【無名なブログ】DwJのDwJによるDwJの適当な世界【注意報2017】

世界的に有名なDWJや、拡張子のDWJや、ジャッキのDWJでもない、気がついたら色々被っているDWJの適当な世界です。

PSUイルミナスの野望日記?:FTが楽しい今日このごろw

2008-12-28 10:18:02 | ゲーム日記w
どうもどうもw

先日あったことはさくっと忘れて、最近のフォルテクターの話ですw


テクニックのレベルですが、ラ系は31にできましたが、他は間に合いませんでした。

まあ、ノス・ディーガはメインで使っているので上がっていますがw


さてさて、現在GBRが開催中ですが、これが実のところ厄介><

出てくる敵のほぼ全てが闇属性。

テクニックで闇属性の反属性になるのは、光のみ。

レグランツ?車の名前みたいw

なのですが・・・

つかえねぇってのw

てか、

上げてねぇってのw

しゃーないので、動きを止める(対メギド)で氷、

物理攻撃が主な敵を無力化するための雷、

法撃力倍率が一番高い土の3つを使い、

後はアップ系とダウン系、回復とやっています。

今回は回復を行うことが多いので、回復はウォンドとマドゥーグですばやく、

回数を多く使うために持っています。

イカダwではロングボウも使っています。


そんな感じですが、やった感想は微妙w

Aランクの敵はソロで十分ですが、Sではしぶとくて厄介><

S2にいたっては、被ダメが大きい><ノ

ので、まあ、PT人数によって変えていくしかないですなw


まあ、そんなところですw

では、行ってきますw

個人的な理由で、暫く休みます。

2008-12-26 14:39:38 | どうでもいい事w
タイトル通りです。

まあ、それほど見に来てくれている人がいるかは知りませんが、

今回は少々事情が異なるのです。

今日まで見に来ていただいた方々には感謝します。

全てが解決したら、またのっそりと戻ってきます。

それまでは、まあ、期待せずにお待ちください。

では、

早期の再会を願って。

最近あった「笑える」事。

2008-12-22 09:37:02 | どうでもいい事w
どもw

レンタルビデオ店のバイト君のDWJでっすw

今回は面白い話を一つしようと思います。

大変面白い話なので、目ン玉をサンドペーパーでグリグリして読んでくださいw




事の発端は、あるハードコーティングDVD。

その商品には、まだ二回しかレンタルされていないのに、キズが入っていた。

それは、由々しき事態である。

が、

だからと言って、借りた二人のどちらかが犯人である、とは、いえるはずが無い。

しかし、注意を促すことは可能である。

私はとりあえず、借りた方に、

「もしかすると、どこかで気づかないうちに引っ掛けてしまっているかもしれません。」

「とりあえず、ちょっとだけ気をつけてみては、いただけないでしょうか・・・」

と言うと、お客さんは。

「はぁ」

と、半信半疑。

まあ、当然の反応である。

もしかすると。

かもしれない。

とりあえず。

曖昧な言葉である。

当然である。

その人が傷つけたかなどと、断定できるはずも無いのだ。

私はそういいながら、横目で今借りようとしている商品の、読み込み面を確認する。

HC商品。

キズは一切無い。




それから5日後。

休みが明けたその日、例のお客さんが借りた商品を確認する。

返却されていた。

取りに行って、読み込み面を確認する。

僅かだが、キズが発見された。

HC商品での僅かなキズとは、通常のDVDでは大きい傷になる可能性がある。

さらには大きな指紋も残っていた。

まあ、これは返却を受けて、その後棚に戻すまでの間に、ディスクを拭いていなかったからだが。

ともかく、キズがあることは確認した。

しかし、だからと言って、お客さんに「キズをつけましたね?」などと、

言うはずは無い。

言わない。

そのキズが本当にその人がつけた、と言う確証にはならない。

他に借りている人がいるし、店員がつけたかもしれない。

ただ、次から返却されてくる商品に注意し、

