思い出し怒り

2016-02-09 22:00:16 | 日記
辛かったときの話をして、怒りが込み上げてきたり感情が乱れるのは…

まだ怒りを出し切ってないからだろうなぁ

まだ怒ってる、まだ傷が癒えてない

ということを教えてくれている。

学校は罰ゲーム

2016-02-06 19:14:20 | 日記
今思うと、学校って罰ゲームみたいだったよね。

発表なんてしたくないのに、発表しないと評価されないというか、発表する人がいいとされてたし。
運動したくないのに、走らされたし、泳がされたし。


今、テレビで、「マラソンの順位づけ」は個人の目標のため、自分と戦うため。って言ってるけど、
走る楽しさ、運動の楽しさが大事だったはずなんだよね。
苦手だ!嫌だ!ってことだけが強化されて、今。

ようやく、マラソン好きの旦那を持って、いろんなスポーツやってた人と触れ合って、スポーツって楽しいんだなあって、思えたよ。
34歳でようやく。

マラソンの順位が上がらない、タイムが上がらない自分はダメだ。
バレーボールでボールが繋げず、チームに貢献できなかった自分はダメだ。
と、思い続けた学生時代。

スポーツと自己の成長を無駄に結び付けられ、精神論に縛られ、
自己嫌悪を植え付けられた、学生時代。


マラソン、走る楽しさ、運動の楽しさと、
努力する素晴らしさを同じだと思ってたわー。

そもそも、努力させられる時間だったし。


そう!努力させられる!
嫌なことを我慢してずーっとやらされる、そんな罰ゲーム期間だった。

いい子でいるべきと思ってたから、甘んじて受け入れてた。



ってか、目標に向かって頑張らせるって、強制させてできることじゃないだろ。


自分の思いとは別の行動を取ってきたことで、起こってる乖離。
少しずつ統合していくつもり。


日本の教育にはこんな矛盾というか、変なところがある。違和感がたくさんある。
それに合う人もたくさんいる。けど、私みたいに合ってるふりして、全く合ってなかった人もいるんだね。
私も最近知った。

だから教育は難しいと思う。

義務教育の学校での違和感

2016-02-05 10:50:48 | 日記
学校に行ってたころ。

学校では真面目に授業を受けないといけないと思ってた。行事もちゃんと取り組まないといけないと思ってた。

それと楽しむことは同じでないと思ってた。

むしろ楽しんではいけないと思ってた。

出来るようになることは面白かったけど、内容は面白がってはいけないと思ってたし、面白い内容があるとは思ってなかった。



その解離は、今も残ってて。
私の思考をパニックにさせる。


ずっと素の自分ではなかったんだな。


がんばらないといけない状況。
楽しんではいけない(ふざけてはいけない=楽しんではいけないと思ってた)状況。


すごーくあった違和感ってコレだったんだな。


素の私がもし受け入れられてたら…どんな子だったんだろ(笑)
ほんとは、暴れたかったのかもな~

許し

2016-02-04 19:21:26 | 日記
不意打ちから学んだ最大のことは、

「許し」。

自分を攻撃した人を許せるとは思えませんでした。


許しのプロセスは…

許しは結果なので、そこを目指したらうまくいかない気がします。

・自分の感情を感じる
・他人に話す(ちゃんと聞いてくれる人)
・ちゃんと怒る
・どんな自分も受け入れる
・許さなくていい
・自分は悪くない、または精一杯のことをする
・とことん嫌う


大事なキーワードは、「自己肯定」「自分軸」

傷ついた自分を癒してあげられる人は自分です。
私の声をどこまで聞いてあげられるか。
「私は何を感じた」
「私はどうしたい」
自分でたくさんきいてあげること。


「だって相手が…」が出てきた瞬間に、私の気持ちは踏みにじられます。

そんな相手がいなくたって、私の人生は最高のもの。私の人生の価値は変わらないのです。


私が私の人生の価値を認めたとき…
その人のいない世界でもあってそこは何ら変わりがない素晴らしい世界だと気付いた時…

私を傷つけた相手が私のそばにいてもいい。

と変化した気がします。




不意打ちから浮上まで

2016-02-04 18:16:09 | 日記
突然の友人からの口撃。

それは私を拒否・拒絶するような内容でした。

なぜそんなことを言われないといけないのかわからなかったし、1:9で相手が悪いと思ってます。

後々1の部分が尾をひくのですが…



直後:拒絶によるパニック、混乱、深い悲しみ

一時間以内:他者に話を聞いてもらい、相手の事情の説明をされる
:旦那に慰めてもらう

★出来事だけを考えて、相手の感情を勘ぐらないようにした
★自分が悪かったのでは…と考えがちなので、どちらが悪いなど善悪を焦点にしない
★自分の今の感情をそのまま感じる
★相手に対して卑屈にならない。無駄に謝罪もしない

