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静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

因果の道理の結論

2009-10-16 18:36:24 | Weblog
仏教に説かれる因果の道理とは、

善因善果 悪因悪果 自因自果 のことです。

善い行為をすれば(善因)、幸福になれる(善果)。悪い行為をすると(悪因)、苦しみ悩むようになる(悪果)。あなたのやった行為(自因)が、あなたの一切の運命を作っていく(自果)、ということです。

善悪の問題はややこしくなりがちですが、無用の議論を避けるため、幸せになるタネを善、苦しみ悩むことになるタネを悪と言う、と理解してもらえばいいと思います。

つまり善因善果 悪因悪果とは、
幸せになるタネを蒔けば、幸せになり、
苦しむタネを蒔けば、苦しむことになる、という当然の話なのです。

故に、幸も不幸も、自らの蒔いたタネの結果(自因自果)と受け入れられれば、当然、次のような心になってきます。すなわち、

廃悪修善(はいあくしゅぜん)

悪いことをすれば、苦しむのは自分ですから、自ずから悪を慎もうという心になります。だれしも願うのは幸せですから、幸せになれるよう善に向かおうという心になります。それが廃悪修善で、因果の道理の結論でもあります。

では、何が善で、何が悪なのか?
それを知らねば、実践しようがありませんので、釈尊はその点についても、詳しく教導されています。

それが六度万行といわれる教えです。

たくさんある善行を、私たちが実践しやすいよう六つにまとめられたものです。

では、その六つの善とは何か?
以下の通りです。

・布施(ふせ)
・持戒(じかい)
・忍辱(にんにく)
・精進(しょうじん)
・禅定(ぜんじょう)
・智慧(ちえ)

それぞれどんな善かというと

【布施】とは、他人に施すこと。これはお金や物に限らず、他人のために何かをしてあげることだから、広い意味での親切にあたります。

【持戒】とは、戒律を守ることをいうのですが、一般人に戒律はないですから、私たちの日常に即していえば、信頼される言動をとることにあたります。身近に言えば約束を守ること。決して裏切らない。

【忍辱】とは忍耐。苦しくても笑って耐え忍ぶ。投げ出さない。

【精進】とは努力。怠けない。

【禅定】とは心を静め、精神を統一すること。自己を顧みて反省していくことにあたります。

【智慧】とは、前の5つを合わせたようなもの。因果の道理を明らかにみて修養に心がける。


これらはいずれも善行ですから、やればやるだけ、善果が報いてきます。つまり、いつも親切で他人から愛され、した約束は必ず果たして裏切らない。さらにどんな苦境に立たされても、笑って忍び、責任を放棄せず、常に努力を惜しまない。それでいて己をわきまえ、思いあがったところがなく、因果の道理を信じて、日々、善に心がけて脱線することがない。

これで恵まれないということがありましょうか?


善の反対は悪ですから、もちろん六度万行の反対語もあります。

布施→慳貪(けんどん)持戒→破戒(はかい)忍辱→瞋恚(しんに)精進→懈怠(けたい) 禅定→散乱(さんらん)智慧→愚痴(ぐち)
であります。

六度万行の反対をやるとどうなるか?

ケチで施しを知らず、自分のことしか考えていないから他人から疎まれ、約束を平気で破って人の信頼を裏切り、気に入らないことがあると我慢ができずにすぐ怒り出し、やりかけの仕事もすぐ放り出す。人の目がなければ怠けてばかりで、そのくせ我が身知らずだから、少し事がうまく運ぶとすぐ「どうだ」と調子に乗り、うまくいかないと他人のせいにする。因果の道理を馬鹿にして信ぜず、やりたいように生きるだけさとか言って、脱線のし放題。因果はテキメンで、どんどん窮地に立たされていくが、愚痴で己の蒔いたタネだと悟らないから、親が悪い、学校が悪い、政治が悪いと、とんでもないところに八つ当たりして、「オレ様を認めない世間はバカばかりだ」というようなことを言ったり、書いたりする。

この結果はどうなるか。これで恵まれたら、それこそ不思議です。

因果の道理を知り、善、悪のタネを知れば、現在の自分の境遇はだれでもない、自らのタネ蒔きが生み出した結果と知らされるではありませんか。

自分の運命は、自分が作るのです。他の何ものも、そこに直接関与はいたしません。
善悪の行為に応じて、知らず知らず、善悪の果報の定むるところへ自ずと運ばれていくのです。それは何人も変えられない厳粛な法則です。(つづく)

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