もし、その商品が貸し出されたのが、そのお客さんが一回目だったとき、

「原因は不明なのですが、この商品はお客様が始めてご利用になられて、返却された際、このような傷が入っていたのですが、なにかお心あたりはありませんか?」

と、ようやく言えるのだ。

それでも、かなり配慮はしている。

この言葉にはこういうニュアンスが含まれている。


「原因が不明」解らない、と言う言葉を先に言い、その先の言葉が全て確定ではないことを伝える。


「お客様が~返却された際」この間に、お客さんが傷をつけたという言葉は一切無い。

前の言葉から合わせて、これは「もしかすると」となる。

しかし、もしかするとをお客様が~の前につけると、「初めて貸し出された」と言う意味が消えてしまうのでつけない。


「このような傷が~」と、現物を見せることで、お客さんに本当に傷があったことを納得してもらう。


「お心当たりはありませんか?」は殺し文句。ここで無いと言えば、店員は絶対に引き下がる。

しかしその前に二つの条件がそれを阻む。

「自分が始めて貸し出された」と「本当に傷があった」。


ここでは、お客さんが「傷をつけたかつけていないか」は、関係ない。

むしろ、「誰もが借りているから、傷をつけても黙っていればバレない。」

と言う、甘い考えを放棄させるのだ。

しかし、店員はあくまでも「知りませんか?」としか聞いてきていない。

これは、「あなたが傷をつけた」と言う決め付けではなく、

「なにかあったのならそれを教えて欲しい」と言う、お願いなのである。

つまり、この時点で、店員は、お客さんに「何か知りませんか?」と、

情報提供を求めているのだ。


この後は、スマートに話が進む。

お客さんが、「知らない」と言ったら、プレーヤーが何なのかや、

お客様以外の誰かが扱っていないか、などを聞く。

お子様向けの商品ならば、そのお子様が一人のときに見ていないか、なども聞く。

そうして情報を集めるのだ。

これは相互理解である。

こっちは、原因になりえるものを知りたい。

お客さんも、自分に心当たりが無ければ、それ以外が何なのかを知りたい。

そして、「もしかすると~かも知れないので、ちょっとだけ~」

と、同じ下りを言うのだ。

これは、私が自分がお客さんだった場合で、傷をつけていない場合、

言われても問題ないように考えた結果である。

決して疑いではなく、お願いしているのである。

この言葉なら、もしかすると自分がやったかもしれないと言う気持ちが、

ほんの僅かだけ残る。

そして、傷をつけないように丁寧に扱うようになるのだ。

実際、このセリフを言って、傷をつけなくなった人が多い。

それでも傷が着いてきたら、次はデッキなどを疑い、お客さんを疑うことはしない。

本人があまりにも自覚が無い場合は、本人以外が観て、傷をつけている可能性がある。

それも、その「本人以外にお願い」をして、傷つけるなとは絶対言わない。

それだけでいいのだ。

お互いがお互いを知れば、こんなにも気持ちよくいられるのだ。



だが、それはあくまでも表面的なものである。

ほぼ確信に近ければ、疑っていることは間違いない。

だが、それはそれ。これはこれ。

お客さんのデータに、「HC商品に傷をつけた疑いアリ。返却時ディスクチェック」

これはあくまでも推測である。

疑わしきは罰せず、である。

だが、注意してみていないと、気が付いたときには大変なことになっているかもしれない。

それが、お互いの損益になるなら、早く避けたいところ。

お互いのために、お互いが気をつけるための文章である。


私は、その文章を打ち込み、この文章を見逃さないように、スルーしてしまわないようにロックし、

いつもの様に過ごし、いつもの様に帰った。



そして翌日。

連絡ノートにはこのような文章が書かれていた。



まあ、かいつまんで書くと、

「店長よりDWJへ。お客さんからクレームがありました。傷をつけてもいないのに、証拠も無いのに決め付けられて、非常に不愉快だと言っていました。(中略)言い方をもっと考えて欲しいと思います。」

は?

