RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

4人から12人そして10人家族となる庭師モネの話

2007-09-07 03:17:33 | こんなんどう?


図書カードが2000円分残っていたので
大橋名店街の本屋でモネの庭(ビズ出版)1800円を購入
モネといえば印象派画家のクロード・モネだけど
知る人ぞ知る庭師でもあったからね
43歳から亡くなる86歳までの生涯の半分を
パリの北西65キロ程の地点にあるセーヌ河東岸の村
ジヴェルニーの田舎家で暮らした
有名な睡蓮の池の連作(200点もの)は
この家の庭にある池だということは
広く知られているけれど
この池を造るにあたっての話がこの本に載っていた
セーヌ河の支流エプト川から枝分かれするリュ川を
塞き止めて池を造ったのだけれど
水利に関する古い取り決め(農業との関係上)
たった一つの井戸を巡って苛烈な闘争を繰り返す程
水は命であり農業水路は土地の所有者であっても
現状変更は不可という掟があった
モネは自宅の庭の池に水を引き込むため
地方行政官に認可のための嘆願書まで出したという。
その甲斐あってこの池は生涯彼に絵のモチーフを与え続けた



37歳パリに住んでいたモネが彼の作品の愛好家でもあった
パリの百貨店主オシュデ氏の一家、妻と子供6人計8人と
同居する羽目になったのは
オシュデ氏が彼の絵を買い続けた結果
破産に至ったためであったというのだけれど
普通同居するかしら?

他にもモネの絵を買い込みすぎて経営不振に陥った
デュラン・リュエルという画商もいたというから
やっぱり生きていて売れる画家になるのというのは
かなり難しいことなんだろうと思う
でもモネは長生きして巨匠と呼ばれるまでになったし
人生の後半は貧困から逃れることが出来た
よかったね

それより8人の同居人とモネの妻と2人の息子との
12人もの家族構成の生活って不思議で興味をそそる
同居して1年後、38歳でモネの妻カミーユは
貧困状態の中病気で亡くなる、その後皮肉にも
作品が売れ始め生活は改善されていき
不思議大家族でジヴェルニーの土地を
購入し移り住むこととなる
カミーユは報われないのでした
哀しい・・・。
この後
オシュデ夫人とモネは深い関係となり、
モネの2人の息子とオシュデ家の6人の子供を
オシュデ夫人アリスが一手に引き受け育てるのだった

オシュデ氏がこの世を去ってモネ51歳のときに
アリスと正式に結婚している
芸術的理想の楽園の庭と大家族にかこまれて
モネは生涯の半分をこの理想郷で暮らした
当時早死にするのが普通の印象派の画家の中で
長生きできたのはジヴェルニーに移り住んで
情熱を注ぐ庭と
その庭から得るインスピレーションによって
絵を描き続けることができたからだね

我が家の荒れ放題の
猫に主導権を奪われた猫のひたい庭を
ちら見しつつ
いやはや
インスピレーションのカケラを探してみたが
落ちとらへんよ~
とりあえずさくらんぼ収穫のみに
情熱を注ぐ貧困我が家であります。
ねぎも植えようかシラン
シランの花と
ジャカランタだけは結構元気に
陣取っているなあ