翌朝:ハッピーさんのLINEで「大きな怒りや苦しみが起こったときは何もしないのがベスト」がタイムリーに来て、昨日の行動は間違ってなかったと再確認。

日中:仕事中なので泣くのは堪えた

★なんであんな事をしたのか、なぜあんな事をされたのかは極力考えない
★相手に焦点を当てない
★「私は」を考える、感じる
★自分癒しに専念

☆自分の癖を見つけた
「もう相手のいる集まりに行きたくない」

なぜ私が去ろうとするのか、
相手に遠慮?相手を追い出すこともできるのに。

☆癖その2
相手がどう思ってるんだろう。
何を言ってくるだろう…こう言われたこう言い返す。
☝︎というシミュレーションをしがち。
これって、相手に合わせる考え方。
私はどうしたいか、それだけでいい。と言い聞かせた。

☝︎このシミュレーション、やると大戦争になって疲れちゃうんだよね。



★「私は」にだけ。一貫してこれだけ。


☆「私はどうしたい?」「ぶん殴りたい」
自分に聞いてびっくり。
相当、相当怒ってました。
それに気づかなかった、私。

自分に悪いところがあったかも。
と、自分に牙むけて、相手と一緒に自分を傷つけてました。今まで。

今回は怒ってる私を受け入れました。
自分は悪くない。あんなこと言われて怒って当然だ。と。


☆癖その3
怒りを表現できない。
その前に感じられない。

あーだから、怒りが溜まって全然関係ない旦那に向かったりしてたのか!!

これはオオゴトだ。



★考えてたこと。
なぜ、私はこんなに悲しいのか。
スルーできない要因は何か。

旦那なんかは、そんなに引きずらないし、「相手の虫の居所が悪かったんだろ。」で終わるんですね。
なのに、こんなに瀕死のダメージを私は負ってる。その理由を考えてました。


☆過去のイジメの時と同じ流れになってました。

他人に否定される

自分も自分を否定する
(自分は受け入れられない人間だ、愛されない)

自分の殻に閉じこもる


★最大の間違い
自分が受け入れられないことを受け入れたこと。

元々持っている「自己否定」にすっぽりハマった感じですね。
ですよね~みたいな。

そこを変えたら、感じ方が変わるのではないか。
ということに気づきました。

つまり、「自己肯定」と「自分軸」




1週間後:他の人に話を聞いてもらう。

「私は人付き合い下手くそだー」と認めてみる。


2週間後:相手からのコンタクトは殆ど無く、相手の様子が若干気になるものの、傷は癒えている。


奇跡の復活劇でした。
かさぶたが取れたように痕なく。


まだ未解決なので、スッキリとはいかないし、
1:9の1が疼いてます。
相手を助けたい。何とかしてあげたい。
1の罪悪感がそう考えさせてます。
前の私と相手の考え方が似ていたら、物凄い色々考えて疲れてることだと思います。
自分の気持ちより相手の気持ちを考えるから。
わかるわけない相手の気持ちを考えるから。

そして、自分を攻撃すると思い込んでる自分が攻撃しているんだと思います。
妄想にやられてると思います。

それがわかる気がしてしまうので、助けたい気がするけど…

私にその義務はないし、彼女には彼女の権利がある。
集まりに来ないのも、私と繋がりを断つのも権利。
冷たいように感じるけれど、大人だから、尊重です。

大人の世界はこうやって成り立ってる。
拗ねずに求めれば、手はそこにある。
彼女がそれを知ることを祈るのみ。


わたしは後は1の罪悪感を手放す。

苦しかったけど多くの学びがある出来事でした。

私の課題は、アサーティブと適正な怒り。

2016年、等身大の自分のための重要キーワードになりました。