店長は既に帰っていた。

残っていたA君にその状況を聞くと、

「お客さんが返却に来て、ロックが出たので、自分には解らないので店長に聞いたら、店長が対処して、お客さんが怒り出した。」

と言うことだ。

いまいち要領をを得ない。

「そのお客さんは、来たときは怒ってた?」

「いいえ。普通でした。」

「いつ怒ったの?」

「店長が対応したときです。」

それだけ聞いて、その日はもう時間だったので、上がってもらった。

その後は、そのことを考えている時間が長かった。


その怒ったお客さんの来店記録を見る。

私が言ったのは1日(日付は仮とします)として、再来店をしたのが、2日と6日。

今日は7日。

ロックをかけたのは6日。

つまり、最来店された二回は、怒ってはいなかったのだ。

もし怒っていたら、その日にノートに書き出されているはずである。

A君の話を総合すると、怒ったのは7日であり、その前の2日は何も言わなかったのだ。

そしてノートの文面。

「気をつけているのに」といったらしい。

その後、

「証拠も無いのに決め付けるなんて」となっている。

私が気をつけてみてと言ったので、気をつけたのだろう。

そして、私は決め付けていない。

これは恐らく、誰かがお客さんに対して、「決め付け」で言ったと思われる。

しかも、私が言った後に、別の日に決め付けで言われれば、

言われた回数は二回。

怒って当たり前である。



なぜそのような状況になったのか知る必要がある。

頭の中で考えをめぐらせる。

いくつかの疑問点が残るため、もう一度確認するため、A君に今度聞こうかと思った矢先、

「今日もあのお客さんからクレームがあった。お客さんに対してクレーム禁止」

などの私宛の内容のモノが8日回ってくる。

ほう。

なるほど。



私は徹底して調べる気になった。

だが、ほとんど結論が出ている。

それは、A君に話を聞けばいいだけだった。


そして数日後、A君に詳しく聞いてみる。

D「来たときは怒ってなかったんだよね?」

A「はい。」

D「どのタイミングで怒ったの?」

A「店長がお客さんに言った時です。」

D「(やっぱり・・・)なんていったの?」

A「ここのお客様のデータに書かれていたことを読んで・・・」

D「ふんふん。」

A「商品に傷をつけているようなので気をつけてください、のようなことを・・・」

D「ふむ。確定だな。」



ここまで読んだ方なら、その発言がどれだけ「失言」であるか解るであろう。

それは、絶対に言わない事である。

誰もがわかっているはずの事である。

しかし、

この店長は言ってしまったのだ。

だが、

それは「店長判断」である。

たとえデータに「傷つけたのは間違いない」と書いてあっても、

それを言わないのがルールである。

私は決してそんなことは言わない。

その場で、明らかな証拠があったとしても、

先にあげたとおり、お互いわかりあった上で解決しようと努力するはずだ。

だが、

店長は一言、

「お前が悪い」

と、言ってしまったのだ。

データのメモの内容を見て、店長はその内容をこう判断し、言うことを判断したのだ。

そう、

これは店長判断であり、私の判断ではない。

私に決定権が無いのは承知のうえである。

なればこそ、もしかすると、しか、言わないのである。





百歩譲って、私がそのようなメモを残したのが悪いとしても、

それを言うことはタブーである。

タブーを犯すことはありえない。

しかも、それを言った本人が、

「DWJが悪い」

と言った内容の文章を残したのである。




そして、店長と顔をあわせるときが来た。

だが、店長は何も言わなかった。

私も何も言わなかった。

恐らく店長は、謝罪を待っているのかもしれない。

だが、そこは店長として、言うべきである。

「先日のクレームの件だけど・・・」

と、話を切り出すべきである。

お互いが誤解があったのなら、そのことを話し合った上で、

メモに書かれていることに関しての取り決めを行ったり、

対処の仕方を話し合ったりと、

どれだけ開拓的なことができるだろうか?


だが、店長は何も言わなかった。

それは、ある種、私を恐れているのだろう。

そして解っているのかもしれない。

「本当は自分に落ち度があったけど、DWJのせいにして自分の立場を守る。」

ために。



さあw

どうなるでしょうw

面白いですよw

笑えますよw

この先、どんな展開が待っているやらw

このままあやふやにすれば、私が当事者であるお客さんに会う機会ができて、

そこでさらに事実を確認することができるかもしれませんw


ただ、一つだけ危惧することが。

店長が、お客様のデータのメモに書かれていることが、

「DWJが書いた」と、お客さんに伝えていたとしたら・・・



店長失格である。



いきなりクビにするなんて言われたら、多分私は怒りますなw

グゥの音も出ない位にボロボロにしてやりますよw

私を敵に回すことが、どれだけ恐ろしいことになるかを、

タップリ思い知らせてやりますよ。



ただ、この先、この話に一切触れず、うやむやなまま流れていけば、

私はあえて黙っていましょう。

店長にも立場があるし、辛いのもわかる。

だから、

このまま流してしまうつもりなら、

それが私に対する謝罪として、黙っておきたいと思います。

が、

多分、

解ってないだろうなwwwww




お楽しみにw





後に追記。

私は常々思っている。

バイトであるにもかかわらず。

キズなどで観れなかった場合の被害者は、「お客さん」である。

そして、自分がそのお客さんになる可能性がある。

つまり、同じ被害者になる可能性が大きいのである。

同じ気持ちなのである。

ゆえに、ディスクのキズについて、私は必ずこう思う。

そして、誰かがクレームや失敗があって、私が対処して、その後、必ずこう言う。

「オレ怒ってはいない。被害者はお客さんなんだから、謝るならお客さんに謝らないと・・ね?」

それは私の本心である。

私にとって、それは私の被害ではない。

お客さんの被害である。

つねにお客さんを第一に考える。




私には、顔見知りのお客さんがいる。

会うと、挨拶をしてくれたり、頭を下げてくれる。

私ももちろん、いつもの様に「いらっしゃいませ」を言う。

時に他愛の無い話をしたり、映画の話題を話したりする。

探しているものがあれば、できることをする。

最近見なかったけど、と言われると、すごくうれしい。

通じ合っているのだ。

その店で、店員と客と言う立場でありながら、

お互いを覚えていることが、とても素晴らしいことに思う。

だからこそ、私は言うのだ。

「ありがとうございました。またご利用くださいませ^^」

と。

私は、本心でしか言わない。

本心から言う。

観たい映画が見つかって、嬉しそうにする人や、

観たい映画が無くて、残念そうな顔をする人に。

それは間違いなく、

私の本心だからである。




バイトだがw

私はバカでありたい。

2008-12-21 13:54:55 | 小説と言うより、小さなお話
世の中には、このような言葉がある。

天才。

バカ。

凡人。


この中であなたがあこがれるのはどれ?



