説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2016年8月14日 説教要旨

2016-08-28 22:28:36 | 説教要旨
2016年8月14日 説教要旨 
ローマ人への手紙5章6~11節

私たちと神との関係の中心は愛です。私たちは優れているもの、好ましいもの、良いものを愛しますが、神の愛はちがいます。6~8節に神の愛について書かれています。「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」神さまは私たちが弱かった時、不敬虔な者であった時、罪人であった時に罪の身代わりに死んでくださいました。神さまはそのままの私たちを知っておられ、そのままの私たちを愛してくださっています。この神の愛を信じるのです。
ただ、この時、ある方々は自分は愛されていない、赦された気がしないと言われます。このとき、大切なことは、①みことばに立つこと。自分の感情や状況ではなく、みことばが神は私のことを十字架の愛をもって愛していると書いているから、「私は愛されている」というところに立つことが重要です。信仰に立つ時、みことばの実質をみます。②罪を握ったままにしないこと。例えば人を憎んでいたり、赦さなかったりすると、相手が悪くても憎しみは罪なので、自分が赦されているという自覚が持てなくなります。信仰によって赦しを宣言し、相手の祝福を祈るのです。その時から変わってきます。9~11節では敵であった私たちを神は憐れんで和解の道を開いて下さったことが書かれています。和解を願わなければならないのは私たち人間ですが、罪のためにそれができなくなっており、神の方からその道を開いて下さいました。私たちは今、キリストを通して神と和解し、平和が与えられ、大胆に神のみ前に出ることができ、交わりをもつことができるのです。さらに祈り、神の恵みを具体的に体験していきましょう。

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