RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

父とは何なのかを誰に教わるかの考察

2007-12-17 18:45:27 | ぼちぼちですわ

(カヤツリ草で蚊帳吊り遊びした人~手をあげて、池の杭に泊まってみたい人~羽を・・・。)


父親がいないことをいっさい気にしたことが無い
子供時代は脳天気だったということもあるが
1歳と4ヶ月の時に亡くなったのだから
単に記憶がないというだけでなく
父親という存在が何かを知る機会が無かった
要するに友達の家やテレビの中にいる父親達を
見るだけではピンとこないということ
なんだろうと思う
まあちょっと「おばか」ともいえるが
何かわからぬ存在だから特に欲しいとも
父親のいる家庭を見ても羨ましいなどとは
いっさい思わなかった
幼稚園時代は父がいないからと
逆にいないメリットで
けっこう先生たちに贔屓されていたように思うし
小学校時代には日曜参観日父親達に混じって
一人だけ母がいるのをなんか特別な感じがして
嬉しかったような、誇らしかったような気がする

父がいないことでいじめられた記憶も無く
父がいないことで差別を受けたことも
特には無く
(まあ言葉の端に同情にまぎれて差別的な
ニュアンスを吐くやからは何処にもいたとおもうが)
子供時代は周りの大人たち
特に母や親戚に守られていたことが
大きかったんだろうと
大人になって思う

まあちょっと鈍な子だったのかも知れないが
人の差別的態度を察する機能が薄い?
そんなことを誰かに言われたことが記憶にある
まあそれは兎も角
自分が親になって何故か父親というものを
体験していないのは
おいおい
やっぱり片手落ちだ!と思うことがたまにある
数年間だけ血のつながらない父はいたことはいた
だから雰囲気は体験したと言えるが
もうほぼ成人前後の年齢だったせいもあって
父とはちょっと違う存在だった
とはいえ父親が何ナノかがわかっちゃいない訳だから
何がどう違うのかはわからないが
まあ父親がいる人や自分が父親って言う人も
父親がなんなのかって聞いたら
みな違う答えを持ってるのかもしれないけどね


先日姉が仕事で福岡に来た時に
昼過ぎに取材が終わったとメールが来て
夕食の買出しもあったし
「出てくる?」というので
迎えがてら天神まで行って
仕事もあるし、明日の夜の飛行機で帰るからというので
夕方までの数時間でも博多ぶらぶらしますか~?

天神から目的も無く赤坂方面へ向かってさるきだした
あっ「さるく」は長崎の方言だったっけ?
それでケヤキ通りの近くに差し掛かったときに
懐かしい喫茶店を見つけた
20年前博多に来た頃に1度と
多分10年くらい前に1度入ったことのある
ウインナーコーヒーの美味しい喫茶店
まだあったんやね・・・と思って

「入る?」と言ったら「そうやね」と
入ったのだが入るなりマスターに
「きょうだいですか?」と言われた
確かにきょうだいである
まあ字で書くと女は姉妹だが
長年はなれて暮らしているのに
年と共に似てきているのだろう
だって子供の頃はたいして似ていなかった
姉は父にそっくりといわれ
私は特にはなく、時々父方のおばや祖母や
まあその時々で
親戚の誰かに似ているとかは言われたりしたが
その喫茶店に入った途端
思い出したのは
そこのマスターが無類の話好きだった
って、ことだった
過去の二回もいろんな話を
次から次に話しかけてきた
それを入ってから思い出したが
遅かった・・・(笑)

10席足らずの小さな店で
お客さんも私たち以外には
一人だけだった
コーヒーを出すと
マスターは暇なんだろうけれど
久しぶりで会ったので姉とゆっくり話をしようにも
どんどん話しかけてくる
酒の肴の話に始まり
焼酎の話それから映画の話になり
店にくる有名人の話になり
彼らの写真を出してきて
見せてくれる
おかげでマスターが昔たぶんホテルマン?で
アメリカと東京にいたことがあり
30年ここでこの店をやっているということ
酒好きでたぶん酒に強いこと
が数十分の滞在でわかったのだ
おかげで姉とはここでは
会話らしい会話もせずじまい
マスターが私たちの父の年齢を聞いてきたので
姉が答えて、話の流れで大昔に亡くなって
私は父のことはまるで覚えていない
と言ったら
「私はおぼえているけどね!」

姉は私に向かって言った
もちろん!
って、いう口調であった

確かに3っ半上の姉が父が亡くなるときには
年も5つになろうという頃だから
覚えていないはずはないのだけれど
私はなんとなく自分が覚えていないから
姉もほぼ覚えていないだろうと思っていたふしがあって
今更ながらであるが
ちょっとなんか~悔しかったのだ
なんで覚えているのよ~
それも、もちろん!って、口調がね
そうか~なんか非常に
おいてけぼりをくらった、かのような
そんな一抹の寂しさを生まれて始めて感じたのだった
ふ~ん、これはたぶん
ストレスと鬱々状態で心が弱っていたせいかも
と思いなおしたが
でも姉が何を覚えているのかは
あえて聞かなかったのだった
聞いたらよかったなあ
あっ
ここで最初の話にもどるのよ
だから父の記憶の一つもないってことが
いまさら年食って悔しいなんて
なんてなんて物心?の付くのが遅い人なの?
って、ことを先週悟ったわけです
まあ長々との話のわりに
たったそれだけの話です
えへん