天才であったあなたは、凡人です。

凡人であったあなたは、バカです。

バカであったあなたは、天才です。



凡人から見れば、天才は天才で、バカはバカです。

ゆえに、天才にあこがれるあなたは、凡人です。


バカから見れば、天才は凡人で、凡人は天才です。

ゆえに、凡人にあこがれるあなたは、バカです。


天才から見れば、凡人はバカで、バカは天才です。

ゆえに、バカにあこがれるあなたは、天才です。




凡人から見れば、天才のなしえる脅威の業績は、まさしく天才といえます。

凡人から見れば、バカのやる非常識な事は、バカにしか見えません。


バカから見れば、天才の行動は、自分と同じくバカだなぁと思い、凡人と思います。

バカから見れば、凡人の行動は、当たり前にできてしまうことを、天才と思います。


天才から見れば、凡人の当たり前なことしかしない行動は、バカに見えます。

天才から見れば、バカの自分の予測を超える行動は、自分を超える天才に見えます。




凡人にとって、常識とはもっとも大切なものであり、それを行わないものはバカです。

凡人にとって、自分のなしえない常識を行う者は、天才です。


バカにとって、自分と同じように常識から外れている天才は、凡人に見えます。

バカにとって、自分ができない常識を行う凡人は、天才に見えます。


天才にとって、自分の常識以下に縛られてしまった凡人は、バカに見えます。

天才にとって、自分の常識を超えるバカは、天才に見えます。





凡人にとって、バカとは卑下するべき存在であり、自分以下と位置づけます。

凡人にとって、天才とは尊敬するべき存在であり、自分以上と位置づけます。


バカにとって、天才とは自分と同等の存在であり、自分と同じと位置づけます。

バカにとって、凡人とは自分以上の存在であり、自分の上に位置づけます。


天才にとって、凡人とは自分以下の存在であり、自分と同等に見ません。

天才にとって、バカとは自分ですら理解できない存在であり、自分と同等に見ません。





凡人にとって、明日が雨であることは憂鬱であり、気分が沈みます。

凡人にとって、明日が晴れであることは爽快であり、気分が弾みます。


バカにとって、明日が雨であることは気にならず、気にしません。

バカにとって、明日が晴れであることは気にならず、気にしません。


天才にとって、明日が雨であることは雨であり、雨でしかありません。

天才にとって、明日が晴れであることは晴れであり、晴れでしかありません。





凡人からすれば、凡人は凡人であり安心します。

凡人からすれば、凡人以外は不安要素にしかなりません。


バカからすれば、バカは凡人であり安心します。

バカからすれば、それ以外のことはあまり気にしません。


天才からすれば、天才は同等であり興味がありません。

天才からすれば、それ以外は興味の対象になります。





凡人にとって、幸せとは当たり前のことであり、当たり前で幸せです。

凡人にとって、不幸とは当たり前のことであり、当たり前で不幸です。


バカにとって、幸せとは当たり前のことであり、当たり前に幸せです。

バカにとって、不幸とは当たり前のことであり、当たり前に不幸です。


天才にとって、幸せとは当たり前のことであり、当たり前が幸せです。

天才にとって、不幸とは当たり前のことであり、当たり前が不幸です。





凡人は、凡人であることを望みません。

凡人は、バカであることを望みません。


バカは、バカであることを望みません。

バカは、天才であることを望みません。


天才は、天才であることを望みません。

天才は、凡人であることを望みません。





凡人は、自分の上に人を作りたがります。

凡人は、自分の下に人を作りたがります。


バカは、自分の下に人が居ないと思います。

バカは、自分の上ばかりと思います。


天才は、自分の上には誰も居ません。

天才は、自分以外はすべて下に見ます。






でも、





凡人は、バカがいると安心します。

凡人は、天才がいると安心します。


バカは、凡人がいると安心します。

バカは、天才がいると安心します。


天才は、凡人がいると安心します。

天才は、バカがいると安心します。





そして、





凡人にとって、バカがいることが自分を普通と感じさせてくれます。

凡人にとって、天才がいることが自分を普通と感じさせてくれます。


バカにとって、凡人がいることが自分をバカと感じさせてくれます。

バカにとって、天才がいることを自分を凡人と感じさせてくれます。


天才にとって、バカがいることが自分を凡人と感じさせてくれます。

天才にとって、凡人がいることが自分を天才と感じさせてくれます。




お互いがいることが、自分の存在を確定してくれています。

では、

あなたはどれを選びますか?

