2016年3月6日 説教要旨
使徒の働き25章12~27節
パウロは祭司長やユダヤ人に訴えられて裁判を受け、長く留置されていました。州総督だったフェストはアグリッパ王が敬意を表するために来た時、「ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。」と話しました。フェストはパウロが何も犯罪を犯してはいませんでしたが、イエス様が生きていると証しし、福音を語っている事が問題となっていると、この問題の中心を捉えていました。主に従うと十字架を負います。パウロは復活の主を証しし、今も生きておられるイエス様を証ししていたからです。私たちが信じている神さまは生きて働いておられます。宗教を信じているのではなく、生ける神さまと交わり、共に歩んでいます。そのことを多く体験し、証ししていくことは神さまのみこころです。
ローマ人への手紙12章2節で「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一
新によって自分を変えなさい。」と語られています。私たちはイエス様を信じた時、霊は救われ、完全に新しくされているのですが、たましいの部分が日本人の文化、罪の思索の中で育ってきているので、そこを聖書のみことばの方に切り替えていかなければ、一新はされていきません。霊は新しくなっていても、生ける神さまを体験するということがありません。たとえば、すべてのことを感謝しないさいと聖書に書かれていても、私たちの思索や感情はナンセンスと感じてしまうのです。ですから意図的に、意識的に聖書のことばに切り替えていく必要があります。そして私たち一人一人がそれを選んでいく時に、神のことばの力、生ける神さまの力が解き放たれ、具体的な問題の解決や勝利を見ることを覚えてください。
使徒の働き25章12~27節
パウロは祭司長やユダヤ人に訴えられて裁判を受け、長く留置されていました。州総督だったフェストはアグリッパ王が敬意を表するために来た時、「ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。」と話しました。フェストはパウロが何も犯罪を犯してはいませんでしたが、イエス様が生きていると証しし、福音を語っている事が問題となっていると、この問題の中心を捉えていました。主に従うと十字架を負います。パウロは復活の主を証しし、今も生きておられるイエス様を証ししていたからです。私たちが信じている神さまは生きて働いておられます。宗教を信じているのではなく、生ける神さまと交わり、共に歩んでいます。そのことを多く体験し、証ししていくことは神さまのみこころです。
ローマ人への手紙12章2節で「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一
新によって自分を変えなさい。」と語られています。私たちはイエス様を信じた時、霊は救われ、完全に新しくされているのですが、たましいの部分が日本人の文化、罪の思索の中で育ってきているので、そこを聖書のみことばの方に切り替えていかなければ、一新はされていきません。霊は新しくなっていても、生ける神さまを体験するということがありません。たとえば、すべてのことを感謝しないさいと聖書に書かれていても、私たちの思索や感情はナンセンスと感じてしまうのです。ですから意図的に、意識的に聖書のことばに切り替えていく必要があります。そして私たち一人一人がそれを選んでいく時に、神のことばの力、生ける神さまの力が解き放たれ、具体的な問題の解決や勝利を見ることを覚えてください。