静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

健常者・障害者の差別なく、生命の尊厳は平等にある

2016-08-23 11:17:28 | Weblog
 身心に障害があろうとも、変わらぬ生命の尊厳がある。
それが決して建て前ではなく、実地にそうだと思い知らされたのが、滋賀県の故・東岸まさのさんとの出会いであった。

 東岸さんは、琵琶湖の東、滋賀県と三重県との境に近い、犬上郡多賀町佐目という山中の小さな集落に住んでいた。生来、変形性関節症という難病で、膝の変形や関節の痛みから、自由に歩くこともできず、大人になっても背丈は幼少時のままだった。
 こうした、一見不幸な境遇も、
「人の言う 不幸は我の幸福と 言えどうなずく 人なかりけり」(マサノ)。
 東岸さんは、煩悩のままが信心歓喜、業苦一杯が幸福一杯と、仏智の不思議に生かされ、
多くの詩歌にその喜びと、阿弥陀仏の尊さを讃嘆していた。
同居して、ずっと身の回りの世話をしてきた姪のKさんも、「まーちゃん(まさのさん)は、あのような体だったけど、本当に誰よりも幸せな生涯だったと思います」と述懐する。
 では、東岸さんはいかにして、そのような幸せな身となられたのだろうか。

          ■

 小学校3年のころより、普通ではない自分の体を自覚する。普通の就職は不可能で、将来に希望をなくし、 勉強にも興味を持てなくなった。
 ある日、学校を抜け出し、家に帰って布団に潜り込んだ。「学校で何かあったのか?」。心配した父が尋ねた。「おまえの体はかわいそうだが、父さんや母さんにはどうしてやることもできない。だから少しでも勉強を頑張るのだよ」
 その時、「父さんが今ここで片手片足切断してくれても、私の気持ちなど分かりはしない!」と叫ぶと、堰を切ったように泣き続けた。
「阿闍世太子(*)の姿そのままでした。親への反逆が自己嫌悪になって跳ね返り、一層の惨めさに泣いていたのです」
 そんな父が、戦後間もなく、心臓の病で床に就く。
「おまえを置いてはどこへも行けぬ」と、娘の行く末をいつも案じていた父を、付ききりで看護した。夜更けの山里の静寂は、寂しさを一層つのらせる。
「父さん」。
目を開けた父に、
「しんどいか?」
と尋ねると、静かに首を横に振った。それが最後の会話となった。

 最愛の父の死。恥も外聞もなく号泣した。なぜウソを言った。おまえを置いてどこへも行かないと言ってくれたでないか──。生木を引き裂く今生の別れであった。

 その翌年、昭和25年6月、佐目の寺にT先生が訪れられた。何の期待も望みもなく、ただ20代の先生というもの珍しさから参詣したが、全身火の玉の説法に圧倒された。
「厳粛な三世因果のお話で、過去も未来も現在の己の上にかかっている。四人姉妹の自分だけ障害を持って生まれたのは、何人も無関係。すべては過去なした罪業の生み出した結果、と知らされた苦悩は、筆舌に尽くせません」
 しかし、阿弥陀仏はどんな極悪人も、一念で絶対の幸福に助けると、命を懸けて誓われていることを、先生は声を限りと叫んでおられた。
 その夜、座談会で質問した。
「先生、この私でも阿弥陀仏に救われることができますか?」
 すると「10は3で割り切れますか?」と返された。
「割り切れません」
「そう。10を3では割り切れない。でも1メートルは3尺3寸と割り切れるでしょう。今のあなたの心の中も、必ず割り切れる時が来ます。しっかり聴聞してください」
 自信に満ちた笑顔に、この方こそ私の先生と確信した。

 仏の慈悲は、苦ある者に偏に重し。業海深きがゆえに願海深し。かくして東岸さんは、弥陀の本願を聞きひらき、弥陀の一人子と喜ぶ身となった。
「機を照らす 法に生かさるよろこびを 弥陀とわたしで分かち合いたり」(マサノ)

            ■

 10年前、長姉から手紙が届く。清沢満之(東本願寺の学者)を崇敬する姉とは、事あるごとに衝突した。だが手紙は姉の字で、「今晩死んでいくと思うと不安で眠れない。どうか来てほしい」とある。姉はガンに冒されていた。
 翌日病院へ行き、後生の一大事とは何か、解決とはどうなったことかを懇々と話した。「お姉ちゃんのような、お寺参りの常連や、住職にかわいがられて有頂天な人、清沢満之の書いたような、仏法と縁もゆかりもない本を喜んでいる者に、阿弥陀さまはずーっと血の涙を流しておられるのよ」。
心を鬼にして言うと、姉の顔はこわばっていた。
その後も手紙をやり取りし、半年が過ぎた。姉からの連絡で会いに行くと、
「まあちゃん。阿弥陀さまにあえたて。ありがとうな。阿弥陀さまにもあなたにも、申し訳ないことばかりやった」
と、病床で合掌した。
「本当に大丈夫か。極楽一定か?」
と尋ねる東岸さんに、にっこり「お浄土で待っている」。姉妹で手を取り合って泣いた。その夜が姉の最後となった。

 後で姉の家族から、「あんなもの(清沢満之)読むもんやない。蓮如さまの『御文章』を読ませていただくのだ。今、本当の仏法を聞かせてくださるのはT先生だけや」と言っていたと聞かされた。

           ■

「恋う人は 弥陀と善知識に 定まれば 法鏡に向う 恋慕はずかし」(マサノ)
 体が動かず、机に向かったままの日々を、「退屈しないか?」と知人に聞かれ、一瞬、退屈って何?退屈の意味を忘れていたのに気がついた。
「ボンヤリ戸外に目を向けていても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、おなかの中から声となり、阿弥陀さまが私に呼びかけていてくださる。おかげさまで寂しいとか、怖いとか、退屈も忘れているのね」。そう言うと小さく微笑んだ。


東岸まさのさん 平成21年6月1日逝去 (享年81歳)


※註  阿闍世太子……釈尊在世中に起きた王舎城の悲劇に登場する王子。気性が荒く、父母を投獄し殺害を企てるが、獄中で弥陀に救われた母の姿に驚き、釈尊に帰依する。

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