私は、

バカでありたいと思います。

ああwまたログイン画面かよwで、BDに関する危惧。

2008-12-21 10:34:02 | どうでもいい事w
ブルーレイディスクに関する危険性に関して書いていたら、

多分、企業的陰謀wで、ログイン画面になって文章が消されましたw

これどうにかしてくれよwww

ログインしてるのに確認画面てなんだよwwww


んで、その後上の文を書いて下書き投稿したらできたしw

頭くるわw


さてw

もう一度書きますかw

本当はCDやDVDに関する事も書いていたのだが、

それはもうはしょりますw


CDは表にデータ面がある。そこにキズをつけるとデータ面が傷つく。

でも、CDに書き込まれている、言ってしまえば「文字」は、

DVDやBDより「大きく細かくない」ため、多少のキズでも読み込み不良はおきにくいのだw

さらには、データ面までの厚みが=ほぼディスクの厚みなので、

キズがついても修復できる余裕が多いのだ。

もっとも、データ面が変形したりするキズは、キズの深さまで削っても不可能さw



DVDはディスクの真ん中(約0.6mm)にデータ面がある。

そして、書き込まれている「文字」が小さく細かい。

その分、CDよりキズに弱い。

後は半分になったCDと思えw

表にキズがついても、CDのようなことにはならないが、

基本的にCDの半分の強さしか無いと思えw


んで、HCDVDやBDなどのハードコーティングに関してだが、これは、

0.01~0.003mmほどの厚みの、摩擦には強い膜がついていると思えw

当然、対磨耗性を超えた摩擦力でこすったり削ったりすれば、傷が着くぞw

従来のDVDの100倍摩擦に強いが、傷がついて読み込めなくなったら、

ディスク研磨で100倍の労力で除去しなけりゃならないw

しかも、それでも見られるかはわからないし、保障は無いw

研磨機メーカーも、可能だが汚れを取る程度=研磨機械にかけることはできる、

と、

不可能であると言ってるw

可能でも、B4エンピツで擦った程度ならなんとか、しか言ってないさw

つまりは、保障はできないのはメーカーと同じだw

メーカーは研磨するなって言ってるしw

オレは除去して見られるようにできるけど、確実じゃ無いし、方法にも注意が必要だw

さあw

これを踏まえろwww

そしてブルーレイのことを語ろうwwww




さて、ここからは真面目に話そう。

まずはBDと言うものに関して。

いきなりだが、詳しくはWIKIを見てください。

ここでは、そこでは記載されていない事を主に記載します。



BDとは、次世代データ媒体競争に勝った、あらたな存在である。

しかし、そこに至るまでは、いろいろな障害があった。

書き込まれているデータが細かすぎて、多すぎて、

従来の再生方法では不可能だった。

しかし、青の半導体レーザー?が発明されたことで、ついに日の目を見る。

(細かいことはWIKIで。簡単に言うと、赤より青の方が細かい字を読めるw)

だが、

それでも障害があった。

それは、

細かすぎるがゆえに、

データ面までの距離を縮めなければならなくなったのだ。

そのためには、データ面までの厚みを犠牲にしなければならない。

それゆえに、脆い。

0.1mmと言う厚みでなければならず、それが問題となった。

一時期は、ハコに入れることで「12cmディスクのMD」の様になるかも、と。

が、それを解決したのが「ハードコーティング」である。

もちろん飛びついたであろう。


だが、それこそが最大の失敗だったと、私は思う。

たしかに、ディスクだけなら、今までと同じような大きさの「再生機」ですむ。

ハコの分、大きくする必要が無い。

さらには、PS3の参入で決定的になった。

だが、

それはあくまでも「提供する側」の問題であって、

「需要側」の問題ではなかったのだ。


これには、大きな今の時代の価値観が問題となっている。

それは、

「CDやDVDの扱いが、基本的に誰もが悪い。」

知っている人は、非常に扱いがよく指紋もついていないが、非常に稀である。

ゆえに、

「誰もが」

である。

これは、非常に問題である。

にもかかわらず、

ハードコーティングを行った事で安心してしまったのだ。



ハッキリ言って、簡単にキズをつけてくる。


子供が扱っているのに、親は知らん振り。

結果、修復不能な傷がつく。


適当に扱って傷をつけてしまうも、気づかない。


最近流行の除香剤をディスクにかけてしまい、変質してしまっても気づかない。


光ディスクがどれだけ脆いのかを、全く認識・理解していない。



今、まさしくそれが「あたりまえ」である。

そんな状態なのに、そこに現在最弱のBDが現れる。

HCと言う、極めて薄い膜を盾に。

0.1mmと言う、心臓か脳までの厚さしかない体で。

それがどう言うことになるか?

