今思うと、学校って罰ゲームみたいだったよね。
発表なんてしたくないのに、発表しないと評価されないというか、発表する人がいいとされてたし。
運動したくないのに、走らされたし、泳がされたし。
今、テレビで、「マラソンの順位づけ」は個人の目標のため、自分と戦うため。って言ってるけど、
走る楽しさ、運動の楽しさが大事だったはずなんだよね。
苦手だ!嫌だ!ってことだけが強化されて、今。
ようやく、マラソン好きの旦那を持って、いろんなスポーツやってた人と触れ合って、スポーツって楽しいんだなあって、思えたよ。
34歳でようやく。
マラソンの順位が上がらない、タイムが上がらない自分はダメだ。
バレーボールでボールが繋げず、チームに貢献できなかった自分はダメだ。
と、思い続けた学生時代。
スポーツと自己の成長を無駄に結び付けられ、精神論に縛られ、
自己嫌悪を植え付けられた、学生時代。
マラソン、走る楽しさ、運動の楽しさと、
努力する素晴らしさを同じだと思ってたわー。
そもそも、努力させられる時間だったし。
そう!努力させられる!
嫌なことを我慢してずーっとやらされる、そんな罰ゲーム期間だった。
いい子でいるべきと思ってたから、甘んじて受け入れてた。
ってか、目標に向かって頑張らせるって、強制させてできることじゃないだろ。
自分の思いとは別の行動を取ってきたことで、起こってる乖離。
少しずつ統合していくつもり。
日本の教育にはこんな矛盾というか、変なところがある。違和感がたくさんある。
それに合う人もたくさんいる。けど、私みたいに合ってるふりして、全く合ってなかった人もいるんだね。
私も最近知った。
だから教育は難しいと思う。