源氏をみざる歌詠みは残念なやっちゃよ~」
と述べたらしいことで
和歌の教養書となったというから
へ~108へ~え!
です

他にもへ~があったよ
博多に住んでいると天神様は
とっても気になる人でしょう
菅原道真といえば受験生の頼みの綱
学問の神様でもその才気をねたむ輩に謀られ
都から大宰府に流されその2年後に
59歳の生涯を終える
その後、都には天変地異が!
道真の怨霊のせいに違いないと
北野天満宮に天神様として祀られる
あ~そういえば
陰陽師・安倍清明が闘った相手は
道真の怨霊じゃなかったか?
百人一首に選ばれた道真の句

このたびは 幣(ぬさ)も取り敢えず
手向山 紅葉の錦 神のまにまに

でこの紅葉の錦って今では
紅葉と錦の組み合わせは
ごく普通になっているけど
紅葉を錦に見立てるのは漢詩から来た発想で
日本じゃこの道真の句から発しているらしい
さすがに博識の天神様だね
へ~へ~58へ~え
である

というわけで1家に1箱小倉山
お正月には平安カルタで遊びましょう

今日のお歌

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
           入道前太政大臣(藤原公経)

(花を誘って散らす嵐の庭には、雪のように桜が
降るのだが、降りゆくのは花吹雪でなく、古りゆく
(老いぼれていく)のは、実はわが身であるのだなあ)

いやいや
やっぱりこっちのお歌にしよう

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
          権中納言定家(藤原定家)

(いつまでたっても来ない人を待って
松帆の浦の夕凪のときに焼く藻塩のように
わが身は恋い焦がれ焦がれていることです)


たぶん863年 へ~え



(住吉神社の穴空・・・幸い棲むという空のあなた)