簡単に死ぬのである。

HCと言う盾を破られたら、あるのは0.1mmの体・・・・・



実際、商品につけられる傷は、0.3ほどが主である。

0.1を超えるキズは、圧力でデータ面を変形させてしまい、修復不可能の可能性がある。

CDは12mmの厚みがあるが、DVDは0.6mm。

6倍あるDVDが0.1でも死ぬかもしれないのに

BDは多分、0.05を超えるキズは、

致命傷になるであろう。

さらには、それを除去する余裕はほとんど無いため、

研磨する事は不可能である。

さらには、HCを除去する際は、ディスクの外周部分が丸くなるほど削らねばならず、

その変形度はたぶん0.1mmを超える。

必然と、外周部分が、データ面を保護している0.1mmの厚みに達する。

そうなれば必然的に起こることは恐らく一つ。

保護層の「剥離」。はがれてしまう可能性があるのだ。

そう。

たしかにHCによってキズはつきにくくなったが、

キズがついたら除去する余裕がほとんど無いのは変わっておらず、

結果、

「キズに弱いのを、HCしたから大丈夫。キズつけたら自己責任でねw」

と言う結果が起きているのだ。

つまり・・・・・・



今、

「HC商品でもキズをつける」

人間に、

「HCを施したBDを与える愚かさ」

に、

メーカー側は全く気づいていないのだ。

キズのつき難さばかり上げて、

重大な欠陥を見落としていたのだ。

それは、

「扱う側が、まだ今のものを理解もしていないのに、新しいものを提供してしまった。」

と言う事だ。

そして、

人間はなかなか適応できない。

CDの時代が長く続いたというのに、今でもなおキズをつけてくる。

それはDVDになっても同じ。

HCを施してもムダ。

それなのに、

そうであるにもかかわらず、

表面だけは100倍強くとも、その中身はCDの12分の1の強さしかないものを、

いとも簡単に与えてしまったのである。

そして、

それをダメにしても、

それは基本的に「持ち主・扱ったものの責任」である。



その責任を取れもしない人間に責任を押し付けてしまったのだ。






理解もしていないのだから、扱いはわからない。

どこまで大丈夫かも知らない。

どうしてダメになったのかもわからない。

理解してもいないのに、解ったようにクレームを出す。

それは、供給側も需要側も、双方が愚かであるからだ。



供給側は、需要側が理解していないことを「理解」していない。

需要側は、供給する側のことを「理解」していない。

CDやDVDでも起きている双方のすれ違いがあるというのに、

新しいものを入れたって、理解しあえる訳が無いのだ。



私はこれを痛感している。

なぜ、私がディスク研磨にうるさいのかを、ほとんどが理解していない。

そして、そのまま理解せずに研磨し、失敗したり、解らないものを私に押し付ける。

「直して」

とか、

「失敗した」

と。

理解していないのに、それが直せると解る。

理解していないのに、失敗したかが解る。



そんな訳、有り得ないだろう。




多分、私は、研磨を行うことで、双方を理解したと思う。

それゆえに、お客様に解る様に説明しなければならない。

それも、サービス業ゆえに、お客様には丁寧に、

かつ、

怒らせないように。

だ。

それは、ほぼ不可能に近い。

提供側は、需要側がそのように扱うことなど想定していない。

どちらも、なぜ、それが「ダメ」なのかも理解していない。




この件に関しては、私は非常に頭が重くなる。

どうすればお客様に理解していただけるのかが、非常に難しい。

店の人間にさえ説明するのに非常に悩んでいるのに、

それをさらに外側の人間に説明するのは難しすぎる。

むしろ、その説明をわずらわしいと思い、聞きもしない人がいる。

入会案内さえわずらわしいと思う人が、私の説明を聞くはずも無い。




どうすればいいか?

どうすればいいのだろうか?

どうすれば皆理解してくれるのだろうか?




