『唯心論物理学の誕生』(中込照明著)という本があります。
大まかな内容を言うと。
古典物理学的な世界観というものがあります。物質で構成され、厳粛な物理法則に支配された単一の「世界」があり、私たちはその世界の中にいる、というもの。つまり常識的な世界観のことです。普通に生きている分には、これで十分で、この「常識」が覆ることはまずないと思います。
ところが、量子力学の扱うミクロの世界になると、事情が変わってくるのです。
ミクロの世界にも、やはり法則性は見出せるのですが、それがどういうことを意味しているのか、いわゆる「常識」からはサッパリ解釈できなくなるのです。
そのことについては、これまで何度か触れてきました。
これは「観測問題」ともいわれ、物理学者の間でも、いまだ保留にされたままの問題です。
ここに著者は、あくまで「常識」に立つ限り、この「観測問題」は、どう解釈しようと絶対に解決はつかない。だとしたら、「常識」の方を、一端リセットして、まったく異なる「世界観」から問題を眺めてみてはどうだろうかと思い立ちました。
そこで出されたモデルが、唯心論。
これは一概に定義が難しいのですが、分かりやすく言えば、存在するものは心だけ。この世界は、心が生み出した「夢」みたいなものという見解です。一般的に言えば「そんなバカなぁ……」という話なので、特に科学者は毛嫌いする傾向があります。
しかし中込氏は、量子力学が陥った難問を解くには、科学者が毛嫌いするような見解こそ期待できると考え、あえて唯心論のモデルを持ち出したようです。
唯心論的な思想で、きちんと体系化されたものには、ライプニッツのモナド論と、仏教の唯識思想があります。しかし著者は、唯識思想はあまりに高遠で、難解との理由から参考とするのをあきらめ、もっと単純なモナド論をベースにしたようです。
そこでどう論じられているかは、本を読んでいただけばいいのですが、結論は、やはり「世界」は私を離れて独立に存在しているものではなく、心(モナド)の生み出したものとするほうが、物理学の基礎理論である相対性理論も、量子力学も、自然に組み込めることを立証しました。例の観測問題が解消するということです。
その本の中で著者は、人はそれぞれ、各自の生み出した世界に生きているとするなら、なぜ私たちは他者と関わりあえるのか、そんな疑問にも答えてくれています。
次回はその紹介をいたしましょう。(つづく)
大まかな内容を言うと。
古典物理学的な世界観というものがあります。物質で構成され、厳粛な物理法則に支配された単一の「世界」があり、私たちはその世界の中にいる、というもの。つまり常識的な世界観のことです。普通に生きている分には、これで十分で、この「常識」が覆ることはまずないと思います。
ところが、量子力学の扱うミクロの世界になると、事情が変わってくるのです。
ミクロの世界にも、やはり法則性は見出せるのですが、それがどういうことを意味しているのか、いわゆる「常識」からはサッパリ解釈できなくなるのです。
そのことについては、これまで何度か触れてきました。
これは「観測問題」ともいわれ、物理学者の間でも、いまだ保留にされたままの問題です。
ここに著者は、あくまで「常識」に立つ限り、この「観測問題」は、どう解釈しようと絶対に解決はつかない。だとしたら、「常識」の方を、一端リセットして、まったく異なる「世界観」から問題を眺めてみてはどうだろうかと思い立ちました。
そこで出されたモデルが、唯心論。
これは一概に定義が難しいのですが、分かりやすく言えば、存在するものは心だけ。この世界は、心が生み出した「夢」みたいなものという見解です。一般的に言えば「そんなバカなぁ……」という話なので、特に科学者は毛嫌いする傾向があります。
しかし中込氏は、量子力学が陥った難問を解くには、科学者が毛嫌いするような見解こそ期待できると考え、あえて唯心論のモデルを持ち出したようです。
唯心論的な思想で、きちんと体系化されたものには、ライプニッツのモナド論と、仏教の唯識思想があります。しかし著者は、唯識思想はあまりに高遠で、難解との理由から参考とするのをあきらめ、もっと単純なモナド論をベースにしたようです。
そこでどう論じられているかは、本を読んでいただけばいいのですが、結論は、やはり「世界」は私を離れて独立に存在しているものではなく、心(モナド)の生み出したものとするほうが、物理学の基礎理論である相対性理論も、量子力学も、自然に組み込めることを立証しました。例の観測問題が解消するということです。
その本の中で著者は、人はそれぞれ、各自の生み出した世界に生きているとするなら、なぜ私たちは他者と関わりあえるのか、そんな疑問にも答えてくれています。
次回はその紹介をいたしましょう。(つづく)