人間同士が理解しあうのに難しい今の時代、

その理解しがたい人間の、理解しがたい話など、

だれも聞く耳持たないのかもしれない。



いずれ訪れる、「クレームの嵐」が、

私の目にはハッキリと見えているのだ。





せめてこのブログを読んだ方は、

どうか私を理解して欲しい。





ブルーレイディスクは素晴らしいものである。

だが、それゆえにはかなく脆いのだ。

だから、

優しく扱って欲しい。



新たな時代の訪れに、幸あれ。




誇り

2008-12-20 10:54:53 | 小説と言うより、小さなお話
※この作品はフィクションであり、実在する人物・団体とは一切関係ありません。





「誇り」




母が他界した。

腎臓の機能が低下し、人工透析を受けなければ持たない体だった。

肝臓移植しなければ命に関わる。

しかし、母は移植を断った。

「私はもう十分生きたから、それはもっと生きる人のためになってほしいから。」

私には、母の言ったことが解らなかった。

でも、父は理解していたようだ。

母が死ぬのをただ見ているだけだった。

私はそんな父が嫌で、母が無くなったその日、家を飛び出した。





行く当ても無く、気が付けば母が死んだ病院の前でうずくまっていた。

母の最期のぬくもりが残っていた場所だったからだ。



「・・キミは・・・」

「・・・・」

初老の医者に声をかけられた。

その人は、母の担当医の方だった。

母が移植を断った際、あっさりと引き下がった人だった。

私は、あふれ出す感情を抑えきることができず、理不尽なことから何までぶちまけた。



だが、その医者は、静かに微笑むと、私の目を見てこう言った。

「きみのお母さんが最後に言った事を覚えているかい?」

母は死ぬ一時間前に、私にこう言った。

「私は生きた証を残せた。あなたも、必ず生きた証を残しなさい。」

と。

錯乱する私には、意味がまるでわからなかった。


医者は私を見た後、遠くを見つめながらゆっくり口を開いた。

「これは・・・守秘義務に関わることだが・・・独り言だからいいか・・・」




それは母が子供の頃の事だった。

まだ十歳でありながら、生まれつき体が弱く、病院にいる時間が最も多かったと言う。

しかし、決して気落ちせず、常に前向きで、病院の中ではその笑顔に何人もの人が、

癒され、病院を去っていったと言う。

しかし、本当は苦しくて仕方が無かったのだが、それを押し隠していたのだ。

いじらしい。

母らしいと思った。

母は回りに心配をかけないよう、いつも気丈に振舞っていた。



しかし、成長するにつれ、その負担が大きくなっていた。

このままでは、中学に行くこともできないだろう、と。





医者はそこまで言うと、目を閉じた。

沈黙。

これから先、語る事を覚悟しているようだった。



母が12歳になるころには、もう、満足に歩くこともできなくなり、

いつも赤黒い顔で苦しそうにしていたと言う。

それでもなお、笑顔を作っていたという。


そんなある日、車椅子で病院の庭を散歩していたとき、ある男が話しかけてきた。

そのときの言葉を、看護士の方はこう聞いていると言う。

「キミは、生きたいか?」

その言葉を聴いたとき、幼い母は、驚きながらもその言葉の意味を知り、

今まで溜まっていた苦しみを吐き出すように、大声で泣きながら、

「いきたい!いきたいよう!しにたくないよう!」

と叫んだらしい。

男は母の前でひざまづくと、こう言った。

「解った。なら、オレでよければキミの生きる糧になろう。」

と。



それから数日後、母の臓器移植に名乗り出た人がいた。

もちろん匿名で、提供者の情報は一切話さなかった。

母は手術が成功し、助かった。



そこまで言うと、医者はポツリとつぶやいた。

「私は生きた証を残せた。あなたも、必ず生きた証を残しなさい。」

「・・・・・」

母の遺言だ。

「これは、伝言なんだよ。」

「伝言?」

「そう。ずっと続いている伝言なんだよ。」

医者はそう言うと、私の方を見てもう一度言った。

「私は生きた証を残せた。あなたも、必ず生きた証を残しなさい。」

そして、私の目を強く見て言った。

「これは、私の言葉として伝えたけど、本当は提供者の方からの伝言なんだ。」

「・・・・!」

「彼が言ったんだ。私の言葉で伝えてくれ、と。」

「・・・・・」




医者はまるで何かを懐かしむように空を見上げた。

「彼もまた、その伝言を受けたらしい。」

「伝言・・・」

「でもそれは、生き物全てが残す遺言なんだよ・・・」

医者はそう言うと、にっこり笑い、病院に戻っていった。

「・・・・・・・」

私は訳が解らなかった。

それを母に聞きたかった。

急いで家に帰ることにした。



母は無言で微笑んでいた。

お葬式で親戚の人たちが集まっていた。

みんな話しながら泣いていた。

母の死を悼みながらも、今日までよく生きた、と。

そして、母が移植を断った事を、誰一人何も言わなかった。

「おかえり・・・母さんが待ってるよ・・・・」

父は、わかっていた様に私を迎えると、母に手を合わせた。




お葬式が終わり、御通夜が始まる。

その頃はみんな笑いながら母の話しをしていた。

「・・・・」

父が私を見つめた。

「病院に行って来たんだな・・・」

「うん・・・」

それ以後、なにも言わなかった。

父は全てを知っていたようだ。






「お前に・・・話しておくことがある・・・」

母を前に、父が口を開いた。

「多分、あらかたは聞いただろう?」

「うん。」

「じゃあ、わかるよな?お母さんが、お前にもう一人お父さんがいるって事。」

「・・・うん・・・」





幼い頃、私が病気で倒れたとき、母が病院で看病してくれながら、こう言ったことがある。

「大丈夫よ。あなたには、お父さんと、お母さんと、もう一人のお父さんがついているから・・」

意識がまどろむ中、その言葉の意味はわからなかった。

数日間病院のベットで意識がさ迷う中、私は自分がどうなってしまうのかと、

子供心に不安になった。

母も体が強くないため、家で休まなければならなかった。

そうして一人になると、不安で堪らなくなり、ベットで涙したのを覚えている。



それを思い出したとき、ふと、何かを思い出した。

「大丈夫だ。キミには、オレもついているから・・・」

と言う言葉だ。

初めは父のものと思っていた。

しかし、ゆっくりと開かれた口と言葉は、父のものではなかった気がする。

その人は私の頭を撫でると、にっこりと微笑んだ。

急に安心感が体を包み、そのまま深い眠りに落ちたことを覚えている。

まるで、母や父がそばにいたような気がしていた。



「もう一人の・・・お父さん・・・」

「・・・私も母さんから聞いたときは驚いたけど、すぐにわかったんだ。」

父は少し悔しいようなうれしいような顔をしながら、

「母さんとお前がいるのは、その人のお陰でもあるって。」

そして、

「もう一人のお父さんがいるって。」





御通夜も終わり、告別式となり、火葬場へと母が運ばれてゆく。

その後、骨だけとなった母を骨壷に収めた。




家に帰り、一息ついた。

あわただしくて落ち着く暇も無かった。

ゆっくりと母の言った言葉を思い出し、呟いた。

「私は生きた証を残せた。あなたも、必ず生きた証を残しなさい。」

その言葉の意味が、今ならわかる気がする。

そんな気がする。

「お父さん・・・」

「ん?」

「これって、ずっと昔からの伝言だって聞いた。お父さんも聞いたの?」

「いや・・・言葉で聞くのは初めてだけど・・・今ならわかるよ・・・」

父は私を見つめた。

そして、ゆっくりと息を吸い、言った。

「それはお前のことだよ。」

「私?」

「そう。お前は母さんが生きた証で、私の生きた証なんだ。」

「私が?」

父はそこまで言うと押し黙り、静かに涙を流した。



暫くして、父が口を開く。

震えていた。

「命を紡ぐ事の大切さを、母さんは知っていたんだ。」

私はその父を見て、涙が流れてきた。

「自分が紡がれた命を、誰かに紡ぐことを大切にしていたんだ。」

私はあふれ出る涙をとめることができない。

母の笑顔がありありと蘇ってきたからだ。

「母さんを助けてくれた人は、他人である母さんも、紡ぐべき命と言ったんだ。」

父は・・・母を助けてくれた人と会っていたのだ。

「その人はこう言ったんだ。」

私はもう、目の前が涙でよく見えなかったが、父が今まで魅せたことも無い顔で、

笑いながら泣いているのがわかった。

「自分の次にある命を紡ぐためなら、自分はその糧になる事を誇りに思うって。」

父は・・・もう、言葉になっていない。私も、もう・・・・

「だからお前は、あの人と、母さんと、私の誇りだ・・・」

父はそこまで言うと、抑えていたものを吐き出すように、

子供のように声を上げて泣き出した。

私も、大声で泣き出した。

私は、私の前にいる人たち、止まってしまった人たちの、誇りなのだ。








あれから何年たっただろうか。

父は私が結婚し、子供を作り、その子供が子供を作るまで生きた。

その時も父は、母の伝言を残していった。

私は子供たちには何も話さなかったが、それでいいと思っている。

目の前で生きている子達と、死に行く父との間に、

たしかに伝わった伝言があるからだ。



私の命も、もう短い。

そしてその時、残す言葉は決まっている。

遥か昔からの伝言。

それを伝えるために、私は今日まで生きてきたのだ、と。

そして、それは、私にとって、

何よりも変えがたい「誇り」である、と。

私は思っている。












あとがき
あ~
PSUやりながら考えてしまいましたw
書くしかないじゃないですかw
テク上げしてたら暇なんだもんw
表現などは、あえて主人公の主観のみで。
あえて日数や時間を指定しないことで、主人公の心情を表したつもり?
御通夜だけはどうしても・・・
細かい描写は不要なのでw
まあ、思い付きですわw
たまにはこういうのもいいなぁ、と思ったのでw
ではw




内容に関して知識不足なものがありますが、ご容赦ください。

内容に関して、配慮が足りない部分があった場合、深く謝罪いたします。

PSUイルミナスの野望日記?:フォルテクターが楽しいのうw

2008-12-18 15:23:16 | ゲーム日記w
どもどもw

おかプレは明日書く予定ですw

んで、相変わらずPSUやってるのですが、現在サブを育てていますw

タイトル通りFTなのですが、これがなかなか面白いw

接近戦命だったのが、チキン戦命になっていますw


んで、使ってみて解ったのが、使いやすいテクはどれか、と言うと、


ノス・ディーガ これだけ30になってるw追尾性能が素晴らしく使いやすいw

フェイオ 単発だが威力が高く使いやすい。

ラ・フェイオ これも鍛えるとなかなかですw


え?これだけかって?これらが一番レベルが高いのです。

次点でノス・ゾンデかな?

バータ系は育てていませんw今のMAG+に炎属性の敵が出てこないのでw


まあ、そんな訳で、MAG+が一週間伸びたお陰で、テクをガリガリ上げられそうですw

楽しみですなw

ではではw


ああw

サブはメスニューマンですw

ではw

ストローでお酒を飲む実験wその後。

2008-12-16 03:13:03 | どうでもいい事w
アレから30分も経たずに眠りました。

そして、先ほど起きました。

途中トイレやら行ったりしてはいましたが、よく眠れました。

ただ、指先の痺れは少し残っています。

ふらつきや気持ち悪さはありません。


ふぬ。


実験の結果は、

「酒の飲めない人間がストローで一気飲みすると、急激に回って寝る」

と言うことでしょうなw



その後追記

どうやら風邪を引いたらしくorz